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第二話 叙述トリック・オブ・ザ・デッド 1

「ああ! もう! また騙されました!」


 昼下がり、私こと有栖浩一が事務所でデスク仕事をしていると、隣の席の女性刑事が悲鳴を上げた。薄いブルーのミニスカワンピースにサンダルという、刑事というよりはティーンズファッション誌の読者モデルのような格好だ。一週間前、警視庁刑事部捜査一課殺人犯捜査四係から我が警察署のゾンビ対策課に転属になった、私の上司で相棒の雪平警部補だ。ユキヒラ警部補ではなく、ユキダイラ警部補である。


「騙されたって、何か、詐欺事件ですか?」そんな訳は無いと分かっていつつも、私は一応訊いてみる。


「違いますよ。これです!」雪平警部補は、さっきからずっと読んでいた本を見せた。『第二の銃声の殺人交叉点に心引き裂かれて』というタイトルだ。知らない本だが、恐らく推理小説だろう。雪平警部補が読む本は、推理小説か日本刀の写真集しかない。


「その本が、どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもないです! 見事に騙されました!」ものすごく悔しそうな口調の雪平警部補。


「良かったじゃないですか。推理小説に騙されたのなら、それは、その小説のトリックが素晴らしかったということでしょう?」


「アリス巡査、何も分かってませんね。推理小説は奥が深いのです。騙されたからと言って、それが必ずしも良い作品とは限らないのですよ? 前にも言いましたけど、トリックには、驚きと納得の両立が必要なんです。それが、この作品にはまるでありません。こんなトリックは、フェアじゃないです。あたしは認めません」


「どんなトリックだったんですか?」


「叙述トリックですよ! 叙述トリック!!」


 叙述トリック? 初めて聞いた言葉だな。どんなトリックなんだろう?


「……アリス巡査、『叙述トリック? 初めて聞いた言葉だな。どんなトリックなんだろう?』って、顔をしてますね」表情を読む雪平警部補。


「すみません。推理小説には疎いもので」


「のんきなものですね。クスリティの『アクロイド殺し』に関する、フェア派・アンフェア派の、血で血を洗う骨肉の抗争を知らないなんて。いいですか? 『アクロイド殺し』というのは、ミステリの女王の異名を持つ、アガサ・クスリティが一九二六年に発表した長編です。クスリティは知ってますよね? 代表作は、何と言っても『そして誰もいなくなった』ですが、他にも、『オリエント急行殺人事件』や『ABC殺人事件』など、推理小説に疎いアリス巡査でも恐らく聞いたことくらいはあるであろう作品を、たくさん執筆しています。まあ、あたしとしては、『ナイルに死す』とか『メソポタミアの殺人』などの、中東を舞台にしたポアロシリーズがオススメですけどね。ああ、待ってください。『ゼロの時間へ』も捨てがたいですし、『シタフォードの謎』も外せません。困りましたね? クスリティの作品から一本選ぶなんて、ムリですよ。どうしましょうか?」


「……雪平警部補」


「はい」


「叙述トリックの説明だけ、簡潔にお願いします」


「あ、そうでしたね。アリス巡査が知りたいのは、叙述トリックについてでした」


 別に知りたいわけではなく、雪平警部補がどうしても説明したそうだから聞いてあげているだけなのだが。


「何か言いましたか?」ギロリと睨む雪平警部補。


「いえ、何も。どうか、無知なわたくしめに、雪平警部補の高尚な知識をお授けください」


「分かりました。そこまで言うのなら、仕方ありません」雪平警部補はコホンと咳払いをすると、ようやく説明を始めた。「叙述というのは、物事について順を追って述べることを言います。小説で言えば、文章そのものですね。『叙述トリック』とは、文章そのものにトリックが仕掛けられてあるのです」


 文章そのものにトリックが仕掛けられてある? どういうことだろう? まだよく分からない。


「具体的な例を出してみましょう。何がいいですかね……」雪平警部補はあごに手を当て、考えるポーズをする。「そうだ。これは、この前ネットで見かけた話なんですが……アリス巡査」


「はい」


「あなたはバスの運転手です。今日もいつも通り朝八時に出勤し、九時ちょうどに出発するバスに乗り込みました。最初のバス停で五人の客が乗り、九時に出発。次のバス停には九時五分に着き、四人乗りました。さらにその次のバス停には九時七分に着き、二人乗って、三人が降りました。さらにさらにその次のバス停には九時一〇分に着き、三人乗って、一人降りました」


 私は雪平警部補の言う時刻とバスの乗客の人数を頭の中に刻んでいった。決して計算は得意ではないが、職務上、こういうのはそこそこできる方である。


 雪平警部補は、実にうれしそうな表情で言った。「では問題です。バスの運転手は何歳でしょうか?」


「…………」


「…………」


「……雪平警部補」


「はい」


「時刻や乗客の人数ではなく、バスの運転手の年齢ですか?」


「そうです。分かりませんか? 分かりませんよね? いえ、ガッカリしないでください。普通は分かりませんよ。あたしだってこの問題を見た時は、そんなの分かるはずない!! って思いましたもん」


「いえ、バスの運転手の年齢は、二十七歳です」


「そうなんですよ。こんなの、普通分かるはずがないんです。だから、アリス巡査も落ち込むことはありません。そりゃあ、騙されて悔しいかもしれませんけど、問題が問題ですから、騙されても仕方ないんです。でも、さっきのアリス巡査のきょとんとした顔は、傑作でしたね? ああ、写メに撮っておけばよかったです」


「……いえ、ですから、バスの運転手は、二十七歳です」


「…………」


「…………」


「……え?」


「これで三度目ですが、バスの運転手の年齢は、二十七歳です」


「……な、なぜ、そう思ったのですか?」


「だって、雪平警部補、最初に言ったじゃないですか? 『あなたはバスの運転手です』と。私がバスの運転手なんですから、年齢は二十七歳です」


「…………」


「…………」


「……アリス巡査」


「はい」


「あたしは上司で、あなたは部下です」


「その話は、前にしたと思いますが」


「上司がひっかけクイズを出してるんですよ? たとえ答えが分かったとしても、引っかかったフリをするのが社会人ってものではないでしょうか?」


「そういうのはパワハラになると思います」


「めんどくさいことを言う人ですね。ああ。あたしは、部下に恵まれません」


 それはかなりお互い様なんだけどな。


「まあいいです」雪平警部補は、諦めたように話を続ける。「つまりですね、叙述トリックというのは、こんな風に、相手の先入観や思い込みを利用して騙そうとするトリックのことです。今の問題は、バスの運転手が他人だと思ったら自分だった、というトリックです。他の例を挙げると、Aという人とBという人が別の人だと思ったら同じ一人の人だったとか、逆に、Cという人が一人だと思ったら二人の別の人だったとか、Dという場所とEという場所が違う場所だと思ったら同じ場所だったとか、Fという人物とGという人物の時系列が同じだと思ったら別の時間だったとか、そんな感じです」


「ナルホド。なんとなく分かりました。しかし、雪平警部補は、それの何が気に入らないのですか?」


「言ってるでしょ? フェアじゃないからです。こんなのは、読者をペテンにかけるようなものです。こんな卑怯なトリックで読者を騙して、作者はウラで『へへーん、騙されてやんのー』って、嬉しそうに笑ってるんですよ? こんなことが許されますか? 読者をバカにしてますよ」


「そう言う雪平警部補も、さっき、バスの運転手の問題で私を騙そうとした時、すごく嬉しそうに見えましたが」


「な……何を言ってるんですか。嬉しくなんてありませんよ。アリス巡査を騙すのは心苦しかったですが、叙述トリックを知るには身をもって体験した方がいいと思い、心を鬼にして問題を出したのです。あたしが、人を騙して喜ぶわけがないじゃないですか」


 急にうろたえ、言い訳を始めた雪平警部補に、私は疑惑の眼差しを向けた。


 まあ、雪平警部補の話をまとめると、『騙されちゃってくやしー』ということだろう。


「しかし、雪平警部補」


「はい」


「最初に、『また騙された』と言いました。また、と言うからには、このテのトリックの作品は、結構あるということでしょうか?」


「そうなんですよ。まことに嘆かわしいことに、この叙述トリックを肯定する人は、少なくないのです。要するに、騙される方が悪いんだ、という考え方ですね。ヒドイ考え方です。警察としては、そんな考えを認めるわけにはいきません。あたしは声を大にして言いたいです。叙述トリックは、フェアじゃありません。どうしても叙述トリックを使いたいのなら、最初に『これは叙述トリックです』と、宣言すべきです」


 よく分からないが、それだと叙述トリックの意味が無いのではないだろうか?


 まあいい。推理小説のことで、この人に何を言ってもムダだろう。それより、どんどんハードルが上がっているような気がするのだが、この先大丈夫なのだろうか?


「――いやあ、参った参った」


 中年の男性刑事が扇子をあおぎながら事務所に入ってきた。このゾンビ対策課の責任者・近藤課長だ。


「課長、どうかされましたか?」私は訊いてみる。


 近藤課長は、一冊のファイルを見せた。「さっきそこで、特命捜査対策室の人に、仕事を押し付けられちゃって」


 と、雪平警部補の目が、キラーンと輝いた。「特命捜査対策室というと、『ケイゾク』の捜査一課弐係、『絶対零度』のコールド・ケース、『SPEC』の未詳事件特別対策係、『天使と悪魔』の未解決事件資料室ですね? ああ、あたしの憧れの部署のひとつです!」


 雪平警部補が言ってることはよく分からないが、特命捜査対策室とは、未解決事件を専門に扱う部署のことである。


「七年前に起こった事件に、ゾンビが絡んでるって言うんで、うちに回って来たんだよ。いや、人手不足で忙しいって断ったんだけど、それは向こうも同じだって」近藤課長は、やれやれという表情でそう言った。


「やります! 忙しいですが、あたしにやらせてください!」雪平警部補が手を上げた。「ああ、こういう未解決事件、やってみたかったんですよねぇ」


 勤務時間中に推理小説を読んでいるのにどこが忙しいんだ、と、心の中でツッコむ私。まあ、今は特に大きな事件を抱えているわけではないから、良いだろう。それに、ゾンビが絡んだ事件なら、うちに回って来るのは当然と言えた。


「そうかい? じゃあ、頼むよ」


 近藤課長から資料を受け取り、雪平警部補は、まるで新しい推理小説を買ってもらったかのような表情で読み始めた。







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