完全無比の少女月嶋琴葉~②~
「まったく脆弱なんだから」
耳朶に触れる彼女の声が、朦朧としていた意識を明白にする。
「あれ? ここは?」
深い眠りが覚め、あたりを見回すとそこはどこか見覚えのあるフローリングだった。
見慣れているわけではなく、見覚えがある。
そう、いつの日か訪れた記憶がある、そんな間取りだった。
「私の家のリビングよ」
真上から注ぐ琴葉の声でさっきの疑問に合点がいく。
「そうか琴葉の家か。どうりで見覚えがあああああああああああっ!」
「なによ。授乳時の赤ちゃんみたいに顎を震わせて」
「えっ!? 赤ちゃんっておっぱい飲むときにそんな反応するの‼ ってそうじゃなくて、なんでそんな格好なんだ、おまえ!?」
おお、落ち着け俺。
ひ、ひとまず状況を整理しよう。
状況1:目を覚ますと俺は琴葉の家のソファで横になっていた。
うん、おそらく倒れた俺を看病するために琴葉が家まで運んでくれたんだろう。
状況2:そしてなぜか眠っていた俺に琴葉が四つん這いで覆いかぶさってきている。
ま、まぁ、琴葉の悪ふざけだろうからこれもとりあえずはスルーできる。
状況3:全裸で。
はい、おかしいよこの展開!
目が覚めたら、全裸の女の子が覆いかぶさっていた。
どこのラノベ主人公ですか、俺は!?
「おまえは夢莉か!?」
「いや、そのツッコミは正直どうかと思うわ……」
ガチで引かれてしまった。
全裸に……。
「つーか、どうしておまえはマッパなんだ!」
「なによ。今更サークルの仲間が家では裸族だって真実を知ったくらいで取り乱さないでよ。みっともない」
「みっともないのはおまえの方だ! って、えぇ! 裸族だったの!?」
ある程度叫んだところで、俺は琴葉から目を逸らす。
正確には俺を跨ぐ、乳白色の肢体から。
琴葉自身がコンプレックスを抱くように胸は酷く平らだが、その他の部位がそれを帳消しにするほど、素晴らしい、というか美しい。
普段は服に覆われ決して覗くことのできない清らかな肢体。
日頃から華奢だとは思っていたが、実物は想像以上に細く、まるでガラス細工のようだ。
肩から腰にかけての優美な曲線。
そのラインが腰から下の位置に向けて大きく後ろに盛り上がり、やがてスラリと伸びる美脚へと変わる。
まさに(一部を除けば)非の打ちどころのない完璧なスタイル。
全裸に剥いたその姿はどこかの美術館に飾られる芸術作品に相違ない。
だからこそ、ドキドキが収められない。
どちらかというと悪友のような関係を築いてきた彼女を急に異性として意識してしまったせいか、激しく動揺してしまう。
「ゆうぽん」
「ふぁい!」
ことん、と琴葉の頭が落ちてくる。
それに伴い温もりのある艶やかな肢体が俺の体に密着してくる。
やばいやばい、やばい!
緊張のあまり全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出し、喉が潤いを求めて唸る。
心臓の鼓動も急激に加速し、脳へと血液を一気に流し込む。
あまつさえ大切な部分にまで血を巡らせ、生理現象を誘発する。
衝撃的すぎる刺激に男としての本能が爆発しそうになるが、ギリギリのところで理性がそれを抑えてくれる。
だけどそれもほんの一時の猶予。
こんな浅くてもろい壁、すぐに決壊してしまうだろう。
自分を制御できる間になんとかしなくては。
この危機的状況を脱する手段を模索していると、不意に琴葉が切なげな声を漏らした。
「あなただったのね……」
「えっ?」
酷く寂しそうで、悲しげな声音。
その一言に、ドクン、ドクンと波を打っていた拍動が嘘のように静まりかえる。
「……やっぱり、異端審問会の」
細く、あまりに弱弱しい琴葉の独り言だったが、俺はそれを鮮明に聞き拾っていた。
〝異端審問会〟。
その単語を耳にしただけで、わずかに体が疼く。
良心を消し、体の芯から熱を奪い、人としての感覚を無くしていたあの感覚。
冷たい刃と同化し、ルールを犯した者を片っ端しから切り伏せていくだけの簡単な仕事を淡々とこなす毎日。
死の淵に立たされた者の断末魔と全身にこびりつく血液の臭い。
いまでこそ地獄と断言できる体験が、たったひとつの言葉をきっかけに再起する。
怒り、不安、裏切り、恐怖、憎しみ、殺意、正義。
とどめなく溢れる感情が胸の奥へと突き刺さり、決して癒えない傷を俺に残す。
正義と悪の衝突。
正しき者を決める争いの末に誕生したのは、時代の変革でも真の平和でもない。
すべてを無くし、生きる価値を見失った哀れな被害者。
たったそれだけだった。
「それにしても、まさか魔科を発動しただけで倒れるなんてね……魔力の使わなすぎなんじゃないの、ゆうぽん」
ふっ、と酩酊していた心が正気に戻る。
その頃には、琴葉の態度もいつものように戻っており、翳らせていた表情はとうに消えていた。
「魔力は筋肉と同じように使わなければどんどん衰えていくんだからいきなり大きな力を開放しちゃ危ないわよ」
「あぁ、そうだな」
曖昧になりそうだった感覚を踏みとどめ、なんとか正気を保つ。
二度と想起させたくもない、暗く悲しい経験。
俺は今度こそ自我を忘れまいと、必死にさっきまでの感覚を頭から抹消する。
だけど……。
「なぁ、琴葉……おまえは一体」
心は嘘をつけない。
どうして彼女が、という探究心が捨てられない俺は、反射的に琴葉へと尋ねていた。
「それよりも、ゆうぽん」
だけど、彼女は誤魔化す方法を選択した。
密着した肢体をより強く押しつけ、俺の胸に全体重を預けてくる。
「いつになったら夢莉とセ●クスするの?」
「ぶっ!?」
琴葉の投下した爆弾は、陰鬱たる空気を一瞬にして吹き飛ばし、俺の中で疼いていた悪魔を消し去ってくれた。
「あぁ、ごめん、いつになったら夢莉と付き合うの? の間違いだった。あっ、でも恋人同士になったらどちらにせよ毎晩のようにヤるわけだから、あながち間違ってないか」
「間違いすぎだわ!」
「まったく、あんなにも好意を寄せてくれているというのにどうして付き合わないのよ? もしかしてゆうぽん、ゲイなの?」
「んなわけあるか!」
「あんなにもエッチに興味津々な可愛い女の子そうそういないわよ?」
「あそこまでオープンな女の子が大量発生しても、それはそれで困るわ!」
夢莉を客観的に評価するとたしかに琴葉のいっていることは正しい。
可愛くてエッチで、鷹揚で誰にも分け隔てなく接する、男からしてみたらまさに理想の相手である。
そんな彼女から毎日のようにアプローチをされているというのに、どうして俺は未だ踏ん切りがつけられずにいるのか……。
そのわけは既に理解している。
「いっておくけど、夢莉は冗談で好きなんて言葉を口にするような人じゃないわよ」
「わかっている……だけど、いまはまだ駄目なんだ。俺自身が本当に夢莉を好きなのか、愛しているのか。実は夢莉の誘惑に負けているだけで彼女の中身を見ていないんじゃないのか。このあたりをはっきりさせないと俺は夢莉の気持ちを受け止めることができない」
「はぁ……相変わらず真面目なんだから」
琴葉が心底呆れたようにため息を吐く。
「仕方ない。今日のところはその答えだけで勘弁してあげるけど、早いうちに決心はつけてもらうから」
密着していた肢体を離し、堂々と宣言する琴葉。
どうやら今日のところは許してもらえたみたいだ。
ホッと胸を撫で下ろしていたのも束の間、すぐに新たな問題へと直面する。
「あれ? そういえば爆破した地面はどうしたんだ?」
「ゆうぽん、明日は朝一で職員室集合ね」
「あはは……俺なにも悪くない、よね?」