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18の肖像  作者: 深井陽介
第三章 真実まで残りわずかの距離
29/40

―4―


 とりあえず誰にも怪しまれることなく手掛かりを拾えたので、わたしはホッとしながら施設を後にした。小野寺さんはいつもの調子だが。

「さて、一度家に戻ってこいつらを調べるとしよう。あなたも来る?」

「いいんですか?」

「あなたを一人にした所で、これから何ができるわけでもないでしょ? 倉庫で自殺した重役の遺族に会うにしても、二人の方が何かといいだろうし」

 この人が一緒なのは確かに心強いけど、それ以上に不安要素が多い。それよりも。

「あの、水を差すようで悪いですが、自殺した重役の長谷って人、家族も親戚もいないそうですよ」

「そうなの? だったら遺族というものが存在しないのか。どうするかな……そうだ、昨日のうちに太刀川製薬の事は調べた?」

「あ、はい。里子が……」

「それはもう分かりきっているから」

 ですよね。わたしは少し気落ちした。どんな言葉が返ってくるかも分かっていたのに。

「で、どうするの? 来る? 来ない?」

「もちろん行きます。わたしも手掛かりが欲しいので」

「そう言ってくれると思った。素直な子って私は好きよ」

 前にも聞いたけれど、たぶんそれは冗談ですよね。

 わたしは小野寺さんに連れられて、彼女が一人暮らしをしているという自宅へと向かった。どんな家に住んでいるのだろうと期待に胸を踊らせていたが、現地に到着してそれを見た時、わたしは開いた口が塞がらなかった。

 そこは、築四十年もありそうなボロアパートだった。

「ね? 見ただけで一人暮らしだって分かるでしょ?」

 わたしは何も答えられなかった。先頭に立って階段を上がる彼女に向かって訊いた。

「あの……小野寺さんはどうして一人暮らしを?」

「一人暮らしをしたかったから」

 これ以上ないくらい単純な答えが返ってきた。というかトートロジーだ。説明になっていない気がする。わたしがその事を指摘すると、面倒くさそうに言った。

「親とかに子供扱いされるのが嫌だったの。両親も親戚の人も、私を叱った事なんて一度もない。小さい時に担任の先生が私を本気で叱ってくれて、それ以来、周りの大人たちのやり方がおかしいと思うようになって……で、我慢できなくなって一人暮らしを決めた」

「微妙に話が飛躍したように思えるのですが……」

「だから、いつまでも子供みたいに甘やかされるのが嫌だったの。一人で自立して生活できるって事を証明すれば、子供扱いされる事も無くなると思った、それだけよ」

 心なしか、彼女の耳元が赤らんでいるように見える。自分でも子供じみた衝動だと理解しているのだろうか。意外と可愛らしい所もあるのだな。怒られるから言わないけど。

 二階にある部屋の鍵を開けて、小野寺さんはドアを開いた。間取りは1Kで、バス・トイレ・シンクが備え付け、洋室は六畳あるという。ちなみに家賃は全て小野寺さんが自分で払っているそうだ。完全に独立している……よほど親と反りが合わないのか。

「小野寺さん、子供心に甘えるのが嫌だと思い始めていたのですか」

「話に聞く限りだと母親も同じ雰囲気だったとか。遺伝なのかな……さて、ちょっと散らかっているけど、遠慮せず上がりな」

 昨日に引き続き、初めての家にお邪魔します。ちょっと散らかっているという言葉の通り、足の踏み場はあるけれど雑多なものが転がっていた。ゴミはまとめて捨てるつもりなのか、ゴミ袋は半分ほど埋まった状態で口が開かれていた。ちなみにベッドの上には衣服も何着か脱ぎ捨てられていた。……あ、下着もある。

「では早速、SDカードの中身を調べますか。柚希、あまり人の部屋をじろじろ見るな」

「す、すみません……あの、言い方は悪いですけど、全然女の子が一人暮らししている部屋には見えないかなって。雰囲気もずいぶん殺風景ですし」

「そんな余裕はないからね。少なくとも高校三年間は、自力で生活するつもりだし」

「だから新しい服も買わないんですね。そういえば、生活費とか家賃って、どうやって稼いでいるんですか? バイトですか?」

「それもあるけど、基本的には……」

 小野寺さんは、立ち上げたパソコンの前に座り、右の掌を上に向けながら親指と人差し指で丸を作り、わたしに向かって言った。

「学校内で、有料の人生相談」

「詐欺の真似事ではないでしょうね」

「馬鹿言わないでよ。きちんと相談者の話に乗って、適切なアドバイスをした上でお金を取っているのよ。立派なビジネスよ。これでも私、学内では大勢の生徒から相談を受けているくらい、信頼を勝ち取っているのよ」

 にわかには信じがたい……あれほど常識的感覚を持ち合わせていない彼女が、大勢の人の悩みに的確な助言を与える事などできるのだろうか。その場面が想像できない。

「どうやら疑っているみたいね。それなら、今ここであなたの相談事に乗ってあげましょうか? 一回の相談料は千円よ」

「ぼったくりじゃないですかっ! 全力でお断りします!」

「何よ、本気で悩んでいる人からすれば、千円なんてはした金よ。実際、今まで相談に乗った人は納得してその料金を払ってくれたし」

 やっぱり詐欺の真似事にしか見えない……わたしは(いぶか)る視線を強めていた。

「要は知恵と機転次第って事。占いと違って、ちゃんと根拠を示せば誰もが納得してくれるでしょ。実際、あれからアドバイスが役に立たなかったという苦情はないし」

「むぅー……」

「それより、SDカードの中身を全てデスクトップに移したから、早速見てみましょう。さすがに細々としたものばかりだけど」

 ため息が出てしまう。そうだ、今は小野寺さんの詐欺まがいの人生相談とやらを糾弾する方法を考えるより、現在進行形の問題を片づけなければ。わたしは、椅子に座っている小野寺さんの隣に来て、パソコンの画面を覗き込んだ。

 デスクトップ上の三つのアイコンが、SDカードのデータをコピーしたものだ。小野寺さんがその中の一つをダブルクリックした。現れたのはエクセルで作成した表で、数字ばかりが並んでいて頭が痛くなりそうな代物だ。

「これは……太刀川製薬の帳簿だ。ウィルスで消滅したはずだけど、誰かがこっそりコピーしていたんだ。これは十五年前のデータみたいだが……」

「どんな事が書いてあるのですか?」わたしは目頭を押さえながら訊いた。

「KBと書かれた項目がある。これは恐らくキックバック、つまり何らかの経済活動に貢献した報酬として不当に得た手数料だ。これを見る限りだと、いくつもの業者から十万円単位のキックバックを受けていたようだ。……あれ? でもその手数料が、十一月の末に全て使われている。この項目は……被験者保証金? ああ、そういう事か」

「どういう事ですか?」

「つまり、この業者からのキックバックで得たお金を、治験の際に被験者を強制参加させるために全額支払っていたのよ。結果として差し引きゼロになるから、表向きの帳簿に書かれなくても不審がられることはない。この項目名も、補償金じゃなく保証金と書かれているから、最初から被験者を黙らせるためだけに使うお金だと明示しているのね」

 その説明を口頭で話されても、さっぱり理解できないのですが。

「でも、そのキックバックって、何かの経済活動に貢献して受け取ったんですよね。一体何をしたんでしょう?」

「そこまでは書かれていないわね。別のデータを見ましょう」

 小野寺さんはエクセルのウィンドウを閉じて、二つ目のアイコンを開いた。現れたのは写真のデータだった。撮影した日付ごとにファイル保存されていて、五つあるファイルの日付は全て十二年前になっていた。中身の写真に写っていたのは領収書だった。

「なんで領収書なんか撮影されたのかしら……それに、この写り具合からすると、暗い所で暗視モードを使って撮影したみたいに見える。何のために?」

「誰にも見られないようにこっそり撮影するためでは?」

「そうね、それしか考えられない。……あれ、ここに領収書の発行元が書いてあるけど、さっきの表のキックバックの項目に記載されていた業者の一つね。ちょっと他のファイルの写真も見てみましょう」

 小野寺さんはさっきの表の中身を正確に記憶していたらしく、写真を一瞥しただけで領収書の発行元がキックバックの業者と同一である事を、次々と確認していく。こうしたハイスペックに起因する(たくま)しさが、彼女の単独生活を可能にしているのだろうか。

「やはり、全ての領収書が、太刀川製薬にキックバックしていた業者によって発行されているわね。金額の桁数から見ても、これがキックバックに充当されていたのは間違いなさそうね。きちんと確かめるならもう一度帳簿を調べる必要があるけど……」

「この業者って何者なんですか?」

「分からない……会社の名前しか書いていないからね。でも、領収書に書かれた宛名のいくつかは、薬局やドラッグストアの名前になっているわね。大手も含まれてる。中には病院の名前もあるわね。これらに共通するものといえば……」

「医薬品、ですね」

「ええ。この領収書の金額で購入したのは、医薬品かあるいはそれに準じるものね」

「この写真の撮影者は、この業者の建物に侵入して撮影したのでしょうか」

「そうした違法行為に及んででも、証拠を掴みたかったって事かしらね。とはいえ、現時点でこれらの業者が存在しているかは分からないし、実物の領収書も恐らく破棄されている。違法な手段で手に入れた証拠は、裁判では立証の根拠と認められないかもね」

「今となっては、決定打にならない証拠ですね……」

「まあ、検察を動かすには十分といえるかもしれないけど」

「でも、この業者が医薬品を売って得たお金を、どうして太刀川製薬に渡したりなんかしたのでしょうか。せっかくの儲けが減ってしまうのに」

「その医薬品を業者に流していたのが、太刀川製薬だからじゃないかしら」

「え? 自分たちで作った薬を、他の業者に渡して売らせて、そのお金を自分たちの懐に戻したというんですか? どうしてそんな面倒な事を……?」

「決まっている。その医薬品が、正規のルートでは販売できないものだからよ」

 正規に販売できない医薬品。そこまで考えが及べば、答えはすぐに出た。

「まさか……不良品の横流し?」

 いくら普段からニュースを見ないわたしでも、あれだけ大々的に報道されていれば嫌でも耳に入る。廃棄されるはずの食品を横流しして利益を得ていたという事件。あれが記憶の片隅に残っていて、わたしはすぐにその考えに辿り着けた。

「画期的な医薬品は、なかなか量産が難しい。さらに、新薬が開発される度に、かつて使われていた医薬品は腐るにまかされる宿命だった。使用期限の切れた医薬品はすぐに回収されて、廃棄処分されるのが普通。でも……太刀川製薬は、新薬の認定を早めて量産を先んじて始められるようにするため、ただそれだけのために、業界が守らなければならないルールを破った。使用期限の切れた医薬品を他の業者に横流しして、その業者が得た収益をキックバックし、それを治験の被験者に与える事でステップを省き、国からの認可を早めようとしていた……もちろん、横流しした医薬品は表示を書き換えるように徹底していたはずだけど」

「ばれないようにするために、こんな複雑な手段に打って出たのですか……?」

「推測の域を出ないけどね。でも、領収書の存在という不自然さを見れば、そう考えるのが妥当だと思うな」

「うーん……そうなると、また新たな謎が出てきますね」

「なんで桃矢が、こんな証拠品を持っていたのか、でしょ?」

 そうなのだ。これらの写真が撮られた十二年前、喜田村先輩はまだ六歳だった。当時から、目から鼻へ抜けるような賢い人だったとしても、太刀川製薬の内情の全てを察したうえで業者に侵入して証拠を握る、そんな大それたことが出来たとは思えない。これらの証拠を手に入れたのが先輩ではなく、太刀川製薬の内情に精通した関係者で、その人の手から先輩に渡されたと考えた方がいいだろうが……それでも疑問は残る。

「誰かから渡されたとして、その人は何のために桃矢に預けたというのか。そして、違法行為を冒してまでこれらの証拠を手に入れようとした、その人物とは誰なのか。残る一つのファイルに、そのヒントがあればいいのだけど……」

 小野寺さんはウィンドウを閉じて、残る一つのアイコンを開いた。現れたのはワードで作成された文書だった。これは一つしかない。小野寺さんはそれをクリックして開いた。表示された文書のタイトルは、『遺書』だった。

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