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里子の言うように、今のわたし達に出来るのは野球部への聞き込みくらいだ。しかもそこで何も得るものがなければ、自動的に行き止まりとなってしまう。そうなった時、わたし達は何をすればいいのか……うん、何も出来ない可能性が高い。
所詮は高校生が興味本位でやっている事だからなぁ。などという虚しい気持ちを抱えながら、時間は無情に過ぎていく。恐らくはわたしも含めて誰もが悶々とした気分でその後の授業に臨んでいて、今日は全く授業にならなかったかもしれない。先生の質問にもまともに答えられなかった生徒が続出していた。
そんなぐだぐだの状態を引きずったまま放課後を迎えると、わたしは早速里子を連れて野球部のグラウンドへと向かった。現状で手掛かりを得られそうな唯一の場所。真っ先に向かわなくてどうするというのか。
……まあ、向かったとしても、どうもできないけど。
さて、一縷の望みをかけてグラウンドへ行ってみたけれど、意外にもすでに女子生徒が十人ほどベンチの周りに集まっていた。怒号が飛び交っている様子は、遠くからでも容易に確認できた。
「どうやら、またしても同じ穴の狢だったみたいね」
「そうだよね……考えてみれば、喜田村先輩を慕っている人の中には、何が何でも事情を知りたいって人が確実にいるはずだよね」
「ま、そう落ち込むなって。手掛かりが得られるかどうかは、探る側の力量も多分に影響するものだからな」
「その力量が果たしてわたしにあるのかしら」
わたしの素朴な疑問に、里子は言葉を詰まらせた。
「それは……本人の努力次第だろうね。それに、現時点で手掛かりが得られそうなのは野球部くらいだけど、今後他にも見つかる可能性は十分にある。柚希自身が途中で諦めたりしなければ、まだ道は開けると思うよ?」
「そ、そうだよね。落ち込んでいる場合じゃないよね」
微妙に腑に落ちない所もあるけれど、里子に励まされたわたしはやる気を取り戻す。
しかし、ベンチの周りに群がっている人達が退散してくれない事には、こちらも必要な情報収集が出来そうにない。期末考査直後の群がりと違って、彼女たちの用事がいつ終わるのかは全く見当がつかない。ただここでじっと待っているのは時間の浪費だ。
とりあえず、怒号を飛ばしている集団に近づいて、彼女たちが諦めて散っていくタイミングを見極めよう。同時に、話を聞けそうな人が現れないか探そう。そうした提案をしてくるのはもちろん、頼もしい親友にしてサポーターである里子だ。
やがて何人かが集団から離れて行き、野球部員も彼女たちの相手をする事にいいかげん嫌気が差したようで、怒鳴り続ける彼女たちを放置して練習を始めた。これ以上有益な情報を得られないと感じたのか、残っていた女子たちは全員グラウンドから離れていった。部員は一様に解放感に溢れた表情を浮かべていた。
こうなると、新たな問題に直面しそうだ。その事を里子に告げると、里子も同じ事を感じ取っていたらしく、神妙に頷いた。
「確かに、質問の洪水に呑まれ続けてようやく解放されたばかりで、同じような質問を受け付ける人がいるとは思えないね。しかも、去って行った彼女たちの様子を見る限り、野球部員に訊いても有益な情報は得られなかったみたい」
「どうする? ここも空振りに終わりそうな予感がするけど」
「少し質問の内容と姿勢を考え直さないと。ちょっと待ってね……」
里子は額に手を当てながら考え始めた。何事にも消極的な里子が、こんなふうに時間をかけてじっくり考える姿は、わたしも初めて見たかもしれない。
やがて、一回軽く頷いた後、「実験開始だ」と呟いて、わたしの手を引いてベンチに近づいていく。なんと里子が選んだ質問の相手は野球部の監督だった。
「すみません、ちょっといいですか」
「ん? 何だ?」監督は腕組みをしたまま答えた。
「わたし達、三年の喜田村桃矢さんに用があって探しているのですが、どちらにいらっしゃるかご存じありませんか? ここにはいらっしゃらないようですが」
すっとぼける気か。案の定、監督は呆れたような表情を里子に向けた。
「お前、聞いてないのか。喜田村は一週間以上も前から行方不明なんだぞ」
何だって? 聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたけど。里子は、わざとか本気なのか驚いてみせた。
「え、一週間以上も? そんなに前から聞いていたらさすがに気づくと思いますが」
「仕方がないだろう。遠征はそれより前から始まっていて、その時は普通に参加していたが、泊まりがけの練習が始まった当日になって、一身上の都合とかで不参加を申し出てきていたんだ。おかげで、遠征が一段落して忙殺から解放されて、家の方に連絡した時にようやく事情を知ったんだよ」
「家の方は何も知らなかったのですか?」
「俺も担任から聞かされただけで詳しい事は知らないが、当日、親には普通に遠征に行くと言って出掛けたそうだ。泊りがけになる事は親も知っていたから、行方をくらましている事はそれこそ昨日になって知ったらしい」
何だろう、このしっくりこない感触は。まるで、遠征が終了するまで喜田村先輩の失踪が誰にも気づかれないように、タイミングを計っているみたいじゃないか。
「それは……かなり心配ですね」
「もちろんあいつの身の安全も心配だが、今年の大会では主力選手としてスタメンに入れていたんだ。無事に戻って来てくれないと、試合に悪影響を与えかねない。何より他の選手が求心力を無くしているせいで、まとまりに欠けている上に勢いも足りない」
「確かに困りますよね。こっちも大事な用があるのに……。何か失踪の原因に心当たりはないのですか?」
「全くない。失踪する前日まで普段と変わった様子はまるでなかった。そう主張しているのに彼女たちは全く信用しようとしない。参ったものだよ」
監督は頭をがりがりと掻きながら悪態をついた。
「彼女たち?」
「ほら、君たちの前にここに来て色々怒鳴っていた連中だよ。本当は野球部に何か重大な問題があったのに、それに気づかないでいたか隠蔽したんじゃないかって、口々に勝手な事を言ってくれる。まあ、どうやら彼女たちは喜田村の熱心なファンみたいだから、熱くなりすぎて冷静になれないのも無理はないかもしれないが」
そこまで言うというなら、野球部が何か隠しているという可能性はなさそうだ。ちょっとでも疑ってしまったわたしをお許しください。
「そうでしたか。お疲れのところ、お邪魔してすみませんでした」
そう言って丁重に頭を下げる里子。どうせこれも演技だろうが、心情を汲み取る振りをする事で、上手く相手の心証を良くすることに成功したようだ。本当に、普段なら思いついても絶対にやりたがらないのに、やればここまで上手く事を運べるのだ。頼りになるのかならないのか、今ひとつ判断しかねる存在である。
これで訊きたいことは全て訊いた、という雰囲気で監督に背を向けて離れて行く、その途中で思いついたように里子は振り返って言った。
「あ、そうだ。もう一つだけ訊いてもいいですか?」
「何だ?」監督はやはり迷惑そうに言った。
「泊まりがけの遠征の初日に、喜田村先輩から不参加の通達があったんですよね」
「そうだが」
「それって、電話で直接聞きましたか?」
「いや、俺の携帯にメールで送って来た。その時は、よほどのっぴきならない事情があるんだとしか思わなかったけれど」
「ありがとうございます。訊きたいことはこれで全部です」
里子はそう言ってまた丁重に頭を下げたが、監督も今度は怪訝な表情を見せた。最後の里子のセリフは、質問するためにここに来たと解釈できる内容だったのだ。喜田村先輩に用事があるから、という理由を最初に話していたはずなのに。
里子はその事に気づいていないのか、それともわざと疑わしいセリフを言ったのか、何事もなかったかのように平然とその場を去って行く。わたしは、これ以上怪しむような視線に耐える事はできなかったので、そのまま里子の後を追った。
グラウンドを出たところで里子に追いつき、わたしは言った。
「ねえ、さっきの話ってどういう事? 監督の話じゃ、喜田村先輩が失踪したのは昨日じゃなくて、遠征で連泊する直前という事になるよね?」
「そうね」里子は振り返って言った。「しかも時間通りに家を出たのは間違いないけど、連泊には参加しなかった。その旨はメールで伝えられた」
「電話じゃなくメールで、というのが気になるね……」
「考えられる可能性は二つ」里子は右手の人差し指と中指を立てる。「遠征の集合場所に向かう途中で非常に厄介で大事な所用を思い出し、電話で事情を話せば埒が明かなくなると考えて報告をメールで簡単に済ませて目的の場所に向かったか、もしくは……」
「集合場所に向かう途中で何者かに拉致されて、犯人が、その事を誰にも悟られないようにするために、先輩の携帯でメールを送ったか、だね」
里子は慎重を期すためにあえて可能性を二つ挙げたけど、たぶん里子も、後者の方がありうると考えているだろう。いくら何でも、遠征で連泊する直前に思い出したところで、連泊を欠席するとは考えにくい。監督も言っていたように、喜田村先輩は主力選手の扱いを受けていたのだから、大会の練習の方が何倍も重要度が高いはずだ。もちろん、それを上回るほどのっぴきならない用事が存在しないとは言い切れないが……かなり確率は低いと考えていいだろう。
九分九厘、先輩は誘拐されたと考えるべきだ。なんだか、わたしの想像を遥かに超えて大袈裟な事態になってきた。
「どうする? その可能性が高いと分かったいま、この件はわたし達の手には負えないと思えて来ないか?」
「…………」わたしは必死に考えを巡らせる。「警察は、先輩が誘拐された可能性に気づいているのかな」
「断定はできないけど、気づいていてもおかしくない。警察も、先輩の親が行方不明者届を提出してすぐに、失踪した経緯を調べたはずだ。その際には当然、いまのわたし達が得ている情報が全て耳に入る。となれば、同じ結論を出した可能性は高いね」
「それじゃあ、警察もちゃんと先輩の行方を探してくれるんだね?」
「事件性が否定できない以上は確実に動くでしょうね。大規模な捜索はかけないかもしれないけど。でも、当たり前だけどそれは、確実に先輩が見つかる事を保証するものじゃない。実際は、行方不明者届が出されても未だ発見に至っていない人は、数万人単位で存在すると言われている」
数万人。予想以上の桁の高さにわたしは驚いた。
「そんなに行方が分からない人っているんだ……」
「もちろん所在が確認されたケースも同じくらい存在するよ。ちなみに警察が届出として受理した行方不明者は、十代が一番多いそうだよ」
そのデータは一体どこで、そしてどういう経緯で見たのだろうか。
「一応監督の証言を信じるとすると、先輩には自発的に失踪する理由はない。となると、誰か第三者の関与を疑うのが筋でしょうね。誘拐とは限らない。それに、失踪をしばらく誰にも気づかれないようなタイミングを計ったのが、その第三者であるとも限らない」
「先輩がそうしてくれって頼んだ可能性もあるの? それは無理があると思うけど」
「でも否定はできない。いまの時点ではね」
「結局分かったのは、先輩の失踪に別の第三者が関わっている可能性が高い、って事だけかぁ。必死に動き回っても、調査の進捗具合は完全に牛の歩みだね」
わたしは肩を落とすしかなかった。もちろんやっている事は素人による探偵の真似事だから、上手くいかない確率の方が高いのは分かりきっていたけど。
「こうなったら、喜田村先輩の家に行って親御さんに直接話を聞いてみるしかないな」
「えぇっ? 週刊誌の突撃取材じゃあるまいし、そんな上手くいくものなの?」
というか、里子がそんな無謀な行動に出ること自体がすでに驚きだ。
「週刊誌の記者だって、一般家庭に突撃取材をしても追い返されるのがオチだよ。それにもしかしたら、わたし達にとってはこっちが狙い目かもしれない」
「どういう事?」
「わたし達は先輩と同じ高校の生徒だから、喜田村先輩が心配だから色々調べないと気になってしょうがないと言えば、話を聞かせてもらう事は出来るかもしれない。それに、他の生徒は来ない可能性が高いから、確実に情報を手に入れる事は出来る」
「なんで他の生徒が来ないって思うの?」
「想像してみて。もしこの場にわたしがいなくて、代わりに柚希がこれを思いついたとして、真っすぐ喜田村先輩の家に行くことが出来る?」
想像してみた。わたしが自発的に先輩の家に行く事があるか否か……。
答えはすぐに出た。
「……行きづらい。憧れの喜田村先輩の家ってだけで、足がすくむかも」
「先輩の行方を探ろうとするのは、とりもなおさず先輩を慕っている人だ。それは言ってみれば一方的な感情だから、喜田村先輩の意思を無視して自宅というプライバシーに踏み込むのは、気が引けると誰もが考えるだろうね」
一方的な感情とは失敬な。まあ間違ってはいないけど。
「それでも、話を聞きたいという人はもしかしたらいるかもしれない。だから他の生徒が来ている可能性もゼロじゃない。でもまあ、かなり少数派でしょうね」
「そういう人って、よほど喜田村先輩の事を愛しているんだろうなぁ。わたしはそこまでじゃないって事なのかなぁ」
「あ、そこで落ち込むのね。安心して。土足でプライバシーに踏み込んで来る人を好きになる人間なんて、まずいないから」
またしても里子に励まされた。ちっとも感情がこもっていないけれど。
「で、どうする? 行ってみる?」
さっきも言ったように、自分が勝手に恋い慕っている相手の家に行くのは、非常に気が引ける。でも、ここで引き返す事は出来ない。最後まで諦めないと決めたばかりだ。
「もちろん、行くよ。駄目で元々だもの、当たって砕けるくらいじゃないと」
「ついこの間まではその慣用句に否定的だったのに……」
「そうだっけ?」
今度はわたしがすっとぼけた。




