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第一話 密室殺人・オブ・ザ・デッド 解決編

「さて、みなさん。お忙しいところお集まりいただき、誠にありがとうございます」


 雪平警部補は、部屋に集まった被害者の家族三人の顔をじっくりと見回した。三人の後ろには、沢田警部たち捜査一課の刑事も来ている。


「おい、アリス、これは一体、なんのマネだ」沢田警部がイライラした表情で私を睨んだ。


「詳しいことは、雪平警部補から説明しますので」私は苦笑いしながら答えた。


 沢田警部から鋭い視線を投げかけられた雪平警部補だが、それを気にした風もなく話を続ける。「今回の事件は、密室状態の謎を解くことが大きな鍵でした。犯人はどうやって新次郎氏を殺害し、部屋に鍵をかけたのか。これは、実に難しい問題でした。どんなに考えても、犯人が外から鍵をかけることは不可能なのです。そこで、我々は気づきました。鍵をかけたのは犯人ではないのかもしれない。推理小説作家・ジョン・ディクスン・力一の『三つの棺』という作品の中で、密室殺人のトリックを十三の項目に分類した『密室講義』というものが出てきます。ひとつ、偶発的な出来事が重なり、自殺や事故を殺人と誤認した。ふたつ、暗示や毒物の効果により、被害者が死ぬように追い込んだ。みっつ、醜いハゲがある――」


「雪平警部補」また余計なうんちく語りが始まったので、私は約束通り雪平警部補を止めた。「あまり長くならないよう、要点だけお願いします」


「えー? これ、結構重要な所なんですよぉ?」雪平警部補は子供みたいに口をとがらせる。


「気持ちは分かりますが、説明は簡潔にお願いします」


「分かりましたよ。しょうがないですね」雪平警部補は再びみんなの方を向いた。「皆さん。簡単に言うと、犯人が分かりました」


 雪平警部補が本当に簡潔にそう言うと、その場にいたみんなは、ええっ!? と声を上げた。


「おい、ちょっと待て」納得いかない表情の沢田警部。「この事件は捜査一課の担当だ。ゾンビ対策課が、でしゃばるんじゃない」


「それは問題ありません。この事件には。ばっちりゾンビが関係しています」雪平警部補は表情を崩さず答える。


 沢田警部は鼻で笑った。「素人が、何を偉そうに。とにかく、この事件は俺らの担当だ。今、被害者の人間関係を洗って、同時に、凶器の特定もしているところだ。人手が足りないから、どうしても捜査を手伝いたいって言うのなら、西田不動産の社員一人一人に聞き込みし、新次郎氏に恨みを持つ人間をピックアップしてくれ」


「その必要はありません。この事件は、会社や街の人等、外部の者の犯行ではありません。犯人は、新次郎氏の家族の方三人の中にいます」


「おいおい、滅多な事を言うもんじゃねぇぞ」呆れた口調の沢田警部。


「そうですよ」それまで黙っていた新次郎氏の妻・貴子さんが、静かな口調で怒りをあらわにする。「根拠もないのに私たちを犯人呼ばわりなんて、失礼にもほどがありますわ。名誉棄損で訴えますわよ?」


 そうだそうだ、と、息子の太一と嫁の好恵も声を上げた。


「根拠はあります」雪平警部補は、自信たっぷりの口調で続ける。「まず、貴子さんにお訊きしたいのですが、新次郎氏の遺体を発見した時、どうして、頭を潰したのでしょうか?」


「何をおっしゃっているのかしら? 死体はゾンビ化しないようにすみやかに頭を潰す。そんなの、常識でございましょう。早ければ一時間でゾンビになるのですから、もたもたしてはいられません。そんなこともご存じないなんて、あなた、それでもゾンビ対策課の刑事なのかしら?」


「まあ、今日配属になったばかりなので偉そうには言えないのですが、一応、ゾンビに関しては勉強しました。一般人にも死体の頭を潰すことが法律で許されていることは知っています。ですが、今回の状況で、頭を潰すことができますかね? 身内がベッドの上で動かなかっただけなんですよ? 深く眠っているのかもしれませんし、気を失っているのかもしれませんし、アリス巡査のメチャクチャな推理のように、ドッキリなのかもしれません。なのに、あなたはどうして死んでいると決めつけ、いきなり頭を潰したんでしょうか?」


 雪平警部補の言葉に、貴子の顔に明らかな動揺が浮かぶ。「し……死んでいるか生きているかくらい、見れば分かりますでしょう? 首に絞められたような跡がありましたし、顔色だって、青白くて、生気が無いんですから」


「そうですかぁ? 素人が見た目で生死を判断するのは、難しいと思いますけどねぇ?」


「みゃ、脈を取ったんですよ。息をしていないことも確認しました」


「それなら、なぜ事情聴取の時に、そう言わなかったんですか?」


「それは、そんなこと、言うまでも無いと思ったからです」


「では、人工呼吸とか、心臓マッサージとか、AEDを使うなどの蘇生措置を行おうとは思わなかったんでしょうか?」


「私たち素人がそんなことをしても無駄でしょう?」


「救急隊の到着を待てばよかったのでは?」


「その間に、主人がゾンビになったらどうするんですか!?」


「手足を縛って拘束しておけば良かったんですよ。それなら、ゾンビになっても襲われることはありません。頭を潰すなら、ゾンビになったのを確認してからでも遅くないんです」


「主人が倒れているのを見て、気が動転してそこまで頭が回らなかっただけです!」


「ウフフ。追い詰められた犯人が、よく使うセリフです」


 雪平警部補は、そのかわいらしい見た目に反して、いやらしく貴子夫人を追い詰めていく。実に楽しそうだ。


 口から血が出るのではないかと思うほどギリギリと歯を食いしばる貴子夫人。だが、一度大きく深呼吸すると、再び静かな口調で言った。「分かりました。確かに、いきなり主人の頭を潰したのは軽率でした。しかし、それで私たちの中に犯人がいるというのは、いささか強引なのではありませんか? そんなに私たちの誰かを犯人にしたいのならば、それなりの証拠を見せてもらいませんと」


 これも、いかにも犯人らしいセリフだ。後ろの太一と好恵は、また、そうだそうだ、と声を上げた。完全にガヤと化している。雪平警部補じゃないが、これは確かに、誰がどう考えても貴子夫人が犯人である。


 完全にボロを出しつつある貴子夫人の様子を見て、雪平警部補は満足げに頷いた。「分かりました。では、説明を続けさせていただきます。最初に言いかけましたが、この事件は、密室状態の謎を解くことが大きな鍵でした。アリス巡査がうるさいので力一の密室講義については省略しますが、あたしたちは、新次郎氏を殺害した犯人が、どうやって部屋に鍵をかけたのか? を、推理していました。ですが、どんなに考えても、合理的な方法が思いつかないのです」


 正確には、合理的な方法はいくらでも思いついたが、「ゾンビが絡んでいない」という理由で、雪平警部補が強引に却下しただけだが。


 雪平警部補は続ける。「そこで、あたしたちは考え方を変えました。鍵をかけたのは犯人ではなく、新次郎氏ではないか、と」


「オホホ。何をバカなことを。主人は死んでいるんですよ? まさか、死体が鍵をかけたとでも言うつもりですか?」貴子夫人は口元に手を当てて上品に笑ったが、その言葉とは裏腹に、表情は明らかに動揺していた。


「そうです、部屋の鍵は、新次郎氏の死体がかけたのです――ゾンビとなって」


 雪平警部補の言葉で、ガヤの二人と沢田警部ら捜査一課の人たちが(この人たちもガヤと言ってよさそうだが)、あ! っと声を上げた。


 雪平警部補は、実に満足げな表情で言葉を継ぐ。「つまり、こういうことです。犯人は、新次郎氏の首をロープのようなもので絞めて殺害。部屋の中に放置し、鍵はかけずに外に出た。しばらくすると、新次郎氏はゾンビとなってよみがえります。ゾンビは生前の行動を繰り返すことがありますから、寝室のドアに鍵をかけ、ベッドの上に移動したのです。そして、またしばらくして活動を停止。朝、強引にドアを開けた貴子さんたちが、死体に戻った新次郎氏を発見する――いかがですか?」


 雪平警部補は夫人に手のひらを向けた。


「おほほほほ。自信たっぷりのようですけど、その推理には、ひとつ、欠点がありましてよ?」貴子夫人はいくらか冷静さを取り戻して言う。「あなたのその推理ですと、私たちが部屋に入った時、主人はゾンビでなくてはおかしくありませんか? ゾンビが活動を停止するのは、頭を潰された時か、一週間ほど食事をしなかった時だと思いましたけど? 私共が部屋に入った時は、主人はゾンビではありませんでしたよ? ねえ?」


 貴子夫人が後ろのガヤ二人に同意を求めると、ガヤ二人はためらいがちに頷いた。いかがかしら? という視線を雪平警部補に戻す夫人。


 だが、雪平警部補は余裕の口調で言葉を継いだ。「それは、簡単なトリックです。いえ、簡単ではありますが、実行するのはかなり難しいでしょう。リスクもあります。でも、新次郎氏の性格をよく理解している犯人だからこそ、実行することができたのです」


「回りくどい話はもう結構です!! 言いたいことがあるのなら、はっきりとおっしゃったらどうですか!?」ついに怒りを爆発させる夫人。謎解きも、いよいよクライマックスという感じだ。


 雪平警部補は、ゆっくりとした口調で言った。「簡単な計算ですよ。ゾンビが活動を停止するのに一週間かかるのなら、遺体を発見する一週間前に、新次郎氏を殺しておけばいいのです!!」


 最後は口調を強め、大袈裟に両手を広げて言った。なんだって!? と、声を上げるガヤの人たち。


 雪平警部補は、最後の仕上げとばかりに一気に推理を披露する。「犯人は密室状態を作るために、新次郎氏を殺害した後、一週間ずっと、新次郎氏が生きているように装ったのです。しかし、これはリスクが高い。ゾンビは、見た目は死体と同じですから、生きているか死んでいるかなんて、すぐに見分けがつきます。顔色は化粧やカラーコンタクトなどでごまかすこともできますが、よく見れば、さすがに気づくはずです。動きはノロいですし、喋りませんからね。しかし、新次郎氏は仕事柄敵が多く、会社や村の人を家に近づけなかった。気付く可能性があるのは家族しかいない。ならば、家族を近づけなければいいのです。犯人は新次郎氏殺害後、一週間、新次郎氏に家族の者すら近づけさせなかった。用心深い新次郎氏ですから、息子や嫁を近づけなくなっても、それほど不振には思われなかったのでしょう。新次郎氏が部屋から出て来るのは、朝の散歩の時のみ。その時だけ、ゾンビに化粧を施し、車イスに縛り付けて外に出ればいいのです。つまり――」


 雪平警部補は、ビシッと、貴子夫人を指さした。


「――新次郎氏を殺したのは、この一週間、新次郎氏の身の回りの世話をした貴子さん、あなた以外にありえないのです!!」


 おお!! という感じでのけ反って驚くガヤの人たち。雪平警部補は、これぞ推理マニア至福の時!! というような恍惚の表情で、それを眺めていた。


「――いや、待て」と、言ったのは、ガヤから復活した沢田警部だ。「まだいくつか、納得できないことがある」


「何でも訊いてください」雪平警部補が促す。


「新次郎氏を殺害したのは一週間前ということだが、いくらなんでも無理がある。そんな長い間遺体を放置していたら、腐敗してくるだろう? それに、緋山先生の検死結果にも、死後五時間~六時間とある」


「それは簡単ですよ。詳しいメカニズムはまだ解明されていませんが、ゾンビは、活動している間、身体は決して腐らないんです。ですから、ゾンビ化した死体の死亡推定時刻の特定は、非常に難しいのです。緋山先生に電話で確認しましたので、間違いありません」


 沢田警部は、ううむ、と唸った。「――では、ゾンビとなった新次郎氏がドアの鍵をかけた、という話だが、新次郎氏は膝が悪く、車イスを使っていたんだ。車イスは、貴子夫人が押していたのだろう? そんな状態の新次郎氏が、一人で鍵をかけることができるのか?」


「問題ありません。ゾンビは、痛みを感じませんから。膝が悪いくらいなら、十分歩けます」


「で……では、ゾンビは一週間で餓死するというが、それはあくまでも目安だろう? 予想より早く活動を停止するかもしれないし、逆に遅いかもしれない。本当に活動を停止したかどうかは、確かめてみないと分からないんじゃないのか? 部屋を開けてみてまだゾンビだった、じゃ、トリックが台無しだ。貴子さんは、どうやって部屋を開けずに、ゾンビが活動を停止したことを確認したんだ?」


「それも簡単です。ドアの鍵がかかっていれば、ゾンビは活動を停止した、鍵が開いていれば、まだゾンビとして活動している、ということです。ゾンビは新次郎氏の生前の行動を繰り返しているわけですから、朝が来れば、当然鍵を開けるわけです。活動を停止していれば、当然鍵は開けられない。念のため、ノックをしてみれば完璧です。音に強く反応するゾンビは、ノックの音につられて、ドアに近づいてくるはずですから」


 ドヤ顔で捕捉説明している雪平警部補だが、これらはすべて、事前に私が教えたことである。


 沢田警部の質問が終わると、雪平警部補は再び満足そうな表情で貴子夫人を見た。「さあ、貴子さん。あなたの悪事は暴かれました。観念してください」


 貴子夫人はうつむいて立ち尽くしている。観念したのか? と思ったら。


「ふ……フフフ……おーっほっほっほっほ!!」


 突然、高らかに笑い出したと思ったら。

 ばびゅん! と、部屋を飛び出した。

 突然のことに、あっけにとられて立ち尽くす私たち。


「……な、なにをしている! 追え! 追うんだ!!」我に返った沢田警部の声で、一課の人たちも慌てて部屋を飛び出した。私と雪平警部補も続く。


 貴子夫人は玄関の前に立っていた。こちらを向く。


「おほほほほ。こんなこともあろうかと、ちゃんと手を打ってありましてよ」


 その手に、何か持っている。ピンク色の楕円形のキーホルダーのようなもので、上部にキーチェーン、下部にストラップがついている。


 夫人が、キーホルダーからストラップを引き抜いた。


 その途端、けたたましいアラーム音が辺りに鳴り響く。防犯アラームだ!


 その瞬間、おおーん! という獣の雄叫びのような声が、空に響き渡った。マズイ! ゾンビが押し寄せて来るぞ!!


「おほほほほ! せいぜい、ゾンビと遊んでなさい!!」


 貴子夫人は防犯アラームを玄関に放り込むと、ものすごい勢いで走り去って行った。七十三歳とは思えない、とても元気な姿である。最近は老老介護で筋力トレーニングをする高齢者が増えているという話だが、まさか、ここまでだったとは。


 ……などと社会問題を提起しつつ感心している場合ではない! 早く追わなければ!


 一課の人たちと外に出ようとしたが、早速集まって来たゾンビたちに行く手を阻まれる。その数、ざっと二十体。さすがは田舎の山奥だ。こんなに野良ゾンビがいるとは。ゾンビは一体なら大した脅威ではないが、数が多いと途端に強敵となる。なにせ、ちょっとでも咬まれたら、ゾンビの仲間入りは避けられないからだ。


 しかし、我々は普段危険に身を晒して市民を護る警察官だ。私も沢田警部も一課の人たちも、普段から武道をたしなみ、体を鍛えている。二十体くらいのゾンビ、何と言うことはない。私たちは襲ってくるゾンビを簡単に蹴散らし、家の外に飛び出した。すぐに夫人を追おうとしたが。


「きゃあ!!」


 玄関から悲鳴が聞こえてきた。振り返ると、雪平警部補が五体のゾンビに囲まれていた。ちょっと警部補には手に余る数だ。家の中には、太一さんたち一般人もいる。貴子夫人は沢田警部たちに任せて大丈夫だろう。


「雪平警部補! すぐに戻ります!!」


 私は玄関に戻ろうとしたが、新たに現れたゾンビに行く手を阻まれた。防犯アラームは今だ鳴り続けており、まだまだゾンビたちは集まってくる。くそ。これでは家に戻るのに時間がかかりすぎる。


「雪平警部補! 防犯アラームを止められませんか!?」


「そうしたいのは山々なんですが、どこにあるのか分からないんです――きゃあ!」


 一体のゾンビが両手を振り上げて襲って来たのを、なんとか身を屈めてかわす雪平警部補。バランスを崩したゾンビは、そばにあった美術品のガラスケースにつっこんだ。どんがらがっしゃんと派手な音を立ててケースが割れ、中に入っていた刀が床に転がった。雪平警部補は何とか無事だが、あれではアラームを探せない。なんとか私が戻るしかないが、それまで雪平警部補は耐えられるだろうか?


 と、雪平警部補は床に転がった刀を手に取った。確か、ソボロ助広という、テレビゲームの武器のレプリカだ。お? いいぞ。レプリカでも、ゾンビ相手なら十分な武器になる。振り回せば、少しは時間が稼げるだろう。剣道六級の腕前で、なんとか持ちこたえてくれれば。


 雪平警部補は、スラリと鞘から刀を抜いた。刀身が、ギラリと光る。いかにも斬れそうな感じだ。レプリカにしてはよくできているな。


 ゾンビが、両手を上げて雪平警部補に襲い掛かる。雪平警部補は動かない。危ない! そう叫ぶよりも早く――。


 ざしゅ。


 私の目には、何か、キラリと光ったくらいにしか見えなかった。


 ゾンビは、雪平警部補に向かっている。その手が、雪平警部補の方に触れそうになった時。


 ゴトリ、と、ゾンビの首が床に落ちた。


 続いて、首を失った胴体が倒れる。


 ――へ? 今、何が起こったんだ?


 分からない。突然、ゾンビの首が床に転がったのだ。


 雪平警部補を見る。訳が分からず、怯えた表情でゾンビの首を見ている――と思ったら。


 そこにいたのは、雪平警部補ではなかった。いや、雪平警部補なのだが、何と言うか、さっきまでワリとのほほんとした人だったが、今は、雰囲気がまるで違うのだ。目つきが鋭くなり、口元にわずかな笑みを浮かべ、挑発するように、目の前のゾンビを見ている。


 雪平警部補は鞘を床に置き、静かに刀を構えた。


 ゾンビが、一斉に襲い掛かる。


 それは、一瞬の出来事だった。


 雪平警部補は、最初に向かって来たゾンビに向かって刀を右から左へ横薙ぎに払い、続くゾンビは左から右へ、さらにその後ろのゾンビは右から斜め下へ、さらにその次は下から――と、柔道空手共に三段で動体視力にもそれなりに自信がある私ですら、目で追うのがやっとという速さで刀を振るった。その速さにノロマなゾンビがついて行けるはずもなく、何が起こったか分からないという表情で立ち尽くしている。


 全てのゾンビに刀を振るった雪平警部補は、静かに構えを解いた。


 次の瞬間。


 その場にいる二十体以上のゾンビの首が、一斉に床に転がる。


 遅れて、身体がバタバタと倒れた。


 私は呆然と雪平警部補を見つめる。全てのゾンビを倒した警部補は、床に転がっていた警報アラームを踏み潰した。けたたましく鳴っていたアラーム音が、ようやく止まった。


 そして、鞘を拾い、静かに刀を収めた。


 とたんに、いつもののほほんとした表情に戻る雪平警部補。


「――さすがソボロ助広の刀。スゴイ斬れ味ですね。普通の刀なら、二、三人斬るのが精いっぱいですよ。ね? アリス巡査」すっごい笑顔を私に向ける。


「え? あ、はい。えーっと」思うように言葉が出てこない私。


「あれ? アリス巡査、どうかしましたか?」


「いや、それはコチラのセリフです。雪平警部補、どうしたんですか? 今、何が起こったんですか?」


「何って、ゾンビを倒したんですよ?」当然のような口調。


「誰が?」


「誰って、あたしがです」


「雪平警部補が、ですか?」


「そうですが、何か?」


「雪平警部補、メチャクチャ強いじゃないですか」


「そうですか? うふ。ありがとうございます」


「剣道六級じゃなかったんですか?」


「はい。剣道は六級です」


「とても六級の動きには見えませんでしたが」


「ああ。あたし最近、刀エクササイズにハマってるんですよ」


「はい? 刀……エクササイズですか?」


「はい。殺陣の動きを取り入れたエクササイズです。結構ハードで、ダイエット効果抜群なんですよ? こうやって、いざという時の護身術にもなりますし」


 そう言えば、最近、刀をイケメンに擬人化したゲームが女子の間で大流行し、その影響で、刀に詳しい女子が急増していると、テレビで見たことがある。確か、刀女子とか言うやつだ。雪平警部補もその一人だったのか。


「……というか、その刀、ゲームのレプリカじゃないんですか?」私は思わず訊いてしまったが、すぐにそのことを後悔することになる。


「違いますよ。ソボロ助広は、江戸時代の摂津国、今の、大阪と兵庫の間くらいにあった国の刀匠です。ソボロの作品は脇差が多く、刀は珍しいんですよ? 作風としては、反りは浅く、地は小杢目、刃紋は丁子で、互の目乱れ、などです。でも、抜き身ももちろん素晴らしいんですが、この、鞘に収まってもなお威厳のある感じがまたステキです。ああ。いいですねぇ、ソボロ助広の刀。こういうの、あたしも欲しいなぁ。ボーナスが出たら、思い切って買っちゃおうかなぁ。この間、東京の刀剣ショップで見た刀も素敵でしたが、これも、負けず劣らず――」


 雪平警部補は、うっとりとした表情で刀を眺め、推理小説やドラマよりも熱い口調で、全く理解できないことを長々と語り始めたのだった。







 その後、沢田警部たちの追跡により、貴子夫人は無事逮捕された。犯行を認め、取り調べには素直に応じているという。雪平警部補の推理通り、新次郎氏を殺害したのは一週間前。その後、ゾンビ化した新次郎氏を生きているように見せかけ、密室状態の寝室で餓死するのを、根気よく待っていのだそうだ。


 ちなみに殺害の動機は、痴情のもつれで脅されていたとのことである――。








「……雪平警部補」


「はい」


「今回の事件のトリックは、みんな、驚いて納得したのでしょうか?」


「さあ? どうでしょう?」


「どうでしょう? って、そんな無責任な」


「無責任って、そりゃ、あたしに責任は無いですよ。トリックを用意したのは犯人で、あたしはそれを解いただけです。真実はいつもひとつ。納得しようがしまいが、驚こうが驚くまいが、真実は曲げようがありません」


「いいんですか? そんなんで」


「いいんです」





      (第一話 密室殺人・オブ・ザ・デッド 終わり)







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