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第三話 失踪事件・オブ・ザ・デッド 1

 その日、私は沢田警部から頼まれ、とある事件の資料を持って捜査一課の事務所へ向かっていた。報告書を作成するために必要なのだという。その事件自体は特に大きなものではなくすぐに解決してしまったが、そういった事件でもきっちりと報告書を書いて提出するのが警察組織である。


「――しかし、この小さな田舎町でこれだけの規模のモノをやるなんて……アリス巡査。これは、大事件ですよ」


 私の後ろで、資料を歩き読みしながら興奮気味の口調で言ったのは、私のボスでバディの雪平警部補だ。赤と黒のボーダーのポロシャツにデニムのタイトスカート、足元は白のスニーカー、という、今日もファッション誌のモデルといった感じの格好だ。ちなみに雪平警部補が読んでいるのは事件の資料ではなく、来月街の美術館で行われるカタナ展のパンフレットである。


「え!? 坂本竜馬が愛用した備前長船の脇差!? それって、八十年以上行方が分からなくなっていたヤツじゃないですか!? スゴイです!! これは、国宝級の逸品ですよ? どこで見つかったんでしょう? 気になりますね、アリス巡査」


 私は雪平警部補をムシして一課の事務所へ入る。ここでヘタに「それはどういうモノなんですか?」と訊こうものなら、軽く一時間は話し始めるだろう。


「おう、有栖。こっちだ」


 一課の事務所に入ると、奥のデスクで沢田警部が手を上げた。捜査一課のベテラン刑事で、私たちがよくお世話になっている人である。


 資料を持って行くと、沢田警部は雪平警部補の格好を見て露骨に顔をしかめた。ノンキャリアの叩き上げである沢田警部は、キャリア組の雪平警部補とは相性が悪い。ましてファッションショーに出演するような格好で勤務されては、誰だって顔をしかめるだろう。


 雪平警部補はカタナ展のパンフレットに夢中で、沢田警部には気づかない。私は沢田警部が怒りだす前に、持ってきた資料を渡した。「沢田警部。例の事件の資料です」


 沢田警部はしばらく雪平警部補を睨んでいたが、怒りを鎮めるように大きく息を吐き出すと、資料を受け取った。「おう。忙しいのに、わざわざすまないな」


「いえ、このところ、前ほど忙しくは無くなりました。今は特に大きな事件は無いので、どちらかと言えばヒマですよ」


 私たちゾンビ対策課は、少し前までは人手が足りず目の回るような忙しさだったが、雪平警部補が転属して来てからは、それが変わりつつある。と、言うのも、以前は解決に手間取っていたような難事件も、雪平警部補がスピード解決してくれるからである。まあ、だからと言って仕事が楽になったかと言えば、そうでもない。どちらかと言えば、以前より私の心労は三倍ほど増したであろう。雪平警部補と捜査するのは、とにかく疲れるのである。


「資料の方はすぐに終わるから、せっかく来たんだから、茶でも飲んでゆっくりして行け」


 と、いうことなので、私たちは沢田警部のお言葉に甘え、少し休んでいくことにした。ソファーに座り、出されたお茶を飲んでいると。


「――だから! 何度言ったら分かるんですか! 彼は家出したんじゃありません! 誘拐されたんです!!」


 事務所に女性の声が響く。声のした方を見ると、受付カウンターで、若い女性が何やらヒステリックに叫んでいた。


「何でしょう? 誘拐とは、穏やかじゃないですね?」雪平警部補も受付の方を見た。


「恐らく、あの女性がお付き合いしている男性が、突然居なくなったのでしょう。誘拐されたのではないかと警察に相談してみましたが、そう断定する根拠は無く、警察としてはまだ事件として取り扱う段階ではない。それを聞いて、女性は納得がいかず感情的になっている――そんな感じではないでしょうか?」


 私がそう言うと、雪平警部補は目を丸くした。なんだ? 私、何かおかしなことを言ったかな?


「……アリス巡査」


「はい」


「すばらしいです。あの女性の言葉から、そこまで状況を推理するとは、成長しましたね。あたしとしたことが、推理でアリス巡査に後れを取るなんて、不覚です。でも、逆に言えば、それはアリス巡査が刑事として成長したということでもあり、赴任当初から面倒を見てきたあたしとしては、子供の成長を見るようで、感慨深いものがあります」


 嬉しそうな顔の雪平警部補。どうやら褒められたようだ。ありがとうございます、と、お礼を言う。もっとも、私としては雪平警部補に面倒を見てもらったつもりはなく、むしろ私が雪平警部補の面倒を見ていると思うのだが、それは上司の顔を立て、黙っておいた。


 私の推理通り、受付の刑事は「現段階では警察は動けません」と、事務的な口調で断っている。それを聞いて女性はますます感情的になり、声を上げる。


「ああ、もう。見てられません」席を立つ雪平警部補。


「雪平警部補。よその課のことに口出しするのは、やめておいた方がいいのでは? それに、あの刑事の言うことはもっともです。失踪者の捜索は、そもそも一課の管轄ではありません」


「そうですが、あんな事務的な態度は無いと思うんですよ。警察官たるもの、どんな時も、親身になって市民の相談を受けなければいけません。捜査できないならできないと、ちゃんとその理由を説明して、納得してもらうべきです」


 そう言って、雪平警部補は受付の方へ向かって行った。まあしょうがない。放っておいて騒ぎが大きくなれば、あの女性が公務執行妨害で逮捕される可能性だってあるからな。


 雪平警部補は、女性と受付の刑事の間に割って入った。「失礼します。よろしければ、あたしがお話を伺いますが?」


「な……なんですか、あなたは?」突然現れた雪平警部補に、不審そうな目を向ける女性。まあ、こんなファッション誌のモデルのような格好をしていたら、誰も刑事だとは思うまい。


「安心してください。こう見えても、刑事です」雪平警部補は警察バッジを取り出して見せた。


 バッジをまじまじと見る女性。「警察の……方?」


「そうです。失踪者の捜索は専門ではないですが、何かお力になれると思います。ここではなんですので、うちの課の事務所へどうぞ」


 一課の人に文句を言われるかとも思ったが、特に何も言われなかった。一課としても、ゾンビ対策課に押し付けることができるなら、それはそれで良かったのだろう。私たちは女性を連れ、ゾンビ対策課の事務所へ戻り、詳しい話を聞いた。


 女性の名は早瀬(はやせ)朱美(あけみ)さん、二十八歳。市内に住む会社員だそうである。


 失踪したのは早瀬さんの恋人、友田(ともだ)(さとる)氏、二十八歳、公務員。四日前の夜、知人に会いに行くとの連絡を最後に、そのまま行方が分からなくなったそうだ。自宅に戻った形跡は無く、職場も、無断欠勤しているそうである。


 私は雪平警部補と顔を見合わせた。確かにこれでは、事件として扱うのは難しいだろう。それどころか、失踪届を出すことも難しいのではないだろうか?


 一般的に、失踪者の捜索願を警察に提出できるのは、家族や同居人、勤務先の雇い主だけである。恋人からの捜索願は、基本的に受け付けることはできない。さらに、仮に受け付けることができたとしても、積極的に捜索が行われるかと言えば、必ずしもそうではない。


 まず、失踪者は、『特異家出人』と『一般家出人』に分けられる。


『特異家出人』とは、幼児や老人など、自分の意思で失踪したとは考えられない人や、なんらかの事件に巻き込まれた可能性のある人、遺書や失踪前の言動などで自殺が考えられる人、などのことである。これらの人は、命の危険があるので、警察も積極的に捜索する。


 それに対して、『一般家出人』は、自らの意思で失踪した可能性が高い人である。これらの人は、警察が積極的に捜索することはない。一般家出人の失踪理由は、借金や恋愛関係のもつれなど、様々である。そういった個人的な事情に警察が介入するのは好ましくないのだ。なので、『一般家出人』に分類された場合、普段のパトロールや交通の取り締まりなどでたまたま発見された場合に、捜索願を提出した人に連絡が行く、という程度なのだ。


「――悟は家出なんかしません! 絶対に、あの女が何かしたんです!!」


 また興奮してくる早瀬さんを、私たちは何とか落ち着かせる。そして、早瀬さんの言う、『あの女』について訊くことにした。


 早瀬さんと友田氏が交際を始めたのは半年前だそうだが、その頃から、二人に対してイタズラ電話や誹謗中傷の手紙・メールが届くなどの迷惑行為が行われるようになったという。同時に、友田氏に対しては、自宅や職場の前で待ち伏せし、しつこく復縁を迫る女性が現れた。


 星山(ほしやま)雪絵(ゆきえ)。友田氏の元恋人だそうである。


 イタズラ電話やメールも、証拠こそないものの、星山雪絵が犯人だと思われた。明らかなストーカー行為であり、警察へ相談することも考えたが、友田氏が「大ごとにしたくない。無視しておけば、そのうちあきらめるだろう」と言うので、ずっとガマンしていたらしい。


 しかし、星山雪絵のストーカー行為は日を追うごとに増していった。さすがになんとかしなければ、と思った友田氏は、星山雪絵と話をするため、四日前の夜、星山さんのマンションを訪ねたそうである。


「悟と連絡が取れなくなったのは、その直後です」早瀬さんは怒りに肩を震わせている。「あたし、悟があの女になにかされたに違いないと思い、マンションを訪ねたんです」


「それで、どうなったんですか?」身を乗り出す雪平警部補。なんとなく嬉しそうなのは気のせいか。


「あの女は、『悟は一時間ほど話をして帰って行った』と言いました。でも、その顔は、何と言うか、勝ち誇ったような、あたしを見下すような、そんな顔をしていたのです。あたしはすぐに分かりました。この女は、悟を監禁している、と」


「女の勘、ってやつですね。分かります」ウンウンと頷く雪平警部補。


「それで、その女を押しのけて、無理矢理部屋の中に入ったんです。悟を助けようと思って」


「うわお。ヤリますね。それでそれで?」すっかり修羅場話にのめり込んでいる雪平警部補。刑事が不法侵入の話を喜んで聞いてちゃまずいと思うが。


「寝室、リビング、お風呂、トイレ、その他、クローゼットやベランダなど、悟を監禁できそうな場所はすべて探したんですが、どこにもいませんでした。でも、絶対あの女が何かしたに違いないんです。刑事さん! お願いです! 信じてください!!」


 またまた興奮してきた早瀬さんを、私たちは何とか落ち着かせる。


「お話は分かりました」雪平警部補は、満足げな表情で言った。「一応、捜索願は受理しておきましょう。本来は家族でないとダメなんですが、その辺は、婚約者としておけば、問題ないですから」


「あ、ありがとうございます」早瀬さんは、深く頭を下げた。


 まあ、話を聞けば捜索願の受理も妥当と言えた。早瀬さんの話が本当ならば、その星山さんという女性の行為は、ストーカー規制法に引っかかる可能性が高い。そうなれば、星山さんのマンションに行ってから行方が分からなくなった友田氏は、命に危険があると判断され、積極的に捜査できるだろう。


 しかし、そのためには星山さんという女性のストーカー行為を証明しなければいけない。早瀬さんの話だけを信じて動くことはできないだろう。最悪、本当のストーカーは早瀬さんの方で、友田氏は早瀬さんから逃げており、星山さんという女性は、友田氏をかくまっている、という、大どんでん返しも考えられるわけだ。


「では、こちらの届出書に記入をお願いします」


 私はテーブルの上に捜索願を置いた。早瀬さんは項目を一つ一つ確認し、記入していく。


「後は、その星山さんという女性のストーカー行為を証明できるものがあればいいんですが、何かありますか? 嫌がらせのメールとかでも大丈夫ですが」


 ペンを止め、考える早瀬さん。「……あたし宛のメールや手紙は、全部処分してしまって……悟の自宅には、あるかもしれません」


「あれば、それを持ってきてください。星山さんのストーカー行為が認められれば、警察も動きやすいですからね」


 ちなみにストーカー行為を取り締まるのは、生活安全課のストーカー対策室という部署である。ゾンビが絡んでいれば我々も捜査に協力できるが、残念ながらゾンビのストーカーなど聞いたことが無い。話を通すくらいが精一杯だろう。


「しかし、恋人が行方不明だと、心配でしょう? お仕事も、手に付かないんじゃないですか?」


 と、何気なく言った私の一言が、またまた面倒な事態を引き起こすことになる。


 早瀬さんは、重々しい口調で言った。「……そうなんですよ。あたし、イベント会社に勤めているんですが、来月、美術館と一緒に、大きなカタナ展のイベントをやることになっていて、その責任者に抜擢されたんです。でも、こんな状態じゃ、とても仕事どころじゃなくて……上司に相談して、イベントを延期するか、最悪の場合、中止してもらうことも考えています」


 ……マズイ。


 マズイマズイマズイ。


 恋人が見つからなければカタナ展は延期、最悪中止になるかもしれない。こんなことを聞いたら、私の隣にいる上司で相棒のめんどくさい人が、またまた大暴走してしまう。


「……アリス巡査」


「……はい」


「これは、ゾンビ対策課はじまって以来の、大事件です」


 ああ、やっぱりか。そっと隣を見ると、事件解決にメラメラと闘志を燃やす雪平警部補の姿が。


「雪平警部補、落ち着いてください。ストーカー対策は、生活安全課の管轄です。管轄外の事件を勝手に捜査するのは、とんでもない越権行為で、バレたら大問題になります」


 などという説得が通じるはずもなく。


 雪平警部補は拳を握りしめて立ち上がった。「これは、カタナ展開催の危機、いえ、善良な一般市民である友田氏の命の危機です! カタナ展が延期や中止されるのを黙って見ているなんて、いえ、恋人がいなくなって悲しんでいる早瀬さんを黙って見ているなんて、あたしにはできません! 早瀬さん。この事件は、我々ゾンビ対策課が、責任を持って解決します。ですから、早瀬さんはカタナ展の開催に集中して、いえ、安心して家で待っていてください。アリス巡査! 行きますよ! 星山さんのストーカー行為を証明するなんて悠長なことは言ってられません! 職務質問をして、ちょっとでも反抗的な態度をとったら公務執行妨害で逮捕して、犯行を自供するまで徹底的に締め上げてやりましょう!!」


 そのままものすごい勢いで飛び出していく雪平警部補。ダメだ。ああなったら、もう誰にも止められない。


 私はとりあえず早瀬さんから星山さんの住んでいるマンションの住所を訊き、雪平警部補を追いかけた。雪平警部補の暴走はいつものことだが、やっかいなことにならなければいいけど。




      ☆





 だが、そんな私の不安は、ハズレることになる。




 今回の雪平警部補の暴走は、結果的には正しかったのだ。この事件にはゾンビが絡んでおり、そして、我々が考えている以上に、事態は緊急性を要していたのである――。







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