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期末考査は一週間後に執り行われる。どこの学校でも同じだろうけれど、試験の一週間前から部活を含めた課外活動は停止される。部活に入っていないわたしには関係ない話だったのだけど、今は少し勝手が違っていた。
喜田村先輩が所属する野球部も試験が終わるまで活動停止なので、先輩の勇姿を目に焼き付ける機会がしばらくお預けとなる。よりにもよって、わたしが先輩の存在を知って夢中になり始めたタイミングで試験期間に入るのだから、何とも間が悪い。
「自分の方がタイミング悪いとは露ほども思わないのか……」
耳に痛い里子の忠言は、聞こえない振りをした。
そういうわけで、わたしは久しぶりに試験というものに対して軽く恨みを抱いた。具体的にいつ以来なのかは忘れたけど。
「もう、ただでさえ試験勉強に追われて憂鬱だっていうのに、このうえ喜田村先輩のお姿を拝見できないなんて……」
「一目惚れでよくそこまで落ち込めるものだな」
校内の廊下を並んで歩きながら、里子はわたしに向かって言った。
「というか、同じ学校にいるんだから顔を見ることくらいはできるだろう?」
「だって、そのためには三年生の教室に行くことになるんだよ? 恥ずかしくない?」
「今さら何を言うか」
バッサリと切り捨てられたけれど、これはどういう意味でしょうか、里子さん? すでにわたしが恥ずべきことをやらかしているとでも言うのですか? 色々言い返したいことはあったけれど、もっと酷い事を言われそうな予感がしたのでやめた。
「色恋沙汰に執心するのは結構だけど、今はとりあえず試験勉強に集中しろよ」
「そ、そうだよね。追試とか補習とかの憂き目には遭わないようにしないと」
「おや、柚希も一応そのテの危機感は持っていたのね」
里子が感心したように言った。一応って、なんだか腹立つな。
「当然でしょ。この試験が無事に終わったら、すぐに喜田村先輩へファンレターを送るつもりだから。追試になったらチャンスが遠のくし」
「おい、ちょっと感動したわたしが馬鹿みたいじゃないか」里子は少し怒気を込めて言った。「というか、ファンレター? ラブレターじゃなくて?」
そういう事を躊躇いなく口に出すんだよな、この子。脳味噌と口の間に一枚ぐらいフィルターを付けてほしいものだ。わたしは顔が朱に染まるのを自覚しながら、里子の両肩をぐっと掴んだ。
「だって、向こうはわたしの存在すら知らない可能性が高いんだよ? ちょっと目が合っただけじゃ覚えていないかもしれないし。そんな見ず知らずに等しい女子から、いきなり『付き合ってください』的な手紙をもらったってOKなんか出すとは思えないし、後先考えずに渡したら軽い女だと思われて幻滅されるかもしれないし、それに……」
「あー、よしよし、もう分かったから。色々悩みに悩みまくった結果なんでしょ。わたしが悪かったわよ」
里子はわたしの髪を撫でながら慰めた。どこまで本気か分かったものじゃないけど、親友の慰めには素直に応じてあげよう。
「で、そのラブレ……じゃなくてファンレター、もう書いたの?」
わたしは里子から手を放すと、敬礼しながらにこやかに答えた。
「昨日、一晩かけて書き上げました。自信作ですよ」
「勉強しろよ、学生」里子は一転して呆れたように言った。「追試と補習は何として避けたいんじゃなかったのか」
「うん。だから今日からみっちり教えて下さい」
「あっけらかんと言ったな……大体、何日も前からその話はあったと思うが」
「不思議だよね、やらなきゃいけない事はやる気になれないのに、やらなくていい事はむしろ積極的にやりたがるよね。人間はまだまだ欲望に忠実という事なのかな」
「はぐらかすな。それと、欲望丸出しのお前が言うな」
はい、案の定、手厳しいお言葉を頂きました。本当に、一枚でもフィルターを付けてくれないものだろうか。わたしは、無駄と知りながらもムキになって言った。
「むぅ、欲望のままに生きて何が悪いの! やりたい事がやりたいのは当たり前! 他人から指図されてやることの方が重要だなんて、絶対おかしいよ!」
「およそ人間社会に生きているとは思えない発言だな」
「上等じゃない! どっちの生き方が人間らしいか証明してみせるわ」
「その前に勉強しろ、学生。そして廊下で大声を出すな」
うぅむ、何を言ってもなびく事のない里子の姿勢は、ある意味で敬服に値する。いい友人を持ちましたよ、わたしは。
その直後だった。わたしと里子はちょうど階段の近くにいた。だから目の前を、階段を上り下りする人が通っている。その中に、三階から降りてきた喜田村先輩がいた。
一人だった。その喜田村先輩と目が合った。今度は間違いなく。
すると、先輩は自然に微笑みながら、わたしに向かって軽く手を振った。
この瞬間のわたしの心境を想像してみてよ。もう天にも昇る気分だよ。いや、天に昇るという事は鬼籍に入ることと同じなのだけど、そうなっても構わないと思えるくらい、わたしの心は舞い上がっていたのだ。
気がつくと、もう喜田村先輩はいなくなっていた。そしてわたしは、なぜか里子に後ろから支えられていた。ああ、どうやら卒倒しかけたらしい。
「おーい、しっかりしろ」
「里子……あのファンレター、ラブレターに格上げしていいかなぁ」
「言ったようなことになっても知らんぞ。……ん?」
里子の視線が、少し前の方に外れた。
「どうしたの?」
「いや……なんか向こうから視線を感じたような気がしたんだが」
「え?」
わたしも、里子と同じ方向を見てみた。だけど、こちらに視線を向けている人は見当たらなかった。そうでない人なら何人も横切っているけれど。
「気のせいだったかな」
そう言って里子は興味を無くしたようだが、わたしはまだ少し気になっていた。
里子は割と勘がいい。本人は気のせいだと思っているけど、わたしにはどうもそのように思えない。確かに誰かがこちらを見ていたのではないか。もしその視線の主が存在するとして、それは誰に向けられたのか。
相手が里子なら、わたしはここまで気にしないだろう。誰かが里子に興味を傾けたとしても、里子の方は長続きしないだろうからだ。
その可能性が否定できるはずはないのに、わたしはどうしてここまで気になるのか。
先日のあの少女……彼女の存在がまだ尾を引いているのだ。