―13―
調子が戻ったところで、わたしと小野寺さんは小会議室に戻った。とりあえず、話の途中で退席してしまったので、平に謝ります。
「すみません、ご心配をおかけしました」
「いや、気分がよくなったならそれでいい。我々の説明のせいで体調を崩したとされたら上司にどやされるのでね」
平池刑事は飄々として言った。それは果たして本音だろうか。
元の席に戻り、平池刑事の話の続きを聞くことになった。わたしの体調に配慮し、遺体の話はそれ以上されなかった。
「とはいえ、これ以上我々から話せる内容はあまりないが……。喜田村桃矢が第一の容疑者と目されている以上、警察の捜査方針も彼の捜索や身辺調査がメインとなる。一応、彼の失踪先としてトップに挙がっているのは、彼の幼少時代に深く関与しているとされるあるメーカーの関連する家や施設で……」
「太刀川製薬ですか」
わたしがさらっと言った言葉に、平池刑事は過剰に反応した。
「なぜそれを?」
「こっちも色々と調べていると言ったじゃないですか」と、小野寺さん。「桃矢が一歳半の時に捨てられていた倉庫の所有者、そして彼を六歳まで預かっていた施設に資金援助をしていた法人。深く関与しているメーカーなんて一択しかないですよ」
「参ったね、そこまで調べを進めていたとは」平池刑事は頭を掻いた。
「でも、警察は事件が起きるよりも前に、桃矢と太刀川製薬の関係に気づいていた」
平池刑事の頬筋がぴくりと動いた。小野寺さんを睨みつけてきた。
「……なん、だと?」
「捜査一課の人間が、誘拐があったと確定されたわけじゃない段階で桃矢の家に来ていたというなら、すでに別件で桃矢の存在に目をつけていたことになる。殺人犯捜査係という事は、大方、太刀川製薬の重役が自殺した一件が絡んでいるのではないですか?」
「あの、ちょっと待って下さい」わたしは彼女に尋ねた。「わたし、きのう喜田村先輩の家にこの刑事さん達が来ているなんて言っていませんよ?」
「ええ、あなたは言ってない。でも平池刑事は、そのように推察できる台詞を言った」
「俺が……?」
平池刑事は眉をひそめていた。全く身に覚えがないようだ。
「私が、この子と知り合いかと訊いた時、あなたは、二度も桃矢の家の前で野次馬をしていたと答えた。この子は昨日と今日で一回ずつ、桃矢の家の前に来ていたのだから、平池刑事がこの子の来訪に気づけたのもその二回しかない。つまり事件が起きる前である昨日も、あなたが桃矢の家に来ていたという事になります」
そして、小野寺さんは明らかに余計な一言を付け加えた。
「こんなの、推理とも呼べません」
わたしは全く気づかなかったのに、わずかな言葉の一致から警察の動向を推察した、小野寺さんの思考回路には舌を巻いてしまう。最後のひとことは謙遜だろうか、それとも本気の発言だったのだろうか。かなりの高確率で後者だと思うけど。
「じゃあ、警察は喜田村先輩の失踪を、誘拐だとは考えてなかったって事ですか?」
「それは分からないけど……警察が桃矢の存在に目を付けたのは、失踪の発覚より前と考えてよさそう。でなきゃ、行方不明者届が提出されて間もないうちに、桃矢の家に聞き込みに行くとは思えないもの。タイミングが速すぎる」
「そっか……里子もだいたい同じ事に気づいていましたけど」
「やっぱり侮れない子ね。それで? 私の指摘に不備はありましたか?」
小野寺さんが尋ねると、平池刑事は顔をしかめながら見返した。
「君たちは、太刀川製薬が行なってきた不正がどのようなものか、知っているか?」
「ニュースで聞いた程度なら」と、小野寺さん。
「里子から聞いた程度なら」と、わたし……でもあまり覚えていない。
「大金をちらつかせて治験を強要したと聞きました。内部告発を受けて捜査がされたが証拠は十分に集まらず、起訴は見送られた。しかしつい一か月ほど前、亡くなった太刀川会長の自宅から不正の証拠となるデータが発見された。私が知っているのはここまでです」
「まあ、国内シェア第一位の企業の不正問題という事で、検察当局も情報の開示に慎重になっていたから、そこまでしか知らないのも無理はないだろう。ただでさえ製薬会社というのは大きな利権が絡むものだ。確証が得られなければ検察は不起訴処分にせざるを得なかったんだ」
「内部告発した人物から辿る事はできなかったのですか?」
「君もニュースを見たなら知っているだろう。あれは匿名の告発だった。太刀川製薬本社からのタレコミである事は間違いないが、送信元を辿ってみたところ、自殺した重役のパソコンのアドレスだった。もちろん死んだ人間がメールを送れるわけがないから、他の誰かがそのパソコンから送信したのだと思われたが……」
「誰も触れていなかった?」
「キーボードの指紋は拭き取られていて、それも分からない。そもそも、亡くなった人のパソコンから送信する意味が判然としなかったんだ。それともう一つ、被験者に不正に支払っていた多額の金が、どこから調達されたものか突き止められなかった。告発があった直後、原因不明のトラブルとかで帳簿などのデータが全て消えてしまったそうだ」
「それ、製薬会社がわざとトラブルを起こしたのでは?」と、わたし。
「当然検察もそれを疑ったさ。実際に調べてみると、トラブルの原因は重役の一人が受け取ったUSBメモリで、その中にコンピュータウィルスがあったそうだ。重役の証言を聞く限りでは、メモリを渡した業者は新規契約を申し込んできたそうだが、後から調べてみたら架空名義で作られた実体のない企業だったとのことだ」
「いわゆるペーパーカンパニーですね。USBメモリを渡した時点で行方をくらましているだろうから、これが製薬会社側で故意に行われたものだと証明するのは難しいと」
うぅむ、だんだんわたしはついて行けなくなってきたぞ。
「結局、検察は告発の内容を証明する事ができず、起訴は断念された。だが、その事実が週刊誌にすっぱ抜かれた事で、太刀川製薬は国内トップシェアの座を明け渡す事になったわけだ。そして今年……疑惑の渦中にあった太刀川会長がこの世を去り、自宅の金庫の中から不正の証拠となるかもしれないデータが発見された」
「よく個人の金庫の中身を拝借できましたね」
「太刀川会長の一人娘は海外に行っていて、配偶者も二年前に亡くなっていたから、実質的に会長の家を管理していたのは二人の使用人だけだったんだ。会長なら検察の家宅捜索を拒否し続けただろうが、使用人の立場では跳ね返せなかったという事だ」
検察もやっている事に容赦がないなぁ。憐れ、使用人の二人組。
「しかし、コンピュータウィルスまで使って証拠隠滅を図った会長さんが、恐らくは厳重にロックしていただろうけど、金庫の中に重要な証拠を残しておきますかね。私が会長さんの立場なら、死ぬ前に燃やすなりして確実に消しますけど」
「小野寺さん、会長さんがウィルスでデータを消したという証拠はありませんよ?」
「分かってるわよ。でもその事を疑わない理由はないでしょ?」
だから、何でも疑うことから始める癖は直した方がいいですって。
「検察もその事は疑問に感じているようだ。しかし、検察の当面の最優先課題は太刀川製薬の不正の証明であって、すでに亡くなった人物の動向に気を配っている余裕はないらしい。その辺に関しては、警察の方に丸投げされているのが現状だ」
「でも、それって平池刑事の仕事ではありませんよね?」と、わたし。
「当然だ。我々の守備範囲は殺人・強盗・その他の凶悪犯罪だ。企業犯罪は捜査二課および知能犯捜査係の仕事になる。我々が参加させられているのは、あくまで喜田村桃矢の行方と、太刀川会長の死に不審な点がないか調べることであり、それ以上の理由はない」
あまり胸を張って威張れるほどの話ではないように思えますが……。
「それで、実際に太刀川会長の生前の行動に、疑わしい点はなかったのですか?」
「疑わしいというより、何か意味がありそうな言動があった。会長宅を管轄に持つ署の人間が使用人に訊いたところ、会長は亡くなる一か月ほど前から何かに怯えているようだったそうだ」
何かに怯えていた……? 悪名高き太刀川製薬のトップが、あらゆる証拠をあらゆる手段で潰し続けていた海千山千の猛者が、何に怯えていたというのだろうか。
「確かに気になる言動ではありますね」と、小野寺さん。
「使用人も、あんな会長の姿は見た事がないと語っていたそうだ。しかし、念のために会長の遺体を司法解剖にかけてみたが、死因は心不全で間違いないという事だ。だが、亡くなる一か月前に、会長宅をある人物が訪ねている事が分かった。使用人の証言によれば、その日を境に会長は怯え始めたらしい」
わたしの中にある予感が生じた。ようやく全てが繋がった気がしたのだ。
「まさか、それが……」
「そう、お察しの通り、ある人物とは喜田村桃矢の事だ。本庁の人間が顔写真を入手して使用人に確かめさせたから、まず同一人物で間違いないだろう」
警察が、失踪の前に喜田村先輩に目を付けた理由がようやく分かった。小野寺さんの推理も惜しい所まで来ていたのだ。関わっていたと目されているのは、自殺した重役ではなく太刀川会長の方だった。
「彼が太刀川会長に何かしたとは思えないが、少なくとも会長が死ぬ前に証拠を処分しておかなかった理由に、彼が関わっている可能性は十分に考えられた。それで……まあ、たまたま手が空いていた俺たちに、喜田村桃矢の行方を追う役目が回って来たという事だ」
「あ、本当に暇だったんだ……」
小野寺さんが冗談半分で警察は暇なのかと言ったが、あながち間違いではなかったらしい。もちろん彼女は、そんな事情など知る由もないだろうけど。
「それでも、凶悪事件が起きたわけでもないのに、よく捜査一課の警察官を動員しようとしましたね」と、小野寺さん。「あなたも何だかんだ言って捜査していましたし」
「警察としては、検察に借りを作りたいところなのさ。捜査権限は検察の方が圧倒的に強いから、検察は警察の捜査の不備をいくらでも指摘できる。直接的に犯人を罰することが出来ない立場でもあるから、警察は検察の決定に口を挟めない。要するに、幼稚な対抗意識から来ているんだよ。俺たちは上の命令に従っているだけだ」
「大変ですね、警察のお仕事も……」わたしは情けをかけた。
「とにかく、そういうわけで我々は喜田村桃矢の行方を追っていたわけだ。ところが、追い始めた矢先に彼の失踪が発覚した。この状況を見れば、彼を疑うのは当然だろう?」
確かに、偶然にしてはタイミングが合い過ぎているように思えるが……それでも、先輩が何かよからぬ事をしでかしたとは思えない。
「うーん……」小野寺さんはこめかみに指を当てた。「どうも、話を聞いているとちぐはぐな印象を受けますね。今ひとつ、繋がっているような感じがしません」
「たぶん、こちらが全体像を掴み切れていないせいでもあるんだろう。何となくだが、色んな思惑が絡み過ぎていて、真実を見えなくしているように思える。望みは、検察がどんな証拠を掴めるかという事だけだ。さて、我々から話せることは以上だ」
話せることはあまりないと言っていたが、小野寺さんに乗せられて結構たくさん喋っていたような。わたし達が帰った後で、本当に上司にどやされないかな……。
「君たちは他言無用の約束を守ってくれるだろうが、聞いての通り、この事件は君たち高校生が手に負えるようなレベルじゃない。誰が黒幕であるかも分からない上に、二人の人間を声も上げさせずに惨殺した凶悪犯は野放しの状態だ。言い方は悪いが、君たちは余計な正義感などさっさと捨てて、全てを警察に任せて普段の生活に戻った方がいい」
早い話が、この事件の調査から手を引きなさいという忠告だ。当然だ、警察からすればわたし達みたいな素人に引っ掻き回されるのは御免だろうから。
「つまり平池刑事は、私たちに桃矢の帰りをやきもきしながら待てばいいと?」
「平たく言えばそういう事だ。我々は学校の先生と違って、常に物事はシビアに捉えるべきだと考えている。若くて経験も浅いうちは、自分の可能性は無限に広がっているなんて妄想をいくらでも働かせられるが、そんな幻想は現実の問題に対して基本的に無力なのだという事を、早いうちに知ってもらいたいとさえ思っている」
「最後の最後になって、ずいぶん辛辣な物言いをしますね」
「君にはそのくらい厳しい口調で言っても問題ないと判断したからな」
何かにつけて反駁する小野寺さんが、珍しく無言を返した。
「それに、君みたいな賢い子は、身に付けている知恵を魔法の杖であるかのように錯覚しがちだから、あえて言わせてもらっている。二人は喜田村桃矢という少年に執心だから、誰に反対されても追究をやめることはしないだろう。それこそ、漫画や小説で見るような探偵的行為に興じることを、迷うことなくやろうとする。だが、一警察官として断言させてもらおう。そんな行為を平気でやる人間は、まずろくな結果を残さない。未来ある子供である君たちには、すぐにでも引っ込んでいただきたい」
わたしはむっとした。引っ込んだ方がいいというのは言い過ぎじゃないだろうか。口調もどことなく高圧的で、反抗心がふつふつと湧き上がって来そうだ。小野寺さんも険しい表情を浮かべていた。
「もし万が一、捜査の手掛かりになりそうなものを発見したなら、すぐにでも警察に知らせることだ。俺の名刺を渡しておく。くれぐれも、自分たちだけで首を突っ込もうなどとは決して考えないように。以上だ」
それで本当に話を切り上げるつもりだったようで、平池刑事はわたし達の前に一枚ずつ名刺を置いて、津嶋刑事と連れ立って小会議室を出ていった。
後に残された、女子高生二人。色々言われて意気消沈……かと思いきや。
「あー、あのクソ刑事! 絶対その鼻っ柱へし折ってやるわ」
小野寺さんは椅子から立ち上がり、怒気を込めて言った。あまり汚い言葉ばかり連発するのははしたないですよ、女子高生。
平池刑事の忠告を、どうやら小野寺さんは挑発だと受け止めたらしい。冷静に見れば、あれはわたし達の安全を考慮しての発言に違いないが、かえってそれが彼女の自尊心を傷つけたようだ。わたしは最初から自分の調査能力に自信というものを持っていなかったので、この人ほどに矜持が湧き上がるという事はない。
それでも、押さえきれないほどの対抗心が生じているのは確かだった。
「小野寺さん、あそこまで言われて引き下がるわけにはいかないですよね!」
「当然。なんとしても私たちの手で桃矢を見つけ出し、事件を解決するわよ!」
「言われるまでもありません! ……って、わたし達?」
「この際、お互いに変な対抗意識は捨てて、共同戦線を張りましょう。ブレインは多くあった方が効率よく真実に近づけるでしょ」
理屈は分かるけど……何度も言うように、わたしにはこの人と肩を並べる自信がない。
「わたしが味方に付いたとしても、できる事なんて高が知れてますよ?」
「ないよりはマシでしょ。それに、あなたの友人はなかなか知恵が働きそうだし」
まるでただの数合わせのような扱いだ。もしくは、里子の知恵をこの人に運ぶだけのメッセンジャーの役目だろうか。
「里子が加われば確かに心強いですけど……わたしを入れても文殊の知恵に及ぶかどうかは分かりかねますね」
「しゃんとしなさいよ。トイレで見せたやる気はどこに行ったの?」
あれはやる気ではなかったと、自分では思っているのだが。とはいえ、最後まで諦めないのがわたしの性格だと、これまで何度も言ってきた事ではあった。たとえ自信がなくても、それが自分の行動を制限する理由にはならない。
「だ、大丈夫ですよ。諦めたわけじゃありませんから」
「それならよかった。言っておくけど、私はあなたに期待しているわけじゃない。信頼しているわけでもない。ただ単純に、私が持っていないものをあなたが多く持っている、そう思えただけだからね」
これは……褒められたと解釈してもいいのかな。いま一度その台詞の真意を問い質したいところだが、小野寺さんが先に廊下へ出たために叶わなかった。




