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18の肖像  作者: 深井陽介
第二章 中途半端な正義と友情
14/40

―4―


 わたし達は客間に通された。二人並んで柔らかいソファーに腰かけ、先輩の母親が供してくれたお茶をすする。いいのだろうか、たいした用事もなく上がりこんだ他人の家で、こんなにくつろいでしまって。

「そういえば、ご主人はお仕事ですか?」

 里子が、向かいに座っている先輩の母親に尋ねた。わたしはすでに、質問の切り出しを親友に任せていた。里子より上手く立ち回れる自信が全くなかったからだ。

「ええ、隣の地区の工場で作業員をしているの」

「工場、ですか?」

「自動車の部品作りをしている工場なの。もう十五年も前からやっているわ」

 十分にベテランの領域だ。それにしても、自動車の部品作りか……喜田村先輩はその姿に影響されたのだろうか。本人はエンジニア志望だと言っていたが。

「それでは、先輩はそんなお父さんの背中を見て、自然と電気工学や機械工学を勉強したいと思うようになったんでしょうか。あるいは遺伝とか」

「うーん……多分どちらでもないわね。そもそも、遺伝云々の前に、桃矢は主人の血を受け継いでいないもの」

「え?」里子が訊き返した。「どういう事ですか?」

「そっか、やっぱりあの子、学校でその事は話していないのね」

 それ以前にわたし達は、喜田村先輩から自分の話を聞かされたことがほとんどない。唯一聞いているのは希望していた進路だけだ。

「もしかして、お母さんの連れ子ですか?」

 先輩の母親はかぶりを振った。「それも違うわ。私たち夫婦はどちらにも血を分けた子供がいない。桃矢は、施設に預けられていた所を私たちが引き取ったのよ」

「つまり……特別養子縁組?」

「そうよ。桃矢は六歳の時に私たちと法的に親子関係を結んだ……だけど当然、血の繋がりは全くないのよ」

「六歳……今から十二年前ですね。ご主人が工場で働き始めて三年ほどですか」

「実を言うと、私たちが引き取る以前から、桃矢は機械いじりが好きだったらしくて。だから、桃矢の機械好きは主人の影響でも、ましてや遺伝でもないのよ。それを言うなら、桃矢を産んだ本当の母親か父親のどちらかの遺伝かもしれないけど」

 なんだか予想に反して少し重い話になってきた。わたしは耐え切れず訊いた。

「あの、先輩はその事をご存じなんですよね?」

「物心つき始めた頃に引き取ったから、私たちが改めて説明するまでもなく、何となく理解してはいたみたい。もっとも、特別養子になれば元の両親との間に法的な親子関係は無くなってしまうから、今さら私たちの間でその話題を出す事はなかったけどね」

「先輩もまた、そんな複雑な出自を人に軽々しく明かす気にはなれなかったでしょうね」

 まあ、言うほど複雑な話ではないかもしれないけど。たぶん、わたしが話に上手くついていけないから、そう感じるだけだろう。

「その、喜田村桃矢先輩を昔預かっていた施設って、今もあるのですか?」

 再び里子が尋ねた。

「さあ……引き取ってから一年くらいは頻繁に連絡をしてきていたけど、それ以降はさっぱり来なくなったわね。こっちも施設に連絡することなんて滅多にないから、まだ存続しているのかどうかも分からないわね」

「それでは、最近も施設の人が連絡したり接触したりしたことはないのですね?」

「ええ。もしかしたら、桃矢が一人で外出する時に、ひょっこり出くわした事はあるかもしれないけど、桃矢が話してくれるとは思えないから……」

「先程、警察の人にもおっしゃっていましたが、先輩は自分のプライベートを親御さんにも話されていないようですね」

「私たちがあまり干渉しないせいでもあるのでしょう。桃矢には、私たちの事は気にせず好きな事をして大丈夫だと言っていたから。子供が真剣にやりたいことに、親が口を挟むのはどうかとも思っていましたからね」

 それは本心なのだろうか、と一瞬思った。根拠があるわけじゃないけど、なんとなく彼女の言葉には、喜田村先輩と血が繋がっていない事が親子仲の決裂に結び付くのではないかという、微かな不安が感じ取れる。下手に口出しをしたら、実の親子でない事を引き合いに出されてしまうかもしれない、その可能性を否定できないでいるのではないか。

 先輩がそんな事を言う人だとは思えないけど、これはひとえに先輩の親がどう考えているかという問題だ。先輩とろくに話した事のないわたしの印象など当てにならない。

「先輩は進路について不安を抱えている様子はありませんでしたか?」

「警察にもその質問はされたわ。若者が失踪する原因の中には、将来への不安から逃避したいという衝動もあるって。でも桃矢には、そういう不安を抱いている様子は微塵も感じられなかったわ。この間の期末考査の結果を見ても、目星をつけている大学や専門学校には余裕で入れるレベルだったもの。だけど、息子本人は期末考査の結果に苦笑していたのよね」

 その理由は大体察しがつくというものだ。わたしは尋ねた。

「それって、同着一位の人がいて、順位表で一つ下になったからですか?」

「やっぱり知っていたのね。ええ。一位を取ったのはいいけど、素直に喜んでいいものかどうか複雑な気分だって言ってたわ。私も主人も、一位である事に変わりはないのだから気にする程度じゃないって言ったのよ。本人は釈然としなかったようだけど」

 少しはその気持ちも分かるかも……などと軽々しく言える立場にわたしはない。半端な点数で一喜一憂しているうちは、共感を求められる事もないのだ。

「そういえば、お二人は桃矢とどのような関係なの?」

 先輩の母親から逆に質問されて、わたしと里子は同時に顔を強張(こわば)らせた。さっきは適当な事を言って入らせてもらったけど、後からこういう質問が来る事は想定して然るべきだった。今さら本当の事を打ち明けたら、もう二度と話をさせてくれないかもしれない。しかしこれ以上嘘を重ねるのはこちらの心身が持たない。

 どうしようか必死で思案を巡らせていると、里子がこんな事を言った。

「実はこいつが、喜田村先輩のファンなんですよ」

 里子の指先はわたしに向いていた。おい、いきなり何を抜かすか。親友を売るつもりであるとしか思えない発言の後に、里子は続けた。

「それで、先輩の所属している野球部のマネージャーを希望しているのですが、何せ野球の事など完全に埒外ですから、このままだと足手まといになるだけだと心配した喜田村先輩に、色々野球の事を教えてもらっていたのですよ。わたしは特に野球など興味なかったのですが、友達として一応何かサポートはしないといけないと思いまして」

 そう来るか。咄嗟(とっさ)に思いついたにしては上出来すぎる嘘に、我が親友ながら大変に感心というか唖然としてしまう。先についた嘘としっかり繋がっている上に、わたしや里子、それに喜田村先輩の性格にも合致している。足手まといというのは余計だが。

「あら、そうだったの」そして先輩の母親はあっさりと信じた。「あなたも友達思いなのね」

「そんなことはありませんって。こいつにはちょっと借りがあるもので」

 これは嘘です。むしろわたしの方が里子にたくさん借りを作っている。それにしても、そこまで力強く否定することはないと思うけど。

「まあ、借りがあると言っても、わたしが自発的にサポートしようと思い立ったのは事実ですけどね。基本的に、こいつに懇願されたら断る気になれないもので。こいつも、何かあれば大抵わたしに協力を頼みますから」

「うふふ、信頼し合っているのね、あなた達は」

 キラキラ輝く友情がここにあると思ってくれたなら、それはそれでいいのだけど、里子のこの苦し紛れのフォローについては、後できっちり問い質す事にしよう。里子の一連の発言、見ようによってはわたしを(おとし)めているようにも取れるのだ。ただの被害妄想かもしれないけど。

 さて、もうこれ以上手掛かりを得るのは難しいかな。そう思って里子に目配せすると、里子もそれに応えて頷いた。しかし、里子からの質問はこれで終わらなかった。

「すみません、そろそろわたし達もお暇します。その前に、最後に一つだけ訊いてもいいですか」

「いいわよ。何が聞きたいの?」

「喜田村桃矢先輩が昔預けられていたっていう施設の名前を、教えてもらえますか」

「確か……『貴船(きふね)オン・ユア・マーク』って名前よ。変わっているでしょ? 一見して、養子縁組あっせん事業所だと分からなくて、ネットで検索した時も迷ったくらいよ」

 確かに分からない。養子縁組あっせんという事は、養子に貰われるのを待っている子供を預かっている所のはずだけど、名前にそんな雰囲気はまるでない。

「それは迷いますね」里子も苦笑した。「でも、何となくそのネーミングに決めた意味も分かる気がしますが……」

 ではこれで、と言って客間を先に出ていく里子。またしてもわたしは置いてきぼりを食らいそうになる。先輩の母親に何度も礼を言いながら、慌てて里子の後を追いかける。

 母親は玄関の所まで、わたし達を見送ってくれた。誰が見ても憎めない人だ、わたしはその姿を見て思った。


 喜田村先輩の家が見えなくなる所まで離れて、わたしは里子に追いついた。

「待ってよ、里子。出ていくのが速すぎるよ」

「そんなに速かったかな」里子はこちらを見ずに言った。

「ひょっとして、逃げたくなったの?」

 わたしがそう言った途端、里子は肩をびくっとさせた。

「図星か……かなり無理していたみたいだね。普段嘘なんて滅多につかないのに」

「柚希」里子は振り返った。「あの家でわたしが慣れない嘘を言ったのは、あくまでも柚希の願いを叶えるためだから。わたし自身は、嘘をつくのが嫌いなの」

「里子……」

「隠し事とはぐらかしは好きだけど」

「さっきの感動を返せ」

 お前はそれ以上に余計な発言が好きだろうが。

「だから最初ははぐらかすくらいで済むと思ったんだけど、なかなか上手くいかないものだ。結局、ありもしないお話を初対面の人に信じ込ませることになってしまった。軽々しく嘘などつくものじゃないな。こっちも寝覚めが悪くなりそうだ」

 かなり現実の設定を混ぜた嘘だったが……いや、それでも嘘である事に変わりはない。里子がこういう性格だという事はわたしも承知していたのに、無理をさせてしまったのはなんだか申し訳ない。

「ご、ごめんね。こんな事につき合わせちゃって」

「気にしなくていいよ。どうせこんな経験は今回限りだろうし」

 それは、まあ……知り合いが行方不明になって、その追跡調査のために口八丁で情報を得る、そんな機会がそうそうあるわけもない。

「うん、里子にあまり無理をさせないためにも、一刻も早くこの事件を解決しないと」

「決してあんたが主体的に解決するわけじゃないがな」

「もう、それは言わずもがなだよぉ」

 こんなやり取りをしている所に、彼女は突然現れた。

「楽しそうね」

 聞き覚えのある声に振り向くと、電柱の陰から左半身だけ見せてこちらに鋭い視線を送る小野寺芳花さんがいた。どこぞの家政婦みたいな登場シーンに、わたしと里子は瞠目してすくみ上がっていた。

「お邪魔だったかしら。美しき女の友情を確かめ合っている最中に」

「いや、別に美しくはないので」

 がん。里子に即否定されて、わたしは軽くショックを受けた。

「では二人で漫才の練習でもしていたのかしら?」

「なんでやねん」わたしは関西風に突っ込んだ。「こんな所で漫才の練習なんかするか」

「冗談よ」

 わたしはようやく、彼女にからかわれている事に気づいた。相変わらずこの人、性格にかなり難がある。

「ここで何をしていたかは、大体予想がついてるわ。あなた達、桃矢の居場所を探ろうとしているんでしょ」

 小野寺さんは腕組みをしながら電柱から離れた。たぶん隠し続けるのは無理だろうと判断して、わたしと里子は同時に頷いた。

「どこまで掴んだの?」

「……それを、あなたに話さなければなりませんか?」

 断っておくが、わたしは小野寺さんへの警戒心を解いていない。小野寺さんがする事の邪魔をする気はないが、簡単に協力できるほど彼女を信用していない。

「いいえ、無理して話す必要はないわ」小野寺さんは肩をすくめた。「あなた達の場合、ほとんどゼロの状態から桃矢の事を調べているでしょうけど、わたしは桃矢との付き合いを通して彼の事をいくつも知った。アドヴァンテージがどちらにあるのか、それくらいは分かるわよね?」

 喜田村先輩の事をより多く知っている自分の方が、有利な立場にある。そう主張したいわけだ。露骨に他人を見下す発言は、一向に治まる気配がない。

「わたし達が素直に話せば、あなたが握っている情報を与えることもあると?」

「それはあなた達が握っている情報の度合いによるわね」

 わたしは口をつぐんだ。彼女に言いたいことは山ほどあるが、客観的に見てもわたし達が得ている手掛かりは少ないと言える。喜田村先輩の行方を探すという目的のために、最大限の情報収集は不可欠だ。彼女が何か、わたし達の知らない情報を持っているなら、それを得ることに何を躊躇うというのだろう。

 すると、ずっと黙っていた里子が、わたしの制服の袖を指で引っ張った。どうやら耳打ちをしたいらしい。わたしは里子の顔に耳を近づけた。

「この人は恐らく、わたし達が喜田村先輩の失踪に関わっているかどうかを見極めようとしている。だからこそ、あえて自分のカードは後出しにしようとしているんだ」

「それって、わたし達が握っていない情報を示す事で、わたし達の反応を見ようとしているって事?」わたしは小声で訊き返した。

「彼女が柚希に接触してきたのも、恐らくそれが理由だ。彼女は昨日の時点で喜田村先輩の失踪に気づいていた。そして、その事に柚希が関わっている可能性を検証するために、柚希に近づいたんだ。いまここに現れたのも、恐らく同じ理由だと思う」

「昨日のやり取りで、わたしが何も知らない事は分かったと思ったんだけど……」

「駄目押しが欲しいんだ。昨日のやり取りを聞いた限りだと、この人も喜田村先輩の行方を探そうとしている。わたし達がこの件に無関係だと分かれば、何としても味方に引き込もうとするはずだ。逆にわたし達への疑いを完全に晴らせなければ、何をしてくるか分かったものじゃない」

 わたしの制服の袖を掴む、里子の手が震えている。まだ怖がっているのか。確かに未だ得体の知れない存在ではあるが。

 小野寺さんに視線を向ける。彼女は腕組みをしたまま、無言でこちらをじっと見つめている。この人が無表情で凝視すると、睨みつけているようにしか思えない。確かに、疑惑をしっかり解消できなかったら、本当に何か酷い事をしでかすかもしれない。

 これって遠回しに脅迫されてそれに屈した形になるのだろうか。でも、喜田村先輩の捜索に集中したい時に、小野寺さんという脅威に怯えていてはいられない。

「……分かりました。全部というわけにはいきませんが、お話します」

「全部じゃなくても十分よ。そっちの調査の具合を知りたいだけだから」

 調査の具合を知るために全部を聞かなくて十分なのか? いや、この人に常識的な感覚を求めても無駄だという事は、昨日の段階でそれこそ十分に分かっていた。

「まず、これは野球部の監督から聞いた事ですが……」

 わたしはここまでで調査して手に入れた情報を、(つまび)らかに説明した。しかし、冷静に説明してみると分かるが、意外にたいした情報を入手できたわけじゃなかった。喜田村先輩が失踪したと思われるタイミング、そこから浮かぶ第三者の存在、そして先輩が施設から引き取られた子供であったこと……小野寺さんなら知っていそうな事実ばかりだ。

「そういうわけで、最後に先輩が預けられていた施設の名前を聞いて、家を出ました。わたし達が掴んだのはここまでです」

 先輩がご両親とプライベートな話をあまりしなかった事は、あえて言わなかった。言うまでもなく小野寺さんは知っていて、いま話題に上らせる意味はないと思ったのだ。

「そうか……」

 小野寺さんは目を伏せて、何か考え始めた。わたし達の説明を聞いた上で、何を話すべきか整理しているのだろうか。一分ほどの思案ののち、彼女は顔を上げた。

「二人とも、場所を変えてお話しましょう。ついて来て」

 そう言ってわたし達の反応も見ずに背中を向けて歩き去って行く。傍若無人というか、本当にもう少し他人の存在を気にしてもいいのではなかろうか。こういう人が社会に出たら、確実に鼻つまみ者の扱いを受けると思うのだけど。

 ……いや、たとえそんな扱いを受けても、彼女は露ほども気にかけないだろう。

 里子が体を寄せて小声で話しかけた。

「あの人、昨日もあんな感じだったの?」

「……はい、あんな感じです」

 物語の登場人物みたいに性格が固定されている人間は、現実にはそうそうお目にかかれないけれど、小野寺芳花は、良くも悪くもぶれない性格の持ち主だった。

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