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その足で台橋警察署へ駆け込むと、警視庁から来ている平池刑事に面会したいという旨を受付の人に告げた。すぐに許可が下りて、わたしは再び第二小会議室で平池刑事と対面した。
わたしはまず、三枚のSDカードを彼に手渡し、それぞれにどんな内容のデータが入っているかを打ち明け、次に、これらを入手した経緯を平池刑事に質問されたので、何とか時系列順に整理しながら説明した。かなり複雑な顛末なので厄介ではあったが、平池刑事はわたしの拙い説明でもしっかり理解してくれた。
さらに、これら三枚のSDカードの内容から推察される、太刀川製薬の内情と長谷基弘氏の自殺の真相についても話した。ただし、内情に関してはわたし自身が正確に理解できているとは言い難いので、要点だけをざっと並べるだけに留まった。
「なるほど……あの新幹線の写真の言葉は、そういう意味だったのか」
平池刑事は椅子の背もたれに寄り掛かりながら言った。
「彼女の推測が正しいとするなら、自殺した長谷氏のパソコンにはそうしたプログラムが仕込まれていたはずだが、たぶん自然消滅するシステムになっているだろうな。内部告発が会社側に知られた時点で、会社側が彼のパソコンを調べる事は予測できただろうし」
「小野寺さんの推理を証明する手立ては、無いですか……」
「とはいえ、この手の事件は百パーセントの立証ができないのが常だ。方法が分からなくて手も足も出ないという状況を考えれば、こうした取っ掛かりが得られたのは大きな収穫といえよう。これで我々警察も、検察に恩を売る事ができるな」
まだそんな腹黒い事を考えていたのか……。そんな与太話に興味はない。
「それでですね、平池刑事にお願いしたい事があるのです」
「お願い?」平池刑事は目を細めた。
「小野寺さんを、守ってほしいのです」
わたしは最後に、喜田村先輩の失踪や両親の殺害に、太刀川製薬が関わっている可能性があると告げた。そして、小野寺さんが、同じ危険が自分に及ぶことを覚悟の上で調査を続行するつもりでいる事も……。
「そうか……」彼は眉間にしわを寄せた。「まったく、あれほどこの件に首を突っ込むなと忠告したのに、これだから若さというのは厄介だ」
彼女からすれば、あれは忠告ではなく挑発にしか聞こえていなかったのだ。
「まあ、これらの証拠品に信憑性があるかどうかは、これから十分に裏を取っておかなければならないから、今はなんとも言えんが……確かに、二人の人間を惨殺した凶悪犯が身を潜めている以上、事件の深奥に迫ろうとしている彼女に危害を加える可能性は十分に考えられる。それが太刀川製薬の人間であるという確証はないが、どちらにしても彼女の警護は必要不可欠だろう。分かった、この件についてはこっちの係長に掛け合ってみる」
「出動の許可は下りますか?」
「その心配はないだろう。上手くすれば、彼女の監視と両立できるわけだし」
「監視? なんで小野寺さんを監視するんですか? まさか……」
「何を想像したか何となく分かるが、彼女を疑っているわけじゃないからな。考えてもみなさい。彼女が単独で調査して重大な証拠を手に入れたところで、それが裁判で使われた時に太刀川製薬側はどんな反論をする? 部外者が持ち込んだ証拠に、捏造の可能性を疑わないのは間抜けだ、と言われるはずさ。それを避けるためには、第三者の監視下で入手されたものだという証言が必要になる。そのための監視だ」
胡散臭い……もっともらしい理由付けをしているだけのような気がする。
「もちろん、捜査に関しては君たちの名前は伏せるように徹底させる。万が一、君たちの存在が外部に知れたら、それこそ命の危険が増すからな。それでも完全ではない。我々もできうる限り君たちの安全が確保できるように尽力するが、基本的には家で大人しくしていた方がいい。俺の言いたい事は、分かるね?」
それはもう、昨日から言いたい事は変わらないでしょう。わたしは無言で頷いた。
「それでいい。今日の夕方にでも、『貴船オン・ユア・マーク』という施設に行って、これらSDカードが発見された経緯を聞いてこなければならない。つまり我々はこれからものすごく忙しくなる。あまり手間をかけさせないでくれ」
「はい……」
わたしは項垂れた。この刑事さんも、ある意味で全くぶれない人だ。
台橋警察署を出ると、何もすることが無くなったわたしは自宅に戻った。本当は小野寺さんがどんな調査をするのかにも興味があるが、あんな情けない姿を見せた後でのこのことついて行くのは、厚かましいにも程がある。
代わり映えしない自室の中で、ベッドに倒れ込むわたし。ここ数日は色々な事があり過ぎて、ゆっくり天井を眺める事もしていなかった。小野寺さんの部屋の壁を殺風景だと評したが、わたしもどうやら人の事は言えないようだ、と思った。そりゃあ、天井に何か貼り付けたりぶら下げたりするのは、面倒が過ぎるから誰でもやらないけど。
しばらく何も考えずにぼうっと天井を見ていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。一体いつから意識を失っていたのか、こういう時は本当に分からない。いや、普通に寝ようと思って寝るときも同じだけど、そうでない時は特にタイミングが読めない。そして、変なきっかけで眠りから覚める。この時は携帯の着信音だった。
寝てしまっていたのか、と気づいてから電話に出た。相手は里子だった。
「あ、柚希? 今どこにいるの?」
「……自分の部屋」
「もう帰って来たのか。ちょうどいいや。あんたの着替え、早く持って帰ってよ」
そうだ、忘れていた。後で取りに来るつもりでいたから、昨日来ていた服は里子の家に置いたままだった。わたしは、重い瞼をこすりながら部屋を出た。直前に机の上の時計を見たら、四時半だった。
里子の家に到着してチャイムを鳴らすと、ドアを開けた里子が仏頂面でトートバッグを押し付けてきた。もちろんそれは、わたしの服が入ったわたしのバッグだ。
「里子……機嫌悪い?」
「わたしはいつも通りだよ。それ、洗濯しておいたから」
「え?」わたしはバッグの中を見た。「あ、本当だ。ありがとう、里子」
「感激してくれたのは嬉しいが、今日の活動の成果を話してくれない事には、わたしも安心して家に籠る事ができないんだけど」
「休日に引き籠るつもりかい。まあ里子らしいけど。……午前中だけで色々あったよ」
わたしは今日の出来事をかいつまんで話した。
「ふうん……大体のあらましは分かった。一応あの人の推理に筋は通っているかな」
「里子、暗号については何か考えていたの?」
「小野寺って人と同じくらいの所までは。答えに辿り着けたのはお昼頃だけど」
「一歩出遅れたね」
「別にわたしはあの人と勝負しているわけじゃないからなぁ。それより柚希、小野寺さんはいま何をしているんだ?」
「太刀川製薬の本社に直接乗り込んで調査していると思う。たぶん今ごろ、警察の人たちも小野寺さんを見張っているから、大丈夫だとは思うけど……」
「本当に訳が分からないよ、あの人の行動は……」
里子は頭を抱えて項垂れた。まあ、里子はそうだろうね。
「しかし、あの人の推理が正しいとするなら、喜田村先輩を見つけ出すのは厳しいかもしれないなぁ。すでに太刀川製薬に捕らえられている可能性もあるし」
「里子、そんな不吉なこと言わないでよ。ただでさえわたし、この事件の調査で派手に動き回る事が命の危険に繋がるって思い始めているんだから」
「思い始めるっていうか、冷静に考えれば当然の帰結だよね」
「どうすればいいのかなぁ」
「あのさ、事件が起きた時点でシナリオは動き始めているのよ。今さら悩んでも時を止める事なんてできないし、なるようにしかならないわよ」
わたしは里子を見返した。「里子、小野寺さんと同じ事を言うね」
「あの人と同じ発想だと思われるのは勘弁。とにかく、事件はまだ混迷を極めている。今は警察や小野寺さんからの報告を待つ以外に、わたし達にできる事はないよ」
違いなかった。立ち話をいつまでも続けるわけにはいかないので、この辺りで切り上げてわたしは自宅に戻る事にした。そこでしかるべき時が来るのを待つしかない。
ただ、里子の家を離れる直前、里子がふっと漏らした言葉が気になった。
「もっとも、どちらにしても先輩を見つけ出すのは難しいかもしれないけど……」
その言葉の意味が、今のわたしにはまだ分からなかった。




