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檻の中のチェーカ  作者: 清水遥華
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Blue Snake


Blue Snake



半熟の黄身を口に含むチェーカを見ていると、やはり隣の青い壺が気になってしまう。


林檎を恵んだ俺に対しても指一本触らせようとはしなかった。


きっと何か思い入れのあるものなのだろう。


俺は溜息をひとつついて、壁に飾ってあるだけの窓を開けた。


長年積もりに積もった埃が鼻を刺激してくしゃみが出そうだ。


「へっくしょいっ!!」



出た。




部屋全体に染み付いた汚染物質が外に流れていくのが心地いい。


深呼吸を何度も繰り返し、肺に篭った空気を吐き出す。


もう一度チェーカを見ると、彼女はベーコンの切れ端を摘んで壺の中に入れた。


「そろそろ教えてくれないか、チェーカ」


「この壺の中身のこと?」


「そう、燻製を作る訳ではないだろう?」


チェーカは一度壺の中を覗き込んで「出ておいで」と呟いた。


すると、小さな入り口からぬるぬると、壺と同じ深く青い蛇が現れた。


見るからに毒を持った蛇だ。しかしなぜ彼女はこんなものを大切にしているのだろうか。


蛇はちろちろと可愛い舌を出し入れし、つぶらな眼でこちらを見つめている。


「おいおいおい危ねぇぞ」


「彼女は私の友達だよ。アズって言うの...雨で弱ってたけど、今は大丈夫みたい」


「そうか。ベーコンをあげていたけど、蛇って死んだもの食べるのか?身内の死骸は食べるって聞いたが」


「わからない、でもアズが食べてるから。食べるんじゃないの?」





少し沈黙が続き、話題に困った俺は、今後のことについて切り出した。


「どうする。このあと」


「...わからない」


軽食をたいらげたチェーカは、しおらしい顔をして俯いた。



ところで、俺は衰弱した猫に缶詰を与えるのは偽善だとは思わない。

己の良心に従って行動するべきだと思う。


今回もそうだ。



もちろん彼女を手放すつもりもない。


だが、問題はどうやって養っていくかだ。こんなしけた場所じゃ彼女を健全に育てられるはずもない。




しばらく考えたあと、俺の頭にある案が浮かんだ。


「チェーカ。芸をするのはどうだ?」


「芸?でも私、秀でているものなんて何も...」


「そうだなぁ...笛を吹いてその蛇を操ったらどうだ?」


「操る?アズは友達だよ!友達を操るなんて」


「わかったわかったよ。友達なら協力するんだな」


チェーカが初めて感情的になった。

彼女とアズの絆は俺が思っている以上に深いということか。




俺は次の日から、警備員以外にも仕事に就き、独立した見世物小屋を創るための資金を貯めた。


朝は早く、夜は遅く、薬をうつ暇もなく毎日が慌しく過ぎていった。




「ほらよ」


テーブルの上に白い笛を置くと、チェーカは不思議そうにそれを触った。


「これは...?」


「笛だよ。ほら、インド人がよく笛を吹いてコブラを踊らせてるだろ?」


チェーカはゆっくりと笛先を口につけ、音を出してみる。


穴から空気が漏れるような間抜けな音が室内に響いた。


「ふひゅ〜!!」


力んだ顔の彼女を見て、俺は思わず吹き出してしまう。


「ぶふっ、なんだよそれ。ちゃんと穴を塞がないと綺麗な音が出ないぞ」


「指が攣りそう」


確かに、小さな彼女の手では笛の穴を指で塞ぐのは難しそうだった。


「貸してみろ」


俺は笛を取り上げると、蝋とライターを持って、ある小細工作りをした。


穴の周りに少量の蝋を落とし、輪っか状に延ばす。均等に、崩れないように。


熱を冷まし、蝋が固まった頃、もう一度彼女に吹かせてみた。


「ほら」


「あ、塞ぎやすい」


一頻り笛を撫でた後、彼女は美しい音色を奏でる。


人の悲鳴しか聞いていなかった俺にとって、その音は何よりも清らかで美しく感じた。


「凄い!楽しい!」


「あとはアズが踊るだけだな」


そう、問題はこれからだ。

どんなに音色が美しくても、やはりインパクトに欠ける。


青く綺麗な蛇が壺の中から現れてこそ、彼女の芸は完成すると俺は考えていた。



2年間、俺は身体に鞭打って働き続けた。


チェーカを児童福祉局に連れて行こうとしたが、「働くから捨てないで!」

と言われてしまった。


別に捨てる訳ではなかったのだが、親からネグレクトされ、病気を放置された彼女は、上辺だけの付き合いを何よりも嫌っていたのだ。確かに何も見えない分、新しい社会に出るのは不安だろう。


拾うだけ拾って、いきなりぽいっと人任せにするのはどこか無責任な感じがしたので、しばらく様子を見ることにする。


彼女は街で笛を吹き、少額ながらもお金を稼いでくれた。




その頃、俺にとって警備員の仕事中は妄想の時間となっていた。


独立したらどんな見世物小屋にするか、どんな従業員を雇うか。


時々ニヤついてしまって、同僚から気味悪がられたりもした。



「マーレモートさんが撃たれた!!」



上の空だった俺の耳に、疑い深い言葉が響いた。


まさか営業中に団長が撃たれるとは。


俺は急いでマーレモートのもとへ向かおうとしたが、役人に阻まれ、持ち場に戻れと追い返された。



渋々持ち場に戻ると、そこには信じ難い光景が広がっていた。


奴隷達の大反乱だ。彼らは警備員から武器を奪い、次々と関係者達を襲っている。


(ついに来たか)



人間が人間を支配する以上、反乱のリスクを負わなければならない。


支配者をくだす時が来たのだ。


俺は血まみれになっている同僚を助け出し、テント裏へと避難した。


正直こんな職場どうなろうが関係ないが、奴隷達が自由を手にした代わりに、俺の貴重な収入源が途絶えてしまった。




家に帰ると、雰囲気で察したのか、いつもよりチェーカが気を利かせてくれた。


(なにガキに気を使われてんだ俺...)


チェーカはどこかうきうきとした表情をして、冷蔵庫から何かを取り出した。


「こ、これ、スタンプが遅くなるから作ってみた。見えないから...わからないけど、頑張った」


彼女は頭をぽりぽりと掻き、俺の前にその皿を置いた。


焦げた目玉焼きとトースト、歪な形の野菜。


俺の頭に、これらを一生懸命作っている彼女の姿が浮かんできて、物凄く愛おしく感じる。


「ぷっ、焦げてんじゃねーか」


「...あ、やっぱり」


「今度一緒に作るか。しかし、これはこれで美味いな」


俺は豪快に黒くなったそれらの食べ物を食らい、涙を流した。


それは焦げたトーストが苦かったのか、彼女が優しかったからなのか、わからない。


ただ、嬉しさを隠して前髪を弄る彼女はとても微笑ましかった。


数日後、一命を取り留めたマーレモート団長に呼び出され、俺は彼の家へ向かった。


職務を怠ったことへの叱責だろうかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。



門を構えている豪邸に入ると、マーレモートは快く俺を出迎えてくれた。


ビクトリア式の内装は、まるで王侯貴族のような生活を彷彿とさせる。


メイドの淹れてくれた紅茶を啜りつつ、若干頬がこけたマーレモートに本題を切り出す。



「それで、お話とは」



彼は額にできた皺をなぞりながらこう言った。


「見世物小屋を経営したくはないかね」




意表を突く言葉だ。マーレモート・セルペンテ、彼は超能力者か何かだろうか。


「この私めがですか?」


「あぁ、以前君に話したことがあったろう?ほら、あれだ」


そう言えば、かなり昔だが、給料を受け取る際に「君は見世物小屋をどう思う」と聞かれたことがあった。


何と答えたかは忘れたが。


「君は見世物小屋に偏見を持っていない。私は偏見を持っていたからこそこのような結果に終わった」


マーレモートの目はどこか遠いところを見ているようだった。


「君さえよければ、身寄りのない奴隷を使ってもう一度Funny Slaves をやってみないか?」


この男、今回の事件が相当こたえたのだろう。


俺はしばし考えてから、彼にこう言った。


「わかりました。やらせてください。ただ、やるからには、全て私がやります」


「資金もいらないというのか」


「はい。その代わり、今後一切関わらないでほしい」


怒号が響くのを覚悟の上だった。しかし、彼は怒りを見せず、逆に肩の荷がおりたかのような安心した表情をした。


「そうか...任せたぞ。スタンプ団長」

















俺は翌日から、この事業に着手した。

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