第四話 見立て殺人・オブ・ザ・デッド 3
「――それでは、『蛇石倭山そして誰もいなくなった(一人除く)事件』の捜査会議を始めます」
洋館の食堂を占領し、相変わらずどこから持ってきたのか分からないホワイトボードの前に立ち、雪平警部補は満足げに頷いた。
「まずは、事件の概要を振り返りましょう。アリス巡査、お願いします」
「はい」私は、手帳をめくった。「まず、昨夜この館に集まったのは、あるゲーム会社が企画したプレゼント企画『ゾンビ洋館体験ツアー』に当選した男女六名と、ゲーム会社に臨時で雇われたアルバイト従業員二名の、合わせて八名です。彼らは、館の敷地内で次々と何者かに襲われ、八名中七名が命を落としたものと見られています。しかし、遺体は見つかっておりません。おそらく、ゾンビとなってどこかに行ってしまったものと思われます」
「館周辺にいるゾンビは確認しましたか?」
「はい。ツアー参加者の一人で、今回の事件のただ一人の生存者・本間和彦氏協力の元、館の庭および手前の駐車場のゾンビは確認しましたが、それらしきゾンビはいないとのことです。しかし、安全を考慮して、ゾンビに襲われない程度の距離から確認になりましたので、正確とは言えないでしょう。本間氏も、絶対にいないか? と訊かれたら、断言はできないとおっしゃっていました。この辺りは、一体一体ゾンビを捕まえて、しかるべき方法で身元確認をするしかないでしょうね」
「分かりました。では次に、失踪した人たちの身元をお願いします」
「はい。医者の野崎誠一氏、主婦の橋本由美子氏、由美子氏の娘で小学生の橋本朱美ちゃん、警備員の松坂洋介氏、松坂氏の恋人で家庭教師の木崎理恵氏、大学生で洋館の従業員の一人吉沢利彦氏、フリーターで洋館の従業員で利彦氏の妹の吉沢恵里香氏です」
「そして、元自衛官の本間和彦氏」ホワイトボードに名前と職業を書き終えた雪平警部補は、腕を組んで考え込んだ。「……橋本由美子氏はカルト教団に入信していた。つまり、信仰心が強い。朱実ちゃんは小学生だから、遊んでいる。松坂氏は警備員。退職した警察官の再就職先として人気がある。自衛官は、海外で言えば軍隊のようなもの……」
「雪平警部補、彼らの職業が、何か引っかかりますか?」
「はい。医者、信仰心の厚い婦人、遊び人、元刑事、家庭教師、執事、メイド、そして、元軍人。これ、『そして誰もいなくなった』の登場人物ですね」
そして誰もいなくなった――ミステリーの女王と言われたアガサ・クスリティの代表作のひとつで、孤島に集まった十人の男女が、マザー・グースの詩の一節に沿って殺されていくという作品だ。今回の事件と、状況がよく似ている。
「ただし、『そして誰もいなくなった』で館に集まったのは十人ですから、二人足りません」雪平警部補が続けた。「元判事と老将軍がいませんね。殺される順番も違いますし、そもそも、見立てる詩が全然違います」
「はい。二階の客間には額縁に詩の一節が飾られてあるのですが、その内容は、このようなものです」
私は、本間氏の部屋から外してきた額縁を取り出した。
八人の日本人、墓参りに出かけた。一人が墓石に頭を打ちつけ、七人になった。
七人の日本人、ドライブに出かけた。二人が車の爆発に巻き込まれ、五人になった。
五人の日本人、ケンカになった。一人が銃で撃たれ、四人になった。
四人の日本人、子供を助けようとした。一人がゾンビになり、三人になった。
三人の日本人、子供を助けようとした。一人が胸を刺され、二人になった。
二人の日本人、ゾンビと戦った。一人がゾンビに連れ去られ、一人になった。
一人の日本人、一人ぼっちで朝を迎えた。そして故郷に帰り、誰もいなくなった。
「――この詩は、何なんでしょうね?」雪平警部補があごに手を当てる。「この地域に古くから伝わる詩だと、執事が言っていたそうですが、本当かどうか。少なくとも、駐在員の方は、知らないと言ってました」
「あ、雪平警部補。この詩、初めて見た時から既視感があったんですが、さっき思い出しました」
「何ですか?」
「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です――」
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド――ゾンビ映画の巨匠・ジョージ・A・口メ口監督が手掛けた、ゾンビ映画のパイオニアだ。ゾンビといえば、それまでは魔術で動くというファンタジー的な位置づけだったが、口メ口監督はこの映画で、宇宙から降り注ぐ放射性物質の影響で死者がよみがえり、人間を襲い、襲われた人間もゾンビとなる、という設定を加えた。この映画は大ヒットし、後の『ゾンビ』『死霊のえじき』と言う作品と共に、現在のゾンビ像のスタンダードとなったのである。
――と、いう説明から入り、その他の代表的な作品のゾンビ像を説明しようとしたところで、雪平警部補に遮られてしまった。「――つまり、この詩は土地に伝わるものではなく、映画を元にして作られている、ということですね?」
「そうなります。恐らく、今回の事件の犯人が用意した物でしょう。しかし、ちょっとだけ、映画とは違うところがあるんです」
「違うところ? それは、どこでしょう?」
「それがですね、その、まあ、何と言いますか」
「はい」
「大変申し上げにくいのですが」
「なんですか?」
「つまり、早い話がですね」
「全然早くないでしょう。なんなんですか? はっきりと言ってください」
「しかし、雪平警部補、怒りませんか?」
「なぜ、あたしが怒るのですか?」
「雪平警部補は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を、見ていないのですよね?」
「はい。見たことはありません」
「そうですよね。ああ、これは困りましたね」
「だから、何なんですか?」
「今から私が言おうとしていることは、映画の内容に関することなんです」
「それが、どうかしましたか?」
「つまりですね、非常に重大なネタバレになるわけなんです」
「はい」
「まだ見ていない作品のネタバレをすることは、非常に心苦しいのです。この映画はかなり衝撃的な内容なので、ぜひとも実際に見て欲しいのです。ですから、雪平警部補にネタバレすることはできません」
「安心してください。まったく興味が無いので、一生見ることはないでしょう。遠慮なく話してください」
「なんてことを言うんですか。あの映画を見ずに、ゾンビ映画は語れませんよ?」
「語るつもりはありません」
「まあ、そうでしょうね」
「はい」
「しかし、興味が無いからと言って、安易にネタバレしてしまうのも、ゾンビマニアとしてはどうかと思うわけですよ」
「いちいち細かいことを言う人ですね。あたしが聞きたいと言ってるんだから、素直に教えればいいんですよ。何をためらう必要があるんですか」
「では逆に、私が『そして誰もいなくなった』の犯人を教えてくれ、と言ったら、どうしますか?」
「あの小説はかなり衝撃的な内容なので、ぜひとも実際に読んで欲しいです。ですから、アリス巡査にネタバレすることはできません」
「安心してください。まったく興味が無いので、一生読むことはないでしょう。遠慮なく話してください」
「なんてことを言うんですか。あの作品を読まずに、推理小説は語れませんよ?」
「語るつもりはありません」
「まあ、そうでしょうね」
「はい」
「しかし、興味が無いからと言って、安易にネタバレしてしまうのも、推理小説マニアとしてはどうかと思うわけですよ」
「…………」
「…………」
「……そうなるでしょう?」
「……なりますね」
「だから私も、ネタバレはしたくないんです」
「ナルホド。お腹の底から理解しました。しかし、それでは話が進まないんですよね?」
「そうです」
「困りましたね」
「困りました」
私と雪平警部補は、腕を組んで考えた。
「アリス巡査。では、こうしましょう」
「何か名案がありますか?」
「はい。あたしは、今から耳を塞ぎますので、アリス巡査は、その間に喋ってください」
「……はい? そんなことをして、意味があるんですか?」
「あります。あたしが耳を塞いで、耳を塞ぐのをやめる間は、ネタバレをしているということになります。だから、知りたくない人は、読まないように、いえ、聴かないようにすればいいのです」
「よく分かりませんが、分かりました。では、行きますよ?」
「お願いします」
雪平警部補は、耳を塞いだ。
「この額縁の中に書かれてある詩のラストなんですが、一人ぼっちで朝を迎えた最後の一人が故郷に帰った、となっています。しかし、映画のラストは、全く違います。映画では、一人ぼっちで朝を迎えた男が、ようやく助けに来た救助隊に、ゾンビと間違われて銃で撃たれ、そのまま燃やされてしまう、というものです。詩と映画は、ラストがかなり違っているんですよ。この詩を用意したのが犯人なら、なぜ、そこを変える必要があったのでしょうか? 単純に考えると、犯人にとっては、最後の一人が生き残らなければいけない理由があった、ということになります。その理由が何なのかまでは分かりませんが、恐らく、最後の一人が犯人だから、という単純なものではないでしょう。そんなことをしても、逆に最後の一人が疑われるだけですからね」
雪平警部補は、耳を塞ぐのをやめた。
「OKですね?」と雪平警部補。
「はい。バッチリです」
「ありがとうございます」雪平警部補は大きく頷いた。「では次に、被害者と思われる七人の死亡した時の状況を説明してください」
七人の死亡時の状況は、非常に重要な点だろう。私は、ゆっくりじっくり説明を始めた。
☆
被害者その一 執事・吉沢利彦
館の庭の東側で、ゾンビともみ合いになり、倒れた拍子に墓石に頭を打ちつけて死亡。
利彦の死亡時、警備員の松坂は庭の東側、医者の野崎と元自衛官の本間は庭の西側、家庭教師の木崎と主婦橋本と娘の朱美は木崎の部屋、メイドの恵里香はキッチンにいた。
被害者その二 警備員・松坂洋介 および被害者その三 家庭教師・木崎理恵
山を下りようと車に乗り込んだら、車が爆発炎上。
二人の死亡時、残りの五人は玄関にいた。
被害者その四 医者・野崎誠一
自室にて銃で胸を撃たれ死亡。
銃声が聞こえた時、自衛官の本間とメイドの恵里香は食堂に、主婦の橋本と娘の朱実は自分の部屋にいた。
被害者その五 小学生・橋本朱美 および被害者その六 主婦・橋本由美子
娘の朱美はゾンビ化。主婦の由美子は胸を刺され、ゾンビとなった娘に食べられる。
娘の朱美がどこでゾンビに咬まれたのかは不明。また、ゾンビとなった幼い娘が人を刺す可能性はまず無い。
朱美がゾンビ化し、由美子が刺されたと思われる時間、元自衛官の本間はロビーに、メイドの恵里香は自室にいた。
被害者その七 メイド・吉沢恵里香
本間氏を犯人だと思い、館の外に飛び出したところを、ゾンビ化した兄の利彦にさらわれる。
本間氏はロビーにいた。
☆
私は、説明を終え、雪平警部補を見た。「――以上が、死亡時の状況です。ちなみに、これらの状況は本間氏の証言だけでなく、メイドの恵里香氏がつけていた業務日誌と、主婦の橋本氏が書いていた日記にも、同じことが書かれてありました。ですので、信憑性は高いと思われます」
「……なるほど。分かりました」雪平警部補は、被害者の死亡時の状況を全てホワイトボードに書いて行った。
「雪平警部補」
「はい」
「まだ登場していない人物が犯人だという可能性は、除外してもいいんですよね?」
「もちろんです。最後にひょっこり現れた人が犯人だった、なんてことは、許されません」
「そうなると、私、思ったのですが」
「何でしょうか?」
「この事件は、被害者が殺された時間、他の人がどこにいたかが、かなりハッキリしています。ならば、それらを整理して行けば、おのずと犯人が分かるのではないでしょうか? すべての事件発生時にアリバイが無い人が、犯人ということです」
私がそう言うと、雪平警部補は手を叩いて喜んだ。「すばらしい発想です。アリス巡査も、刑事としてすごく成長しましたね。上司として、喜ばしい限りです」
「ありがとうございます」
「では、その方向で推理をしてみてください」
「分かりました」
☆
執事・吉沢利彦死亡時
執事:庭の東側(死亡)
警備員:庭の東側
家庭教師:家庭教師の部屋
医者:庭の西側(一度トイレに行く)
子供:家庭教師の部屋
主婦:家庭教師の部屋
メイド:キッチン
元自衛官:庭の西側
執事、家庭教師、子供、主婦が容疑者から外れる。
警備員・松坂洋介、家庭教師・木崎理恵死亡時(〇は容疑者から外れた者)
〇執事:死亡
警備員:車(死亡)
〇家庭教師:車(死亡)
医者:ロビー
〇子供:ロビー
〇主婦:ロビー
メイド:ロビー
元自衛官:ロビー
死亡時は全員ロビーにいたが、車の爆発物はいつ取り付けられたものか分からないため、アリバイは成立しない。
これ以降、館の全ての出入口に内側から鍵がかけられる。
野崎誠一死亡時
〇執事:死亡
〇警備員:死亡
〇家庭教師:死亡
医者:医者の部屋(死亡)
〇子供:主婦の部屋
〇主婦:主婦の部屋
メイド:キッチン
元自衛官:キッチン
医者、元自衛官、メイドが容疑者から外れる。
☆
「…………」
「…………」
「……雪平警部補」
「はい」
「全員、容疑者から外れてしまいました」
「そうですね」
私は、がしがしと頭を掻いた。「おかしいですね。これは、まだ登場していない人物が犯人だということでしょうか?」
「そんなことはありません。犯人は、必ずこの八人の中にいます」
「しかし、全員にアリバイが成立しているんですよ?」
雪平警部補は、人差し指を立てた。「アリス巡査、ひとつ、重要なことを忘れています」
「なんでしょう?」
「死んだと思われた人が実は死んでいなかった、という可能性を考えてみてください」
「え? それはつまり、殺された人の中に犯人がいる、ということですか?」
「そうです。このテのお話には、よくあることです」
「分かりました。では、その方向で推理し直してみます」
☆
執事・吉沢利彦死亡時
執事:庭の東側(死亡)
警備員:庭の東側
家庭教師:家庭教師の部屋
医者:庭の西側(一度トイレに行く)
子供:家庭教師の部屋
主婦:家庭教師の部屋
メイド:キッチン
元自衛官:庭の西側
家庭教師、子供、主婦が容疑者から外れる。
警備員・松坂洋介、家庭教師・木崎理恵死亡時(〇は容疑者から外れた者)
執事:不明
警備員:車(死亡)
〇家庭教師:車(死亡)
医者:ロビー
〇子供:ロビー
〇主婦:ロビー
メイド:ロビー
元自衛官:ロビー
死亡時は全員ロビーにいたが、車の爆発物はいつ取り付けられたものか分からないため、アリバイは成立しない。
これ以降、館の全ての出入口に内側から鍵がかけられる。
医師・野崎誠一死亡時
執事:不明
警備員:不明
〇家庭教師:不明
医者:医者の部屋(死亡)
〇子供:主婦の部屋
〇主婦:主婦の部屋
メイド:キッチン
元自衛官:キッチン
元自衛官、メイドが容疑者から外れる。
警備員と家庭教師は館の中に入ることができないため、容疑者から外れる。
医者は館の外に出される。
小学生・橋本朱美、主婦橋本由美子死亡時
執事:不明
〇警備員:不明
〇家庭教師:不明
医者:不明
〇子供:主婦の部屋(死亡)
〇主婦:主婦の部屋(死亡)
〇メイド:メイドの部屋
〇元自衛官:ロビー
医者は館に入ることができないので、容疑者から外れる。
☆
「……雪平警部補」
「はい」
「殺された人が生きているかもしれない、という可能性も考慮して、事件発生時の全員のアリバイを検証して言った結果、最後までアリバイが無いのは、執事の吉沢利彦氏となりました」
「そうですね」
「吉沢は、最後にゾンビとなって、妹の恵里香氏をさらっています。考えてみたら、これはおかしいです。ゾンビは生きている人間を食べますが、ノラネコじゃないんですから、他のゾンビに横取りされない場所に持ち帰って食べる、なんてことはあり得ません。あれは、吉沢がゾンビに変装していたのではないでしょうか?」
「すばらしい。その通りだと思います」
「やりました。では、犯人は執事で大学生の吉沢利彦として、本署に連絡し、緊急手配をしましょう」
私は、さっそく覆面パトカーの無線を使って連絡するべく、部屋を出ようとした。しかし。
「待ってください、アリス巡査」雪平警部補が止める。
「はい、何でしょう?」振り返る私。
「アリス巡査の今の推理は、実に論理的で、すばらしいと思います。しかし、残念ながら、ひとつ大きな欠点があります」
「欠点? まさか、『ゾンビに変装するというネタは以前やったから却下』とか言うのではないでしょうね? 確かに、以前そういう推理も出ましたが、真相は違っていたんですから、別にイイじゃないですか」
「まあ、それもあるんですが、それよりも、もっと、大きな欠点です」
「それは何でしょうか?」
「はい。犯人とされる吉沢氏は、館の庭の東側で、ゾンビともみ合いになり、倒れた拍子に頭を打って死亡した、となっています」
「その通りです。ですが、それは恐らくお芝居で、死んだフリをしていたのではないでしょうか?」
「しかし、倒れた吉沢氏は、その後現場に駆け付けた医師の野崎氏によって、死亡を確認されているのです。これは、どう説明しますか?」
「――――」
思わず言葉を失う。そうだった。雪平警部補の言う通り、吉沢氏の死は、医者の野崎氏が確認している。庭は暗かったとはいえ、本職の医者が死んでいるか生きているかを見誤る可能性は極めて低いだろう。もちろん、見誤る可能性もゼロではない。また、吉沢氏が何らかの原因で仮死状態になっていたということもあり得るかもしれない。しかし、この事件は極めて綿密に計画されていたことがうかがえる。医者の誤診や、仮死状態になる、なんて、運任せなことはしないだろう。
……と、いうことは?
「雪平警部補。もしや、執事の吉沢と、医者の野崎は、共犯ということでしょうか?」
私がそう言うと、雪平警部補は満足げに頷いた。「はい。その可能性が浮上してきます」
「では、吉沢と一緒に、野崎も手配します」
私は今度こそ館を出て行こうとするが。
「待ってください。まだ、欠点は解消されていません」またまた雪平警部補が止める。「医者の野崎氏も共犯という可能性が出てきましたが、そうなると、なぜ野崎氏が殺されたのか、という、新たな疑問が出てきます」
「それは……」考える。答えはすぐに思い当った。「まさか、野崎も、同じように死んだフリをしていたのでしょうか?」
「その可能性が考えられます。しかし、そうなると、今度は野崎氏の死を確認した、自衛官の本間氏も共犯ということになります」
「で、では、本間氏を逮捕し、吉沢氏と野崎氏を手配しましょう」
「そういうことになるんですが、しかし、アリス巡査の推理は、単独犯ということを前提に始まっているのです。三人が共犯ということになれば、前提が間違っているのですから、推理自体が成り立ちません。共犯者がウソをついているという可能性が出てきますから、証言に信憑性が無くなります。事件発生時に誰がどこにいたかが、証明できないんですよ」
「確かに……おっしゃる通りですね」私は、視線を床に落とした。「しかし、それでは、アリバイを元に犯人を特定することができなくなります」
「はい、その通りです」
「――え?」
「この事件は、アリス巡査の推理方法じゃ、絶対に解けないんです」
「…………」
「…………」
「……はい?」
「この事件は、今のアリス巡査の推理方法では、絶対に解けないんです。まず、犯人が一人という根拠が無いんですよ。犯人は一人かもしれないし、二人かもしれない。最悪、全員が犯人ということだってあり得るわけです。そうなるとですね、そもそも、みんなの証言が本当かどうかも怪しくなってくるわけです。本間氏の証言や、メイドの恵里香氏の業務日誌、主婦の橋本氏の日記、どれも、本当である根拠は、今のところありません。誰かがウソをついているかもしれませんし、全員がウソをついているかもしれないんです。今のアリス巡査の推理をするなら、自分や信頼のできるパートナーが事件現場にいた、とか、防犯カメラの映像を確認した、などの、絶対にウソではないと断言できる根拠が必要なんです。残念ながら、現時点では誰がホントのことを言って、誰がウソをついているのかを特定することができません。ですから、本間氏の証言や、橋本氏の日記などをもとに犯人を特定することは不可能なんです」
「…………」
「…………」
「……雪平警部補」
「……はい」
「ここまで結構な文字数を使って推理してきましたが、それが結論でしょうか?」
「そういうことになりますね」
「ひょっとして、最初から気が付いていたのではないですか?」
「もちろんです。あたしは、本間氏から事件の話を聞き始めた時から、頭の中で全員のアリバイを検証していき、早々に、この方法ではダメだと結論付けました」
「……なら、早く言ってくださいよ」
「それは、せっかくアリス巡査が気持ちよく推理しているんですから、邪魔したら悪いな、と思ったんです。それに、何事も経験です。失敗の経験は、失敗する前に他人から『失敗だ』と言われるより、実際に失敗してみた方が、その後の教訓になりやすいですからね。これも、親心というものです」
ウソだ。この人は絶対、『あ、アリス巡査、あたしと同じ推理してる。その推理方法じゃ、絶対解けないのに。ぷぷぷのぷー』とか、心の中で笑ってたに違いないぞ。
「まあ、そう気を落とさないでください」雪平警部補は、どこか嬉しそうに言った。「『ある可能性をとことん追求して、結果それが間違っていたとしても、ひとつの可能性が消去されたということだから、それは一歩前進したことになる』と、華屋崇一先生も言ってます。うろ覚えですけど」
そんな誰だか分からない人の言葉を持ち出して慰められてもな。あーあ、無意味な時間を過ごしてしまった。推理は最初からやり直しか。
「そんなことはありませんよ? アリス巡査の推理、あながち間違いでもないと思います」
「へ? 間違いではないのですか? と、いうか、雪平警部補、ひょっとして、すでに真相が分かっているのですか?」
「一応、八割くらいは」
「……ほとんど分かってるじゃないですか。教えてください。いったい、誰が犯人なんですか?」
「うーん。犯人の目星はついているんですが、今の所、確証に乏しいんですよねぇ。それでも良ければ、教えましょう」
「かまいません。お願いします」
「分かりました。えー、この事件の犯人はですね――」




