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18の肖像  作者: 深井陽介
第三章 真実まで残りわずかの距離
33/40

―8―


 いつもの夕食を終えて自分の部屋に戻ると、すぐに携帯に着信が入った。発信者を確認すると、小野寺さんだった。

「もしもし? 小野寺さん、大丈夫でしたか?」

「大丈夫。無事に帰宅したわよ」いつもと同じ彼女の声だった。

「よかったぁ……」

「あら、そんなに心配してくれたの? 嬉しいわね。あ、そうだ。警察に私の見張りを頼んだのって、あなたでしょ」

「ご存じだったんですか?」

「ええ、私を見張っている人の存在にはすぐに気づいた。言わなかった? 私、ちゃんと周囲に注意を払って調査するって。警察が何の目的で私を見張っていたかは、大体の予想がついたから、あえて気づかない振りをしてあげたけど……あれじゃ駄目ね。醸し出す空気がすでに警官だとばらしているもの」

 この人の言ったとおり、警察に小野寺さんの動きは止められなかったようだ。

「それで、何か掴めましたか?」

「ええ。下っ端の社員に話を聞く事ができたわ。名前は出なかったけど、十年以上前から太刀川製薬の本社に頻繁に出入りしている男の子がいたそうよ」

「では、それが……」

「警察なら顔写真を持っているから確かめられただろうけど、残念ながら私はそこまで確認できなかったわ。でもまあ、顔立ちは今の桃矢と似ていたそうだけど」

 携帯に入れている先輩の写真でも見せたのだろうか。どんな写真だろう? ふたり仲良しのツーショットとか、なのか……?

「それと、業績悪化が原因で太刀川製薬は本社を八年前に移転したけど、その際に、当時太刀川会長になびいていた社員のほとんどが、リストラで会社を追われたそうよ」

「会長さんの味方に付いていた人達が? どうしてですか?」

「社員の間では密かに噂されていたけど、会長の鶴の一声でその社員たちが依願退職を決めて、その事が公にならないようにリストラの形を取ったんじゃないかって。たぶん、会長から何か心地いい言葉を聞いて、それに影響されたのでしょうね。退職した社員のその後の動向は不明」

 一種のカルト教団みたいだ。そうなると少し恐ろしい想像もできてしまう。

「もしかして、その人たちが今回の事件に関わっているなんて事は……」

「何とも言えないわね。もしそうだとしたら、敵を太刀川製薬に絞るのは危険かも」

 敵という表現にこだわるのは全く変わっていない。しかし言いたい事は分かる。事件を起こしている人間が、かつては太刀川製薬にいたとしても、今はそうでない可能性があるのだ。その場合、警察でも動きを把握するのは難しい。

「まあ、今日の成果はそんなところ。本社に潜り込むのが想像以上に大変で、結構時間がかかっちゃった」

「大変に決まっているでしょう、それはいくら何でも……」

「ねえ、あの平池っていう刑事さんは何か言ってた? 警察にSDカードを見せる時は、面識のあるあの人に会って話をするしか無いものね」

「さすがに鋭いですね。今日じゅうに例の施設に聞き込みに行くと言っていました。凶悪犯がまだうろついているので大人しく家にいるように言われました。以上です」

「みじか」小野寺さんは短く反応した。「施設への聞き込みは、証拠の裏付け捜査ね。とりあえず警察がまともに取り合ってくれたことは幸運だったわ」

 確かに、馬鹿にされて追い払われる可能性もあったはずだからな。

「今日までの調査で色々な事が分かったけど、肝心の桃矢の居場所は(よう)として掴めないままか……。明日からは普通に学校があるし、どうすればいいだろうね?」

「わたしに訊かれても……小野寺さんは学校サボってもいいのでは?」

「うわあ、冷たいなぁ。あなたには特別に優しく接したつもりなのに」

 最後に見せたあの優しさが特別なら、最初の貶したりからかったりする態度が、やはり小野寺さんの素の姿らしい。

「それは感謝しています。でも成績低調気味のわたしは、多少面倒くさくても授業に出てしっかり勉強しないといけないんです」

「思ったより真面目ね、あなた……そこまで言うならいいわ。私の場合、一日くらいサボったってすぐに授業追いつけるし。一人暮らしだから仮病がばれる事もないし」

 本当に手段を選ばない人だな。わたしは表情が歪むのを抑えられない。

「ねえ……」急に穏やかな口調になる小野寺さん。「この事件が解決して、桃矢ともう一度会えたら……あなたは桃矢に何を言いたい?」

「好きだって伝えます」

 わたしは迷わず答えた。これは一昨日の夜から決めていた。小野寺さんは少し驚いたらしく、一瞬だけ間を置いてから笑い声をあげた。

「あっはっは。本当に嘘がつけないのね。そういう素直な所が私は好きよ」

 何度も聞いたフレーズだ。でもわたしは笑わない。

「返事なんてもういらない……ただ気持ちを伝えられればそれでいいんです。この数日間で色んな事を経験して、分かりました。わたしは多分、喜田村先輩とはつり合いません」

「ふうん……あなたが諦めた瞬間って、初めて見たかも」

「わたしが諦めたのはこれが初めてじゃありません。簡単に諦めるのは好きじゃありませんけど、引き際も(わきま)えているつもりですので」

 とはいうものの、失恋して何日か引きずる事はあるのだが。

「そっか……」

 小野寺さんはそれからしばらく無言だった。何を考えているのか、電話越しに声を聞いているだけのわたしには分からない。沈黙のまま時間が過ぎる。

 やがて、小野寺さんの息を吸う音が聞こえた。

「私……この事件に決着がついても、携帯のメモリからあなたの名前は外さない。あなたが私からどんな事を感じ取ったかは分からないけど、私は、あなたから色んなものを貰った。いつまでも、大事にしたいと思えるものを……」

「…………」

 わたしも色んなものを、あなたから貰いましたよ。言いたかったのに、言えない。

 苦しい。なぜこんなにも胸が締めつけられる。そしてなぜ、この苦しみに身を委ねたいと思ってしまう。

「ちょっと恥ずかしいけど、たぶんこれから言う機会はないと思うから、いま、大事なことを言っておくわね」

「…………」

 自分の表情が分からない。でも、鏡を見たいとも思わない。

 小野寺さんの言葉を待つ。

「柚希……大好きよ。桃矢の次にね」

 それだけ言い残して、彼女は電話を切った。

 生涯で初めて、告白をされた。そして受け入れる間もなく、言葉は途切れた。

 不意に泣きたくなった。色んな人達の顔が脳裏に浮かんでくる。お父さん、お母さん、里子、そして、小野寺さん……こんなわたしでも、心から愛してくれる人がいる。そんな当たり前の事に気づいただけなのに、どうして泣きたくなるのだろう。

 でも、泣かなかった。今は泣いてはならない、そんな予感がしたのだ。


 どうして気づかなかったのだろうか。

 今になって自分の身の安全を図るなんて、あまりに遅すぎたのだ。あの時、小野寺さんに会った時から……喜田村先輩にファンレターを渡した時から……喜田村先輩と偶然に出会って一目惚れした時から……いや、本当はもっと以前から、わたしの運命は決まっていたのだ。無傷では済まなくなる、それがわたしの運命だった。

 抗う事のできない結末が、着実に迫り来ていた。

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