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18の肖像  作者: 深井陽介
第二章 中途半端な正義と友情
21/40

―11―


 何とか一時間が経過する前に警察署へ辿り着けた。

 もちろんわたしは警察署など元より、交番のお世話になった事もない。学校の職員室に呼び出しを食らったことはあっても、警察のご厄介になるほど落ちぶれてはいない。だから正直なところ、警察署に足を運ぶのはかなり気が引ける。里子だったらなおさら気が引けるだろう。まさか警察との関わりもほどほどに、なんて言わないだろうし。

 一方で、刑事に呼び出しを受けた張本人は、顔色一つ変えずに警察署の敷地へ。

「ひょっとして小野寺さん、ここに一度来た事があるわけじゃないですよね?」

「ないわよ。連れて来られそうになった事もないし。なに? 私がここに来るのに全く緊張感を持っていないからそんな事を言うのかしら?」

 ぎく。図星を突かれてわたしは表情を固まらせた。ポーカーフェイスは苦手だ。

「あっそ。緊張はしないけど、警察の方から有益な情報が貰えるかもしれないと思えば、そんなに嫌でもないと感じている程度で」

「抜け目ないですね、小野寺さん……」

「そういうあなたこそ、なんで私について来たの? あなたは呼ばれてないわよ」

「えっ、いや、何というか……一人で調査するのが不安になってきたというか、小野寺さんが何か掴むことがあるならわたしも知りたいというか……」

 どうして言葉に詰まっているのだ、わたしは。すると、小野寺さんがわたしに顔を接近させて言った。いや、近すぎます。

「それだけなの?」

「えっと……」なぜか心臓の拍動が激しくなる。「小野寺さんが、心配で……」

 厳密に言うと、小野寺さんが警察からどんな扱いを受けるのかという事と、小野寺さんが警察に対してどんな態度で出るのかという事が、心配だったのだが……上手く言葉で説明できない。なぜだろう。

「正直でたいへんよろしい」小野寺さんはわたしの頭を撫でる。「いい子ね。でも、あんまりいい子が過ぎると、つけ込まれやすいから気をつけないとね」

 あなたがそれを言いますか? おっと、警察署の前で漫才の真似事をしている場合ではない。刻限も迫っているので、わたし達は急いで建物の中へ入って行く。

 受付の人に名前を告げると、三階の第二小会議室へ行くように言われた。どうやらそこで電話の相手が待っているらしい。受付の人に軽く礼を言って、わたし達は第二小会議室へと向かっていった。その途中では誰の視線も感じなかった。警察署内でそんなに目立つ存在でもないのだろうか、私服の女子高生というのは。

 第二小会議室の前まで来て、小野寺さんがドアをノックする。そして返事も聞かずにすぐさまドアを開けた。やっぱりこの人、常識的感覚に欠けている。

 部屋の中では、中央に置かれた一つを除いて全てのテーブルが畳まれて窓際に寄せられていて、照明もついていない薄暗い空間に二人のスーツ姿の男性が待っていた。一人は腕組みをして中央のテーブルそばの椅子に座り、もう一人は隣で直立していた。

「残り一分だ。ぎりぎり間に合ったな」

「ずいぶん細かいところを気にするのですね。もてませんよ」

 開口一番に言うことがそれですか。ある意味胆が据わっている人だ。

「この職に就くと決めた時から、万人に愛される事は諦めている。警察官としての評価の中に、異性からの評判は含まれないのでね」

 そして、椅子に座っているこの刑事さんも、よく冷静に返せるものだ。……あれ、この刑事さん、わたしの知っている人だ。

「ところで、そこにいる野次馬少女は君の知り合いか?」

 わたしは閉口した。やっぱりこの人、喜田村先輩の家に来ていた刑事さんだ。二回ほどその姿を拝見していて、二回とも目が合っている。相手も知っていて不思議じゃない。それにしたって、他に適切な呼び方はないのだろうか。

「電話で話していた私の友人です。刑事さんはこの子をご存じなんですか?」

「二度も被害者の家の前で野次馬をしていた子だ。別のお友達と一緒にな」

「なんだ、その程度ですか」

 その小馬鹿にしたような言い草は何だ。わたしは呆れたが突っ込まなかった。

「刑事さん、喜田村先輩のご両親が殺された事件を捜査しているんですよね」

「ええ」刑事さんは椅子から立ち上がった。「改めて自己紹介しましょう。私は警視庁刑事部捜査一課、殺人犯捜査三係の平池(ひらいけ)警部補です。彼は台橋署刑事課強行犯捜査係の津嶋(つしま)巡査部長」

 名前を呼ばれた津嶋という部下の刑事は、わたし達に向かって浅く頭を下げた。

「君の名前は?」平池刑事はわたしに尋ねた。

「広瀬柚希です。台橋高校二年生です。あの、小野寺さんは容疑者ですか?」

「現段階ではただの参考人です。住居を訪ねてみたら誰もいなくて、直接ご本人の元に出向いて話を聞くという事ができなかったので、やむを得ず携帯から直接呼び出しただけですからね。それも電話に出るのにかなり時間がかかりました」

「すみませんね、電源をオンにするの、すっかり忘れていたもので」

「小野寺さん、言葉遣いに気をつけるくらいの事はしてくださいよ」

 どうせ真面目に聞いてはくれないだろうけど、わたしは一応釘を刺しておいた。

「それにしても、友人という割には他人行儀な言葉遣いですな」と、平池刑事。

「一応年下なので……」

「いいのよ、別に砕けた言い方をしても」

「言ったら言ったで、どんな反応を返されるか分からないから慎んでいるんです」

「とにかく、椅子に座って下さい。こちらの話を始めたいので」

 そうだった。ここに来た本来の目的は警察の事情聴取を受けることだった。そしてそのついでに有益な情報を得る。とはいえ、そんな事がわたしに出来るわけもないので、情報収集は小野寺さんの手腕に任せるとしよう。

 二台合わせたテーブルに向かい合いながら座る、わたし達と、刑事二人。厳密に言うとわたしは呼ばれていないのだが、小野寺さんの隣に座って一緒に聴取を受けることに。

「まず確認したいのですが、小野寺さん、貴女は昨夜の六時ごろ、喜田村さんの家に電話をかけましたね?」

「疑いようがないでしょ」

「…………」平池刑事は顔をしかめた。「念のため、だ。では、その電話の際の会話の内容を教えてくれますか」

「内容っていっても、たいした事は話していないのよね。単純に、翌日の朝にそちらへ行って、桃矢の事で色々話がしたいって言っただけで。あ、私は桃矢の元カノで、桃矢が失踪した原因を自分なりに突き止めたかったの。ついでに別れ話の原因なども」

 平池刑事はまた顔をしかめた。そこまでは訊いてないよ、とでも言いたそうだ。

「そうですか。ちなみに、どうして翌日の朝に?」

「その日はこの子と一緒に工業団地を回っていて、それで電話をかけたのが夕方になってしまいました。夜中に押しかけるのもどうかと思いましたし、お昼ごろになればまた警察が来るだろうから、面倒事を避けるために朝を選びました」

「面倒事?」

「だって、警察の人がいたら家の中に出入りするのに気を遣わなきゃならないし」

 つまり気を遣うのが嫌だったわけですか。実にこの人らしい。

「そう、ですか……それで、喜田村夫妻と会ってどんな話をしようと?」

「まあ、基本は桃矢の私生活と最近の言動ね。付き合っている時もたいした話を聞いていないから、もう少し突っ込んだ話が聴きたかったの。もっとも、それが桃矢の失踪に関係しているかどうかは、分からなかったけどね」

「それで、翌朝になって喜田村家に行ってみると、話をするはずだった喜田村夫妻が殺されている事を知ったというわけですね」

「正確には、集まっていた野次馬から、桃矢の両親が血を流して倒れていたと聞いただけです。亡くなっていたという事が分かったのは、二人が担架に乗せられたところを見たときです。顔が隠されていましたから」

「なるほど、亡くなっていれば搬送時に体全体をシートで覆うからな。ところで、貴女は被害者の二人に会った事がありますか?」

「実を言うとありません。桃矢と付き合っていたこと自体、周囲には内緒にしていましたから。桃矢の両親も、私の事はたぶん知らなかったと思います。電話の時も、わざわざこちらから詳しい事情を話したくらいですから」

「つまり、一度も会って話をしないうちに殺害されてしまったと?」

「それは自明が過ぎる結論ですね」

 平池刑事はまた顔をしかめた。いちいちうるさいんだよ、とでも言いたそうだ。

「しかし、元カレの両親が殺されたというのに、貴女はずいぶん冷静ですね。普通は悲しみに明け暮れたりするものではないですか?」

「そりゃあ、桃矢が同じ目に遭ったら悲しむと思いますけど、会った事も話した事もない人が殺されても特に悲しむ謂れはないですね」

「…………」

「すみません、この人、常識的感覚に著しく欠けているものですから……」

 嫌な雰囲気を感じ取ったわたしは、何とかフォローしようとした。

「いや、悪気はないんですよ? ただ、言葉を選ばないといいますか、他者とのコミュニケーションに価値を見出していないといいますか……」

「もういい、それ以上言わなくても」平池刑事は手を差し出して制止した。「なんか、聞いているこっちが申し訳なくなってくるから」

「は、はあ……」

「質問を続けます。これは形式的なものだと思ってください」

「午後七時から九時のアリバイでしたら、私にはありませんよ。自宅に来たなら分かると思いますけど、一人暮らしなので」

 そうなの? わたしは瞠目して小野寺さんを見た。彼女は見返さなかった。里子も家族構成までは調べなかったからなぁ、まだ知らない事がたくさんある。

「……なぜ、アリバイの確認だと?」

「警察が『形式的な質問』という建前を持ち出すような質問なんて、はっきり言ってそれくらいしかないですよね」

「まあ……その通りだが。ちなみに広瀬柚希さん、貴女の同時刻のアリバイは?」

 わたしにまで振ってくるのか。当然といえば当然だけど。

「えっと、ちょうど家族で夕飯を食べていた頃だからなぁ……」

「まあ、どの家庭でもそれが普通よね」と、小野寺さん。「でも、この子も事件とは無関係だと思いますよ。彼女も桃矢の両親に会うのは昨日が初めてですから」

 それはあの日、先輩の母親から話を聞いた直後に会った時、小野寺さんに話した事だ。

「そうなんですか?」

「はい……」わたしは弱々しく頷いた。

「まあ、刑事さん達はたぶん、本気でわたし達を疑っているという事はないと思うよ。すでに容疑者の目星はつけているだろうから」

 小野寺さんはわたしを不安にさせないために言ったようだが、今、聞き捨てならない事を言わなかっただろうか。二人の刑事も目を見開いていた。

「なぜそれを……?」

「特に確信があるわけじゃないですけどね。でも状況を冷静に見れば、怪しむべき人物は一人しか浮かびませんからね。もちろん、私はその可能性を全力で否定しますが」

 その言葉でわたしにも理解できた。この人が無実を信じる、わたし以外の関係者はもはや一人しかいない。

「警察は、行方をくらましている桃矢を殺人犯だと疑っている。そうでしょ?」

 平池刑事は眉間にしわを寄せて小野寺さんを見返した。

「……どうしてそう思う?」

「だって、殺害されたと思われる時間帯はどこも夕食時だから、ほぼ確実に家の中には人がいるでしょ。そんな状況で外から不審者が入って来れば、間違いなく騒ぎになる。殺害方法は知りませんけど、どんな方法を使うにしても二人の人間を同時に殺害するのは極めて困難だ。侵入直後に一方を即座に殺害しても、もう一方はまだ自由の身だから、通報したり助けを呼んだりする隙を与えることになる。だから、夕食時に外部から侵入して近所に気づかれることなく二人の人間を殺害するのは、ほぼ不可能です」

 よくそんな吐き気のする説明を平然と行えるものだ。すでに殺害という言葉を五回も使っている。わたしはだんだん気分が悪くなってきた。

「逆に言えば、被害者の二人に警戒心を抱かせない人物である可能性が高い。それなら騒ぎに発展する確率は大幅に下がりますからね。顔見知りであれば、変な所から侵入するまでもなく、玄関から堂々と家の中に入れます。故に今回の事件は、顔見知りによる犯行と考えられる。もちろんそれだけなら容疑者はいくらでも考えられますが、その筆頭格と言えるのが桃矢だ。何しろ、事件の前から行方をくらましているからね。第一級の容疑者としては申し分ない存在といえるでしょう」

 澱みなく説明する小野寺さんを、平池刑事は睨みつけていた。疑っているわけではなさそうだが、油断ならない存在と見なしているようだ。

「平池さん……」小声で話しかける津嶋刑事。

「やむを得んだろう」平池刑事は体勢を整えた。「君のいう通りだ。我々は喜田村桃矢を最重要容疑者と見ている」

「この子まで同席を許したのは、桃矢の居場所について心当たりがないか、それを聞き出すためだったわけですね」

 小野寺さんはわたしに視線を向けながら言った。ようやく腑に落ちた。わたしからも喜田村先輩の事を聞き出したいから、わたしを退室させなかったのだ。

「まあ、ありていに言えばそうなるな。小野寺さんは喜田村桃矢と同じ学校の同学年で、喜田村家に直接の電話連絡ができるほど親密な関係がある。広瀬さんは、学年は違うものの二度も喜田村家の前に野次馬として現れている。両者とも喜田村桃矢と繋がりがあると分かっている以上、何も訊かずに帰す方がおかしいからな」

 それは警察という組織の論理の中で言えることであって、わたしみたいな一般人にまで通用する考え方ではない。それと、野次馬は余計だ。

「だが、話を聞く限りでは君たちも喜田村桃矢の居場所は知らないようだな。でなきゃ、わざわざ休日に揃って捜しに出ることもないはずだ」

「ええ。現在でも行方は掴めていません」

「あれ? 何も手掛かりが引き出せないと分かったら即解放ですか?」

 わたしの疑問に津嶋刑事が答えた。若いせいか物腰は比較的柔らかい。

「まあ、いつまでも警察署に拘束しているのは、後から色々問題にされやすいからね」

「では、私たちの質問に警察が答えてくれるという事は?」と、小野寺さん。

「質問の内容によるな。もちろん基本的には拒まないが」肩をすくめる平池刑事。「ただし質問の受け付けは、こちらからの質問に全て答えた後だ」

「この上まだ私たちに訊きたい事があるとでも?」

 よせばいいのに、小野寺さんはあからさまに嫌そうな顔をした。案の定、平池刑事も彼女の表情を見て嫌悪を顔ににじませた。

「安心しろ。こちらから尋ねたいことはこれで最後だ。君たちはこれをどう思う?」

 そう言って差し出されたのは、一枚の写真だった。プリントアウトされた別の写真を重ね撮りしたものだ。たぶん鑑識が撮影したものだろう。写っているのは新幹線で、そこに黒のマジックペンで『(existence & assurance to future)』と走り書きされていた。

「これは、喜田村家を捜索した際に、喜田村桃矢の部屋から見つかったものだ。他に見つかった喜田村桃矢の直筆のノートなどと比べたが、彼の筆跡で間違いない」

「ふうん……」小野寺さんはじっと写真を見る。「エグジスタンス・アンド・アシュランス・トゥ・フューチャ、直訳すると、『存在と未来への保証』と言ったところか」

「なんでしょう? 外国の、SF小説か何かのタイトルでしょうか」

「聞いた事もないけど……これが、桃矢の部屋に?」

「ああ。なぜか自室の壁に画鋲で貼り付けられていた。彼は新幹線に興味が?」

「新幹線のエンジンの機構には興味があるだろうけど、新幹線そのものが好きだという話は聞いたことないですね」

 喜田村先輩のプライベートに一番近いところにいた小野寺さんがそう言うのなら、たぶん本当に興味などはなかったのだろう。

「そうか……まあ、正直我々も、これに事件の手掛かりがあるとは思っていないが」

 だったらどうして訊いたのか。そう思ったが言わないでおいた。警察にも色々事情というものがあるだろうし、同様の事はわたしもやっていたからね。

「だったらどうして私たちに訊くんですか」

 ……もっとも、その事情を察してくれない人もいるけど。

「手掛かりというものは思わぬところにあるものだ。無駄かもしれないと思っていても調べる。警察の捜査とはそういうものだ。特に、今回みたいに動機のはっきりしない事件はなおさらだ」

 平池刑事は冷静に答えているけれど、内心は苛立ちを押さえ込むのに必死だろうな。

「さて」平池刑事は姿勢を整えた。「君たちから何か質問はないか?」

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