―13―
気がつくと、わたしは仄明るい部屋の中にいた。一日も経ったのかと思えるほど、長い放心状態から覚めると、会議用の長いテーブルの前でパイプ椅子に座っていた。
「あ、気がついたのかい?」
わたしの右斜め前で、見覚えのある男性が座って手帳とペンを持っていた。そうだ、あの倉庫に駆けつけていた、警察の人だ……。
「ここは……?」
「台橋警察署だよ。あれから君、我々の誘導に従ってここまで来てくれたけど、何だか心ここにあらずって感じだったよ。大丈夫? 体に変調があるなら病院に連れて行くけど」
「あの……喜田村先輩は?」
「ああ、そこからか、やっぱり。あの場に君と彼以外はいなかった。鉄材で圧死したあの遺体も、最も激しい頭部の損傷から生活反応が出たので、あの場で直立していた人間が押し潰された事は間違いない。十中八九、あの遺体は喜田村桃矢だよ」
喜田村先輩が、死んだ。わたしはその事実に直面して精神的ショックを受け、放心状態のままここに来たのか。ある意味、人体の神秘だ。それにしても。
「ずいぶん、慎重に調べましたね」
「平池がせっついたんだ。喜田村桃矢の事だから、雲隠れするために影武者を用意した可能性は否定できないって。法医学教室の先生にしっかり調べてもらい、つい先ごろ、その報告書が届いたばかりなんだ。あ、平池というのは、君と面会した刑事の名前ね」
……知っている。今回、平池刑事の言ったことが現実となったわけだ。
「いま、何時ですか?」
「もう午後三時だよ。君、ここに座ってから今までずっと無言で、どんなに話しかけても反応がなくて困っていたんだよ」
「三時、か……学校、サボっちゃいましたね」
「台橋高校にはすでに連絡しておいたよ。そこは心配いらない。それより、そんな事が言えるくらいに回復はしているみたいだね」
その気遣いは笑えないなぁ。ついでに言うと、あなたの名前をまだ伺っていないのですが。ここが台橋警察署の小会議室だという事は分かるけど。
すると、ノックの音が聞こえてきて、「入るぞ」という声と共にドアが開かれた。入って来たのは平池刑事だった。わたしを見て目をわずかに大きくした。
「おっ、ようやく話せるようになったか。ちょうどいい。荒川、ちょっとこの子と話したい事があるんだ。悪いけど、そこに立って見ていてくれ」
荒川という刑事は、渋面を隠す事なく言い返した。
「それは別に構わねぇけど、その態度はどうにかならないのか?」
「面識のある俺の方が話をするには適役だと思っただけだよ。それに、態度も何も、俺とお前じゃ歳もキャリアもさほど変わらないだろ?」
「雑用を命じられてばかりのくせに……」
「その雑用係に色々先を越されたのは、どこの誰かな?」
荒川刑事は口をつぐんだ。なるほど、平池刑事は元からこういう人なのか。
渋々と言った様子で壁際に引っ込んだ荒川刑事を尻目に、平池刑事は、さっきまで荒川刑事が使っていたパイプ椅子に腰かけた。
「さっき、鑑識から報告があったんだ。喜田村桃矢の被っていたニット帽には、電極が埋め込まれていたそうだ」
「電極……?」
「脳波、つまり脳から発せられる電気信号による微弱な電磁波を、探知する機械だ。ニット帽の頭頂部には、探知した電磁波を増幅、つまり比較的大きなものにして飛ばす、そういう装置が埋め込まれていた。さらに、増幅された電磁波を探知する機械が、あの倉庫の中の雑多な機械類の中に紛れていて、それはさらに天井に仕掛けられた電磁石に繋がっていたんだ。これは、どういう事だと思う?」
さっぱり分かりません。元々理科系科目が苦手な上に、さっきまで意識を失いかけていて頭が働かないのだ。わたしはかぶりを振る。だけど……。
「だけど、天井の電磁石というのが引っ掛かりました」
「確かめる方法はないが、恐らく、落下した鉄材は電磁石で天井に固定されていた。例えば、喜田村桃矢が死亡すれば脳の機能は停止し、当然脳波も発生しなくなる。厳密には君も脳波を発しているが、さっきも言ったように微弱なものだ。ニット帽に埋め込んだ機械で増幅しなければ探知できない装置だ、当然電磁波は探知できない。探知できている間は電磁石に電流を送り続けていたから磁力は発生していたが、探知できなければ電流は送られず、電磁石は磁力を失い、結果、鉄材は落下する」
「そんな仕掛けが……? でも、先輩が死ぬって……」
「もしあの時、君が喜田村桃矢の挑発に乗って彼を刺し殺せば、桃矢は刺された反動で後ろ向きに倒れ、君はその場に立ち尽くす。電磁石で固定されていた鉄材が、彼の真上にセットされていれば、その状況で鉄材の洗礼を受けるのは、刺し殺す寸前まで彼がいた所に立っている、君という事になる」
背筋に寒気が走った。今になって、あれが偶然の事故ではないと理解できる。
「ただ実際は、混乱を来たした喜田村自身が、ニット帽の上から頭を押さえた時に電極が外れ、脳波を送れなくなったために鉄材が落下したみたいだが」
「ではあれは、初めからわたしを巻き添えにするための……?」
「喜田村桃矢が仕掛けた罠という事だ。彼は工業系の専門学校志望で、機械の知識は並みの高校生以上だと聞いている。この日のために色んな業者とコネを作っていて、ずいぶん前からあの仕掛けを準備していたみたいだな」
「でも、なんで先輩はそんな罠を……?」
「想像してみなさい。君は喜田村桃矢を刺し殺した後に、鉄材に潰されて死亡する」
想像したくありません。いい加減、気分が悪くなってきた。
「きついだろうが、もう少し耐えてくれ。その後、人が駆けつけてその状況を見た時、その人はどんな結論を出すか? 戻廟で殺された小野寺芳花の血が付着したナイフで、喜田村桃矢が殺されている。その後になぜか、殺した犯人は鉄材の下敷きになっている。どう見たってそれ自体は不運な事故だ。そうなれば、喜田村桃矢のニット帽も、あえて調べようという人はいないだろう。つまり、君が小野寺芳花と喜田村桃矢を殺害し、その後に不運な落下事故で亡くなった、そう見なされる」
「……わたしに、罪を着せようとしたって言うんですか?」
「例の三枚のSDカードを、君か彼女のどちらかが警察に提出した事も、恐らく彼の計画のうちだっただろう。もしそうしなければ、また別の方法を考えただろうが、とにかくこれによって、我々警察にも、喜田村桃矢が太刀川製薬の不正を暴こうと尽力している正義感の強い高校生というイメージが植え付けられる。だから、ニット帽や鉄材を調べるまでもなく、あれは調査中に起きた不幸な事件だと結論づける。さすがに君が事件の黒幕だとは誰も考えないだろうが、死人に口なし、証拠も足りない状況なら、いくらでも想像で補完してもらえる。そこまで見越した計画だったんだ」
本当に、何もかも喜田村先輩の想定通りに事は進んでいたのか……。
「でも、なんでそんな事を? 自分だって死ぬことになるのに」
「これは俺の想像だが、彼は自分を悲劇の英雄に仕立て上げる事で、世間から永遠に崇拝される存在になろうとしたんじゃないだろうか?」
「永遠に崇拝される? だって、喜田村先輩は、行方をくらます事で喜田村桃矢という存在を消して、新たなリーダーとして暗躍すると……」
「彼はそう言ったのか。たぶんそれも本気で考えた事だろうが、君の登場で計画を変更したんだ。彼の目的はあくまで、全人類から崇拝される存在となる事だった。この事件がマスコミの耳に入れば、マスコミは彼の人となりを調べ、表向きだけの人格者ぶりを世間に報道することとなる。君という分かりやすい敵キャラの存在もそれを助長する。マスコミは対立構造が大好物だからな」
身も蓋もない言い方だ。わたしは苦笑するしかない。
「結果、彼は正義の高校生として、死してなお大々的に注目を浴びる事になる。裏の顔を知る人間は一人もいない。いたとしてもすでに死んだ人間が相手だ、誰も積極的に裏の顔を暴こうとはしない。統率者にはなれないが、後の人々から英雄として扱われ、記憶に刻まれ続けることとなる。そうして自分に対する支持を半永久的に盤石なものとする。それが彼の計画の本当の目的だ」
平池刑事の話を聞いて、わたしは震えを抑えられなかった。
恐るべき執念と狡猾さ、あるいは意志の強さ。彼の、最強のリーダーに対する異常なほどの拘泥と執着が、この事件を引き起こした。里子の言った通りだ。これは、限られた人間の意思が反映されたものだったのだ。
「もしあの時、君が彼を刺し殺していれば、間違いなくこのような事態になった。君が彼を刺さなかったことが、結果的に彼の壮大な計画を破綻させることになったんだ」
そうだ。先輩がやたらとわたしを挑発してきたのも、計画の一つだった。いや、そもそも小野寺さんの前でわたしの話をした時から、すべては始まっていた。わたしを選んだ理由は定かじゃないが、これによって小野寺さんはわたしを調査に巻き込んだ。必然的にわたしと小野寺さんの間には仲間意識が芽生え、その小野寺さんが殺されれば確実に冷静さを失う。その上で先輩が自分を殺すよう挑発すれば、まさに言ったような展開となる。
一歩間違えればわたしは、天罰の下った殺人犯というレッテルを貼られるところだったのだ。わたしはあの時、自分の運命を左右する分岐点に立っていたのだ。いや、知らないうちに立たされていた。先輩の策略によって……。
「恐らく喜田村桃矢にとって、君の行動はまさに想定外だったんだ」壁際に立っている荒川刑事が言った。「本当なら、あの場で対応策を取る事はいくらでもできたはずだった。だが、なにぶん想定外の事態だったために混乱し、冷静さを失った。君の存在が彼の計画を、彼が歩もうとしていたレールを次々と変更し、結果として破滅へと追い込んだ。ある意味、君自身の功績といえるだろう」
平池刑事も賛同して頷いた。
「喜田村桃矢は、自分の計画を完璧だと思っていたようだが、実際には、覆い隠せないほど大きな穴があった。君の、彼への想いの強さを想定しなかった事だ。彼は確かに頭のきれる男だ。だが、いかんせん頭が良すぎた。自分の知らない感情を考慮に入れないまま、全てが理性と理論によって動くと錯覚してしまったんだ」
わたしは何も答えられない。この人達は、どうしたって外側の人間だ。他人事のように分析をするのは自然な事だ。だからこそ、当事者であるわたしは素直に頷けない。
「彼がもし、高校を出て少しでも社会の空気を吸っていれば、そうした自分の知らない感情の存在を受容できただろうし、同時に、自分のしている事の愚かさにも気づけたかもしれない。その意味で、十八歳というのは愚かしさの上限だと言える。彼は若いがゆえに大きなエネルギーを持ち、一方で経験の浅さを自覚できなかった。自分の持つ能力が魔法の杖であるかのように思い込んでいた。その思い込みが、彼を破滅させたんだ」
自分の能力を魔法の杖だと錯覚しがち、それが若者の特性。この小会議室で対面した際に、平池刑事がわたし達への忠告として使った言葉だ。今になって、その意味が身に染みて分かる気がした。
「まあ、君が一線を越えずに持ちこたえた事が、君自身を救う事になったとも言える。窮地を脱することが出来たのは、君自身の力によるものが大きいな」
「わたしは」沈んだ声で言った。「最初からそのつもりだったわけじゃありません」
顔を伏せているので、二人の刑事がどんな表情でわたしを見ているのか分からない。こればかりは想像もできない。そもそも、わたしに想像する力なんて、無い。
何を思ったのか、平池刑事はふうと息を吐いた後、気遣うように言った。
「警察としては、ひとつの事件が解決を見てほっとしているが、君にとっては、ちっともよくない話だろうな。何しろ、目の前で知り合いが二人も命を落としたわけだからな」
「知り合いじゃ、ありません……」
聞き捨てならなくて、わたしは言った。声のトーンはずっと低めだ。
「片方は、わたしの思い人で、もう片方は……」
その時、わたしの脳裏に次々と、あの頃の光景が浮かび上がった。
尊大な態度で突然現れて、偉そうな指図をしてきて腹が立った。わたしと里子を罠に嵌め、してやったりと言わんばかりに口元を緩めてきた。色々文句を言いながらも、わたしの調査に付き合って様々な助言をくれた。少し照れながら喜田村先輩への想いを告げた。沈みそうになったわたしを励ましてくれた。そして、電話越しに言った。
『柚希、大好きよ。桃矢の次にね』
「わたしの……かけがえのない、友達です」
そのように告げると、平池刑事はしばらくじっとわたしを見つめた後、肩をすくめながら呟いた。
「そうだったな」
椅子から立ち上がる平池刑事。
「俺からの話は以上だ。書類送検が完了するまで、もう少し辛抱してくれよ」
そう言い残して、小会議室を出ようとした、その直前に振り返った。
「こんな事で負けるんじゃないぞ。君は自分の道をひたむきに歩き続けろ。それすらも出来なくなった、あの二人の分も、な」
最後の最後で激励をくれた。正直、あの人には似合わなすぎる。
ところで、ほとんど存在を忘れていた荒川刑事は、もう話を終わらせたつもりらしい。
「えっと……それじゃあ、聴取の続きはまた今度にしよう。君も疲れているだろう。そろそろ迎えが来るだろうから、ここで待っていなさい」
それだけ言って出て行った。小会議室に取り残される、わたし。
あの刑事さん達は、まるでわたしのおかげで事件が解決したかのような口ぶりで話していた。でもわたしは、どうしても賛同できなかった。本来、わたしにできる事なんて何もなかったはずなのだ。それなのに、自分にも何かできるのではないかという期待と、諦めの悪さが、わたしを崖っぷちまで追い込んだのだ。結果論でいえば、わたしは犯人の計略を阻止した事になるけれど、その計略に利用されそうになったのも、また事実なのだ。
それに、小野寺さん……彼女は、暗号を始めとする謎の解明に熱心だった。その時点で彼女は、殺される事が確定していたのだ。わたしは、彼女のそばに居ながら、彼女の行動を止められなかった。どこまでも彼女の事を思うなら、厳しい言葉を使ってでも止めなければいけなかった。でもわたしには、それが出来なかった。
本当に、どうしようもない存在だ。誰に褒められる資格もない。
ひとり自己嫌悪に陥っていると、ノックの後にドアが開かれた。入ってきたのは、なんと里子だった。困惑したような表情を浮かべていた。
「柚希……迎えに来た」
なぜだろう。大好きな人の姿を当たり前に見る事ができるのが、こんなに嬉しい事だなんて。こんなにも、心を揺り動かしてしまう事だなんて。
わたしは里子に駆け寄り、その勢いのまま抱きついた。
服がびしょ濡れになるまで泣き続けても、里子の手はわたしの背中にずっとあった。




