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18の肖像  作者: 深井陽介
第二章 中途半端な正義と友情
15/40

―5―


 ついて来てと言われたからついて来たけど、小野寺さんが考えるところの目的地に到着するまで、やっぱり彼女は一度も振り返らなかった。これも昨日と同じ。ここまで行動パターンが読めると、逆に安心感がもたらされる。

 途中、工業用の水路と思われる小さな川を渡る。その際に通った橋の両端には、犬の頭部が(かたど)られた石像があった。頭部だけだとかなり不気味だ。

「昔、この辺りで幅を利かせていたお侍さんが、野良犬に砂をかけられて激昂(げきこう)し、この橋の上で首をはねたそうなの。町の人達がその犬を偲んで、この橋の下に供養のための塚を作ったそうよ。でも明治の時代に区画整理が行われた時、邪魔になるという理由で塚は取り壊され、その代わりに犬の首を象った像を作ったとか」

 そう説明してくれたのは小野寺さんだった。でも、どうも腑に落ちない。明治の大規模工業化の中で塚が取り壊されたのは分かるけど、それなら立て札にでも書き残せばよかったのではないだろうか。なぜに頭だけ石像にしたのか……。

「里子、知ってた?」

「いいや」里子はかぶりを振った。「わたしだって何でも知っているわけじゃない」

「小野寺さんはその話をどこで聞いたんですか?」

「……前にここに来た時、桃矢から聞いた」

 喜田村先輩と一緒に来ていたのか。デートなのか。そうなのか。

「どうした、柚希? 顔真っ青にして胸元を握り締めて」

 とっくに察しているくせに。友人の無神経な発言に、わたしは顔をひきつらせた。

 そうして辿り着いた場所は、喜田村先輩の家がある地区の隣、工場や倉庫が軒を連ねる工業地区の中の建物の一つ。すでに使われなくなった倉庫らしく、敷地の入り口の門扉は、施錠もされずに開け放たれていた。それでも他の誰かが所有している場所である事に変わりはないはずなのに、小野寺さんは躊躇なく敷地の中に足を踏み入れた。

「ちょっと、小野寺さん。いいんですか、勝手に入って」

「いいえ。誰に許可を取ればいいのかも分からなかったし、本当ならいけない事だけど。だから話はさっさと済ませたいの。分かる?」

 ちっとも分かりません。だったら中に入らずに話をすればいいじゃないか。とはいえ、この人の非常識な言動は今に始まった事じゃないから、反駁する気にはなれない。

 結局わたしと里子も敷地の中に入り、シャッターも上げられたままの倉庫の中にまで踏み込むこととなった。誰にも目撃されない事を祈りたい。この人の巻き添えを食らって、不法侵入で補導されるなんて事態は何としても避けたい。

 倉庫の中は、かつて使われていた機械や器具が壁際に追いやられ、中央部分は塵と埃がわずかに落ちているだけであった。靴音が壁に反響して、どれほど静かに歩こうとしても耳に響いてしまう。外を通りかかる人に気づかれないだろうか。

「あの、ここは何なんですか?」

 自分の声もよく響いていた。この問いかけに、小野寺さんは振り返って言った。

「ここは……桃矢が捨てられていた場所よ」

 何だって? わたしは自分の耳を疑いそうになった。里子と顔を見合わせる。

「十年ほど前まで、この倉庫はあるメーカーが所有していて、使用期限の切れた機械を処分に出すまで仕舞ったり、入荷したばかりの機械を保管したりするのに使われていた。桃矢は一歳半の時に、この倉庫の前に置き去りにされていた所を従業員に発見されたの」

「……それは、喜田村先輩本人から聞いたのですか?」

「それ以外にいないでしょ」小野寺さんはわたしを睨みつけた。「もっとも、本人も物心ついたころに施設の人に聞いたそうだから、どこまで本当なのかは分からないけど」

 又聞きの繰り返しは伝言ゲームと同じ事で、正確な事実がいつの間にか捻じ曲がる事があるからなぁ。それでも、その話が事実から大幅にずれていることはないだろうが。

 喜田村先輩は施設に預けられる前、この場所に捨てられていた。親の家庭環境の問題で子供が捨てられる事件は後を絶たないそうだが、先輩もその例に漏れなかったのだ。この事実を聞かされた時、先輩はどんな気分でいただろうか。きっと、普通に生きてきたわたし達には、想像もつかないような心境だっただろう。

 そしてそれ以上に、見当もつけられない疑問がある。

「あの……どうしてわたし達をここに連れてきたのですか?」

 犬の石像の話と同じくらい、目的が判然としない行為に思えた。喜田村先輩の出自について話したいのなら、ここまで来る必要はなかったはずだ。

 小野寺さんは静かに言い放った。

「あなた達にも、この光景を目に焼き付けてほしいのよ。ここには何かがある。ここは始まりの場所でもあり、終わりの場所でもある」

「どういう事ですか……?」

「さっきも言ったけど、ここは十年ほど前に所有していたメーカーが手放して、それ以来倉庫として使われる事もなかった。でも本当なら、前のメーカーが手放しても次の業者が引き継げば、普通に使用は継続されるはずだった」

「けれど、誰もこの倉庫を使おうとはしなかった……どうしてですか?」

「この倉庫で、前の所有者であるメーカーの重役が、首吊り自殺をしたからよ」

「首吊り自殺! ここで?」

 喜田村先輩がここに捨てられていたという話より、遥かに衝撃の強い事実だった。背筋が凍りつきそうになる。一刻も早くこの場を去りたいと思いたくなった。

「私も、気になってこの倉庫の事を調べるまで、そんな事件があったとは知らなかった。どう見てもこの一件をきっかけに、この倉庫が使われる事もなく廃れていってしまったのは明らか。どう? とてつもなく縁起の悪い場所に見えてこない?」

 というより、あなたのその行動が縁起でもなく意地が悪い。

「桃矢はこんな場所から人生をリスタートすることになった。桃矢もまた、この場所と関わりを持ったおかげで、今になって災厄を受けることになったのかもね」

「まさか小野寺さん、この倉庫が呪われているとでも言いたいのですか?」

「そんなわけないでしょ。あなた馬鹿じゃないの」

 ストレートに馬鹿と言われた。そう解釈されてもおかしくないような、思わせ振りな事を言ったのはあんたじゃないか。

「桃矢に降りかかった災厄の根源は、この倉庫を所有していたメーカーにあるのではないかと思う。それだけの事よ。学校にも家庭にも、桃矢が失踪する原因は見当たらない。無差別の誘拐でなければ、原因はもっと過去に(さかのぼ)らないと見えないのかもしれない。だから以前に、桃矢から教えられたこの場所の事を調べていたのよ」

 だったら素直にそう言えばいいものを。

「すでに二日前にここに来て、出来る範囲で色々調べてみたけど、やっぱりここには何も目ぼしいものは残されていないみたい。せめて、桃矢の失踪に関わっている疑いのあるあなた達を連れてきて、その反応を見ようと思ったのだけど……どうやら本当に何も知らないみたいね。がっかりだわ」

 がっかりさせて悪かったな。わたしは内心で毒づいた。そもそも、わたし達が喜田村先輩の失踪に関わっている疑いを持っていたのは、彼女だけだと思うけど。

「色々調べたって言いましたけど、具体的には何を?」里子が訊いた。

「たいした事はしていないわよ。ただここに立って、薄暗いから懐中電灯で周りを照らしながら、どんなものがあるのか調べただけ。下手に動かしたら、管理している人とかにばれる恐れがあるしね」

「駄目だ……この人の言動はまるで理解できない」

 里子は体中が震えていた。普通である事を希求する里子にとっては、理解しがたい事だろうな。里子なら、無断で侵入してまで手掛かりを探すなんて、そんな冒険じみた真似は絶対にしないだろう。

「言っておくけど、私は本気で桃矢の居場所を見つけたいの。そのためにはどんな手段も辞さないつもりでいる。呑気に探偵ごっこに興じているあなた達とは違うの」

 わたしはむっとした。探偵ごっこなどと……わたしだって真剣にやっているのに。

「元より、自分にとって一番大切なものが何なのかも分からないような、軽い気持ちで生きている人達に理解されたいなんて微塵も思わないわ」

 それは……わたしは昨日のやり取りを思い出す。彼女が問いかけ、そしてわたしが答えに詰まった、あの言葉。

 家族より、友達より、恋人より大事なものはないのか?

 その答えはいまもなお見つけられていない。いや、そもそも答えなどあるのだろうか。

「そういう事だから、ここでの話は終了。私ももう少し調べなきゃならないから。あなたにも見せた、あの暗号についても考えなきゃならないし」

 そうだった。あの奇妙な数字が並んだ暗号文。あれを解くための手掛かりも探していたのだ。結局今日中に見つけることは出来なかったけれど……。

「通学路の所まで案内するわ。もう暗くなってきたし、早くついておいで」

 この人の高慢な態度はどうしたら直るのだろうか。そう思った時、彼女とのすれ違いざまに里子が言った。

「もう一つだけ、訊いてもいいですか」

 小野寺さんは歩みを止めて言った。「なに?」

「すでに調べがついているなら、正直にお答えしてくれませんか。この倉庫をかつて所有していたというメーカーとは、何なのかを」

 小野寺さんはじっと里子を見つめた後、「本当に侮れない子ね」と呟いて、答えた。

「太刀川製薬よ。あなたも知っているでしょう」

 太刀川製薬。どこかで聞いたような気がするけど……思い出せない。

「里子、何だっけ。太刀川製薬って」

「覚えてないんかい。以前に携帯のニュースで見せたでしょ。治験の不正を告発されて医薬品業界の第一線から遠ざかった、あの太刀川製薬だよ」

「ああ、あの色々サボっていた企業か」

「本当に覚えてなかったんだな……まあ、その辺が柚希らしいけど」

 それは褒めているわけではないよね、絶対。

「どうやらあなた達は私の敵ではないみたいね。だったら、今後は私の調査にも問答無用で協力してもらうから。味方なら当然でしょ」

 ちょっと待て。敵じゃないと思ってくれるのはいいが、味方であると認めた覚えは全くないぞ。わたしはひとこと異議を申し立てる事にした。

「あの、そうやって何でも敵か味方かで判断するのはやめてくれませんか」

「どうして?」

 そっちこそどうして訊き返す。今さらだけど、疑問を挟む余地があるだろうか。

「だって、そう言われてやらされる側はいい気がしませんし……」

「あのさ……」小野寺さんはニヤリと笑った。気味が悪いです。「毒を食らわば皿までって言葉、知ってる?」

 知っています。この人、共犯者意識につけ込む気だ。本当に手段を選ばないな。わたしと里子は手を取り合って怯えていた。

「こんな所に足を踏み入れた以上、私と運命を共にする覚悟を持たないと」

 ようやく理解した。彼女がわたし達をここに連れてきたのは、不法侵入の共犯者に仕立て上げて、自分の味方に引きずり込むためだ。

「今後もちょくちょく連絡するから、そっちも頭を働かせなさいよ。私と桃矢のために」

 策士・小野寺芳花の謀略にまんまと乗せられたわたし達は、彼女の背中をただ見つめることしか出来なかった。本当に、得体の知れない存在だ。

 それにしても……人が自殺したり、一歳半の子供が捨てられたり、あまりよくないことばかりが起きている印象が強い場所だ。何か変なものに取り憑かれているのではないだろうか。全く、縁起でもない。


「はあ、参ったわね、あの人には……」

 午後六時を過ぎて、すっかり暗くなった帰り道を歩いていると、里子がため息をつきながら言った。文句を言いたくなる気持ちは十分に分かっていた。

 小野寺さんとは通学路に差し掛かったところで別れた。しかし、あとから地図で調べてみたところ、あの工業地区からわたし達の住む地区へはもっと近い道があったのだ。とはいえ、小野寺さんがその道を知らなかった可能性もあるし、日没を迎えて暗くなった中で慣れない道をゆくのは危険すぎたから、小野寺さんの案内に従って正解だったのかもしれない。結果としてかなり遠回りになってしまったとしても。

「本気でわたし達を自分の都合に巻き込むつもりなのかしら」

「なんか、昨日も暗号の件でわたしを巻き込もうとしていたからね……しかもわたしを完全には信用していない段階で」

「くそっ、成り行きとはいえ、彼女の口車に上手く乗せられてしまった……」

 これで、ほどほどの日常にしばらく戻れなくなった里子は、悔しさを滲ませながら悪態をついた。わたしは心の中で詫びた。里子が巻き込まれるきっかけを作ったのは、他でもないこのわたしだから。

「暗号といえば、里子、今日の調査で暗号解読の手掛かりになりそうなものはあった?」

「いいえ」里子はかぶりを振った。「もしかしたら、あの暗号は喜田村先輩のプライベートにまで突っ込まないと分からないのかもしれない。それなら、一番近い所にいるのはあの小野寺って人になるけど……」

「あの人も暗号は解けていないみたいだし、プライベートにも手掛かりはないのかな」

「どうかしらね。あの人は『考えなきゃいけない』と言っただけだから。すでに解読して得た答えについて考察するという意味にもとれるでしょ」

 なるほど、そういう考え方も出来るのか。さすがに里子は頭の回転が速い。

「じゃあ、小野寺さんは暗号が解けているかもしれないって事?」

「あくまで一つの可能性だ。普通に額面通り、暗号の解読法について考察するという意味かもしれないし。わたしの心証としては、六対四で後者かな」

「たぶんその事については、本人に訊いても正直に答えてくれないだろうね」

「少なくとも、こちらが嫌な顔をしているうちは、な」

 わたし達が小野寺さんと対等に渡り合える日はいつ来るのだろう。その日を迎えるまでにかかるであろう、途方もない年月に嘆息が漏れそうになる。

「明日は学校休みだけど……どうする?」

「気の済むまで調査すればいいじゃない。喜田村先輩がかつて預けられていたという養子縁組あっせん事業所に、行ってみるという手もあるし」

「そうだね。そこからなら新しい手掛かりが得られるかも。里子も来てくれる?」

「……まあ、柚希を一人で行かせるわけにはいかないしね。どうせ暇だし」

 髪をいじりながら里子は答えた。小野寺さんの関与がある以上、本当に一人で行くことになるかどうかは分からないが、どちらにせよ、一緒にいてくれるのはありがたい。

 しかし、暇だと言った直後、里子の表情が曇った。

「あれ……? 本当に暇か?」

 里子はさっと携帯を取り出し、追い詰められたような形相で操作し始めた。そして、しばらく画面を凝視した後、涙目でわたしに顔を向けた。

「ごめん、明日から塾の夏期講習があるの、すっかり忘れてた……」

「里子、塾なんか通ってたの? 知らなかったけど」

「滅多に行かないからね」堂々たるサボり宣言。「夏期講習も、事前に行く日と行かない日を決めておいたんだけど、まさかその初日が明日だったなんて……」

 両手で顔を覆って嘆いているところ悪いけど、ひとことだけ言わせてほしい。自分で決めて携帯にメモまでしたスケジュールを忘れるなよ。

「というわけで、すまないが明日の調査は九時半までしか付き合えない」里子は両手を顔の前で合わせた。「それ以降は一人で頑張ってくれ。ご武運を祈る」

「いや、別に一人で行くのは構わないけどさ……」

 そこまで真剣に謝罪されると、こっちも反応に困るのだけど。いやいや、世の中やっぱりそう上手くいくものじゃないな。

 やがてわたし達は、大型商業施設が立ち並ぶ賑やかな界隈へと辿り着いた。わたし達の家がある住宅地はここから歩いてすぐの範囲にある。もうすぐ七時になるというのに、この界隈には高校生らしき人達が何人も行き交っている。その中には、一目見てカップルだと分かる男女の組も存在している。

「……わたし達も、ああいう人達の仲間入りを果たせるのかなぁ」

「お前は何回わたしを巻き込んだら気が済むんだ」

 この手の話題にてんで興味を示さない里子に、無理やり振るのはよくなかったな。わたしもいい加減、無益な発言は慎むようにしないと。

 その時だった。わたし達の前方、十メートルほど離れた所を横切るカップル。その片割れの男性に、わたしは見覚えがあった。思いがけず歩みが止まる。

 坂時勇也先輩だ。そう、わたしが先日、占いに背中を押されて告白し、振られてしまった相手である。わたしの知らない女性と談笑しながら寄り添って歩いている。こちらの存在に気づいている様子はない。

「柚希……」

 呆然とその様子を見ているわたしに、里子が心配そうに声をかける。

 こうやって誰かを気にかけることが、わたしの経験の中にあっただろうか。気にかけなければならない場面に出くわせば、わたしは恐らく手を差し伸べる。でも、十七年生きてきた中でそんな場面に遭遇した事があるかといえば……なかったかもしれない。

 ずるいなぁ。わたしはふっと笑った。普段他人の事など気にかけない里子に、この手の事で先を越される時が来るなんて。

 里子はきっと、わたしが坂時先輩に振られた事を思い出し、しかもそれから数か月で他の女の子と付き合い始めた事に激しく動揺していると思っているのだろう。冷静に見ればその程度の事なのに、その事でわたしを心配するとは、里子もずいぶん繊細になったものだ。まあ、それもまた里子らしいと言えるけれど。

 しかし、その心配は杞憂に終わりそうだ。わたしは里子に微笑を向けた。

「大丈夫だよ。わたし、もう気にしてないからさ」

 だから心配はいらないと言いたかったのだけど、果たして上手く伝わっただろうか。里子はまだ悲痛そうな面持ちでいるが。

「……ねえ。もし喜田村先輩を見つけられたとしても、柚希の恋が報われるとは限らないだろ? そうなった時、わたしは何をすればいい……?」

 里子はわたしの制服の袖口をつまんだ。それはわたし一人の事情のはずなのに、里子はまるで自分の事のように不安を抱いているみたいだ。

 わたしは、袖口をつまんでいる里子の右手に手を添えた。

「ありがとう、心配してくれて。里子は……わたしのそばにいてくれるだけで、すごく心強いからさ、それだけでいいんだよ……」

 わたしは心の底からそう告げた。そして決めた。

 里子がどんな気持ちでいようと、わたしは友達としてそれを受け止める。その先に、どれほど辛い事が待ち受けていたとしても……。


 そんなわたしの決意を嘲笑(あざわら)うかのように、この日の夜、凄惨な事件は発生した。

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