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檻の中のチェーカ  作者: 清水遥華
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Blind Girl

Blind Girl


シワをつくった紙幣に刷り込まれたコカインの臭いも気にならなくなり始めた。


黄ばんだソファがある俺の部屋には、煙草と、それと違う酸っぱい異臭が充満している。


(そろそろか...)


朝8時、俺は汚染された部屋から出て外の清澄な空気を肺に吸い込んだ。


十数分、街の南西に向かって足を進めると、俺の勤務地が見えた。


Funny Slaves


この地方で有力な見世物小屋だ。

団長のマーレモート・セルペンテは奇形の奴隷を安値で仕入れ、過酷な労働環境で働かせていた。


俺はここの警備員だ。

しけた給料でしけた毎日を過ごしている。


毎日奴隷が鞭で叩かれ血生臭い芸をさせられているのを見るのも慣れてしまった。


俺は警備箇所に配置されると、奴隷が叫ぶ声の回数をかぞえて暇を潰す。


声をあげない奴隷は、喉が潰れたか、痛みになれたかのどちらかだ。


どちらにしても未来はないが。



彼らの性格を把握するのもなかなか楽しい。


(あの奴隷はよく嘘をつくな...責められると思ったら左上を見て言い訳している...あそこの奴隷は...)


奴隷は酷使され、すぐに息絶えるが、その都度新しい奴隷が入荷されるので人員不足の心配はない。


大量輸入、大量消費。


それを人の命でしてしまうこのマーレモート・セルペンテは、俺が見てきた人間の中で、1番地獄に堕ちるべき存在だろう。まさに悪魔だ。



毎日毎日、奴隷たちの悲鳴と見物客の歓声でFunny Slaves は大盛況だった。



悲鳴を372回ほど聞いたところで、見世物小屋は今日の営業を終了した。


俺はマーレモートから裸の札を何枚か貰い、帰路につく。彼の後ろでは、役人たちが白い粉を渡していた。



(昔は、こんな仕事してたらいつかイカれると思っていたが、慣れるものだな)


いや、もう既にイカれた後なのだろうか。マーレモートに愛想笑いをしながら、そんなことを考えてしまった。




テントの外に出ると、空はどんよりと曇り、重たい雲が地上にのしかかろうとしているのがわかった。


小走りで住宅沿いを歩く。ふと自分のなかにある違和感に気づいた。



毎回、スラム街に通じる路地を横切るのだが、そこはいつも閑散としている。だが、先ほど俺は横目で人影を見た気がした。一体誰だろうか。



興味本位で、来た道を少し戻り、うっすらと暗い路地を覗く。



そこには、ボロ雑巾のような着衣を纏ったレモン色の髪の少女が座り込んでいた。


彼女の傍らには青い壺が置いてある。



(何だ、乞食か)


俺はジャンパーの胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけようとした。



すると、天から大粒の雫が煙草の先に落ちて、マッチの火もろとも消してしまった。


「チッ...雨の日は嫌いだ」


俺はジャケットで頭を覆いながら自宅まで急ぎ足で帰った。



古びた白い手摺りの付いている階段を昇り、錆びついた鍵で玄関の扉を開ける。





最悪だ。


湿気を吸った衣服と薬物の香り、部屋の一面をぶち抜いて空気を洗浄したい。





雨に濡れた上着とジーンズを脱ぎ捨て、再び黄ばんだソファへと身体を沈める。


無気力、ただ毒を吸って悲鳴を聞いて眠るだけの毎日。


(生きるためだけに生きてるって感じだ...)


服を洗濯するのも忘れ、その日は死人のように眠った。







次の日


灰色に淀んだ空からじとじととした雨が降っている。



俺はいつものように、ヤニ臭い部屋から気怠げに外へ出て、湿った石畳の道を歩いていた。昨日見た路地を何となくもう一度見た。



昨日と同じ影がそこにある。


そこにいる少女は身動きひとつしていなかった。


(そもそもあんな所で金をせびってどうするんだ)


俺の記憶では、この路地を使っている人間を見たことがない。


ということは、彼女は既に息をしていないのではないだろうか。


小さな疑問の種を抱えつつ、俺は勤務に向かった。






その日の帰り道、俺の尻ポケットには薄っぺらい封筒、右手には熟れた林檎が握られていた。



(何してんだろうな...俺)



例の路地に入ると、案の定彼女が石造りの壁に背中をあずけていた。このままだと根が張りそうだ。


俺はゆっくりと彼女に近づき、半歩ほどの距離をあけてしゃがみこむ。


何日も雨晒しになって酷い悪臭が漂っていた。まぁ、俺の部屋の臭いよりはマシかもしれないが。



本当に死んでいるのではないかと疑うほど微動だにしない。


歳は16歳前後だろうか。その顔にはまだ幼さが残っている。





顔を近づけてみると、彼女の黒く汚れた鼻からはスースーと辛うじて息が漏れているのがわかった。


「食うか?」


少し不安になりつつも、右手の林檎を彼女の前に差し出した。


少女は、目ヤニのついた瞼を重々しく開き、俺の顔を見つめた。


驚いたことに、彼女の目は光を放っていたのだ。


比喩的な表現ではない、真夜中に獲物を狙う猫の如く、その目はぎらぎらと輝いていた。


(なんだ...病気持ちか)



俺が差し出した林檎に視線を向けない。


どうやら俺の声に反応しただけで、目の前に林檎があることはわからないのだろう。











眼が見えないから。









俺は汚れた彼女の手を掴み、掌にそっと林檎を置いてやった。


彼女はやっと状況を飲み込めたのか、がっつくように林檎を囓った。


それはまるで獣が一週間ぶりの獲物にありつけたかのように。



(こいつ林檎の芯にまでしゃぶりついてやがる)


俺は呆れ半分に彼女の食事風景を眺めていると、ふと彼女の傍らにある壺が気になった。



深みのある青で塗られたその壺は、一見高級そうに思える。恵んでもらった金を入れるためではなさそうだが、なぜこんなものを...


「それは?」


俺が聞くと、彼女はまた目を見開いて静止した。


「その壺のこと」


盗まれると思ったのか、彼女は壺を抱えると、俺のほうを睨んだ。閃光を放つ瞳孔に釘付けになってしまう。


次の瞬間、俺は恐ろしいものを目にする。







少女が自分の親指の付け根を噛みちぎったのだ。


荒い息をたて、血を流しながら、食らった指の肉を口から出し、壺の中に入れた。正気ではない。俺はすかさず彼女の手を掴んだ。


「おい!何してんだ!」


俺は無性に少女のことが放っておけなくなって、上着を被せて家まで歩かせた。


まるで女を誘拐しているような感覚に陥ったが、そんなことを気にしている場合ではないと、彼女を俺の部屋にあげる。



扉を開けた瞬間、薬とヤニの混ざった臭いと彼女の垢臭さで吐き気がした。


俺はまず先に彼女にシャワーを浴びせ、身体の隅々まで洗った。

歯を磨かせ、髪を整えさせ、大きいが寒くないように俺の服を着させた。



彼女は暴れる体力もないのか、されるがままだった。



「食い物か...」


機械音を一日中垂れ流している古びた冷蔵庫を開ける。中にはお粗末な食料が申し訳程度に入っていた。



「卵、ベーコン、チーズ。とりあえずこれで何か作るか」


少女のほうを見やると、太腿まであるジャケットを羽織りながら椅子に座っている。


よくこんの臭いで吐かないものだ。

俺は長らく使っていなかった換気扇を回した。


「名前は...?」


換気扇のファンはガタガタと音を立てながら回っている。



「チェーカ...」


少しの沈黙のあと、彼女は蚊の鳴くような声で言った。


フライパンの上で弾けるベーコンの脂の音で消えてしまいそうな声だ。


俺はベーコンの上にチーズと卵を落としたものを皿に乗せ、彼女の前に置いた。


彼女は遠慮することなく、手探りでフォークを掴み、食事にありついた。








「俺はスタンプ。Funny Slaves の警備員だ」


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