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18の肖像  作者: 深井陽介
第一章 少しばかりお付き合いください
8/40

―7―


 期末考査が終わってしばらく経つと、野球部は夏の大会に向けた遠征練習のため、通常の授業は午前中だけとなる。遠征の場所によっては、翌日に余裕をもって登校する事が出来ない場合もあるので、午前中の授業にも出席できない事はざらである。

 したがって、大会が一段落するまでは、わたしは喜田村先輩に会えない事になる。

「大方、それが理由だろう? ここ最近そうやって落ち込む回数が増えたのは」

 そうやって落ち込むたびにずばずばと軽口を叩くのは里子だ。わたしは自分の机に突っ伏して、時の流れの速さをただただ嘆いていた。

「だってさ……先輩からのファンレターの返事、まだ受け取ってないんだよ」

「待ちきれないのは当然だけど、事は喜田村先輩のスケジュール次第だからね。つらくても待つしかないと思うよ」

 里子はわたしの前の席に座っていた。ちなみにそこは里子の席ではない。その席の主は別のグループに交じって談笑していた。

「うぅ……」わたしは身をよじった。「本格的に気温も高まってきて、ただでさえ暑さでストレスが溜まりやすいこの時期に、心のオアシスがいないなんて……」

「冷房の効いた所に行けば?」

「身も蓋もない……『わたしがオアシスになってあげようか』とか言ってくれないの?」

「わたしにできるのは、寒い駄洒落を言って体感温度を下げることだけだよ」

 確かに、先日の地口のオンパレードは寒かった。下らないわけじゃなく、明らかにあの状況に合ってなかったというだけで。

「つか、わたしが柚希のオアシスになるって、どういう意味?」

「里子がわたしの予定に笑顔で付き合ってくれること。買い物然り、ゲーム然り、プール然り、とにかく何でも付き合ってくれれば」

「お断り」けんもほろろに言われた。「そりゃある程度は付き合うけど、見境なく何でも一緒にやるつもりはないから」

「もう、本当に友達甲斐のない子なんだから」

「わたしの性格はあんたもよく知っているでしょ。ほどほどの付き合いで十分」

「今まで何度も言ってきたと思うけど、その性格は少し矯正した方がいいよ」

「人間の行動を矯正するのはたやすいが、性格や信条を矯正するのは難物ね」

 小難しく言っているが、結局直す気はないということだ。これも今に始まったことではないので、怒る気にはなれない。半ば呆れるだけで。

「それで? 心のオアシスに会えない今、柚希はいかなる行動を切望する?」

 答えは決まっていた。わたしは拳を高く掲げて宣言する。

「ゲーセンでストレスを発散しまくる!」

「試験の復習をしろよ、学生」

 そして返される言葉も予想がついていた。なるほど、里子は期待を裏切らない。

「里子、ほどほどがいいのなら、学校の勉強も少しくらい中断していいんじゃない?」

「わたしはいつだってほどほどに勉強しているよ。柚希がやらないだけ」

「くっそぉ、わたしも里子みたいに、ほどほどの勉強でもしっかり結果を出せるような、完成された頭脳があれば……」

「わたしにだってないよ、そんな頭脳。というか持っていない人の方が圧倒的に多いんだから、お前もそれなりに勉強しろ」

 言い返す言葉が無い。しかし里子はこのように謙遜しているが、学校の試験で学年二十位台なら、十分に勉強ができる方だと思うが。

 今のところ、わたしのすぐ近くにオアシスはない。だから鬱積するストレスを吹き飛ばすこともできないまま、放課後を迎えた。この状態が続くと、学校に行くこと自体が憂鬱になるかもしれない。いや、もう既になりかけている。

 いつものように、里子と二人で下校する。二人とも帰宅部だった。

「そういえば里子、部活に入ろうとか思わなかったの?」

「いや、最初から帰宅部で通すつもりでいた。何事もほどほどで済ませてしまう性格のこのわたしが、何かに熱中することなんてまずないし」

「それもそうだね」訊くだけ野暮な質問だったな。

「そういう柚希は、部活に入ろうとは思わなかったの?」

「わたしの楽しみは自分の部屋の中で完結しているから、今さら何か思い切ったことをしようとも思わないなぁ」

 わたしは頭の後ろで手を組みながら言った。

「男に惚れれば見境なくアプローチを繰り広げてあえなく撃沈しているのに?」

「さ、里子……そういう言い方は不吉な結果を予感させるから、ほどほどにしてね?」

 言われる側は全く気分が良くない。

「冗談だよ」里子はさらりと言った。「でも、今の恋愛が成就する確率が、今までで一番低いという現実からは目を逸らさないことだね」

「はあ、わたしの目の前にはいつも厳しい現実が転がって……あっ」

 厳しい現実があるはずの目の前に、思いもよらない人物が現れた。

 これまで幾度かわたしの前に姿を見せていた、あの綺麗な女子生徒。逆光で顔には影が差しているものの、こちらを睨んでいることは分かった。腕を組みながら仁王立ちし、視線には一切のブレが無い。

 外気はじわじわと熱を帯びてきている。そんな環境でわたしは凍りついていた。首筋を伝う冷や汗が、少し気持ち悪く感じる。

 女子生徒はその姿勢のまま、わたし達に言い放った。

「……人のいない所で、少し話をしてもいいかしら」

 透き通るような声だった。だけど、言われる側は戸惑わざるを得ない。

「えっと……どっちとお話を?」

「とりあえず両方」

 なんだ、とりあえずって。誰に向けて話をするつもりなのだ、彼女は。里子などあからさまに彼女を警戒して、怯えるようにわたしの後ろに隠れている。

「あの、人のいない所で、というのは……」

「他の連中に話を聞かれたくないというだけ。話が済んだらすぐ帰す。両者とも時間に余裕があるのならついてきて」

 切り口上の言い方が無性に腹立たしいが、一応学年は先輩なので我慢する。

「時間はあります。でも、どんな話をされるか分からない状況で、簡単にイエスと言うわけにはいきません。ざっとでいいので、事情を話してくれませんか」

 女子生徒は、すぐには返事をしなかった。これで素直に事情を話してくれるなら、まだ彼女を信頼できたと思うのだけど……。

「ここで話せることではない。人が多すぎる」

 一歩も引かないつもりのようだ。こちらの信頼を得ようとは露ほども考えていない。

 上等だ。わたしも、譲歩するという選択肢を早々に捨てた。

「だったらあなたの要求には応じません。失礼します」

 わたしと、わたしの背中にくっついている里子は、彼女の隣を通って校門へ駆け足で向かった。彼女が何を企んでいるのかは分からないが、無理をしてまで知りたいとは思わない。一方的に話を切り出されて反論の余地が与えられないなら、それに従う義務などないはず。そう思っていたのだけど。

 彼女とすれ違った刹那、小さな、でもはっきりとした声を聞いた。

「私は小野寺芳花(ほうか)

「え?」わたしは立ち止まって言った。

「それだけは、記憶の隅にとどめておいて」

 彼女はそれだけ言うと、わたし達に関心をなくしたように、そのまま背を向けて校舎へと去っていく。結局彼女が明かした事情は、自分の名前だけだった。

「小野寺、芳花……」

 珍しい名前の印象だけを残した彼女の背中を見つめながら、わたしは、どこかで聞いたことのある名前だと思い、中身の乏しい記憶の引き出しを探っていた。

 そして、不意に思い出した。聞いたことのある、じゃない。見たことがある。

 あの、三階の掲示板に貼り出された、期末考査の順位表で……。

「あの人、喜田村先輩と同着一位の人だったのか」

 里子も思い出したようで、わたしにだけ聞こえる声で言った。

 それにしても、一体どういうことなのだろう。この奇妙な重なりは、果たして偶然なのだろうか。そして、彼女は何の目的でわたし達に話しかけてきたのか。

 不気味な胸騒ぎが、わたしの中にじわじわと広がっていた。

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