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第一話 密室殺人・オブ・ザ・デッド 1

 この街は田舎だが、中心部の方は都市化が進み、それなりに賑わっている。駅前には大きなショッピングモールがあり、休日には街中の人が集まって、かなりの賑わいになる。それに比べ、今回の事件が起こった大伊地羽村というのは、中心部からはかなり離れた山間部ある正真正銘の田舎だ。人口は少ないがその分ゾンビの駆除が進んでおらず、野良犬ならぬ野良ゾンビが多い地域でもある。事件現場へ向かう途中にも、田畑や森林の中に数体のゾンビを確認できた。田舎は高齢者が多く、ゾンビに襲われると危険だ。できれば駆除してあげたいが、ゾンビ対策課はゾンビの事件を扱う部署であり、ゾンビ駆除は役所や民間企業の仕事なのだ。それに、今は現場に急がないといけない。野良ゾンビの件は、署に戻ってから課長を通して役所に連絡してもらおう。


 事件現場の西田新次郎宅の門の前には制服警官が立っていた。私と沢田警部が車を降りると、慌てた様子で駆け寄って来た。


「ご、ご苦労様でありますです! 私、この村の駐在員の中西(ちゅうざい)でありますでございます!!」背筋をピンと伸ばし敬礼をする制服警官。どうやらかなり緊張しているようだ。こんな田舎村で人が死亡する事件なんてめったにないだろうから、無理もない。


 家の前には、中西さんのモノと思われる警察支給の自転車と、先に到着した沢田警部の部下のモノと思われるパトカーが1台止まっているだけだ。


「……鑑識はまだ来てないのか?」沢田警部が言った。


「はい! そうであります!」


「そうか。まあ、とりあえず現場に案内してくれ」


 私たちは中西さんに案内され、西田新次郎宅の門をくぐった。


 事件のあった西田新次郎の家は、老舗旅館か高級料亭を思わせる純和風の屋敷だった。庭は手入れが行き届いた立派な日本庭園になっており、家の中に入ると、大きな下駄箱の上に立派な鷹のはく製があり、遺体発見現場に向かう廊下にも、刀や鎧兜、着物、お皿など、高級そうなものがこれ見よがしに飾られてあった。どうやらかなりのお金持ちらしい。


 長い廊下を一番奥まで進んだ部屋が事件現場だった。部屋の前に立っていた沢田警部の部下が敬礼をする。「警部、ご苦労様です」


「うむ」警部は軽く頷いた。


 部屋は一〇畳ほどの和室だ。広いわりには簡素な部屋で、大きなベッドと小さな木製の机に中くらいのタンス、そして、ベッドのそばに車イスが置かれてあるだけだ。


 遺体はベッドの上だった。仰向けに寝かされており、頭が潰されている。ゾンビ法により死者はすみやかに頭を潰すか首を斬り落とさなければいけないので、これが死因であるかどうかはちゃんと調べてみないと分からない。よく見ると、首の周りにロープで絞められたような跡もある。


「遺体発見時の状況は?」沢田警部が部下に訊いた。


 部下の人は手帳を取り出し、パラパラとめくった。「亡くなったのは、この家の主人・西田新次郎、七十五歳と見られます。第一発見者は新次郎の妻・貴子(たかこ)と、息子の太一(たいち)、そして、太一の妻の好恵(よしえ)の三人です。今朝九時頃、妻の貴子が寝室に新次郎を起こしに来たが、ドアには鍵がかかっており、呼びかけても返事が無い。不審に思って太一と好恵を呼び、ドアを蹴り破って部屋の中に入ると、新次郎はベッドの上で死亡していた。好恵が警察に連絡し、その間、遺体がゾンビにならないよう、貴子と太一の二人で頭を潰した、とのことです。遺体や現場の詳しい調査は、鑑識が到着してからですね」


「ふうむ」沢田警部は腕組みして唸った。


 私は部屋を見回した。部屋の入口は木製のスライド式のドアだ。家族の証言通り、蹴り破られ、大きく破損している。ベッドのそばに窓がひとつあり、鍵はかけられてあった。ちゃんと調べてみないと分からないが、この部屋で出入りできそうなのは、さっきのドアとこの窓だけだ。つまりこれは、いわゆるひとつのアレではないだろうか。


「失礼します!」さっきの制服警官の中西さんが、敬礼しながら部屋に入ってきた。「鑑識の方がお見えです!」


 中西さんの後ろから四人の鑑識員が入って来た。そのうち三人は男性で、ひと目で鑑識員と分かる警察庁指定の青いジャンバーを着ているが、最後に入ってきた一人は、白衣を着た女性だった。肩の上でまとめたミディアムカールの髪型、白衣の下は黒のミニスカワンピースと、同じく黒のニーハイソックス。その間に挟まれた、いわゆるひとつの絶対領域に目がくらみそうだ。鑑識員というよりは、アダルトビデオに出てくるいかがわしい女医さんみたいな格好である。


「あ、これは緋山(ひやま)先生。ご苦労様です」女性の顔を見た瞬間、沢田警部の表情が緩んだ。それまでどちらかと言えば横柄だった沢田警部の態度が一変し、腰が低くなる。沢田警部は普段は仕事をバリバリこなす優秀な刑事だが、美人に弱いところがある。


「――どうも」緋山先生はそっけない口調でそう言っただけで、沢田警部とは目を合わせようともしない。しかし、私の顔を見ると、妖艶な笑みを浮かべた。「あら、アリス君じゃない。久しぶりね」


「ごぶさたしています」私はぺこりと頭を下げた。


「あなたが来ているということは、ゾンビに関係した事件なのかしら?」


「いえ、まだ何とも言えません。前の事件でたまたま沢田警部と一緒だったので、念のため来ただけです」


「そう。また一緒に捜査できるといいわね」緋山先生は、うっとりとした目で、私の身体を上から下まで舐めまわすように見た。「……相変わらず、いい身体をしているわ」


「ま、まあ、一応鍛えてますから」


「ふふ。もっとたくましい身体になりたいなら、いつでもあたしの研究所に来なさい。相談に乗るわよ?」


 緋山先生は背筋がゾクゾクするような笑みを浮かべ、しばらく私を見つめた後、白衣のポケットから手袋を取り出し、遺体の方へ向かった。


 緋山(ひやま)瑞姫(みずき)先生は、二年ほど前にこの街の警察庁に赴任してきた検視官の先生だ。日本の大学ランキングで上位に入るK大学卒業で、アメリカの有名サイエンス誌に論文を掲載するほどの天才。検視官でありながら弁護士の資格も持っており、昔は某国民的アイドルグループの人気メンバーだったという、冷静に考えるとよく分からない経歴の持ち主である。


 背後に強烈な殺気を感じた。振り返ると、沢田警部が鬼の形相で睨んでいた。「……お前、ちょっと緋山先生に気に入られてるからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ?」


「いや、私は別に」


「ちっ。緋山先生も、やっぱり若い男が好きなのか。俺みたいな中年には、興味ないのか?」


「さあ、私には、なんとも」苦笑いを返すしかない私。


 沢田警部の言う通り、私は緋山先生に気に入られているらしく、研究所とやらによく誘われる。沢田警部は羨ましがるが、私はどうもあの先生がニガテだ。確かに緋山先生は私のことを気に入っているようだが、それは、沢田警部が思っているようないやらしい意味では無いように思うのだ。あの人が私を見る目は、決して異性に好意を持っているのではない。何と言うか、例えるなら、おもしろい実験素材を見つけたような目だ。誘惑に乗って研究所に行ったら最後、筋肉ムキムキのゾンビに改造されてしまう――そんな気がしてならない。


「――あの、警部殿」


 恐る恐るという感じで、中西さんが声をかける。


「ああ!?」緋山先生にフラれ、機嫌が悪くなった沢田警部は、凶悪犯もビビッてすくみ上がってしまうような目で中西さんを睨んだ。


「も、申し訳ありませんであります! えっと、本日付でゾンビ対策課に配属になったとおっしゃる女性警部補がお越しでありますです!!」


「あん? 女性警部補?」沢田警部は、バカにしたように笑う。「ああ、本庁から所轄にトバされた無能キャリアか。適当にあしらっとけ」


「はい! 了解であります!!」


 逃げるように玄関に戻ろうとした中西さんを、私は止めた。「あ、ちょっと待ってください。その警部補、名前は、何とおっしゃいましたか?」


「はい、えーっと……」中西さんは記憶を探るように言った。「たしか、警視庁刑事部捜査一課殺人犯捜査四係より転属になった、雪平警部補とか」


「雪平警部補!?」


 私と沢田警部は同時に声を上げた。東京から来た刑事だから、もちろん面識はない。しかし、なぜだろう? その名前から、とんでもない刑事が来たような気がする。沢田警部は、こんな田舎の所轄にトバされるくらいだから、階級とプライドだけはムダに高い無能なヤツ、と予想していたが、それは大きな間違いだったのかもしれない。きっと、捜査一課でナンバー1の検挙率ながら、強引な捜査が問題になり、厄介払いでこの街のゾンビ対策課にトバされたに違いない。まずいな。状況から考えて、私が一緒に捜査することになるだろう。私みたいな田舎者の巡査に、相棒が務まるだろうか? きっと私がなにかヘマをするたびに「バカかお前は」と罵倒されるに違いない。……いや、それはそれでちょっとイイかもしれない。


「では、適当にあしらってくるであります!」


「いや! 待て!」玄関に戻ろうとする中西さんを、沢田警部が慌てて止めた。大きく咳払いして。「あー、有栖君。雪平警部補をお迎えに上がりなさい。くれぐれも、失礼のないように」


「わ、分かりましたであります」私は背筋をピンと伸ばして敬礼すると、雪平警部補をお迎えに、玄関へ向かった。


 玄関には、背中まで伸びた長い黒髪、ボディラインが強調された黒のパンツスーツに身を包んだ、スラっと背の高いセクシーな大人の女性が――。


 …………。


 いなかった。


 代わりに、ショートボブの髪型に、赤と黒のチェックのワンピース、身長一六〇センチほどの女子高生っぽい女の()がいた。玄関のそばのガラスケース内に飾られた日本刀を、じーっと見ている。現在この家には関係者以外は入れないから、恐らくこの家の娘だろう。家族が死んでいるのに美術品鑑賞とはのんきなものだ。まあいい。それより、雪平警部補はどこだろう? 玄関の外に出て辺りを見回すが、それらしき人の姿は無い。どこかに行ってしまったのだろうか? まさか、早速事件の手がかりを見つけ、単独で行動を始めたのだろうか? そうに違いない。さすがは警視庁捜査一課で検挙率ナンバー1を誇った刑事である。


「あのー」


 と言ったのは、さっきのJKだった。くりっとした瞳で、私を見ている。


「はい、なんでしょう?」


 JKは、ガラスケース内の刀を指さした。「この刀って、おいくらぐらいするんでしょうか?」


「え? さあ? 私には分かりかねますが」


「ソボロ助広(すけひろ)の刀なら、かなりお高いんでしょうね」視線を刀に戻すJK。


 ソボロ助広? 刀などの美術品には全く興味が無い私だが、何か聞いたことある名前だな。確か、国民的コンピューターRPGの十一作目に、そんな名前の武器が登場したはずだ。私はケースの中にある説明書きのボードを見た。たしかに、ソボロ助広の刀とある。どうやらこの刀、一見高級そうではあるが、実はゲーム武器のレプリカらしい。


「確か、ソボロ助広なら、売却価格は四九〇〇ギルですよ」私は女子高生に教えてあげた。


「四九〇〇ギル……聞いたことがない通貨ですね。スイスとかの補助通貨でしょうか?」


「あ、いえ。なんでもないです」マジレスされてしまった。どうやら最近の女子高生はFFをしないらしい。


 女子高生は私の方を見た。「えーっと、この家の方ですよね?」


「はい? いえ、違いますけど」


「あ、そうでしたか」と、言った後、女子高生は考える。「――え? と、いうことは、まさか、警察の方でしょうか?」


 まさか、と言い方にムッとする私。「そうですが」


「それは、大変失礼しました」女子高生は、ぺこりと頭を下げた。


「あなたこそ、この家の方ですよね?」逆に訊いてみる。


「はい? いえ、違いますけど」女子高生は不思議そうな顔で答えた。


「あ、そうでしたか」と、言った後、私は考える。「――え? と、いうことは、まさか、警察の方でしょうか?」


 まさか、という言い方にムッとする女子高生。「そうですが」


「それは、大変失礼しました」私は、ぺこりと頭を下げた。


 女子高生改め女子高生に見える警察の人は、えへん、と咳ばらいをし、警察バッジを取り出した。「(わたくし)、警視庁刑事部捜査一課殺人犯捜査四係より、こちらのゾンビ対策課に配属になった者です」


 開かれた警察バッジには、コスプレにしか見えない制服姿の写真と、その下に『警部補・雪平アキ』と書かれてある。


「え!? あなたが雪平警部補!?」思わず声を上げる私。


「違います。雪平(ゆきだいら)です」


「……はい?」


「よく間違われるんですが、『(ゆき)』に『(たいら)』と書いて、『ゆきだいら』と読みます」


「そ、そうですか。それは、失礼しました。(わたくし)、ゾンビ対策課の、有栖と申します」


「アリスさん? そうは見えませんが、海外の方ですか?」


「あ、いえ」私も警察バッジを取り出して開いた。さっきの雪平警部補と同じく、制服姿の写真と、その下に『巡査・有栖浩一』と書かれてある。「有る無いの『有』に、木へんに西を書いて『有栖』です」


「ああ、有栖河先生のアリスですね?」雪平警部補の表情がパッと明るくなった。「あたし、有栖河先生の作品、大好きなんですよ。『学生アリスシリーズ』や『作家アリスシリーズ』は、全部読みました。テレビドラマでは、なんと言っても、彩辻先生と共同で制作した『安楽椅子探偵』シリーズですよね? あたし、あのシリーズ、全部正解してるんですよ? ああ。あのドラマ、またやってくれないですかね?」


「雪平警部補」


「はい」


「さっきから、何をおっしゃってるのか、さっぱり分からないのですが」


「あ……それは、大変失礼しました」雪平警部補は、やっちゃった、という表情。「あたし、推理小説とか刑事ドラマとかが大好きで、それが理由で刑事になったようなものなんです。語り始めると止まらなくなるクセがあって、友達からも、『ちょっと何言ってるか分からない』って、よく言われるんです。気を付けてはいるんですが……。これからまた何か語り始めたら、きっと長くなるので、途中で無理矢理中断してもらって構いませんから」


「分かりました」そう言った。なんか、厄介そうな人だな。


「それで、アリス巡査。現場の方はどうですか?」雪平警部補は、廊下の奥の方を覗く。


「今、鑑識と、監察医の先生が調べています。詳しくはまだ分かりませんが、恐らく、殺人事件でしょう」


「そうですか。では、作業が終わるまで、屋敷の周りを見て来ます」


「分かりました。私もお供します」


 私は雪平警部補と一緒に、家の外に出た。


 まあ、家の周りを見て回るとは言っても、この辺りは田舎すぎてなにも無い。家の前は、二車線の狭い国道と、その向こう側は田んぼや畑が広がり、家の裏は竹林だ。竹林の中には細い砂利道が奥まで続いている。雪平警部補は竹林の中に入って行った。私は後に続いた。


「しかし、少し意外でした」私は雪平警部補の後ろ姿を見ながら言った。


「何がですか?」


「本庁の捜査一課から来られた方が、まさかこんな――」子供っぽい、という言葉を、私は飲み込んだ。「まさかこんな、カワイイ方だとは」


 思わず「カワイイ」言い替えたが、それも失礼な気がしてきた。雪平警部補は私より年下だが、階級は二つも上なのだ。


「『背中まで伸びた長い黒髪、ボディラインが強調された黒のパンツスーツに身を包んだ、スラっと背の高いセクシーな大人の女性』とか、想像してたんでしょう?」


「いえ、決して、そういうわけでは……」私は、コホンと咳ばらいをした。どうしてバレてしまったのか。


「あたし、人の表情を読むのが得意なんですよ」雪平警部補はニッコリと笑った。「特に、アリス巡査は、あたしが知っている人の中でも、一、二を争う分かりやすさです」


 そうなのか? 確かに私は、常々考えていることが顔に出やすいと言われるが、表情だけでそんな細かいところまで分かるモノだろうか? 気を付けないといけないな。


 と、雪平警部補の後ろの竹藪が、ガサガサと揺れた。雪平警部補が振り返ると同時に、竹藪から人影が現れる。青白く生気のない肌、うつろで焦点の定まっていない目、だらしなく開いた口から除く鋭い歯――ゾンビだ。


 ゾンビは、何かを求めるように、あるいは何かにすがりつくように、両手を前に突き出し、ゆっくりとした動作で雪平警部補に近づく。立ち尽くす警部補。ゾンビが、警部補の両肩を掴んだ。


「きゃっ!」雪平警部補の短い悲鳴。とても刑事とは思えない可愛い声だ……などと言っている場合ではない!


「危ない!」


 私はダッシュで雪平警部に近づくと、ゾンビを引き剥がし、そのままくるっと回転しながら腰を入れてゾンビを投げた。柔道の背負い投げ。ゾンビは受け身すらとれずに地面に叩きつけられる。私は右の拳を握ると、ゾンビの頭部めがけて打ち下ろした。


 ぐしゃり。


 肉と骨と脳が同時に潰れる音とともに、ゾンビは動かなくなった。


「雪平警部補、大丈夫ですか?」振り返り、きょとんとした表情の警部補に言う。


「え? あ、はい。平気です」


「咬まれたら、問答無用でゾンビになってしまいますから、注意してください」


「そ……そうですよね。気を付けます。ありがとうございます。助かりました。しかし、アリス巡査って、お強いんですね」


「ゾンビ相手ですからそれほどでもないですが……一応、柔道空手共に三段です」


「それはスゴイです」ぱちぱちと拍手する雪平警部補。「あたし、武術とか運動面はからきしダメなので、頼りにしてます」


「え? 雪平警部補、捜査一課にいらっしゃったのに、武術がダメなんですか?」驚く私。


 警察官は、柔道か剣道のどちらかが必修科目となっている。危険が多い職業だから、命を護るためには当然だ。殺人や強盗などの凶悪事件を扱う捜査一課なら、なおさらである。


 雪平警部補は堂々とした口調で言った。「一応必須なので、週二回剣道をやってましたが、三年で、やっと六級になりました」


 六級……小学校低学年のレベルだな。よくそれで現場の捜査官をやっていたものだ。


 まあ、現場の捜査官のほとんどは、私のようないわゆるノンキャリア組の警官だ。キャリア組が現場に出るのはせいぜい半年ほど。それも、後に指揮官になった時のために、現場の雰囲気をなんとなく知ってもらうための、いわば研修のようなものである。だから、武術なんて真面目にやっていない人がほとんどなのかもしれない。


 雪平警部補は、倒れたゾンビのそばにしゃがんだ。「コレがゾンビなんですね。初めて見ました」


「え? 雪平警部補、ゾンビを見るの、初めてなんですか?」ちょっと驚く私。今どきそんな人がいるのか。


「はい。アウトブレイクが発生したころ、あたし、アメリカに留学してまして。帰国したときには、もう収束してました。東京ではもう、ゾンビなんてほとんどいませんから」


 確かに、都市部ではゾンビはほとんど駆逐されたらしいからな。ゾンビ対策課が忙しいのは、うちのような田舎くらいだろう。


「ゾンビって、腐ってるってイメージですけど、そうでもないんですね」雪平警部補はゾンビをじっくりと観察する。意外にも、頭が潰れたゴア表現にも動じていない。


「そうですね。映画やゲームのゾンビと違い、現実のゾンビは、性質上、あまり腐りません。死んだ人は、長くても二十四時間以内にゾンビになります。そして、どういうわけか、ゾンビになっている間、身体は決して腐敗しないんです」


「そうなんですか。勉強になります。アリス巡査、ゾンビのことに詳しいんですね」


「それはまあ、一応、ゾンビ対策課の人間ですから」


「そうだ。アリス巡査、ゾンビのこと、簡単に教えてもらっていいですか? あたし、全然知らなくて」雪平警部補は手帳を取り出した。


 どうしてゾンビを初めて見るような人をゾンビ対策課に配属するんだ。上層部のやることはよく分からんな。まあ、文句を言っても始まらない。私は、雪平警部補にゾンビに関する簡単な知識を説明した。




      ☆




 ・人は死ぬと、早くて一時間、長くても二十四時間以内にはゾンビになる。

  ただし、脳が破壊されている死体はゾンビにはならない。


 ・ゾンビに咬まれると約二十分でゾンビになる。

  爪で引っ掻かれてもゾンビにはならない。


 ・ゾンビはウィルスによる感染症の一種である。

  ワクチンや特効薬はまだ開発されていない。


 ・ゾンビは科学的に見て死んでいるが、脳だけがわずかに活動している。

  なぜゾンビが動くのかはまだ分かっていない。


 ・ゾンビの外見は死体の姿そのままである。

  顔色が青白く、瞳が濁っているが、化粧やカラーコンタクトで十分生きている人間に見える。


 ・ゾンビは脳を破壊されると活動を停止する。


 ・ゾンビは痛みも恐怖も感じない。


 ・ゾンビは脳さえ残っていれば、たとえバラバラにされても死なない。

  ただし、頭部から切り離された部分は、一分ほどもぞもぞ動いた後、活動を停止する。


 ・ゾンビは生きている人間を襲って食べる。


 ・ゾンビは、ゾンビになる前の死体も食べるが、ゾンビになった死体は食べない。

  死体を食べている途中にその死体がゾンビになった場合、その時点で食事をやめる。

  また、活動を停止したゾンビも食べない。


 ・ゾンビは、人間以外の動物は食べない。


 ・ゾンビも一週間ほど食事をしなければ活動を停止する。その後は何をしても活動することはない。


 ・ゾンビ化している間、身体は腐らない。


 ・ゾンビの知能は極めて低い。

  食事以外に特定の行動はほとんど見られないので、昆虫以下の知能と言われている。


 ・ただし、ゾンビは生前の記憶をわずかながら残しており、

  習慣化していた行動を繰り返すことが多い。


 ・ゾンビは喋ることはできないが、うなり声を上げることはできる。


 ・ゾンビの視力は〇・一程度だが、メガネやコンタクトで視力が上がる。


 ・ゾンビの聴力は人間並み。音に強く反応する。


 ・その他の五感はほとんど機能していない。


 ・ゾンビが生きている人間と死んでいる人間をどう判別しているかは不明。




      ☆




「――と、まあ、他にもいろいろありますが、事件の捜査でよく使われるのは、これくらいですね」


 雪平警部補は、私の説明を熱心に聴きながら、手帳にメモしていった。「――ナルホド。よく分かりました。それにしても、ちょっと意外でした。ゾンビって、あんまり怖くないんですね」


「そうですね。咬まれたら問答無用でゾンビになってしまうのが恐ろしいところですが、動きは鈍く、力は生きている人間の半分くらい、知能はほとんど無いですし、数が少なければ、そんなに怖がる相手ではありません」


「あたしのイメージでは、もっと集団で襲って来たり、人間以外のゾンビもいたりして……例えば、ゾンビ犬とかが、突然窓を破って襲って来たりとか、あるいは、ゾンビが進化して、壁や天井に張り付いて長い舌で攻撃したりとか、すごく凶暴なイメージがあるのですが」


「それは、『バイオハザード』のゾンビのイメージですね。ゲームや映画が大ヒットしたので、ゾンビというと『バイオハザード』をイメージする人が多いですが、現実世界のゾンビは、『デッドライジング』や『ゾンビ』などの、ジョージ・A・口メ口監督が生み出したゾンビ像に近いですね。これらの作品は、ゾンビと人との戦いよりも、ゾンビが溢れた世界での人間同士の争いを描いた作品です。最近では、ゾンビが走ったり、スゴイものだと格闘技や忍術を使うゾンビの作品もありますが、私はやっぱり、口メ口系のゾンビ作品が好きですね。ちなみに、ゾンビが走るようになったのは二〇〇二年公開の映画『28日後…』や、二〇〇四年公開の『ドーン・オブ・ザ・デッド』と言われていますが、実際は、口メ口監督の作品で、ゾンビ映画のパイオニアと言われている、一九六八年公開の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で、すでに小走りするゾンビが登場しているんです。いや、口メ口監督の先見性の高さには驚かされますね」


「アリス巡査」


「はい」


「さっきから、何をおっしゃってるのか、さっぱり分からないのですが」


「あ……それは、大変失礼しました。私、ゾンビモノの映画やゲームとかが大好きで、それが理由で刑事になったようなものなんです。語り始めると止まらなくなるクセがあって、友達からも、『ちょっと何言ってるか分からない』って、よく言われるんです。気を付けてはいるんですが……。これからまた何か語り始めたら、きっと長くなるので、途中で無理矢理中断してもらって構いませんから」


「分かりました」雪平警部補は、なんか厄介そうな人だな、という目を、私に向けた。


 プルプル。携帯電話が鳴った。見ると、沢田警部だった。ピッ。電話に出る。「はい、有栖です」


「どこにいるんだ、鑑識の調査は終わったぞ?」


「分かりました。すぐに戻ります」私はケータイを切り、雪平警部補を見た。「鑑識の調査が終わったようです。現場に戻りましょう」


「分かりました」


 私と雪平警部補は、結局ゾンビの説明をするだけになった周辺の見回りを切り上げ、足早に現場に戻った。


「遅いぞ、どこに行ってたんだ」いつもの横柄な口調で言う沢田警部だが、すぐに咳払いをし、口調を改める。「あー、有栖君。ユキヒラ警部補は、どちらかね?」


「こちらです」私は、そばできょろきょろしている雪平警部補に手のひらを向けた。


「いや、被害者の家族の方ではなく、警視庁刑事部捜査一課殺人犯捜査四係より転属になった美人刑事のユキヒラ警部補はどちらかね、と訊いているのだよ、君」


「ですから、こちらです」


 私が、きょろきょろしている雪平警部補を肘でつつくと、雪平警部補は、はっとした表情で沢田警部に敬礼をした。「失礼しました。本日付でゾンビ対策課に配属になった、雪平と申します」


「お……お前が、ゆき……だいら……だと?」


 沢田警部の目が点になった。どうやら沢田警部も、雪平警部のことを、セクシーな大人の女性刑事と想像していたらしい。沢田警部は美人には弱いがロリコンではない。ギリギリと歯ぎしりをし、まるで親の仇を見るような目で雪平警部補を睨みつける。


 だが、雪平警部補はそれに気づかず、しばらく部屋を見回した後、入口の壊れたドアの所にしゃがみ込んだ。そのままじーっと見つめる。


「……説明を始めてもいいかしら?」検視官の緋山先生が言った。


「これは緋山先生。ゾンビ対策課の者が失礼をしました」沢田警部はまたコロッと態度を変え、揉み手をしながら言う。「どうぞ、始めてください」


 緋山先生は説明を始めた。「被害者はこの家の主・西田新次郎、七十五歳。外傷は、頭部が潰されているのと、首の、ロープのようなもので絞められた跡と、その周りのひっかき傷の三つです。また、傷というほどのモノでもないですが、両手足にベルトのようなもので縛られた痕もありました。殺害時に拘束されていたのかもしれません。死因は、首の絞め痕とその周りのひっかき傷から見て、窒息死で間違いないでしょう。頭が潰されたのは、死亡後です。ご家族の方の証言通り、遺体発見後、ゾンビにならないように対処したものと思われます。死亡推定時刻は解剖してみないと詳しくは分かりませんが、五~六時間と言ったところでしょうね。遺体に関しては、こんな所です」


 私は緋山先生のおっしゃることをメモしていった。雪平警部補は、いつの間にかベッドのそばに移動し、今度は窓をじーっと見ていた。その姿を、沢田警部が忌々しそうに睨んでいる。


「……雪平警部補。緋山先生のお話を聞いてなくて、大丈夫ですか?」私は小さな声で言った。


「ちゃんと聞いてますから、大丈夫ですよ」あっさりした口調で言う雪平警部補。ホントに大丈夫か? 不安だ。


「続いて、遺体発見時の部屋の状況ですが――」緋山先生は雪平警部補を特に気にした様子もなく続ける。「部屋に物色された様子はありません。金品は小銭入れ程度ですが、手が付けられた様子はありません。また、家族の話によると、家の中の金品も盗まれたものは無いそうです。物取りの犯行ではないでしょう。そして、少々気になるのが、ドアと窓の状況ですね」


 やはりそうか。私も、この部屋に入った時から、なんとなく気になっていたんだ。


「この部屋に出入りできるのは、ドアと窓の二つだけですが、遺体発見時、どちらも鍵はかかっていたそうです。ドアの鍵は、遺体のポケットから見つかりました。家族の方の証言によると、このドアを開ける鍵はその一本のみで、合鍵は無いとのことです。つまりこれは――」


 ばっ! っと、雪平警部補が緋山先生に手のひらを向け、言葉を制した。「先生。そこから先は、あたしの役目です。ご遠慮ください」


 ……はい? 雪平警部補の役目? 何のことだ?


「……そうですか。では、どうぞ」緋山先生は、あっさり譲った。


「ありがとうございます」雪平警部補は部屋の真ん中に立つと、その場にいる人をゆっくりと見まわした。「――遺体発見時、この部屋のドアと窓には、鍵がかけられていた。合鍵は存在せず、他に出入りできるようなところも、犯人が隠れるような場所もありません。つまりこれは――」


 雪平警部補は、たっぷりと間を溜め、そして、言った。


「これは、密室殺人です!!」


 ばばーん、という効果音が聞こえてきそうな勢いで宣言した雪平警部補だったが、緋山先生や沢田警部たちは、すでに現場の調査を終え、部屋から撤収した後だった。







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