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18の肖像  作者: 深井陽介
第三章 真実まで残りわずかの距離
37/40

―12―

※作者注

このセクションには反社会的描写および残酷な落命の場面があります。あらかじめご承知ください。

なお、この作品は犯罪ならびに反社会的行為を推奨するものではありません。


「……本当に驚かせるな。何も能がないというのは過小評価かい?」

 わたしは何も言わず、目を細めた。……この人は、昨日のわたしの泣き言も聞いていたはずだ。

「僕はね……これまで学校や業者の試験でトップの座を譲ったことなどなかった。でも今回は違ったんだ。同着一位、しかも名前順だから僕は一つ下になった。一位のようであってもあれは一位じゃない。世界のトップに君臨するべき僕にとって、これほどの屈辱があるというのか? もっとも、君の前ではおくびにも出さなかったが」

「……そんな事で?」

「そんな事だと?」先輩はかっと目を開く。「成長や飛躍を標榜(ひょうぼう)せず、現状の個性を維持して満足しているだけの君には分からないかな。僕が必要としているのは、統率者としての人望、技量、そして崇拝だ。トップの座から引きずり落とされたような扱いをされて、誰が僕に対する崇拝の念を保てると思う? 人望も技量も崇拝も、その一つひとつが欠けてしまえばトップリーダーとしての資質を失う。僕には耐え難い屈辱だよ」

 寒気がしてきた。小刻みに震える右腕を、わたしは押さえた。

 分からない。わたしには、この人の主張する理屈が一つも理解できない。

「もちろん、屈辱的な仕打ちを受けただけで彼女を殺そうとは思わなかった。期末考査の件に加えて、彼女は僕に対する思慕の念を抱き続け、その果てに僕の用意した謎も解き明かしてしまった……その段階で、僕にとっての脅威となった。全てを総合的に判断して、彼女をこの世から消すしかないと結論づけたんだ」

 総合的な判断。学者や政治家のような発言だ。小野寺さんを役者だと表現しながらも、その扱いは単なる道具も同然に思えた。

「……ご両親を殺したのも、同じ理由ですか」わたしは声を絞りだす。

「そうだね。さっきも言ったように、僕の目的を悟った上で協力をすると確信できたら、僕は生かしておいても支障はないと思っていた。だが実際は、僕が順位表のトップから落ちた事を告げた時に『気にする程度じゃない』というような奴らだった。とてもじゃないが、僕の野望に賛同する連中じゃないと思えた。あの時点で二人は、僕の計画の中で有害無益な存在に確定されたんだ」

「おかしいですよ……あなたはおかしいですよ!」

 吐き出すようにわたしは叫んだ。彼に対する憤りは限界に達していた。

「あのご両親は……血の繋がりがなくても、十年以上あなたを育ててくれた人ですよ。そんな二人に何の恩も感じないで、あんな無残な方法で殺したって言うんですか?」

「だって、声を出されたら困るから」

 何でもない事のように言われて、わたしの中で何かがぷつんと切れた。それに気づいていないのか、彼は飄々と説明を続けた。

「隙を与えずに殺すにはあれしか方法がなかったんだ。僕の手先となった人たちは、殺人なんて不慣れな奴らばかりだし、殺し屋を雇えばそいつとパイプを持つ事になって、後になって事実が露顕した時のダメージが大きくなる。だから自分でやるしかなかったんだ。方法に関しては、あの平池って刑事が話した通りさ」

「では……花火を打ち上げたのは何のためですか」

「この事件を大々的に取り上げてほしかったのさ。当然マスコミは、息子である僕の評判を関係者に取材するだろう。僕の人柄を考慮すれば、僕は確実に被害者サイドに入る。世論の大勢では、僕は確実に安全圏に入るという寸法だ」

 全て計算ずくだったというのか。この人にとっては、周りの人達は計画遂行のための駒でしかないのか。

「大体、十年という数字に何の意味がある? 僕から言わせれば、僕に対する理解を深めるという努力から逃げて、エサを与えているだけの擬似的な親じゃないか。およそ恩義を抱くに値するとは思えない」

「ふざけないで! そんな事が、人を殺す理由になると思ってるんですか? こんなの、許される事じゃありませんよ!」

「月並みだね。君ひとりが僕を許さないとして何が変わるの?」

「何も変わらないかもしれないけど、それでも許す事はできません! 今のあなたにトップリーダーを名乗る資格なんてない! ただの陰湿な殺人犯ですよ!」

 すると、わたしの足元から金属音が聞こえた。足元に目を向けると、赤黒くこすれた痕の付いている、一本の包丁が落ちていた。

 ぐらつくわたしの心を見透かしたように、先輩は挑発的に告げた。

「そんなに僕の事が許せないなら、それで僕を刺せばいい。なに、しばらく警察は動けないさ。無線電波を妨害する装置を、近くに置いておいたから」

「これって……」

「そうだよ。喜田村夫妻と、小野寺芳花。三人のゴミ役者を始末した凶器さ」

 怒りの感情が瞬時にして体を支配した。反射的にわたしは足元の包丁を手にした。

 刃先を先輩に向けるも、わたしは今、理性と感情がせめぎ合いを繰り広げていて、まだ一歩を踏み出せる状態になかった。断じて許さないと思っている相手、彼はくつくつと笑いながらわたしに言った。

「どうした? やはり自分で臆病者だと分かっていると、踏み込んで来る事もできないのかな。まったく、滑稽で憐れな正義の味方だな」

「…………」包丁を持つ手が小刻みに震える。

「家族より、友達より、恋人より大切な存在だって?」

 幾度となく小野寺さんから言われた問いかけ。この瞬間、考えていたすべての答えが吹き飛んだ気がした。先輩の挑発はなおも続いた。

「そんなものは分かりきっている。それは自分だよ。誰だって、どんな他者より自分の方が遥かに大事なのさ。安心しろ、君のような人間はこの世に大勢いる。どれほど他人に気を遣っているように見えても、大多数はそれを自分のために行うものだ。家族や友達や恋人のために自分を犠牲にするなど、これ以上ない愚行といってもいい。その意味では、小野寺芳花はとてつもない愚か者だ。だからそれ相応の死に方をしたんだよ。恋人だと思っていた人に裏切られて殺される、憐れな被害者の仲間入りだ」

 彼の言葉の一つひとつが、わたしの怒りと復讐心を掻き立てる。もはや、理性が戻ることはなかった。目の前にいる悪魔のような男を、この手で断罪する以外に、今のわたしにできる事は何もなかった。

 顔を上げ、両脚が突き出されるまで、時間はかからなかった。

「うああああぁぁぁっっ!」

 わたしは、断末魔の如き叫びを上げながら、彼に向かって真っすぐ突き進んだ。

 そして、握った包丁の刃先を、彼の無防備な体へ―――――


 その寸前、信じられない事が起こった。

 他ならぬわたしが、足がもつれて転んでしまい、包丁を手から放したのだ。

 包丁が地面とぶつかって金属音を立てた。その間の抜けた音と、膝と肘に感じた微かな傷みが、わたしに別の感情をもたらした。そんな感情が残っているとは、思わなかった。

「どうした? 早く来いよ」

 先輩はなおも挑発してくる。だが、わたしは立ち上がることさえ出来なかった。

 搾り出すように、思いを口に出した。

「……できない」

「なに?」先輩の声が低くなる。

「わたしには無理……先輩を殺すなんて、そんなこと、できない……」

「何を言う。君は僕が憎いだろう? 当然だ、ずっと一緒に行動してシンパシーを覚えていた小野寺芳花を殺したんだ。その僕を殺せないという事はないだろう」

「無理なものは無理なんです!」

 わたしは地面に視線を落としたまま、吐き出すように言った。喜田村先輩の姿は視界に入っていないが、どうやら困惑し始めているようだ。

「ど、どうした……? さっきまで顔に出ていた復讐の炎はどうなった? 簡単に消えるものじゃないだろう。いったい何が無理だって言うんだ?」

「……好きだからですよ」

「…………は?」

「喜田村先輩が好きだからですよ!」

 わたしの大声が、明るくなり始めた倉庫の中で反響する。

「……な、何を言ってるんだ。正気か? 僕のやった事を知りながら、それでもまだ僕の事が好きだなんて言うのか?」

「あなたが何をしたかなんて関係ありません」

「君は僕の事が憎いんじゃないのか?」

「憎いですよ。許せないですよ。でもそれ以上にやっぱり好きなんですよ!」

 今度は、彼がわたしの主張が理解できずに、混乱する番だった。

「どれほど、あなたが狂気に満ちていようと……どれほど、大切な命を無残に奪っていたとしても……わたしにとっては、ずっと恋焦がれていた先輩なんです。わたしは、この気持ちを捨てる事なんかできない。好きな人を殺す事なんかできません!」

 言いたい事をすべて言い終わって、しばらく待っても彼からの反応は聞こえてこなかった。顔を上げると、先輩は幽霊でも見たような歪んだ表情で、ふらふらとしながらこちらを見ていた。目の動きも、足の支えも定まっていなかった。

 わたしは、精一杯の気持ちを込めて、彼に言った。

「自首してください。喜田村先輩……」

 すると、彼はニット帽越しに頭を抱えながら、わめき始めた。

「馬鹿な……こんな馬鹿な事があるのか? 人間の愛情の強さなんて高が知れている。そんなものは怒りや復讐の念ですぐに消える、脆弱な存在でしかないんじゃないのか? こんな事があるはずない。僕の計画が、こんな形で頓挫するなど、断じてありえない!」

 計画? この人は、何を言っているのだ?

「どこだ? どこに誤謬(ごびゅう)があった? いや、あるはずがない。あらゆる可能性を検討したうえで立案した完璧な計画だったんだ。なぜだ? なぜこんな事になったんだ?」

「そこに誰かいるのか!」

 倉庫の入り口から、聞き覚えのある声が響いて来た。あの人は、戻廟で小野寺さんの遺体に近寄って来ていた男性だ。彼は警察手帳を取り出して厳かに告げた。

「警察だ。君は……喜田村桃矢か!」

 喜田村先輩の泳ぐような視線が、刑事の男性に向けられた。

 その時、またしても信じられない事が起きた。

 天井からきしむような音が聞こえたかと思うと、突然大きな鉄材が、暗い天井から落下してきて、そのまま喜田村先輩の体を押し潰したのだ。

 一瞬の出来事だった。茫然自失とはこの事か。

「せん、ぱい……?」

 わたしは震えながら、彼の元へ近寄ろうとした。だが、体が動かなかった。

 鉄材の隙間から、赤黒い液体が流れ出てくる。視界がぼやけてきた。立ち上る砂埃のせいか、それとも……。

 言いようのない感情が湧き上がり、わたしは、自然と声を上げていた。

「いや…………いやああぁぁ―――――っ!」

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