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檻の中のチェーカ  作者: 清水遥華
2/7

Little Cyclops

「Little Cyclops」


「行くよ、アズ」


チェーカが傍に置いた青い壺に向かってそう言った。


午前9時頃、サーカスが開幕し、従業員の仕事が始まった。


Funny Soul Mates は別のテント内で行われるサーカスの一環として設置されている。サーカスを見に来た観客が、別料金を払ってこちらへ来るのだ。まぁ、初めから見世物小屋に顔を出す物好きもいるのだが。


俺はチェーカの入っている檻に身体を預けながら、一番客が来るのを待った。


「ねぇ、チェーカ」


抑揚を外れた声に若干驚き、チェーカは声のした方向を見る。


どうやら隣の檻にいるモノール・ギヒの声だったらしい。ギヒは単眼症で、小柄な中年だ。


「どうしたのギヒさん。いやに元気がない声で」


チェーカは顔色を変えずにギヒに応える。


「僕の悩み、聞いてくれるかい?」


「うん。お客さんが来たら笛を吹くけれど」


ギヒは禿げかけた小さな頭をぽりぽりと掻くと、口を開いた。


「何で僕だけ、怖がれるんだろう。僕もみんなみたいに愛される人になりたい」


モノール・ギヒはさっきも言ったように単眼症だ。それ故に、見物客からは「怖い」「気持ち悪い」などと心無い言葉を浴びせられる。そしてついたあだ名が「リトル・サイクロプス」


だが、それを言えば4本の脚を持つガンベ夫人だってそうだ。だが彼女はお得意の紅茶の淹れ方や世間話をして、特に男性から人気を得ている。


ギヒは、根は優しいのに卑屈になってしまう癖があるからもったいない。


「私にはわからないわ。あなたが怖がりのおじさんということくらいしか」


彼女の言葉がギヒの心にちくりと刺さった。


「僕が怖がり...?違うよ。怖がっているのは見物客さ。いいよね...チェーカは目が見えないから皆がどんな姿なのかわからないし」


ギヒが卑屈な言葉を吐く。



一瞬の沈黙の後、チェーカは「そう」とだけ言って笛を吹き始めた。


いつの間にか目の前にはトレンチコートを着た一番客がまわってきていた。


笛を吹く彼女を見ながら、ギヒはしまったと後悔の念に駆られたような顔をしている。


「言い過ぎじゃないか」とギヒに釘を刺そうとも思ったが、俺はこの場をチェーカに任せることにした。


透き通った笛の音色と共に、深みのある青い壺からは、壺と同じくらい青い蛇が現れた。


「ほう、これは面白い」


その初老の客は白い顎髭をいじりながら物珍しそうにチェーカの檻を覗いた。


蛇は壺から出て、チェーカの前で蜷局を巻く。


そして徐々にチェーカの身体に近づき、彼女の白い肌に絡みついた。


客は今にも彼女に噛みつきそうな蛇を見て固唾を飲んだ。




蛇は彼女の頬をちろちろと舐めると、今度は頭の上に乗っかった。


「ははっ、蛇を操る盲目少女か」


男は小さく手を叩いた。


「この子はアズ。私の友達なんです」


「噛まれないのかい?多分だけど、その蛇、猛毒持ちだよね?」


「噛みますよ。甘噛みですけど」


「蛇の甘噛み?ははっ、これは傑作だ。面白いものを見せて貰ったよ」


そう言うと、男はテスタ夫妻のほうへ歩いていった。


「やったねアズ」


蛇は彼女の頬をもう一度舐めると、身体をクネらせながら壺の中へ戻っていった。


本当にこの2人?は仲が良い。


少し経つと、テント内にも見物客が複数人見え始めた。


「チェーカ...その。ごめん。さっきは...あの、怒ってる?」


しどろもどろになりながらギヒが脈絡のない言葉を並べる。


チェーカは小さくため息を吐いてから「怒ってないですよ」と言った。


「あなたがたまに卑屈なことを言ってしまうのを知っているし、あなたがそんな自分を嫌っているのも知っています」


「えっ」


「だってギヒさんって、本当は優しいもの」


ギヒは呆気にとられた顔をして大きな目を開けたり閉じたりした。


チェーカはたまに、いや頻繁に核心をつくことを言う。Funny Soul Matesのメンバーはそんな彼女のことを愛しているし、何度も彼女の言葉に救われている。


目が見えないからではない。


彼女は人と人との間に壁を作らないのだ。俺でさえ作ってしまう壁を。



「あ、ありがとう。お客さんにもわかってもらいたいなぁ」


ギヒはそう言って入り口付近にあるラガッツォの檻を見た。


ラガッツォの入っている檻は比較的大きい。彼はオルニスキーを背負いながら、得意のおしゃべりで客をわかせている。


「どうも‼︎俺ラガッツォって言います。そしてこっちがおしゃべりオルニスキー!!」


「おしゃべりとは何だ!?蹴りとばすぞガキ!!」


彼の自虐ネタで見物客はどっと笑った。それにしてもあの2人のコンビは秀逸だ。


見物客は彼らを障害者ではなく、2人の芸人として見入っている。そこに哀れみや同情の目はなかった。


それ程までにラガッツォとオルニスキーは自分のハンディキャップを巧く利用しているのだ。


ギヒは彼らを羨望の眼差しで見つめていた。


「きゃっ、何これ...一つ目...?」


貴族の子連れだろうか。つばの広い帽子とベージュ色のドレスの夫人。黒いハットとコートを着たチョビ髭の男。


そして赤い洋服に身を包んだ幼い少女。髪は綺麗な黒色。


彼らはギヒの檻の前で立ち止まった。


「え...気持ち悪い...」



幼さの残る顔の少女の口から出た残酷な言葉。


ギヒは慣れているようだが、やはり傷ついているようにも見える。


「ね?僕が怖がっているんじゃない。彼らが怖がっているんだ。気味悪がっているんだよ。僕はラガッツォやオルニスキーのように愛されない」


彼は半目でチェーカのほうを見やり、諦めたような顔でそう言った。




「違うよギヒさん」


「え?」


「あなたは怖がられることを怖がっている。堂々としていたらきっと伝わるよ、あなたの優しさ」





チェーカはそう言うと、ジャグリングボールを檻の隙間からギヒに渡した。



「...」


彼は少しばかりボールを見つめてから、それをジャグリングしだした。


「わぁすごい!!気持ち悪いけど、でも可愛いかも...」


少女が目を輝かせて言う。

ギヒは嬉しくなったのか、どんどんジャグリングのスピードを上げた。




「ほっ、よっと...!!あっ」


その時、手元が狂ってボールが四方八方に散らばってしまった。


「あらら、やっちまった」


ギヒはまた禿げかかった頭をぽりぽりと掻いてボールを集めた。


俺は、そのひとつが少女の足元に転がっていくのを見た。


「あ、ボール」


少女がボールを拾ってギヒに渡そうとすると


「ダメよ。変な病気が移るかもしれないわ!!」


夫人が鬼の形相で少女を制した。俺はすかさず檻の前に出る。


「安心してください。彼はそこらの一般人より綺麗好きですよ」


「おや、誰かと思えばスタンプ団長ではないか」


男が顔の筋肉を緩めた表情をして言った。よく見るとこの男、俺の知人だ。


俺がよく従業員を買う時に目にする役人の1人である。あまり話したことはないが、競りの際によく見かける。


彼は俺のことを知っていたみたいだ。


「あぁ、どうも」


俺は笑顔を作って彼と握手をした。





「おじさん。どうぞ」


その間に、少女はボールをギヒに渡した。


ギヒはそれが嬉しかったのか、優しい声で「ありがとう...」と呟いた。


それは、騒がしいテントの中で消えてしまいそうなほど、心の底から振り絞った声だった。


「お父さん、私おじさんとおしゃべりしててもいい?」


「あ、でしたら私が責任を持って見守っておきましょう」


男の返事よりも先に俺が口を挟む。

男は一瞬困り顔をしたが、「君がいるなら」と俺の肩を叩いて他の檻を見てまわった。


夫人は終始機嫌の悪そうな顔をして男の後ろに付いていった。


「ねぇおじさん!!さっきのやつ教えて」


少女は檻に鼻がつきそうなほど顔を寄せて言った。


「さっきの?あぁジャグリングね。コツさえ掴めば簡単だ。ほら...こうやって」


「わぁぁ〜!!」






どうやらギヒに新しい友達ができたみたいだ。


俺はチェーカの入った檻にもたれて「ふぅ...」と息を漏らす。


「よかったですね」


「まぁな。ギヒも見物客が全員同じような人間じゃないことがわかっただろう」


「愛よりも手を差し伸べてくれる人が1人でもいたら、こんなに嬉しいことはないです」



彼女は自分に言い聞かせるように囁いて、傍の青い壺を優しく撫でた。




午後3時。サーカスの閉幕と同時に、見世物小屋も営業を終了した。


テントの幕が閉じられ、照明だけが俺たちを照らす。



「いや〜今日も喋り疲れた〜」


ラガッツォが背伸びしながら俺のもとへ来た。確かに見物客が目の前にいる限りこの2人は喋り続けなくてはならない。


ある意味一番キツいかもしれないな。



「さて、今日も一日ご苦労だったな。今日はゆっくり休んで、明日に備えてくれ」


「はーい」


終わり際は曖昧なもので、しばらくテント内に残って雑談する者や、芸の練習に励む者もいた。



「チェーカ」


ギヒがジャグリングボールを抱えながら彼女を呼んだ。


「ん?」


「今日はありがとう。僕、頑張ってみるよ...怖いって言われても挫けず、怖く思われないように...!!」


チェーカは口の端を吊り上げて笑った。


それを聞いて、近くにいたテスタ夫妻が詰め寄る。


「あぁ〜らギヒさん何があったの?」


「ははっ、まぁ酒でも呑んで語らおうや」


「い、いいですねぇ」





あの少女はギヒに「また来るね」と言っていた。


きっと少女はわかっていたのだろう。大きな瞳の中に見える彼の優しさが。


それでも俺は、いつか彼女のなかにも壁が生まれてしまうのだろうと考えると、少し淋しく思えるのであった。



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