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祭りの夜

作者: 白藤結
掲載日:2017/07/08

 一年も半分以上が過ぎた頃、八の月の真ん中の日──十五日に行われる祭りがある。

 とある、多くの山々に囲まれた村で行われる祭りはこの一つだけだ。たまに来る行商人たちによると、普通はもっと頻繁に祭りを行うらしい。もっと神に感謝を捧げる機会を増やしなさい、と村人たちはよく言われるが、決して祭りを増やすことはしなかった。

 そして、この祭りに関しては多くの言い伝えが残っている。その年に成人する女子は必ず赤い着物を、男子は必ず濃紺の着物を着なければならないことや、その日は水と酒以外は口にしてはならない、など。

 幾つかは眉唾ものだと認識されており、ひっそりと破ってることも多いが、この一つだけは必ず破ってはいけないと言われていた。破ると神様に連れ去られてしまう、と。

 それは『祭りの夜は出歩いてはならない』ということだった。(かわや)へ用を足しに行くのも必ず日中に行い、家から一歩も出てはならないのだ。



 そしてある年、一人の少女が家を出た。






 白露(しらつゆ)はそっと草鞋を履き、外へと出た。村の住人は既に寝静まり、白露の戸を開ける音だけがやけに大きく響いた。

 白露が家を出たのは、母の病状が悪化したからだった。白露は父を知らず、母と二人暮らしで、病弱な母を白露がそっと支えて、細々と暮らしていた。

 祭りの日の今日はいつもより母の体調が良く、いつもより積極的に働いていた。けれど祭りの日は水と酒以外を口にしてはいけない。それが原因でか、母はまるで(はか)ったかのように、日が暮れると同時に体調が悪くなった。

 日が暮れて一刻程度はまだ良かった。(しとね)で寝て水を飲むだけで大丈夫だったが、それ以降どんどん顔色が悪くなり、不安になった白露は言いつけを破って、村の中央にある共用の薬の倉へと向かったのだ。

 この村では薬は貴重なため、皆で平等に使うために村が管理しており、各家庭には胃痛を若干和らげる効果の薬しか置けなかったのだ。

 白露はそっと足音を殺して、薬の倉へと向かった。静かな村はいつもと違い、とても薄気味悪い。

 しばらく歩くと、薬の倉が見えてきた。白露はほっとして、薬の倉へと急ぐ。


 ──チリン


 小さな鈴の音が白露の耳に届く。立ち止まり、辺りを見回すも、鈴がありそうなところなどない。しかも今夜は風が吹いてなかった。ということは人為的に鳴らしたはずだが、村人は皆寝静まっていて、人の気配はない。

 空耳だと思い、白露はさらに一歩踏み出した。


 ──チリン


 再び鈴の音が響く。風はないし、人もいない。

 白露は一歩、足を進める。


 ──チリン


 ふと、何かに引き寄せられるかのように、白露は空を見上げた。そこは黄金の満月が昇っているはずだった。しかしそこにあったのは、血のように真っ赤に輝く満月。

 白露は思わず後ずさる。その時も鈴の音が鳴った。まるで白露の歩みに合わせているかのよう。

 白露の中には今では恐怖しかなかった。不気味な音におかしな月。分からない。怖い。逃げなきゃ。

 衝動に突き動かされるままに白露は駆け出した。耳元で鈴の音が何回も、何十回も、まるで警報のように繰り返し鳴る。

 ふと辺りを見ると、既に白露たちの家を過ぎ、山の麓まで来ていた。ここまで来れば大丈夫。母には申し訳ないけれど、もう今夜は薬を取りには行けそうにない。そう思って家の方へ引き返そうとした。


 ──チリン


 再び響いた鈴の音に、白露の足は止まった。恐怖で足がガクガクと震え出す。

 さぁっと冷たい風が吹いた。赤い月の光が強くなり、どこもかしこもうっすらと紅を垂らしたように見える。白露の白い小袖も、赤く染まっていた。


 ──チリン、チリン


 白露は歩いていないのに、一定の間隔で鈴の音が聞こえ始めた。まるで他の誰かの足音の代わりのように。

 そして、その音は少しずつ大きくなっていく。


 ──チリン


 突如、肩に手を置かれた。ビクッと肩が跳ねた。振り返りたいけれど、振り返るのが怖い。

 ふっと耳元に息を感じ、体が震える。このまま食われるのか。


「──命が惜しいのなら、逆らわずについておいで」


 緊張感を孕んだ、けれども優しい男の声に、白露は自然と体の震えが止まった。人だ。人の声。それを見てか、手首を取られ、男は歩き始める。

 白露は何が何だか分からぬまま、男に連れて行かれる。男は前を向いているため顔は分からないが、髪は真っ白で、紫色の着物を着ていた。彼は、誰なのだろう。


──チリン、チリ……


 次第に鈴の音が遠くなっていく。やがて山の中を何歩か進むと、その音は全く聞こえなくなった。木々の擦れる音だけが、辺りに響く。


「私の家に行こうか。そこで一晩過ごし、早朝になったら家に帰そう。その頃にはアレ(・・)も居なくなっているよ」


 男が獣道を歩きながら言った。白露は訳が分からず、ただ頷くことしかできなかった。

 あの鈴の音が何なのか、白露にな分からない。男は知っているようだが、追われている時に聞くのは憚られた。

 やがて、一つの大きな穴が二人の前に現れた。男は躊躇いなく、黒々としたその穴へと入る。白露は、穴に入る前にちらりと空を見上げた。

 そこにはいつも通りの、黄金の満月が輝いていた。






 穴の中は、失礼だが、意外にも綺麗だった。奥の方に提灯が灯されており、淡い光が穴の中を照らす。囲炉裏などはなく、隅っこの方に藁が纏められており、それが茵の代わりだろうと思われた。

 白露が穴の入口で立ち止まっていると、男が白露に手招きをする。白露は男の傍へと寄った。


「ここが私の家だよ。何もなくてごめんね」


「別に、大丈夫です」


 地べたに座っても、小袖にはほとんど土がつかない。それだけで良かった。今着ている小袖は寝るときに毎晩着るもので、汚して洗うとなると、洗った時刻や天気によってはしっとりと湿っており、風邪を引いてしまうかもしれない。だから汚れないだけで十分だ。

 男は何やら唸っている。ここで白露は初めてはっきりと男の顔を見た。整った顔立ちをしており、瞳の色は金色。こんな色を持っている人は見たことがない。


「うん。ちょっと待っててね」


 そう言って男は穴の奥へと行く。提灯の光が届かないほど奥へ行き、白い髪が闇に溶ける。そんなにこの穴は広かったのか、と白露は驚いた。

 やがて、男が戻って来た。その手には一つの器がある。


「はい、水だよ。これを飲んで、今日はもうおやすみ」


「はい」


 白露は言われるがまま、水を飲む。走っていたことと緊張からか、存外に喉が渇いていたらしく、いつの間にやら水が器から消えていた。


「そこの藁の上に寝転がって寝るといい。朝になったら起こしてあげよう」


 男が隅にある藁を指さした。


「はい……あ、でも、お母さんが、家で………」


 もともと、母に薬を飲ませるために家を抜け出したのだ。母は白露が家にいないことを知れば、更に体調が悪化するかもしれないし、もしかしたら、既に悪くなりすぎて意識が朦朧としているのかもしれない。戻りたい。母のいる家へ。戻らなくては。


「大丈夫だよ」


 男がそう言って、白露の頭を撫でる。暖かい温もりは、まるで母のようだった。


「大丈夫。不安な顔をしなくても、ちゃんと君のお母さんは分かっているから」


 男の言っていることは分からないが、白露はどこか安心して、瞼がゆっくりと落ちてくる。


「おやすみ、白露」


 男のその言葉を皮切りに、白露は夢の中へと落ちた。






 夢を見た。いつの頃だったか、母が笑っている夢。


 ──あなたのお父さんはね、とても綺麗な人なのよ


 母は嬉しそうに父のことを話す。家は寝れればいいとか考えていてとても汚かったり、朝日が出ると共に起き、日が暮れると共に寝る生活を送っていたり、と。


 ──白露の名前もね、あの人がつけたのよ。あの人が私に見せてくれた真っ白な露草の花畑。それを私が忘れないことを祈ってでしょうね


 ──真っ白な露草なんてあるの?


 幼い白露が訊く。

 母は愛おしそうに微笑んだ。


 ──ええ、そうよ。普通は青い大きな花弁が2枚と小さな白い花弁が1枚だけど、それは大きな花弁の色が白で、本当に綺麗なのよ。……本当に、可愛い人。私が忘れるわけないのに


 母の語る父はとてもいい人そうだった。なのに、白露を身篭った母を一人にし、今もいない。矛盾してる。

 白露がそのことを非難すると、母は笑って言う。


 ──仕方ないのよ。私たちは住む世界が違ったのだから


 その時の母は笑っていたが、泣いているようでもあった。






 すっと目が覚めた。こんなに目覚めのいい朝は久しぶりだと白露は思う。


「おはよう」


 男が白露の隣に座ってそう言った。もしかしたら、彼はずっと起きていたのかもしれない。そう思うと申し訳なかった。


「おはようございます」


 白露が言った。

 男が安心したように笑って口を開く。


「じゃあ、行こうか。君の家に帰してあげよう。ああ、だけど、その前にちょっと寄りたいところがあるんだけどいい?」


「………はい」


 本当は早く母に会いたかったが、恩人である男の望みなら受け入れるしかない。


「はい、水。なら早く出発しようか。君も早くお母さんに会いたいだろう?」


「はい」


 白露は躊躇いなく頷き、水を飲む。


「その道中に、昨日の夜のことを話してあげる。君も知らないといけないことだろうから」


 男の言葉に、白露は確かに昨夜のことはよく分かっていない、ということを思い出した。昨夜のうちに男に尋ねることに思い至らなかったのは、きっと白露も自覚しないままに動揺していたからだろう。

 やがて白露が水を飲み終わると、男は立ち上がり、白露の方へ手を出した。


「行こうか」


「はい」


 白露は男の手を握った。



 穴を出ると、朝日が昇っている途中だった。半分ほど地平線から顔を出した太陽が二人を照らす。朝日とは反対側を見ると、まだ夜の色が残っていた。


「さてと、昨夜の話をしようか」


 男が歩き出しながら言った。白露はこくりと頷く。


「君が追いかけられていたのは、一般的に神様と呼ばれるものだよ」


 男の言葉に、白露は驚く。神とは、あんなにも恐ろしいものなのか。聞いているのと違う。


「昨夜は、年に一度神様が人の世界を見て回る夜なんだ。そして祭りを行うことによって村がある場所を伝え、加護をもらうんだ。他の日に行われる祭りはそんなことはない。あの祭りは特別だね。だから君の住む村でもあの祭りだけは行われるんだ」


 男は淀みなく言葉を紡ぐ。


「この山は特別でね、(あやかし)が多く住むんだ。妖は神様に嫌われた存在。老いることもないから人とは暮らせない。だから山に隠れ住む。……そんな山の麓近くにある君の住む村は、昔から妖と人間の距離が近く、自然と二つの種の血を引く子供が生まれるようになった」


 男が言葉を区切る。白露は必死に話を理解しようとしていた。男は言わないが、この山で暮らしていて、その髪と目の色から、きっと男は妖なのだろう。何故、彼は──妖は神から嫌われるのだろうか。


「子供は神様の忌む、妖の血を半分引いている。だから神様はそんな子を嫌い、祭りの夜、出会ったら殺してしまうんだ。君は妖の血が濃いから、狙われてしまったんだね」


 男の足が止まる。男が手を伸ばし、白露の頭を撫でた。

 温かい手のひら。人と変わらない。


「まあ、そういうことさ。君の住む村では、妖の血が混ざってる人の数が半分は優に超える。だから祭りの夜は出たら行けない、という風習ができてるんだろうね。………さあ、ここだよ」


 そこは至って普通の崖だった。白露は首を傾げる。


「もう少し、崖のそばに寄ろうか。そうしたら分かるよ」


 白露は男に手を引かれて、崖のそばへ立った。そして見えた崖の下の光景に、おもわず感嘆の声を上げる。

 そこには真っ白な露草の花畑があった。あたり一面が、見たことがない、真っ白な露草で埋まっていた。朝日を受け、花弁はほんのり赤く染まっており、とても幻想的な光景だ。


「これを、見せたかったんだ。綺麗だろう?君のお母さんも、初めて見たときは似たような反応をしていた」


 そう言って、男は笑った。昔を懐かしんでいるのかもしれない。

 白露は無性に寂しくなった。もうすぐ別れがやって来る。そうしたら、きっと、もう出会うことはない。出会えない。母の言ったように、住む世界が違うのだから。今会えているのは、ただ一時、その道が交わっただけ。

 男は白露の気持ちを分かってか、頭を撫でる。白露は思わず目を細めた。


「……そろそろ時間だ。君を家に帰さないと」


 白露は離れたくなくて、男に抱きついた。頬に冷たいものが伝う。悲しい。離れたくない。胸の奥から、ぐちゃぐちゃになった感情が込み上げる。


「…………やだ」


「そう言ってはダメだよ。こういう決まりなんだ」


 寂寥感の漂う男の声に、ぎゅっと胸が掴まれる。男だって、妖だって、悲しいものは悲しい。寂しいものは寂しい。こんなに違わないのに、人と妖は住む世界が違う。


「……行きなさい、白露。君のお母さんが心配してるよ」


「だったらあなたも………」


「私たちはいいんだ。これで納得してる。今会ったら、きっとあの人は私を叱るだろうね」


 男が笑う。それはとても満足そうで、白露は何も言えなくなった。


「普通なら出会うことはなかったのに、私たちは出会えた。それだけで満足してるんだ。………さぁ、白露、あちらへ行けばすぐに村につく」


 男が白露を自らの体から引き離し、とある方向を指さした。白露は、泣きながら男の言われた方向へ歩く。

 ふと思い出し、白露は振り返った。男は笑ってこちらを見ている。


「ありがとう、お父さん!」


 白露がそう言うと、男は顔を歪めて笑った。その笑顔に押されて、白露は村の方へと駆け出した。






「白露!」


「お母さん!」


 白露が言われた通りに歩くと、家の裏手に出た。母はそこから戻って来ることを分かっていたのか、そこで待ち構えていた。

 葉っぱを頭に乗せて戻って来た白露を、母は力いっぱい抱きしめる。


「良かった…!本当に、よく無事で……」


 母は涙を流しながら、唇を震わせた。ぎゅうぎゅうに締め付けられて痛いが、それだけ心配させたのだ、と思うと目頭が熱くなる。


「ごめんなさい。お母さんに、薬をあげたくて……」


 白露は喉の奥から言葉を絞り出す。


「こんなことは、もうしないでちょうだいね」


「うん」


 そう言って母は白露から離れ、手を掴んで歩き出す。少し前までも、父にこのように手を引いてもらっていた思い出し、白露は泣きたくなった。


「あのね、お父さんが助けてくれたの!」


 白露がそう母に伝えると、母は笑った。一点の曇りもない、心の底から嬉しそうな笑顔だった。


「そう、良かったわね」


「うん!」


 朝日は既に昇りきっており、白露の着る白い小袖が、薄らと赤く色づいていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 不思議な雰囲気で、一文目から世界観にすうっと引き込まれました。 祭の夜に出歩いてはいけない理由、その理由が、綺麗と言ってはあれなのかもしれませんが、妖の血が混じった人が多いからだというのは、…
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