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第一話 密室殺人・オブ・ザ・デッド 2

 捜査一課と鑑識の人たちは現場での聞き込みと調査を終え、早々に本署に戻って行った。これから捜査会議が行われるのだろう。私も参加したいところではあるが、今のところ、この事件にはゾンビのゾの字も出てきていないので、呼ばれなかった。なので、本来なら署に戻って通常業務を行わなければならないのだが。


「――では、ここまでの捜査の経緯を整理しましょう」


 遺体発見現場である西田新次郎の寝室の入口に、『西田新次郎邸密室殺人事件特別捜査本部』と書いた紙を貼り付け、どこにあったのかホワイトボードを室内に運び込んだ雪平警部補は、小さく咳払いをしてそう言った。


「雪平警部補。勝手に捜査本部なんて名乗って、大丈夫なんですか? 沢田警部に知られたら、怒られますよ?」


「心配いりません。あちらは捜査本部、こちらは『特別』捜査本部。つまり、あたしたちは完全に独立した捜査チームなんです」


「どっちにしても怒られると思いますけどね。通常の殺人事件は、捜査一課の仕事です。それを他の部署が勝手に捜査するなんて、とんでもない越権行為ですよ?」


「大丈夫ですよ。横浜港署の捜査課の刑事さんたちも、密輸や麻薬などの他部署の捜査をやってましたから」


 そんなあぶない刑事がいるのか。都会の警察は凄いな。


「では、アリス巡査。捜査状況を報告してください」


 雪平警部補に促され、私はメモを開き、これまでの捜査で分かったことを説明した。


 被害者はこの家の主人・西田新次郎(七十五歳)。株式会社西田不動産の会長だ。


 第一発見者は新次郎の妻・貴子と、息子で西田不動産の社長・太一、そして、太一の妻の好恵の三人。今朝九時頃、被害者新次郎を起こすため妻の貴子が寝室に来たが、ドアには鍵がかかっており、呼びかけても返事が無かった。不審に思った貴子は、太一と好恵を呼び、ドアを蹴り破って部屋の中に入ると、新次郎はベッドの上で死亡していた。好恵が警察に通報し、その間、遺体がゾンビにならないよう、貴子と太一の二人で頭を潰した、とのことである。この証言は、三人とも一致している。


 被害者新次郎の遺体は、緋山先生が署に運んで解剖し、先ほどその結果がメールで送られてきた。遺体の外傷は、首に付いたロープの絞め痕と数か所のひっかき傷、潰された頭、そして、両手足の、ベルトで縛られた痕だ。ロープの絞め痕の周りに付いたひっかき傷は、いわゆる吉川線と呼ばれるものである。絞殺や扼殺をされそうになった時、被害者がロープや犯人の手を振りほどこうとしてできる傷のことで、このひっかき傷の有無が、自殺か他殺かの判断基準となる。首つり自殺をしている遺体の首にこのひっかき傷があった場合は、自殺に見せかけた他殺である可能性が高い、というわけだ。今回は特に自殺に偽装しているわけでもないし、被害者の爪から本人の皮膚片や血液も採取されたそうなので、他殺と見て間違いないそうである。また、潰された頭部であるが、首の絞め痕と出血の状態から、死亡後に潰されたもので間違いないらしい。家族の証言通り、遺体発見後、ゾンビにならないように潰したのだろう。


「……妻の貴子さんたち三人が遺体を発見し、嫁の好恵さんが通報している間に、貴子さんと息子の太一さんで、新次郎さんの頭を潰したんですか?」雪平警部補はあごに手を当てて言った。


「そうです。正確には、貴子さんが太一さんに頭を潰すように指示したんですが、太一さんは、そんなエグイことはできないと拒否したそうです。なので、実際にやったのは、妻の貴子さんです」


「そうですか。なんともパワフルな女性ですね」


「そうですね」


「ちなみに、好恵さんが通報したのは、携帯電話からでしょうか?」


「いいえ、リビングにある、固定電話です」


「つまり、新次郎さんの頭を潰した時、好恵さんは寝室にはいなかったんですね?」


「そういうことになります」


「分かりました。続けてください」


 雪平警部補に促され、私は説明を続けた。


 生きている新次郎氏を最後に見たのは妻の貴子だ。昨夜十九時、貴子夫人が新次郎の寝室に食事を運び、二十一時に部屋を出た。その後遺体発見の朝九時まで、家族の者は誰も新次郎の姿を見ていないので、死亡推定時刻は昨夜二十一時から今朝九時の間。緋山先生の解剖結果でも、死後五時間から十時間という結果が出たので、間違いないと思われる。


「……うーん、死後五時間から十時間ですか」雪平警部補がまた唸った。


「何か問題でも? 緋山先生は本庁でも活躍した敏腕法医学者ですから、検死結果に間違いはないと思いますよ?」


「いえ、検死結果を疑っているわけではありませんが……」雪平警部補はしばらく考え込んでいたが、やがて。「まあ、いいです。続けてください」


「はい。では続いて、遺体発見時の室内の様子ですが――」


 その瞬間、雪平警部補の目がキラリと光った。「この事件で、最も重要な点です。アリス巡査。ゆっくりじっくり、説明してください」


「はい、では――」私は咳払いを1つ挟んで、説明を続けた。「この部屋で外に出入りできるのは二つ。家の廊下へ続くドアと、庭を見渡せる窓です。鑑識の人たちが室内を徹底的に調べましたが、秘密の抜け道とか、犯人が隠れることができるような場所はありません」


「そうですね。そこはまず、ハッキリとさせておかなければならない所です。後になって、『秘密の通路がありました!』なんてことになっても、納得できませんから」


「さすがにそれは無いでしょう」


「安心しました。では、続けてください」


「はい。遺体の発見時の出入口の状況ですが、部屋のドアに鍵がかかってあったことは、妻の貴子、息子の太一、嫁の好恵の三人で確認したそうです。そして、ドアを蹴破って、三人で部屋の中に入った。ベッドの上に倒れている新次郎氏の遺体を発見。部屋には誰もいなかったと、これも三人とも証言しています。で、嫁の好恵は警察に通報するためにリビングへ。妻の貴子と息子の太一は遺体の頭を潰した。この時、貴子と太一の二人で、窓の鍵がかかっていたことを確認したそうです。そして、警察が到着するまで、貴子と太一の二人は部屋で、嫁の好恵は家の外で、警察が到着するのを、待っていたそうです――ここまでは、よろしいでしょうか?」


「繰り返しの確認になりますが、新次郎さんの頭を潰すよう指示したのは、妻の貴子さんですね?」


「はい、そうです。ゾンビ法の施行により、遺体の頭を潰す行為は、一般人にも認められています。検死結果でも、頭が潰されたのは死後、となっていますので、この行為自体は問題ありません」


「問題なくは無いですが……まあいいです。では次に、鍵の状況を説明してください」


「はい。では――」遺体の頭を潰したことの何が問題なのかは気になったが、私は説明を続けた。「ドアの鍵は、外側がシリンダー、内側がサムターンという、ごく一般的なものです。窓も、これまた一般的なクレセント錠ですね。家族の証言によると、ドアの鍵は一本のみで合鍵は無く、新次郎氏が肌身離さず持っていたそうです。鍵は、新次郎氏の遺体のポケットから発見されました」


「寝室に鍵をかけて、合鍵は一本のみ……新次郎氏は、ずいぶん用心深い性格のようですね」


「そうですね。新次郎氏が会長を務めている西田不動産は、昔は違法行為スレスレのこともやっていて、村には新次郎氏に恨みを持つ人が多かったようです。新次郎氏は、命を狙われているのではないかと、かなり警戒していて、近所の人はもちろん、訪ねて来た会社の人すら、家に入れなかったようです」


「と、いうことは、ずっと、家族四人だけで暮らしていたのでしょうか?」


「そうですね。さらに、最近では身の回りの世話は妻の貴子さん一人にまかせっきりで、息子の太一さんと嫁の好恵さんすら、近づくことを許さなかったと、三人は証言しています。この一週間ほど、太一さんと好恵さんが新次郎氏の姿を見たのは、毎朝貴子さんと二人で庭を散歩するときだけだったそうです」


「そう言えば、寝室には車イスがありましたが、新次郎氏は、足が悪かったのでしょうか?」


「長年膝を患っていたようで、ここ数年は車イスを使うことがほとんどらしいです」


「ナルホド。分かりました」雪平警部補は実に満足そうに頷いた。「アリス巡査。この事件は、絶対確実完璧に、密室殺人です。この謎を解かなければ、犯人逮捕はできません」


「いえ、別に密室の謎なんて解かなくても、証拠さえあれば、犯人逮捕はできると思います。実際、沢田警部たち捜査一課の人は、密室状態は重要視していないようです。新次郎氏を恨んでいる人を探したり、凶器の特定と入手経路の捜査に力を入れるようです。密室の謎なんて、犯人を捕まえて自白させれば済むことですし」


「なんてことを言うんですか。信じられません。せっかく犯人がおぜん立てしてくれた密室トリックを、解かない探偵がどこにいるんですか?」


「我々は探偵ではなく警察です。犯人逮捕こそが最優先事項かと思いますが」


「ですから、その犯人逮捕のために、密室トリックを解く必要があるのです」


「そうでしょうか? そもそも、密室にトリックがあると思うことが、ナンセンスですよ。例えば、『ドアの鍵は一本で、合鍵は無い』と、どうして言い切れるのですか? そう言っているのは家族の方だけです。家族がウソをついているかもしれませんし、新次郎氏がこっそり合鍵を作っているかもしれませんし、犯人が作っていたのかもしれません。他にも、可能性はいくらでもあります。『合鍵が無い』ということを証明しない限り、密室とは言えないと思いますよ?」


 雪平警部補は露骨にイヤそうな顔をした。「推理小説やドラマを見て、そういう正論を言う人がよくいますが、あたしはキライです」


「それは失礼しました。しかし、これは現実の事件です。事実は事実として、受け入れなければなりません」


「分かりました。では、合鍵が無いことを証明できればいいんですね?」


「それはそうですが、そんなことが可能でしょうか?」


「はい。鑑識の調査によると、このドアの鍵は非常に複雑で、合鍵を作ることはできないそうです」


「一般的なシリンダーなのに、合鍵を作ることはできないんですか?」


「そうです。よくあることです」


「納得できません。今、雪平警部補が思いつきで言ったのではないでしょうか?」


「バ……バカなことを言わないでください。そんなこと、するわけないじゃないですか」雪平警部補は、あからさまにオロオロし始めた。


「では、緋山先生に電話して、訊いてみます」


「いえ、それはダメです。他の作業で忙しいとおっしゃってましたので」


 慌てふためく雪平警部補に、私は疑惑の眼差しを向ける。


 雪平警部補はえへんと咳払いをし、表情を引き締めた。「――仕方がありませんね。どうしても合鍵が無いことに納得できないのであれば、究極の技を使うしかありません」


「究極の技? それは何でしょうか?」


「はい。刑事の勘、です」


「……はい? 刑事の勘、ですか?」


「そうです。刑事の勘が、この部屋に合鍵は無いと言っています。だから、この部屋に合鍵は無いんです」


「……そんな曖昧なもので、納得できるわけないでしょう」


「しつこい人ですね。そんなんじゃ、女の娘にモテませんよ?」


「女の娘にモテるより事件解決の方が大事ですから。とにかく、この事件で重要なのは、密室トリックを解くことではありません。何か、他のことから捜査しましょう」


「アリス巡査」


「はい」


「あたしは警部補で、あなたは巡査です」


「そうですね」


「あたしは上司で、あなたは部下です」


「そうなります」


「あたしは命令する立場で、あなたは命令される立場です」


「そういうことになります」


「あたしの年収は一千万近くて、あなたの年収は数百万です」


「そうでしょうね」


「あたしは将来警視総監にもなれますが、あなたはどんなに昇進してもせいぜい警視長止まりです」


「そうかもしれません」


「…………」


「…………」


「密室の謎解き、協力してくれますね?」


「……喜んで協力させていただきます」


「自主的な協力感謝します。あたしは、いい部下に恵まれました」雪平警部補は、満足げに微笑んだ。「それでは、アリス巡査の推理を聞かせてください」


「え? 私の推理ですか?」


「そうです。思いついたことは、何でも言ってください。あたしが上司だからって、遠慮することはありませんよ? 何と言っても、あたしたちは相棒、仲間、パートナー、バディなんですから」


 ずいぶんパワハラの厳しいバディもあったもんだ。しかし、警察は縦社会だ。命令は絶対である。しかし困ったな。私はどちらかというと体力専門で、推理の方はイマイチだ。簡単なトリックなら分かるが、密室トリックなんて、私の刑事人生で解いたことないんだが。しかし雪平警部補は、ワクワクした表情で私の推理を待っている。仕方がない。とりあえず、思いついたことを言ってみるか。


「えーっと、合鍵は無くても、外から鍵を閉めることは可能ではないでしょうか?」


「と、言いますと?」


「これは、以前、捜査三課の人から聞いたのですが――」


「三課というと、空き巣やひったくりなどの盗難事件を扱う課ですね」


「そうです。捕捉、ありがとうございます」


「いえいえ。ところで、三課と言えば、やはり『確証』ですよね。刑事モノの小説と言えば、どうしても捜査一課がメインになってしまうのですが、この作品は、捜査三課をメインにした斬新な作品で、少し前にドラマ化され――」


「雪平警部補」


「はい」


「話を続けてもよろしいでしょうか?」


「あ、あたし、またやってしまいましたね。すみません。もちろん、続きを聞かせてください」


「はい。えーと、これは、捜査三課の人から聞いたのですが、ちょっと腕の立つ空き巣なら、サムターン程度の鍵なら、ピッキングで簡単に開けることができます。開けることができるということは、閉めることもできるということです。新次郎氏の寝室の鍵はごく一般的なモノなので、鍵がかかってあったとしても、犯人がピッキングの技術を持っていたとしたら、開け閉めすることは可能じゃないでしょうか?」


「なるほど。初めての密室にしては、まあまあの推理ですね」


「ありがとうございます」


「ですが、その推理には、ひとつ、大きな欠点があります」


「欠点ですか? 何でしょうか?」


「トリックに、ゾンビが絡んでないんです」


「はい? ゾンビ、ですか?」


「そうです。ゾンビです。普通の世界で起こった密室殺人ならそういったトリックもアリでしょうが、これは、ゾンビが溢れる世界で起こった密室殺人なんです。なので、トリックにもゾンビが絡んでないと、みんな納得しないでしょう?」


「確か、『ドラクエ探偵倶楽部』でも、同じようなことを言ってた人がいました」


「何ですか、それは?」


「いえ、何でもないです」私は咳払いをし、続ける。「しかし、いくらゾンビが溢れている世界だといっても、殺人事件すべてにゾンビが絡んでいるわけではないと思いますが」


「いいえ。全ての事件には、ゾンビが絡んでいるんです。じゃないと、あたしたちが捜査する意味が無いでしょう? なので、これから推理をするときは、必ず、なんらかの形でゾンビを絡めてください。これは、命令です」


「よく分かりませんが、命令とあらば、仕方ありません」


「ありがとうございます」雪平警部補は満足げに頷いた。「それに、『犯人はピッキングで鍵を閉めた』なんてトリック、今どき誰も認めませんよ? 現実的過ぎて面白味に欠けます。密室に限らず、トリックには、驚きと納得の両立が必要なんです」


「しかし、私、先日超久しぶりにテレビで○曜ワイド劇場を見たんですけど、『犯人は車で一時間かかる道のりを、どうやって三十分で移動したのか?』というトリックが、『地下鉄を利用した』というものでしたよ? あれは、みんな驚いて納得して認めたんでしょうか?」


「うるさいですね。土ワイはその程度のトリックでもいいんですよ」


「曜日までは言ってないです」


「そんなことより、話を戻しますよ?」


「はい、すみません」


「『ドラクエ探偵倶楽部』って、何ですか?」


「そこに戻るんですか?」


「はい。ゾンビマニアのアリス巡査が知っていて、推理小説マニアのあたしが知らないなんて、屈辱的ですから」


「推理小説マニアが読むような作品ではないと思いますが、『ドラクエ探偵倶楽部』は、文字通り、ドラクエの世界で起こった殺人事件を扱った推理小説です。さっきの雪平警部補と同じように、『これはドラクエの世界で起こった事件だから、トリックにもドラクエらしさが絡んでいないと、みんな納得しない』と言う人が出てきます」


「素晴らしいです。その人、世界の真理がよく分かってますね」


「まあ、気になるなら、後でググってください」


「分かりました」


「では、さりげない宣伝が終わったところで、本当に話を戻しましょう」


「そうですね」


 プルプル。ケータイが鳴った。見ると、緋山先生からのメールだ。私はメールを読み、雪平警部補に報告した。「ピッキングでドアを開け閉めした可能性は無い、ということでしたが、今、ちょうど、偶然、運よく、実にご都合主義的に、緋山先生から連絡が入りました。鍵の内部を調べたそうですが、ピッキングをした痕跡は無いそうです」


「そうですか。思った通りですね」雪平警部補は、満足げに頷いた。「では、アリス巡査。もう一度、今度はトリックにゾンビを絡めて推理してください」


 ふーむ。ただでさえ推理は苦手なのに、その上トリックにゾンビを絡めないといけないとは。これはかなりの難問だな。例えば、『倒れている新次郎氏を発見して、みんながそちらに注目している間に、ドアの陰に隠れていた犯人がこっそり逃げ出した』とか、『死体の処理でみんながオロオロしている間に鍵を新次郎氏のポケットに入れた』とか、『他殺ではなく首吊り自殺で、死んだ後ロープがほどけてベッドの上に落下、ロープは、他殺に見せかけるため誰かが隠した』とか、そう言ったトリックもダメなわけだ。これはかなり難しいな。


 …………。


「雪平警部補、こういうのはどうでしょうか?」


「聞きましょう」


「妻の貴子さんたちが倒れていた新次郎氏を発見した時、新次郎氏は、実は死んでいなかったんです。新次郎氏が、貴子さんたちを驚かそうと、死んだフリをしていたのではないでしょうか?」


「それはつまり、ドッキリ的なヤツですか? 新次郎氏のイメージに合いませんが、まあ、最後までどうぞ」


「はい。それで、新次郎氏は、アタフタする家族を見て密かに笑い、しばらくして、『ドッキリ大成功!!』とネタバラシしようとしていた。ですが、あろうことか、妻の貴子さんが、頭を潰すと言い始めてしまった。慌ててネタバラシしようとしたんですがタイミングが合わず、貴子さんに頭を潰され、本当に死んでしまった、というわけです」


「…………」


「…………」


「アリス巡査」


「はい」


「トリックにゾンビは絡みましたが、正直言って、無茶苦茶な推理です」


「そうですね。実は、私もそう思います」


「新次郎氏のイメージと一致しないのは、まあ、いいとしましょう。敵が多く用心深いというのは実は表向きの姿で、家ではイタズラ好きのオチャメなおじいさんだったということも、あり得なくはないです。ですが、頭が潰されそうになっても死んだフリを続ける人がどこにいるんですか? そして何より、その推理では、首を締めるという行為が発生していません」


「そうでした。新次郎氏の死因は窒息死、頭を潰したのは死後で、間違いないんでしたね」


「そうです」


「雪平警部補。これは、私の頭では解けそうにありません。降参です」


「そうですか。まあ、初めての密室推理にしては、頑張った方だと思います。ご苦労様でした」


「ありがとうございます。では、雪平警部補の推理をお聞かせください」


「それが、あたしにもさっぱり分からないのです」


「はい? 雪平警部補も、分かってなかったのですか?」


「そうなんです。これが普通の密室殺人ならともかく、トリックにゾンビを絡めないといけないのが難問ですね。例えば、『倒れている新次郎氏を発見して、みんながそちらに注目している間に、ドアの陰に隠れていた犯人がこっそり逃げ出した』とか、『死体の処理でみんながオロオロしている間に鍵を新次郎氏のポケットに入れた』とか、『他殺ではなく首吊り自殺で、死んだ後ロープがほどけてベッドの上に落下、ロープは他殺に見せかけるため誰かが隠した』とか、そういったトリックもダメなわけなんです。これは、かなり難しいですね」。


 なんだよ。それじゃ雪平警部補も、私と同じレベルじゃないか。それなのに、今まで偉そうに私の推理にケチをつけてたのか。


「雪平警部補。やはりこの事件は、密室トリックにこだわっても仕方がないと思います。ここは捜査一課と同じく、地道に聞き込み等で新次郎氏の人間関係を洗い、動機の面から捜査を進めていくべきかと」


「そういうわけにはいきません。目の前に密室トリックがあれば解く。これはあたしの信条(ポリシー)です。それに、動機なんてものは、トリックを片付けて後から適当に付ければいいんですよ。痴情のもつれか脅されていたかで、大体みんな納得します」


 まあ、土ワイとかではそんな感じで作った作品が多いようだが、警察が捜査でやるのはどんなもんなんだろう。そう思ったが、それは言わないでおいた。


「推理が行き詰った時は、手がかりをもう一度整理するのが一番です」雪平警部補は部屋に用意していたホワイトボードの前に立ち、マジックのフタをキュポンと抜いた。「ここまで分かっていることを、簡単にまとめてみましょう」


 と、言うことなので。私たちはここまでの捜査で分かっていることを簡単にまとめてみた。




      ☆




 被害者……西田新次郎(七十五)

 ・西田不動産会長。

 ・絞殺。頭を潰されたのは死後。手足に縛られた痕。

 ・敵が多く、妻の貴子以外は信用していない。

 ・毎朝貴子と二人で庭を散歩するのが日課。

 ・足が悪く、車イスを利用している。


 容疑者1……西田貴子(七十三)

 ・被害者新次郎の妻。第一発見者の一人。

 ・新次郎からただ一人信頼されていて、食事を運んだり、散歩に付き添ったりしている。

 ・生きている新次郎氏に会った最後の人物。

 ・新次郎氏の死体を発見した際、頭を潰すように息子に指示。息子がためらうと、自ら潰した。


 容疑者2……西田太一(五十)

 ・被害者新次郎の息子。第一発見者の一人。西田不動産社長

 ・死亡した新次郎氏の頭を潰すのをためらう。


 容疑者3……西田好恵(四十七)

 ・息子太一の妻。第一発見者の一人。

 ・新次郎氏の死の死体発見時、リビングの電話から警察に通報。その後、外で警察の到着を待っていた。


 殺害現場:新次郎氏の寝室

 ・出入りできるのはドアと窓の二つ。両方とも鍵がかかっていた。

 ・部屋には秘密の通路や隠し部屋などは存在しない。

 ・ドアも窓も鍵は一般的なモノだが、合鍵は存在しない。

 ・外から鍵をかけるのは専門の技術があれば不可能ではないが、それらしき形跡は無い。




      ☆




 私はホワイトボードに書かれた項目を、じっくりと眺めた。


「……雪平警部補」


「はい」


「どこの世界に、殺害現場で捜査状況を堂々とホワイトボードに書く刑事がいるんですか。外部に情報が洩れたら、大変なことですよ?」


「いいじゃないですか。安浦刑事だって、バーのママに捜査情報をベラベラ話してたじゃないですか」


 安浦刑事というのが誰だか知らないが、たぶんドラマか小説の話だろう。「確かに、ドラマなんかでは、知り合いの新聞記者やグルメリポーターや小学生などの一般人に捜査状況を話す刑事がたくさん登場しますが、実際にあんな事したら、懲戒処分モノですよ?」


「そうですね。まあ、この事はあたしたち二人だけの秘密ということで」


「頼みますよ、まったく」


「しかし――」雪平警部補は腕を組み、ホワイトボードを眺めた。「こうやって要点だけまとめてみると、誰がどう見ても犯人は妻の貴子さんですね」


「それは、なぜでしょう?」


「三人の容疑者の中で、一人だけ、明らかに項目が多いです。こういう人は、間違いなく犯人です」


「…………」


「…………」


「雪平警部補」


「はい」


「ドラマの視聴者や小説の読者がそんな感じで適当に推理するのはよくありますが、我々警察がやってはいけません」


「もちろんですよ。安心してください。さすがにこの推理で逮捕したりはしません。それに、あたしたちの目的は、あくまでも密室トリックの解明ですから」


 それはそれで問題アリなのだが、その件はこれ以上言ってもムダだろう。


 私も雪平警部補と同じようにホワイトボードを眺めた。「しかし、情報をまとめてみたのはいいですが、これだけの情報で、密室トリックが解けますかね?」


「まあ、やってみましょう。まず、あたしが気になったのは、ここです」雪平警部補は、ホワイトボードに書かれた一番下の項目、『殺害現場:新次郎氏の寝室』に、大きく○を付けた。「犯人は、どうやって部屋に鍵をかけたのでしょうか? 合鍵が存在せず、ピッキング等で外から鍵をかけた形跡がないのなら、犯人は、部屋の中から鍵をかけたことになります」


「しかし、死体発見時、部屋には誰もいませんでしたし、秘密の抜け道等もありません」私もホワイトボードに○を付けた。


「と、いうことは……部屋に鍵をかけたのは、犯人ではないのかもしれません」


「犯人でないとなると、被害者の新次郎氏ということになります」


「そうなると――」雪平警部補は考える。「新次郎氏の自殺か、犯人が部屋の外から新次郎氏を殺害した、というところですが――」


「残念ながら、どちらも考えられません。検死の結果、新次郎氏は他殺で、鑑識の調査で、外から殺害するような仕掛けも見つかっていません。まさか、死体が鍵をかけるなんてことがあるわけ――」


 私は、そこで言葉を止めた。何か引っかかった。考える。すぐに思い当った。なぜ、この事に気が付かなかったのか。雪平警部補も同じようで、はっとした表情になっている。


「雪平警部補」


「はい」


「死体が鍵をかけることも、あり得ますね」


「そうですね。あたしも、今気付きました」


 そうなのだ。いま日本では、死体が歩き回るのが日常なのだ。あまりにも初歩的過ぎて、うっかり忘れていた。


「しかし――」と、雪平警部補。「ゾンビが部屋の鍵をかけることができるでしょうか?」


「できないことはないでしょうね」私は胸を張って行った。推理は不得手だがゾンビのことは大得意である。「ゾンビは知能が低く、食事以外の特定の行動は見られませんが、生前習慣化していた行動を繰り返すことが多いのです」


「そうでした。さっき、アリス巡査のゾンビ講義で、言ってましたね」雪平警部補は手帳を取り出し、パラパラとめくった。「えーっと、ありました。『ゾンビは生前の記憶をわずかながら残しており、習慣化していた行動を繰り返すことが多い』、ですね」


「そうです。例えば、『ゾンビ』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』という映画や『デッドライジング』というゲームでは、ゾンビたちは自然と街のショッピングモールに集まっていましたし、映画『サバイバル・オブ・ザ・デッド』では、郵便配達をするゾンビや馬に乗るゾンビが登場しています。ゲームの『サイレン』では、農作業をしたりテレビを見たり勉強したりと、ほとんど生前と同じ生活をしていますし――」


「アリス巡査」


「はい」


「話を続けてもよろしいでしょうか?」


「あ、私、またやってしまいましたね。すみません。もちろん、続きを聞かせてください」


「はい。えーっと。つまり、新次郎氏が寝室に鍵をかけて眠ることが習慣だったなら、死んでゾンビになった新次郎氏がドアの鍵をかけても、なんら不思議ではない、ということになりますね」


「そうです」


 これは、大きな進展だ。私たちは、ゾンビとなった新次郎氏がドアの鍵を閉めた、という前提で、殺害の状況を推理してみた。




      ☆




 1・犯人が新次郎氏の首を締めて殺害。


 2・犯人はドアの鍵をかけずに部屋を出る。


 3・数時間後、新次郎氏がゾンビ化。


 4・ゾンビとなった新次郎氏は、生前の記憶に従い、部屋に鍵をかけた。


 5・翌朝、扉を壊して部屋に入った貴子さんたちが、ベッドの上の新次郎氏の死体を見つける。




      ☆




「素晴らしいです、アリス巡査」雪平警部補は手を叩いて喜んだ。「これで、密室トリックは解明しました。あとは、誰が新次郎氏を殺害したか、ですね」


「いえ、雪平警部補。この推理ではダメです」私は正直に言った。


「と、言いますと?」


「まとめてみて分かったんですが、確かに、これなら部屋に鍵はかかりますが、部屋の中にゾンビが残ってしまいます。妻の貴子さんたちが部屋に入った時、新次郎氏はゾンビではなく、ただの死体だったんですから」


「死体をゾンビと見間違えたということはないでしょうか? 確か――」雪平警部補は、またパラパラと手帳をめくった。「ありました。『ゾンビの外見は死体の姿そのままである』と、あります」


「確かにそうですが、それはあくまでも、ゾンビが動かなかった場合です。ゾンビはじっとしていることもありますが、生きている人間がそばにいた場合、必ず襲いかかります。死体だと思って近づいたらゾンビで、いきなり襲われた、というのは、よくありますから。それに、ゾンビは音にも強く反応しますし。ドアを壊して人間が近づいてきたのに、ベッドの上でじっとしているということは、絶対にありません」


「でも、ゾンビも不死身というわけではないのでしょう? 確か、ゾンビが活動を停止する条件があったはずですが」


「ゾンビが活動を停止するのは、頭を潰される以外では、一週間ほど何も食べなかった時だけです。なので、犯人が新次郎氏を殺してからゾンビになり、活動を停止するのは、一晩では無理なんです」


「なんだ。それなら、問題ありませんよ」雪平警部補はにっこりと笑った。「むしろ、それで犯人は特定できました。やっぱり、あの人だったんですよ。さあ、ここからがあたしたちの見せ場です」


 雪平警部補は自信満々に言った。犯人が特定できた? どういうことだろう? 考えてみても、私には分からなかった。


 戸惑う私をよそに、雪平警部補は、寝室に関係者を集めた。







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