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やって来たのは、戻廟の裏にある倉庫。いわく、全ての始まりの場所。
もはや、無断でその中に入る事に迷いなどなかった。わたしは一歩ずつその中へ足を踏み入れて行く。夜が明けたばかりで、窓の少ない建物の中は薄暗かった。
奥の方に、一人の人間が立っていた。その人も、わたしに向かって歩いてくる。
やがて、わたしとあの人の隔たりは十メートルほどになった。
その人は、茶色のニット帽をかぶっていた。薄暗くても、誰なのかは分かった。この人を除いて、こんな場所に悠然と佇む人などいない。
「やっぱり、あなたがこの事件の犯人だったんですね」
睨みつけながら言い放つも、相手は無反応だった。それだけで黒だと決まった。
何も言わないなら、一方的に言葉をぶつけるまでだ。わたしは滔々と話し始めた。
「小野寺さんの元に届いたあの暗号……新幹線の駅名を使った暗号ですが、あれは『貴船オン・ユア・マーク』を示しているだけではなかった。もう一つ、別の解き方があったんです。そのヒントもまた、あの新幹線の写真の中にありました」
「…………」
「あの写真には、『存在と未来への保証』と訳せる英語が書かれていました。しかし、ヒントはその言葉だけではなかった。何気なく書かれていた、あの英語の両端の丸括弧。あれも実は重大なヒントだった」
里子に言われなければ、わたしもずっと忘れるところだった。
「括弧が付いていてもいなくても、あの英語の文章の意味が変わるわけではありません。ならば、それとは別の意味が何かあったはずです。そこであの暗号文に注目します。あれは数を三つ組に分割して、最初が西暦によって新幹線の路線を指定し、次が始点から数えて何番目の駅か、最後はその駅名から何文字目を取り出すのかを指定していた。だけど、よく見てみると三番目の数は、波括弧で囲われた二桁の数は一つも同じ種類がないのに、丸括弧で囲われた一桁の数は、全ての行で一から四まで全て揃っている。適当に駅名を選んで作れば、ありえないほどの偶然です。もちろんこれは、意図して作られたものです」
「…………」
「前にわたしの友達が言っていました。大きさや個数を表す『数』と、順序を表す『数』は、根本的に違うものだって。丸括弧で囲われた一桁の数は、他の数とは違う。数えるための数ではなく、順位を作るための数だった。あれはいわば、カウントダウン」
各行から、(4)と書かれた駅、(3)と書かれた駅……という具合に、大きい順に三つずつ抜きだして行くのだ。もちろん、すでに駅名から抜き出した一文字をその順番に並べたところで、意味のある言葉は作られない。むしろ、駅名から文字を抜き出すという考えは、もうこの際忘れてよい。
「日本の鉄道の駅には、電報略号と呼ばれるものがあります。大正時代に鉄道が普及し始めたとき、電車同士、駅同士の連絡は電報によって行われていて、その際に使用された駅名の略称の事です。もちろん今は電報なんて使われていませんが、昔の名残で、新たに設置される駅にも電報略号が設定されています。もちろんそれは、新幹線も例外じゃありません。先程の要領で抜き出した駅名を、数字の大きい順に並べるとこうなります。
4が、イヌ(いわて沼宮内)、カオ(鹿児島中央)、ハシ(岐阜羽島)……つまり犬の顔がある橋、ここに来る途中にある橋を指しています。
3が、クマ(熊谷)、クチ(倶知安)、アユ(赤湯)……クマが口に鮎を咥えている、あの木彫りの像がかけられているお店も、ここに来る途中にありました。
2が、ヒメ(姫路)、ハカ(博多)、ウラ(浦佐)……姫の墓の裏。姫というのは、例の橋で犬を切り殺した侍の恋人で、有力な一族の娘であり、そしてあの戻廟に祀られている女性の事を指す。つまり、姫の墓の裏とは、戻廟の祠の裏側を指していた。まあ、解釈によっては戻廟の裏手にある、この廃倉庫を指すかもしれませんが……。
そして1は、トヤ(富山)、アサ(厚狭)、シス(出水)……その心は、『桃矢が、朝に、死す』ですね?
あの暗号のもう一つの意味は、戻廟の裏側までのルートを示し、その場所で喜田村先輩が朝方に死ぬという事だった。よく考えられた暗号だと思います」
「…………」
相手は何のリアクションも取らない。まだ静観を続けるつもりか。
「付け加えて言うなら、あの彫刻を売っているお店や向こうの戻廟は、暗号を作った人の意思とは関係なく、そこに最初からあったものです。でも『貴船オン・ユア・マーク』にあった様々なものは、たった一人の人間の意思によって存在させることが可能です。思うに、この暗号はかなり以前から考えられていたのではないでしょうか。JRは路線計画を積極的に公表しています。それを利用して誰かが暗号を考えつき、その暗号の答えに合わせて施設に様々なものを提供していたのだと思います。路線計画に変更があれば、その都度、暗号の内容や施設に贈るものを変えればいいだけの話ですからね。
で、ここからが重要な話です。あの暗号の最後、喜田村先輩が死ぬと予告されていた、戻廟の祠の裏には、真新しい靴跡がいくつも残っていました。あれは果たして誰の足跡だったのか。それともう一つ。暗号で指定されていたのは『朝』だけです。何月何日の朝なのか、そこまでは書かれていませんでした。ずいぶん情報が不足した暗号ですが、それも無理ならぬこと。あれで暗号の役割は完結していたのです。
あれは、メールの送り主が暗号の解読者を誘い出すための、巧妙な罠だった。駅名から文字を抜き取るという比較的簡単な解法で、解読者に、その暗号に必ず重要な手掛かりがあると錯覚させて、もう一つの凝った解答が罠である事に気づかせないようにしていたのです。あなたは、あの暗号の答えを最後まで見つけられるような、そんな人を標的にしていたのですね。そのために、毎朝祠の後ろに身を潜めて、その時が来るのを待っていた。だから真新しい靴跡が残っていたんですよね?」
小野寺さんは戻廟の中に入らなかったので、靴跡の存在を知らなかった。だから罠に気づけなかったのだ。一方で、靴跡の存在をわたしから聞いて知っていた里子は、暗号が解けた時点でこれが罠だと見破る事ができたのだ。
「では、そんな事ができたのは果たして誰か? 暗号を送った所で、相手に解読される保証がなければ、いつまでも待ち続けて無駄な時間を食ってしまいます。あの暗号を送って来た人が誰なのか、メールなので最初は分かりませんでした。でも、今なら分かります。メールの送り主は、小野寺さんの賢さをよく知っていた人物で、喜田村先輩の名前を出せば確実に調査に乗り出すと分かっていた人物。そんな人は、この世に二人といない」
その人は、口元を緩ませながらこちらに歩み寄った。わずかに差し込んだ光の中で、彼の姿ははっきりと映しだされた。
「そうですよね? 喜田村先輩」




