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「ではさっそく私から」
小野寺さんが軽く手を挙げた。わたしは無闇に手を出さない事にしている。
「桃矢の両親が殺害された件について、可能な限り調べた内容を教えて下さい」
「それって質問っていうより頼み事ですよね」わたしは耐え切れず突っ込む。「それらしい体裁をちっとも繕っていませんが」
平池刑事が大袈裟にため息をつく。やっていられない、とでも思っただろうか。
「君も分かっているだろうに、警察から情報を引き出そうとするとは……。まあいい。あまり気分のいい話じゃないが、それでもいいなら」
気分のいい話じゃないなら、わたしは聴きたくないなぁ。でも小野寺さんがここに居続ける以上、わたしもストッパーとして同伴しなければなるまい。
「君たちもニュースで聞いたと思うが、喜田村夫妻は夜七時から九時の間に殺害されたと見られている。そして翌日の未明に、庭に置かれていた大量の花火が次々と打ち上げられた。騒音で目が覚めた近所の住人が苦情を申し立てるために家を訪ね、そして遺体を発見したという流れだ」
「ニュースではそれくらいしか聴きませんでしたよ」と、小野寺さん。
「その花火だが、時限装置らしきものが取り付けられていて、朝の五時に発火するように仕掛けられていた。これは警察の見解だが、あの花火はなるべく多くの人に事件発生を認知させるために置かれたものだと考えられる。近隣住民は元より、遺体が発見されて警察が到着するのは朝の出勤の時間帯に入る辺りだから、周辺を通勤ルートに持つ人間の耳にも高い確率で情報が入る。特異性のある事件だけに、直接関係しない人間が知ればネットなどにすぐさま書き込み、さらに多くの人間の知る所となるからな」
「実際、そのようになっているみたいですからね。ネット検索のトレンドでも上位に食い込むほどの話題になっています」
わたしも小野寺さんに言われて調べたから、その事は知っていた。事件の中心に近い所にいると、そうして話題に上る事が不愉快に思えるものだと、わたしは知った。事件に直接関係する人間、親戚や近所付き合いのある人が、事件の詳細をネット上などに進んで公開しようとしないのは、そうした心理が働くせいなのかもしれない。警察の見解には一定の信憑性があるように感じられた。
もっとも、疑問がないわけでもないのだが。わたしは訊いた。
「犯人はどうして、そこまで多くの人に事件を認知させようとしたんでしょう」
「自らの凶悪性を誇示したいと考える犯罪者は多くいるが、今回はどうだろうな。凶悪性を見せたいなら、殺害後の様子をビデオに収めてネットに投稿した方が効果的だ」
さすがは百戦錬磨の警察官。おぞましい想像でも平然と言葉にできるのだな。わたしなら、想像することさえ恐ろしくてとてもできやしない。
「凶悪性を誇示するのではなく、事件が発生したという事実を広めたかった?」
小野寺さんの指摘に平池刑事は頷いた。「それが妥当な線だと思う。一般人の立場に立ってみれば、殺人の映像なんて見たくもないだろうし、非合法サイトでもない限りすぐに削除されるに決まっているからな。花火を大量に用意して、しかも時限装置まで仕掛けている。金も手間もかかる行為に及んだという事は、必ず何らかの意味があるはずだ。犯人側には、事件を多くの人に知らせることに重要な意図があったんだ」
「その辺、桃矢を犯人だと仮定するとどうなんですか?」
「何とも言えんな」平池刑事は椅子の背もたれに寄り掛かった。「我々も喜田村桃矢がどういう人間なのか調べてみたが、いかんせん彼の私生活に踏み込めている人間が少ない。少なくとも、周囲からの評判を聞く限りでは、この見解が適用できるような人間像ではなかった。たぶん、君たちも同様じゃないかな」
よく理解していらっしゃる。そう、わたしは喜田村先輩がこの事件で犯人サイドに立っているとは露ほども思っていない。小野寺さんもきっと同じだ。
「ちなみに、桃矢の両親の死因は何だったのですか? ニュースを見る限り、警察からの公式発表はまだないようだけど」
「発表を控えているのは、監察医務院からの正式な報告がまだ来ていないからだ。恐らく今日の夕方にでも結果が出るだろう。しかし、現場である程度調べているから、すでに我々は可能性の高い死因を認識している。捜査事項だから公にはできないが」
「この場でも教えてはくれないですか?」
「一切口外しないと固く誓ってくれるなら、教えられなくもないが……一介の民間人が、果たして正気を保ったまま聴く事が出来るかどうか……」
わたしと小野寺さんの表情が強張る。よほど酷い殺され方をしたのだろうか?
「どうする?」
「……これはあくまで個人的興味の範疇です。この場にいる人間以外で共有することはありません」
小野寺さんは早くも覚悟を決めたようだが、わたしは迷っていた。わたしの場合、里子に打ち明けることがあるかもしれないし、そこまでの度胸があるわけでもない。しかし、この状況で引く事は出来そうになかった。同調する意味でわたしは頷いた。
「そうか……」平池刑事は躊躇のためか間を空けて言った。「喜田村夫妻の死因だが、妻の方は脳幹の破壊による即死、夫の方は喉を突かれた事による失血死だ」
……理解が追いつかない。わたしが馬鹿だからだろうか?
脳幹の破壊? 喉を突かれた? 聞き慣れない言葉の連続に、戸惑いを隠せない。
いや、戸惑っているのは、本当に言葉の意味が分からないせいなのか?
「……何をされたんですか?」
小野寺さんは、体を小刻みに震わせながら尋ねた。下唇を噛んでいた。
「凶器は発見されていないが、恐らくはナイフのような鋭利な刃物で、両者ともそれで殺害されていた。妻の方は後頭部から頭蓋骨を突き破って脳幹を貫通させていた。夫の方は喉を刃物で突き刺されていた。どちらも、声を上げることも出来ないまま死に至ったと思われる。抵抗するすべすらもなかっただろうな」
ガタン。説明の途中だったが、吐き気を催したわたしは椅子から立ち上がった。
「す、すみません……」
口元を押さえながら急いで小会議室を出た。すぐ近くに女子トイレがあって助かった。もうすでに我慢の限界だったのだ。
個室に入って便器の蓋を開けて、溜まっていた不快感を吐き出した。口の中に、じっとりとして酸っぱいものがまとわりつく。わたしは、肺の中の空気が全て無くなるのではないかと思うくらい、何度も咳き込みながら嘔吐を続けた。
ひとしきり吐き出すと、わたしは咳と嘔吐で激しくなった拍動を落ち着かせるため、ゆっくりと呼吸を始めた。本当は早く吐瀉物を流した方がいいのだろうけど、体中の力が抜けていて、とてもそれができるコンディションじゃなかった。少しだけ心臓の拍動が落ち着いた後、わたしは便座を思い切り叩いた。何度も。
これは怒りなのか、悔しさなのか。分からなかった。大切な人の家族を無慈悲に殺した犯人への憤怒なのか、それとも、怒りを覚えるだけで何ひとつできない自分への、苛立ちか、あるいは口惜しさなのか。今のわたしには、何も考えられなかった。
「畜生……ちくしょうっ!」
自分でも分からない。でも、なぜか叫ばずにはいられなかった。誰に届くわけでもない痛みを、悲しみを、悔しさを、わたしは吐き出し続けていた。
くたくたになったわたしは個室を出た。いつの間にか、小野寺さんがトイレに入って来ていた。手洗い場の前に立っている彼女に目を向けた時、わたしは、鏡に映る自分の姿に少しだけ驚いた。予想以上に髪が乱れていた。
「髪の毛ぐらい、戻る前に整えなさい。あと、これで口をすすいで」
小野寺さんが顎で示した所には、洗面台に置かれた紙コップの水があった。わたしは言われるままにコップを手に取り、一気に水を口に含んでゆすぎ、吐き出した。
少しすっきりしたところで小野寺さんに尋ねた。
「小野寺さんは、冷静ですね……」
「それはどうかしら」小野寺さんは洗面台に寄り掛かる。「吐くほどじゃないけど、私もさっきの話を聞いた時には背筋が凍りついたわ。よく出来たホラー映画を見ても全然震えなかったのに、あの話には心の底から戦慄を覚えた。脳幹を刃物で破壊するなんて、とても人間のやる事とは思えなかったわ」
初めてこの人が常識的感覚でものを言ったような気がする……。
「不思議なものね。私、桃矢から別れを切り出されても、行方不明になっても、桃矢の両親が殺されたと知っても、それを現実としてすぐに受け止められた。だけど……あんな方法で命を奪うなんて、信じられない。狂気の沙汰じゃないわ」
洗面台の縁にかけられた彼女の手に、力が入ったように見えた。恐怖からなのか、それとも憤怒からなのか……わたしにはその両方に見て取れた。
「柚希」
小野寺さんにそう呼ばれて、わたしはハッとした。名前で呼ばれたのは初めてだ。
「あなたはきっと、この事件の犯人を絶対に許さないと思っているでしょう。そして、私の方はそれほどでもないと思っている」
「えっと……」あながち間違いでもないため、言い返せない。
「私を見くびらないでほしいな。桃矢を見つけたいという思いも、桃矢の両親を無残に殺した犯人を決して許さないという思いも、私は、あなたに引けを取らないと思っている。決してあなたを出し抜くわけじゃないわよ。ただ、少しは私に対する認識を改めてほしいと言っているのよ」
……誤解だったのだろうか。わたしは呆然と彼女を見返していた。
どこか彼女の言動は、普通の人と食い違っているように見えていた。それが小野寺芳花という人間の性質なのだと決めてかかっていた。もちろんそれは正しいのだろうけど。
しかし、誰かの性格や信条を理解することは、必ずしもその人の言動や本心を推し量ることに繋がるとは限らない。事実わたしは、彼女の指摘通り、喜田村先輩やその両親が事件に巻き込まれた事に対しては、小野寺さんはあくまで冷静沈着に受け止めて、一切の感情を挟むことなく真実を究明しようとしているのだと思っていた。
でも、それは違った。彼女もまた、わたしと同じ一人の人間なのだ。一切の感情を捨てることなど、できる道理がなかった。
なんか、カッコ悪いな、わたし。そう思うと不思議と笑みがこぼれる。
「小野寺さん」
わたしは歯を見せて笑う。悪いけど、こっちはしばらく苗字で呼ぶよ。
「わたし、小野寺さんにだけは負けません」
小野寺さんの口元にも微かに笑みが浮かんで見えたのは、気のせいだろうか? 気のせいじゃないと思いたい、そう考えている自分がいた。




