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18の肖像  作者: 深井陽介
第一章 少しばかりお付き合いください
10/40

―9―


 小野寺さんに案内された場所は、台橋高校から一キロほど離れた所にある緑地公園だった。確かに平日はほとんど人がいない。休日でもジョギングをする人が通る程度だ。近くに遊具などもないので、小さな子どももあまり寄りつかない。デートスポットでもないので、同年代の人もそれほど見かけない。

 ここに到着するまで、わたしの先を歩く小野寺さんは一度も振り返らなかった。楓の樹木に挟まれた遊歩道の途中にきて、ようやく彼女は振り向いた。

「ここならゆっくりと話ができそうね」

 わたしは半眼で見返した。小野寺さんは首をかしげた。

「……何か?」

「いえ、立ち話というのを本当に立ちながらするとは思わなかったので」

 そう、ここは遊歩道の途中で、座って休憩できるベンチも柵もない。まさか地面に腰かけて会話をすることなどあるまい。

「? 何も間違ってはいないでしょう」

 小野寺さんはきょとんとして言った。この人には常識的な感覚がないのか。反駁するのも時間の無駄だという気がして、わたしは早速聞きたかった事を訊いた。

「もういいです。それより、小野寺芳花さん、でしたよね。喜田村先輩とはどういう関係なのですか?」

 すると小野寺さんは、仏頂面で右手の小指を立てて言った。

「元、コレ」

 わたしは頭が真っ白になり、平衡感覚を一瞬で失った。そしてそのまま、根元を切られた樹木のように、後ろ向きにバタンと倒れた。

 地面に背中を打ちつける痛みで、はっと気がついた。わたし、地面に横たわっている。

 すぐさま体を起して目の前にいる彼女に不満をぶつけた。

「ちょっと! 支えるくらいの事はしてもいいんじゃないんですか?」

「はあ? 何で私が?」

 その疑問は存在していいのだろうか。目の前で倒れそうになっている人がいたら、反射的に体を支えるのが普通のはずなのに。それが一切手を出さずにただ見ているだけで、その事を指摘すればこっちがおかしいとでも言うような反論をされる。こんな理不尽があってなるものか、とは思ったが黙っていることにした。話がある向こうはわたしを帰してはくれないだろうし、その間に色々手酷い事を言われそうな気がしたのだ。

 わたしはなんとか気を落ち着かせて言った。

「何でもないです。小野寺さん、喜田村先輩と付き合っていたのですか?」

「たった今そう言った」

 いちいち神経を逆撫でさせる人だな。

「……いつ頃まで?」

「期末試験が終わった頃に、桃矢から別れようと持ちかけられた」

 喜田村先輩から離別を告げられたのか。てっきりこの人から別れを切り出したのかと思っていたのだけど……というのはあまりに失礼か。

「差し支えなければ、別れた理由というのを教えてくれませんか?」

「そろそろ受験勉強に集中したいから、とか言っていたけど、私はそれを建前だと思っている。その程度のことで関係を断ち切るほど、彼は平凡な人間じゃないもの」

「それは分からなくもないですが……」

「自分を慕ってくれる人への配慮なのかもしれないけど、どうもそれだけじゃないような気がする。これは私の直感だから、根拠があるわけじゃないけど」

「それだけじゃないって、他にどのような理由が?」

「私はそれが知りたいのよ。彼が別れを切り出した理由をはっきりさせたいの」

 喜田村先輩の言い分がそこまで信用できませんか。それとも、別れを切り出されたこと自体を受け入れられないほど、先輩に好意を抱いていたのか。どちらにしても、わたしでは彼女の希望に沿う事はできそうにない。

「あの、さっきも言いましたが、わたしも喜田村先輩の事はそれほどよく知りません。先輩が誰かと付き合っていたということ自体、いま初めて知ったくらいで……」

「でしょうね。そうでなければファンレターなんか渡すわけがない」

「ファンレター、なんか……?」わたしは頬を引きつらせた。

「それは仕方ない。彼、私と付き合っていることは誰にも知られないように徹底していたから。SNSでもそんな話は一切出ていなかったはずだしね」

 その通りだった。昨日調べた限りでも、喜田村先輩と誰かが付き合っているという噂は全く流れていなかった。だからこそ、先程彼女から喜田村先輩と付き合っていたという事実を突き付けられた時、わたしは卒倒するほど動揺したのだ。

「どうしてそこまで徹底して付き合っていることを隠していたのでしょう……」

「彼、知っての通り誰からも人気だから、特定の誰かと付き合っていることが知れたら、自分を慕ってくれる人ががっかりする人が出てくるから……」

「まさか」

「と、彼は言ってた。そんな殊勝な性格ではないと思うけどね」

 この人も本気にはしていなかったか。うん、わたしも違うと思う。

「まあ、結果論的に彼は有名人になっているけど、あれでも結構控え目な性格だからね。もしくは私が何かの噂の対象になるのを防ぎたかったのかも」

 それなら多少は理解できるかもしれない。わたしにはそう思えたのだけど……。

「でもこれもないかな。私のことを気にして別れるなんて筋が通らないし」

「筋が、って……小野寺さん、それでよく喜田村先輩と付き合えましたね」

 わたしが呆れながら言うと、小野寺さんはすました顔で返した。

「ん? 何か気に入らないところでも?」

 山ほどあるよ。でもとりあえず言わないことにした。

「そもそも、どういうきっかけで付き合う事になったんですか?」

「忘れたよ、そんなこと。どこかでたまたま出くわして話が弾んで、そのままトントン拍子で付き合う事になったとか、そんな所じゃない? よくあることよ」

 そんな他人事のように……曲がりなりにも恋人としての付き合いを重ねていたのに、その相手に対してもあまりに扱いが淡白すぎる。

「それにしても、ずいぶん詳しく知りたがるものなのね。そんなに気になるの?」

「当たり前です」わたしは胸を張って言った。「わたしだって喜田村先輩の事は強く慕っていますから。振られてしまったあなたにだって負けませんからね」

 嫌味のつもりで言うと、小野寺さんは表情を変えることなく告げた。

「ファンレターひとつ渡すのに、友人の手助けが必要なくらい緊張していたあなたが?」

「……何でそこまでご存じなんですか」

「そのファンレターを渡したの、私が桃矢と別れる直前だったからね。その時の様子を本人から直接聞いたの。他の人が普通に渡していた中で、一人だけなかなか渡さないから彼も覚えてしまっていたわよ」

 他人から指摘されるとこんなにも恥ずかしいものなのか。わたしは羞恥の極致にあって両手で顔を覆いながら、答えを聞くのが恐ろしい質問をした。

「もしかして……(あざけ)っていましたか?」

「私はね」

「でしょうね」それは予想していたよ。

「でも桃矢はそうしなかったわ。あなたにも他の子と同じように、ちゃんと心を込めて返事を書くと言っていたし。よりによって私の目の前で」

「……恨みました? わたしや、他のファンの子のこと」

「ちょっとだけ。でも私は桃矢を独占する気なんかなかったし、桃矢が大事にしたいものを私が否定するのは筋違いだと思ったからやめた」

 それほど恨まなかったのなら安心したけど、何となく判断が理屈っぽいな。

「あの、差し出がましいようですけど、喜田村先輩が別れを言いだした理由なら、本人に訊いてみるのが一番確実じゃありませんか? 少なくとも、赤の他人のわたしに訊くよりは、何か分かることがあるかもしれませんし」

 すると、小野寺さんはやっと表情を変えた。眉をひそめて言った。

「……知らないの? あなた」

「え?」

「まあね、それができればこんな苦労をしなくていいのかもしれないけど。一応言っておくけど、私はあなたの事を完全に信用しているわけじゃない」

 指を差されながら言われたけど、それは何となくわたしにも分かっていた。

「だから、あなたが何も知らないと頑なに主張しても、それを頭から信用することはないと思って頂戴。あなたからすれば理不尽極まりないでしょうけど」

 そこまで分かっているなら少しは自重してくださいよ。

「わたしは別に、嘘なんかついていませんけど……」

「そう。まあそういう事にしておきましょうか。ところで」小野寺さんは携帯を取り出して言った。「メアドを交換してくれない? 番号も教えてくれるといいんだけど」

「唐突すぎます。というか、完全には信用していない人とメアド交換すると?」

「ええ。この場で応じてくれなければ、私は即座に、あなたを疑わしい人物に指定するから」

 軽く脅しをかけてきたな、この人。もっとも、わたし自身が彼女をあまり信用していないから、そんな人に勝手に疑われようと構わないのだけど。

 しかし……立ち位置は依然として彼女が優勢だ。相手の情報はなるべく多く持っていた方がいいだろう。里子に相談するときにも困らなくて済むだろうし。

 わたしは携帯を取り出して赤外線通信アプリを開いた。

「分かりました。メアド交換しましょう」

「物分かりが速くて助かるわ」

 そしてわたしと小野寺さんはメアドと電話番号を交換した。

 わたしは一体何をしているのだろう。ため息でもつきたい気分になっていたわたしの目の前で、小野寺さんは早速携帯で何かの操作をしていた。直後、わたしの携帯にメールの着信が入った。交換したばかりの小野寺さんのアドレスだった。

 どうせろくな内容じゃないに違いない。そう思いながら開いてみると、別の携帯からのメールを転送したものだった。その中身は……。


『'10,15{12} '82,2(3) '75,4(2) '23,11(1) '10,19(4) '10,2{23} '75,6{21}

 '75,16(1) '11,1(2) '23,7{13} '99,8{97} '23,2{16} '11,12(4) '31,7(3)

 '64,14(4) '82,7(2) '99,4(3) '10,14{53} '10,8{52} '11,10(1) '97,5{25}』


「……何ですか、これ? 暗号ですか?」

「これ、今朝来たばかりのメール。桃矢から」

 喜田村先輩から小野寺さんへのメール? はたから見れば文字化けしたようにしか思えない。もちろんそれはあり得ないわけだが。

「こんな暗号めいたメールを送ってきたことなんて、今までに一度もなかった。桃矢がいったい何を企んでいるのか、私にはさっぱり分からないの」

「企んでいるだなんて、ずいぶんな言い草ですね……」

「もしくは、彼の身に何か起きたのかもしれない」

 一瞬、聞き間違いかとも思った。彼女の言葉の意味が理解できなかった。正確には、その理解で正しいのかと思ったのだ。

「……どういう、ことですか?」

「知りたければあなたで調べればいいじゃない。どうしようもなくなれば、私に泣きついてきても一向に構わないけど」

 いい加減に堪忍袋の緒が切れそうだった。さっきから人を見下すような発言ばかりして。

「あの、さっきからずいぶん配慮に欠けた物言いばかりしますけど、それがあなたのニュートラルポジションなんですか?」

「あら、私があなたに配慮をする意味がどこにあるの?」

 脱力するしかなかった。駄目だ、この人の常識を問い質すだけ時間の無駄だ。話が全く噛み合わない。というより、話を合わせる気がそもそも無いようだ。

「私は意味のある事しかやらないわけじゃないけど、自分で必要ないと思ったことは他人にどう言われようとやらない主義なの。他人からやれと言われて疑いなく行動に移すのは大馬鹿者のする事だと思っているから」

 鼻持ちならないな。少しは理解できるし、そう思ったことがないわけでもないが、わたしへの配慮もそのカテゴリに含まれるのかと思うと、到底素直に頷けない。

「それじゃあ、喜田村先輩が別れを切り出した理由を知る事は、小野寺さんにとって必要な事なのですか?」

「当たり前じゃない。自分が腑に落ちていない事を放置して、自分の気持ちを誤魔化したところでどうなるっていうの。高校生としての最優先課題は勉学だけど、次点で優先するものはこれ以外にない」

「では、わたしに喜田村先輩のメールを転送したのは? わざわざアドレスを交換するくらいなら、直接見せた方が早くないですか?」

「決まってるじゃない」彼女はこともなげに言った。「あなたにもこの訳の分からない暗号を考えてほしいのよ。あなたを完全に信用しているわけじゃないけど、目的達成のためには手段を選ばない方がいいものね」

 なんて危険な人種だ。そんな事を言ったら、世の中にある犯罪者やテロリストの行動までも正当化されてしまうじゃないか。わたしの中の彼女に対する警戒心が跳ね上がる。

「まあ、あなたと繋がりを持っておいた方が、得することもあるだろうし」

「どういう意味ですか?」わたしの頬筋がぴくりと動いた感覚がした。

「あなたが私にとって敵か味方かを判断するには、あなたの行動を逐一(ちくいち)知っておく必要があるからね。あなただって大体同じ事は考えていたんじゃない?」

 確かに、彼女の指摘は大きく外れてはいなかった。わたしも彼女の事は今ひとつ信を置けていない。しかし、わたし自身の名誉のために言っておくが、メアド交換に応じたのは単純に情報収集のためであって、小野寺という人が信頼できるかどうかを判断する目的はなかった。彼女みたいに、最初から相手の事を疑っているという事もない。

 わたしは彼女を敵だとは思っていない。喜田村先輩を巡る恋のライバルだとしても、彼女を蹴落とすような真似はしたくない。別れたとはいえ、彼女もまた先輩の事を好きだったことは間違いないのだから。その気持ちを踏みにじるのは、何というか……わたしの信条に沿わない事だ。もっとも、敵だと見なさないとはいえ、彼女の行動には信頼に足る所が全くと言っていいほどない。彼女の主張を疑うことはしないけれど。

 一方で彼女は、わたしを敵と見なす事も厭わないどころか、わたしの言動もそれほど信用していないように思える。しかもそれを隠そうともしない。わたしが彼女に信を置く事が出来ないのは、それが理由であるところが大きい。

「わたしは、そこまで大それたことは考えていません」

「そう。でも、私の邪魔をするようだったら容赦はしないからね」

「しませんよ、そんな心外な。わたしだって喜田村先輩のメッセージの意味は気になりますし、出来るなら答えを知りたいです。だからそれを追究しようとしている小野寺さんを邪魔する事はありません」

 大体、この人の邪魔などしたら、地獄のような報復を受けることになりかねない。

「それならいいけど。じゃあ、あなたも私に知恵を貸してくれるのね?」

「はい。まあ、わたしの知恵なんて高が知れていますけど……」

 それはもう、昨日の携帯を使った調査で痛いほど身に染みています。

「なんか、影が差してるわよ、あなた」

「それに、わたし成績もよくないから勉強もしなきゃいけないし、この暗号を考えている時間が確保できるかどうかも分からなくて……」

「それってあなたの本心なの?」

「え?」その手の返しが来るとは予想していなかった。

「ファンレターを送るくらい桃矢の事を想っていて、あなた自身もそれを強く肯定したのに、それを差し置いて勉強を優先する、それが本当にあなたの本心なの?」

 もちろん本心ではなかった。本音を言えば、時間の許す限り喜田村先輩の事を考えたいと思っている。この暗号の事も何より集中して考えたい。だけど、現実問題としてそれが可能かどうかと言われれば、無理があると結論づけざるを得ない。この人も言ったが、高校生としての最優先課題は勉強だ。常識的に考えればそっちを優先するのが当然だ。

 だが、彼女はそんな常識的感覚にどこまでも否定的だ。

「成績が低調である事は横に置いておくとしても、自分で本当にやりたいことを素直にやった方が、後悔しなくて済むと思わないの? あなただって、流れの中で自分の優先順位を決めているわけじゃないでしょ」

「いや、まあ、その通りですけど……でも、友達からも家族からも、もっとちゃんと勉強した方がいいって言われていますし」

「つまらない事を言うのね。今のあなたにとって、家族より、友達より、恋人より大事なものはないわけ?」

 その言葉でわたしは、思わず彼女の顔を見た。彼女は真っ直ぐわたしを見ていた。それを見て、わたしはこの問いかけが本気である事を察した。

 わたしにとって、家族より、友達より、恋人より大事なものは……?

 とても即答できるものではなかった。ないと答えることは可能だけど、確信を持って言えるかどうか……そう答えれば、わたしにとっての優先課題の判断を、先延ばしにすることになりかねないのだ。

 里子の姿を思い浮かべる。遠慮のない物言いは時々棘を感じさせるけど、わたしの事をしっかりと考えて、寄り添ってくれる。わたしは、里子の言う事はいつも正しいと思っている。それは、里子がわたしのためを思って言っている事だと信じているからだ。

 そんな里子を上回るくらい大事な存在が、わたしの周りにあるのか。あるいは、里子と同じくらい大切なわたしの家族より、大事に出来るものがあるのか……。

 分からない。今のわたしには、何も分からなかった。

「よく考えなさい」小野寺さんが言い放った。「あなたにとって、本当に大事なものを」

 わたしが何も言い返せないでいる間に、話は終わったとでも言わんばかりに、彼女は踵を返して去ってしまった。わたしは彼女を止められなかった。止める言葉もなかった。

 不安が襲いかかる。わたしの手元から、里子も、家族も、そして恋い慕う先輩も失われてしまった時、わたしには何が残るというのだろう。もしくは、その瞬間が恐ろしくて想像も出来ない事が、これ以上に大事なものがない事の証明になりうるのか。

 空っぽだ。今まで自覚できていなかったけど、わたしはここまで空虚な存在なのか。

 遊歩道の真ん中に一人、ポツンと立ち尽くすわたし。巨大な迷路の奥に入り込んでしまったみたいに、前にも後ろにも進める気がしなかった。

 ただ一つ分かった事がある。わたしにとって一番大事じゃないのは、わたしという存在そのものだという事だ。


 喜田村先輩が失踪した事を知ったのは、その翌日の事だった。

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