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18の肖像  作者: 深井陽介
第二章 中途半端な正義と友情
20/40

―10―


 施設を後にしたわたしと小野寺さんは、しばらく当てもなく歩いていた。というより、小野寺さんが無言のまま歩いていて、わたしがその後についているのだが。

 しばらく経って、小野寺さんは立ち止まって振り向いた。

「何か、私に言いたい事がありそうね」

 正解だった。用事がなければ、わたしはこの人と一緒にいようとは思わない。

「施設の人への聞き込みで、あなたはどんな手掛かりを掴んだのですか?」

「そんなに知りたい?」

 またこの嘲笑だ。いい加減にわたしも慣れたので、その手には乗らない。

「正直に教えてくれる気がないなら結構ですけど、わたしは知りたいです。どうせ、一人じゃ何も分かりませんから」

 そう答えると、小野寺さんの顔から笑みが消えた。何を考えているのか分からない目つきでわたしをじっと見る。やがて顎に手を当てて思案を始めた。

「ピュアガール……」

 えっ、今の呟きは何ですか? わたしの事か。わたし以外ここに他の女の子はいないから当然だけど、何を突然ピュアガール。

 すると、小野寺さんは両手を腰に当ててわたしに言った。

「お腹すいたでしょ。お昼ご飯、おごってあげようか」

 …………瞠目。

「なに引いているのよ」

「いえ……これまでの小野寺さんの言動からは想像だにしない発言が出たもので」

「あら、断っても別にいいのよ。見知らぬ土地で自力で食料を探し当てるというなら」

「それは無理です。是非とも、お言葉に甘えさせていただきます」

 わたしは深々と頭を下げた。この人に恩を売るのは癪に障るが、空腹だったのは事実だし、食料を探してさまよっている最中に倒れるという展開は避けたかった。

「初めからそう言えばいいのに。素直な子って、私は好きよ」

 ……あなたに言われてもちっとも嬉しくないのですが。

 小野寺さんもこの辺に来るのは初めてのはずだが、ほとんど迷うことなく近場の喫茶店に辿り着いた。本当に台橋市の地図が全部頭に入っているのか、それとも実はすでに来た事があったのか……依然として行動の読めない人だ。

 小さな喫茶店だけど軽食メニューはそれなりに充実していた。何でも好きなものを注文していいと小野寺さんに言われたので、わたしは適当にナポリタンを選んだ。店員にその事を告げると、小野寺さんは続けてこう言った。

「私もこの子と同じものを」

 最初からわたしに自分の分も選ばせるつもりだったのか。適当すぎるだろ。

 注文した料理が到着するまで、わたしは彼女の小野寺さんの話を聞く事にした。

「それで、小野寺さんはどんな事に気づいたんですか」

「そうねぇ……例えば、あなたは嘘がつけない素直でいい子だとか」

「はぐらかさないで下さい。喜田村先輩の失踪の件です」

「さっぱり分からないわ」

 唖然とするわたしの目の前で、小野寺さんは悠然とコップの水を口に含んだ。

「……あれですか、何かに気づいたとか手掛かりを掴んだとか、そんな事を言った覚えはありませんってやつですか?」

「ええ、覚えはない。でもいくつか気づいたことはある。それが桃矢の失踪にどう関わるのかが分からないだけ」

 途中、コップの水をぶっかけようと思って手を伸ばしたが、最後まで聞いてすぐにその手を引っ込めた。いや、たぶん最後まで聞かなくてもぶっかけなかったと思うけど。

「教えて下さい。気づいた事というのは?」

「桃矢を産んだ親はもしかしたら、太刀川製薬の関係者かもしれない」

 何だって? そちらに発想が及ぶとは思わなかった。

「え? どうしてそう思うんですか?」

「あくまで想像よ。状況に合致する仮説の一つだと思って頂戴」

「仮説、ですか……」

「私はあの施設で、桃矢が預けられた時の出来事を聞いた。その際に思い至ったの。下の名前だけを残したのは、後で彼を見つけやすくするためじゃないかって」

「見つけやすくする?」

「桃矢を産んだ親は、一年ほど経ってから子育てに苦痛を覚えるようになり、育児放棄を考え始めた。最初はたぶん、自分が所属している太刀川製薬の誰かに引き取らせようと考えたでしょう。でも断られた。十六年前なら太刀川製薬はまだ一級企業……時間も取れないし、イメージも悪くなると思われたはず。しかし、イメージの問題についてあるアイデアが出された。桃矢を身元不明の捨て子にして、それを進んで預かろうとすれば、優良な人種がいると世間に思わせられると踏んだのね」

「そんな、まさか……」

「何度も言うけど、これはあくまで仮説だからね。私が抱いている太刀川製薬のイメージから勝手に想像した結果だから」

 まあ確かに、陰で色々違法な事をやって稼いでいたらしいから、そうした点数稼ぎを日常的にやっているとイメージされてもおかしくないけど。でも、一歳半の赤ん坊をイメージアップの道具に使うというのは、仮説とはいえ信じがたい。

「まず、太刀川製薬が所有している倉庫の前に、赤ん坊の桃矢を置き去りにする。そしてそれを太刀川製薬の従業員が発見し、同じく太刀川製薬の影響力が及ぶ『貴船オン・ユア・マーク』に預けるように仕向けた。そうすれば、法的には孤児として扱われながら、結果でいえば太刀川製薬によって命を救われた存在と、世間が見なすようになる。この辺の流れが意図して行われたものかどうかは、分からないけど。その次はもしかしたら、太刀川製薬の関係者が引き取るつもりだったかもしれない」

「それで太刀川製薬の繋がりは一応説明できますけど、最終的には、太刀川製薬とは何の関係もない喜田村夫妻が引き取りましたよ?」

「ええ、あの夫婦が太刀川製薬と関係ない事は調べがついている。だけど一つ確かなことがある。正式に引き取られる前から、桃矢は喜田村夫妻によって、一時的にでも育てられていた時期があったはずよ」

「正式に引き取る前に……ですか?」

 そんな話は先輩の母親から一言も聞いていないのだが。

「特別養子縁組の場合、引き取られる子供には年齢の上限があって、通常は六歳未満の子供じゃないと特別養子縁組は出来ないの。元の親との親子関係が消滅しない、普通養子縁組なら年齢制限はないけど……」

「そういえば、喜田村先輩は六歳で引き取られたと聞きました……」

「そう、普通ならあり得ない。でもこの制度には例外があって、六歳を迎えるまでに引き取り手から養育を受けていたと認められる場合は、八歳未満まで上限が引き上げられるのよ。生まれて最初の一年半だけだと怪しいけれど、それ以降に養育されていた時期があったなら、この特例に合致して、六歳でも特別養子縁組が認められる」

「へえ……で、それがどうつながると?」

「もしそのまま太刀川製薬の関係者が引き取れば、いつか本人が違和感を抱いて、この企みに気づく恐れがある。だから引き取り手が現れるまでは、施設の人間を介して自分たちの手で育てておき、その一方、恐らく今後も太刀川製薬と関わりを持たないと思われる夫婦を選び、桃矢の引き取り手として施設側に推薦する。正式ではなくても喜田村夫妻が桃矢を養育していると思わせられたら、特別養子縁組の上限ぎりぎりまで、桃矢を太刀川製薬の手で育てておき、最終的には喜田村夫妻が自発的に養子縁組を家庭裁判所に申し立てる。そうして、桃矢がこの計画に辿り着くリスクを大幅に減らそうとした……何しろ、引き取り手と完全に親子関係になるからね、戸籍からさかのぼることは不可能になるから」

 よくもそんな突拍子もない仮説が思いつけるものだ……わたしは少なからず感心していた。確かに、色んな状況に符合しているように思える。しかし。

「でもそれなら、特例の上限である八歳ぎりぎりまで待ってもよかったのでは?」

「ええ、当初はそうするつもりだったでしょう。これも想像だけど、太刀川製薬側に何か予感があったのかもしれない」

「予感、ですか?」

「桃矢が引き取られたのは十一、二年前。それからほどなくして、太刀川製薬は治験における不正が暴露されて経営不振に陥った」

「あっ……」

「昨今の東芝の例を見ても分かる通り、裏で不正を行い続けていると、それによって経営が大きく右肩下がりになる可能性を感じ始めてしまうものよ。そして、一つ不正が明らかになればまた別の不正がすっぱ抜かれる。桃矢の事が明るみになるのも時間の問題」

「それを避けるために、先輩を手放した……」

「なんていう想像ができるけど、証拠は何もないからね。何より、それが本当に桃矢の失踪に繋がっているかどうかは分からないし」

「でも、ここまで推理できるだけでもすごいと思います! わたしじゃ絶対に思いつきませんよ、そんなこと」

「褒めても何も出ないわよ」

 心から称賛したというのに、そんな白けた顔を返されるのは気分が良くない。

「わたしが小野寺さんから出してほしいのは昼食代と情報だけです」

「財布に余裕はあるわ」

「それならいいですが……しかし、小野寺さんの推理は見事だと思いますが、個人的にはやっぱり信じたくありませんね」

「そりゃそうよ。都合のいいように論理を組み立てることを推理と呼ぶんだもの。信じられないという人が出てくるのは至極当然の事でしょ」

「漫画やドラマだと、推理によってぴたりと真実を言い当てていますけど……」

「当たり前よ。作っている人が都合のいいように舞台設定をしているから。そして都合のいいように登場人物を動かしている。そうして必ず真実に到達するようにシナリオを作っているのだから、ぴたりと言い当てられて当然。でも、現実の推理はそう易々と事実を言い当てられるものじゃないわよ」

「小野寺さん自身は、さっきの推理が当たっている可能性をどの程度見積もりますか?」

「心証だけで判断するなら、七割かな。でもそんな判断が何の役に立つの?」

「なんというか……その推理に基づいて今後の調査の方針を決められるかと思って」

 それ以外に何の役に立つのかと訊かれれば、間違いなく答えられないけど。幸い、小野寺さんはそれ以上訊こうとはしなかった。

「それも一つの手だけど……私としては、可能な限り先入観を排除して情報を集めたいところね。あまり一つの考え方に縛られていると、思わぬ見落としをしてしまうし」

「そうですか……」

 どんな調査が適切なのか、わたしは経験がないので判断できない。小野寺さんは対人調査がずいぶんこなれているようだが、どこで調査経験を積んだのだろうか。

 さすがにお昼時、また一人お客さんが入って来た。カウンターでコーヒーを挽いている店主に、フランクな口調で話しかけている。

「いやあ、参ったよ。屋根の色がすっかり違っていたもので、しばらく場所が分からなくて迷いそうになりましたよ」

「お客さん、うちに来るのは久しぶりですか」

「かれこれ五年近く来てないかね。あんなに目立っていたのに、今じゃすっかり地味な色になっちまったね」

「お客さんから派手すぎるって言われたんで、何年か前に塗り替えたんですよ」

「そういえば、マスターもずいぶん地味な恰好をするようになったね」

「ほっといてくださいよ」店主は笑った。「あの恰好では作る料理がまずくなりそうだって苦言を呈されましたから」

 料理がまずく見えてしまう派手な恰好って何だろう。少し気になったが、訊くのが恐いのでやめておいた。ところで、ナポリタンはまだかな……。

「舞台設定、か……」

 また小野寺さんが何か呟いた。これから一緒に行動することが増えそうなら、お互いに考えを共有しましょうよ、頼むから。

「どうしましたか?」

「いや、太刀川製薬が計画の舞台として選んだ場所が、『貴船オン・ユア・マーク』だというのは、偶然だとしても、ジョークというか皮肉が利いている気がしてね」

「よく分かりませんが……」

「戒めなのか、それとも笑い話の一環なのか。そういえば、ジョークの語源は日本語でくだらない事を指す『冗句』だって、知ってた?」

 何だと。あれは英語じゃなかったというのか。Is the term of "Joke" Japanese?

「えっ、そうなんですか? 知りませんでした」

「んなわけあるか、ばーか。これこそジョークだよ」

 けらけらと笑う小野寺さん。殺意が湧いた。

 表に出ろやテメェと言う前に、ようやくナポリタンが到着したのでその場はセーフ。思ったよりも時間をかけているだけあって、なかなかおいしそうである。

「これ、結構値が張りますけど、二人分も支払って大丈夫なのですか?」

「気にしなくていいわよ。おごるって言ったでしょ」

「いえ、あれは本気で言ったことなのかと思ってしまって……」

 さっきの痛烈な冗句、もといジョークをまだ引きずっているわたし。

「私、約束はちゃんと守る主義だから。言行不一致は好きになれないのよ」

 本当だろうな。わたしの中で、彼女に対する不信感が再燃していた。

「さて、おいしく頂くとしますか」

 小野寺さんがそう言ってフォークを手に取った時、携帯の着信音が鳴った。小野寺さんが動きを止めて顔をしかめたという事は、鳴ったのは彼女の携帯、そして電話もしくはメールの相手は恐らく……。

 彼女は携帯を操作して耳に当てた。電話のようだ。わたしは自分の耳を指差して、自分にも聞かせてほしいと無言で合図した。小野寺さんは携帯を当てた耳をこちらに寄せた。頑なに断られるかと思ったのだが、意外にすんなりと応じてくれた。

「えー、こちら警視庁捜査一課の者ですが、小野寺芳花さんの携帯電話でよろしいでしょうか」

 男性の声が聞こえてきた。どこかで聞いたような気がするけど。

「違いますと答えたらどうしますか」

 また相手の神経を逆撫でするような物言いを……。

「調べはついていると答える。君、一般市民なら警察の質問に正直に答えなさい」

「私は小野寺芳花で百パーセント間違いありませんが、よく名前が分かりましたね」

「日本警察の調査力をなめないでくれ。そんな事より、こっちは君と直接話がしたい。いま君はどこにいる?」

「高校の友人と一緒に喫茶店で食事を摂っています」

 そうですか、わたしは今あなたの友人なのですか。なんとも複雑な心境だ。

「ほう、それはまた優雅な時間を邪魔してすまなかったな」

「まったくです。邪魔もいいところです」辛辣な物言いは続く。

「邪魔は認めるがこちらも引くわけにはいかないんだ。申し訳ないが、一度台橋警察署に来てくれないか。君から詳しい話を聞きたいのでな」

「いいですよ」小野寺さんはあっさりと応じた。「でも、注文したナポリタンが到着してこれから頂くところなので、一時間ほどお待ちいただきます。悪しからず」

「…………」

 電話の向こうで刑事さんはどんな顔をしているのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている事は容易に想像できた。

「……分かった、今からきっちり一時間後だ。それまでに必ず来なさい」

「りょーかい」

 小野寺さんは棒読みで答えて、相手の反応も聞かずに電話をホールドした。

「小野寺さん、警察官に対しても全くぶれませんね……」

「それはどうも」

 褒めてないから。

「さ、早く食べちゃおう。タイムリミットは一時間だからね。ゆっくり味わっている暇もなさそう」

「ご自分で決めたタイムリミットじゃないですか……」

 かく言うわたしも、小野寺さんにつられて食べるスピードが上がっていた。どうやら本当に、このおいしそうなナポリタンを味わう暇はなさそうだ。

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