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達観したつもりだったけどそうでもなかったらしい

達観したつもりだったけどそうでもなかったらしい

作者: 透凪真白

突発リクエスト企画第四弾です。新作短編リクエストをくださいました星様、ありがとうございます!楽しんでいただけましたら幸いです……が、なんかちょっとリクエスト通りにいかなかったような……なんかちょっとどんどんずれ込んだような……。描いてる本人はとっても楽しかったです(おい)

 無味乾燥な人生だったと思う――いや。そもそも振り返るほど長くは生きていないのだが。

 しかし高校生という年齢において、そう言って差し支えない精神をいまだ保っているというのはなかなかに珍しいのではないだろうか。たとえば思春期特有のただの格好つけたそれではなくて、本当に、そういう感覚がよくわからなくて。親からは多少心配もされたが、結局は放っておくのがいちばんだろうとある程度の理解を示してくれた。それは大変ありがたいし、救いでもあったから、変に尖らずに済んだのだろう。

 こんな性格だ。唯一自分を理解してくれる幼馴染み以外、友人と呼べる人間はいない。俺は、他人に興味を抱いてみたいっていつも思う。けれど気付くと独りが心地良くて、そのまま。悪い事をしているとは思わない。けれども、俺は、そういう自分を見つけたくもあるのだ。毎日がつまらないから、面白いものを見つけたい。渇いた場所が、水分を欲するようなもので、とにかく、熱が欲しい。

焦がれてみたいよ、他人というものに。


「また見てる」

「え?」

「お前、気付いてないの?」

 頬杖を付いてぼんやりと教室を眺めていたら、予想外の言葉が頭上から降る。目を丸くして間抜けな声を上げた俺を、幼馴染みは多少呆れたように見ていた。

「他人にも自分にも関心がないんじゃ、そりゃ鈍いわな」

「……自分の事は、少なくともわかっているつもりではあったんだけど」

「俺は名前知らないけどさ、いつも目で追ってるじゃん、あの子」

 あの子、と指さした先に示されたのは、クラスメイトという接点しかない、ひとりの女子生徒。あまり喋っているのを見た事がない。教室の隅で、黙々と本を読んでいるイメージだ。

「彼女がどうかした?」

「いや、どうかした? じゃなく。見てただろ、今」

「別に教室全体を眺めてただけだけど」

「……ああそう」

 何故そこでため息を。

 幼馴染みの言っている意味がまるでわからない。いや、いわんとしている事は理解出来ている。しかし、それを認めようにも、俺にはまるで自覚がなかった。顔はぼんやりと覚えている。声はわからない。いつも本を読んでいるという印象しかない。たったそれだけのクラスメイトの存在を、どうして気にしているなどと思えるのか。

「だから、いつも本読んでるって知ってるんだろ?」

「まあ、そうだね」

「たとえばあっちで喋ってる奴。お前、いつも何してるか覚えてんの?」

 淡々と頷く俺をまるで出来の悪い生徒のように扱って、幼馴染みは読書家のクラスメイトとは真逆のようにも思える活発な女子生徒を指し示した。派手な茶色い髪に短いスカート。男子とも女子とも、色んな言葉を交わしている。

「…………多分、雑談してるんじゃないのか」

「多分だろ。今見た印象で言ってるんだろ。そもそも一年の中でも目立つ方の(えの)(もと)をきちんと個人認識してないお前が、あの影の薄そうな黒髪の女の子を認識している時点で異常だ」

「だから、いつも本を読んでるからたまたま」

「名前は?」

「え?」

「あの黒髪ちゃん。名前は?」

 幼馴染みの言葉に、俺は詰まった。

「…………()()()だろう」

 ほらな、といわんばかりの顔を向ける男が憎らしくて、思わず蹴り上げてみせると、周囲のクラスメイトがざわついた。

(よし)(むら)(さい)(とう)を蹴った!」

「い、いつも何を言われても流してる吉村が!」

「幼馴染みですらあの重い表情筋を動かす事は不可能だろうと言われていたのに!」

「何を言った斉藤……!?」

 会話を聞いておけばよかった、などと話し出すクラスメイトにため息を吐きながら、しかしここまでくると認める他ないと心は告げていた。

「お前、自分の事すらちゃんとわかってなかったんだな」

「多くの人間は、自分の事ほどわからないものだよ」

 頬杖を付いて呟いた俺に、(たく)()は、もう元通りかつまらん、と笑った。

 これが高校一年の夏休み前だ。どうやら達観して、厭世的に生きるには早い年齢のようだと痛感した瞬間だった。自分もやっぱりただの若者だったのだと安心したのも、やはりこの瞬間だった。

 それから。


「つまんねー、何もねえのかよ」

「どうしてそう何もかも次々と物事が動くと思うの」

 急ぎすぎだよ、と呟く俺に、青春は一回なんだぞ、とふてくされた声音で言う拓真も、別に恋人なんてものは存在しない。夏休みだって部活に精を出し、その部活仲間と祭りに行ったり海に行ったりとなんだかんだ楽しんだようだ。そう言うと、彼女と過ごす夏休みの思い出が欲しいと勢い良く返された。拓真は正直な男だ。

 同じマンションに住む俺と幼馴染みである拓真は、一方的に彼が俺の部屋へと押しかけてくる事が多い。別にかまわないのだが、事前に連絡くらいは寄越してもいいと思う。しかしそれを言うと、だったら携帯電話くらい持てとうるさい。そう言われても、あまりにも人間関係が希薄な俺には、全く必要のない道具だ。これからも不便を感じない限り持つつもりはないし、その手の援助をやすやすとしてくれるような親ではないので、持つとなると自分で料金を支払う事になるだろう。結果、働かなくてはいけなくなる。そんな事の為に労働をするのはあまりにも馬鹿馬鹿しかった。

 私室で麦茶を飲みながら息巻く拓真に、俺は苦笑いをこぼす。

「そうは言ってもね。俺はそもそも、持て余しているんだよ」

「何をだよ」

「だから、この感情だよ。不思議なもので、持たざる時はあんなにも欲していたのに、手に入れたとたん煩わしいったらない。みんなはこんな物を抱えて生きているのかと尊敬すらしてる」

「お前のそういう哲学的な物言いはよくわかんねんだけど」

「別に理解して欲しいわけではないからそこはいいんだけど。ただ、拓真はきちんと他人と向き合って生きてきたいわば大先輩になるわけだろう? 持て余す事はなかったのかなって疑問に思ったから訊いてみたかったんだよ」

「んー? んー……」

 考え出した拓真は、腕を組んでしばらく悩んでいたけれど、やがて、わからん、と首を傾げた。まあ、予想していた答えだ。けれどそれと同時に、やっぱりそうやって色々と折り合いをつけているんだろうなと思った。わからないときっぱり言い切ってしまうのもまた、鬱屈した何かを溜め込まない術なのだろうと思うから。

「拓真が言うように、きっと多くの人は持て余す事があっても、上手く自分と向き合って処理してきたんだろうと思う。そうやって大人になっていくんだろうって事も。俺はそれを、何年分も一足飛びで追いつかないといけない。だからこそ、ちょっとどうしたらいいか悩んでるんだよ。まずは未熟な自分を整理しないとね」

「いや、俺はわかんないって言っただけなんだけど」

「その答えでじゅうぶんだよ。少なくとも俺にはね」

「…………さっぱりわからん。頭でっかちなんだよお前は」

「それもまた性分だね」

 笑った俺の顔を、どこか歯痒そうに見る拓真の表情は、実に人間らしいと思う。俺もそのうち、こんな顔をするようになるのだろうかと考えた所で、なかなか想像は出来なかった。

「宿題、全部丸写ししたら後で困るよ?」

 微笑んで俺が言えば、拓真はぐっと言葉を詰まらせた。


 夏休みが明けても、まだまだ気だるい何かが教室を支配しているものの、クラスのムードメーカー的な人々は明るいようだ。それに引っ張られるかのように、じりじりと夏を惜しむ空気が霧散していく。色々な物を得たり失ったりして、進んでは後退していく青春を、いつか大人になった時、ここにいる人々は振り返ったりするのだろうか。

「日比谷ちゃん、それ面白い? 今度映画化されるやつだよね」

「うん、面白いよ」

「そうなんだ! 映画も面白いといいなー。日比谷ちゃん、映画とかは観る?」

 教室の隅から元気な声が響いて、何人かの生徒はおや、と目を丸くしていた。俺もそのひとりだ。日比谷と、いつだったか目立つ存在だと拓真が言っていた女子が会話している。それも不自然ではない様子で。休み中に何かがあったのだろうか。それとも元々、何かしらの繋がりがあったのだろうか。

 頬杖をついてそれを眺める俺は、自覚が出来たとはいえ、成長しているとは言い難い。一足飛びで何か行動出来るほどに積極的ならば、元々こんな性格にはなっていなかったんじゃないだろうか。

「吉村」

 呆けていた所に声をかけられたから、反応が遅れた。一拍置いて返事をしたら、相変わらずだな、と言われたけれど、どういう意味だろう。

「…………えーと」

(さわ)()だよ。そろそろ覚えてくんない? 会話するのこれで三度目くらいなんだけど」

「ごめん、あんまり得意じゃないんだ名前覚えるの」

「もうこのクラスになって半年だろ」

 しょうがない奴、と苦笑されて、俺は別段悪びれるでもなく小さく肩を竦める。沢田は特に怒っているわけではない様子だから、真剣になってもおかしな空気になるだけだろう。

「数学の宿題ってやってきた?」

「まあそれはそうだね」

「俺さ、今日当たるんだけど答え自信ないから見せてもらってもいい?」

「なぜ俺」

「お前成績いいじゃん」

 笑いながらけろりと言ってのけたが、そもそもなぜ俺の成績が上位だと知っているんだろうか。この学校は別に成績が貼り出されるわけでもないのに。無言で首を傾げていると、何かを思い出したかのように沢田が笑った。

「拓真が、(もとい)は頭が良すぎて会話が時々めんどくさいって言ってた」

「ああ……いや、拓真もシンプルすぎる所があるけれどね」

「あ、ほんとだ、めんどそう」

「何? 次の数学で恥をかきたいの?」

「申し訳ございませんでした!」

 土下座せん勢いで深々と頭を下げた男の後頭部を、ノートで一回叩いた。

「…………あ、やっぱ違ってた」

 ノートを席に持って行けばいいものを、勝手に俺の机で答え合わせを始めるこの男は、拓真と大枠では類友になるのだろう。人懐こい性格がよく似ている。ずかずかとパーソナルスペースに踏み込むわりに、不快感がない。がさつだが無神経ではないとどこか思わせるからだろうか。得をする性格とでもいうか。

 ちらりと沢田のノートに視線をやれば、何のことはない単なる計算ミスだったが、それに気付いていないのか、焦った声で首を傾げている。見かねて俺がそれを指摘すると、ああ! と沢田が妙に納得したような声を上げた。感動屋なんだろうか。どうでもいいがうるさい。

「――吉村って全然とっつきにくいとかじゃないのな」

「そう?」

「うん。普通にちょっと変わった奴」

「それは、普通なのか変なのかがよくわからないね」

「めんどくせー」

 けらけらと笑うこの男は、ここ数分で一体何回「面倒」という単語を使うつもりなのだろうか。そして俺はそうまで言われるほどに面倒な男らしい。自分ではわからない事ってたくさんあるものだな。いや、個人的な彼の主観なのかもしれないが。

「なあ、俺も基って呼んでいい?」

「お好きなように」

「教えてくれてありがと。今度なんかおごるわ、基」

 じゃあな、と肩を叩かれて、沢田は爽やかに自席へと戻った。春みたいな男だな。

「――?」

 ついいつもの癖で、また日比谷に視線を戻した俺は、日比谷もまたこちらを見ていたからか、ばっちりと視線が合ってしまった。数瞬見つめあう。

 ――あ。

 なんだ、そうか。気付いてしまった。日比谷は、多分。

 慌てたように視線を外した日比谷を、俺はさらに見ていた。ああ、やっぱりな、と確信する。今まで一度も視線が合う事なんてなかった。それが今日にかぎって交差した。その理由はひとつだ。もう、俺なんて見ていない。その視線の先にあるのはただひとり。

 彼女は、沢田に恋をしているのだと知った今日という日を、俺は一生忘れないんじゃないかという予感がした。


「勝手に恋して、勝手に失恋か……」

 初恋は実らないとよく言ったものだが、なかなかの急展開だ。青春というのは、こうも台風のように来ては去り、そしてまた何かを運んで来るものだろうか。これでは疲弊してばかりで、なかなか平常心を保てない。

 一丁前に落ち込んでいるのか。人間として着々と成長している証拠だと喜べばいいのか、失恋にどっぷり浸かって悲しめばいいのか、よくわからない。とりあえずは、今日一日どう過ごしたのかの記憶があいまいだ。今いるのは自室で、制服も着替えていつもの部屋着になっている。習慣とは恐ろしいもので、着替えてベッドに寝転ぶまでほぼ俺の世界は暗転していた。柔らかいベッドに腰を落ち着かせた瞬間、脳がクリアになった。まるでスリープ状態だったものが動き出したかのようだ。

 きっとこれが、流すという事で、受けた傷を癒す手立てなのだろう。自分にも自己修復能力が備わっていたのだと知った。どんどん人間としての自我が芽生えていく。こうやってまたひとつ強くなるんだな。

 ああでも、切り替えられるのだろうか。簡単に、何事もなかったかのように。

「…………わからん」

 とりあえず、明日の宿題をやる気がまるで起きないのは由々しき事態だと自身に苦笑した所で、まぶたは勝手に閉じられていった。


「…………何やってんの?」

「見てわかるだろう」

 黙々とシャープペンシルを動かしていると、沢田がぽかんと口を開けた状態で固まった。それを一瞥して、俺はまたノートに視線を戻す。

「英語の訳……だよな」

「そうだね」

「何で今やってんの?」

「昨日やらなかったから」

「え?」

「え?」

 その、信じられない物を見るような目はやめてくれないかな。別に俺は一分の隙もない優等生というわけではないんだけど。宿題を欠かさずやっていたのも、その他に割く時間がなくて持て余すからだ。暇ならばじゃあ勉強しようかという結論になるだけ。好きでも嫌いでもない。義務だからなんとなくそうするべきだろうかと思う程度のものだ。

「へー……でもさすがに早いな。もう終わるじゃん」

「そんなに難しい所でもなかったからね。ああ、多分だけど今日、単語の抜き打ちテストがあるよ」

「え!? 何で抜き打ちなのにわかんの?」

 問題を目で追って、こんなものだろうかと確認する。急激な眠気に襲われて昨日は何も出来ず仕舞いだったが、英単語の方はそう心配ないだろう。普段の予習、復習の範囲内のはずだ。

「あの先生、かなりきっちりした性格だから周期が大体決まってるんだよ。多少の前後はあるけど、今日みたいな宿題の量だと、まずテストをやって解説をやって最後に訳の確認みたいな感じになるから、恐らくは間違いない」

「ええええ基すげえええ!」

「いいからここからここまでざっと復習しておきなよ。うるさいよ」

「そしてクール! ありがとう基!」

 いや、だからうるさいよ。クラスの連中に言い触らすのは親切だと思うけれど、まず自分の復習をやってしまえばいいのに。まあ――あんな男ならば彼女が好きになるのもわかるかもしれない。

 見ないようにしていたんだけどな。結局は視界に映した彼女の静かな横顔に、気付けば見惚れていた。


 当然といえば当然だが、抜き打ちテストはどのクラスよりも平均点がずば抜けていたらしい。不審がられたら嫌だなと思ったが、まあ大丈夫だろうと開き直った。クラスメイトからは感謝され、神様だなどと言われたが、迷惑なことこの上ない。沢田の勘が当たった事にしておけばいいのに、と苦い顔をしたら、人の手柄を横取り出来るかと断言された。別にそこはどうでもいいんだけど。

 一気に近くなったクラスメイトとの距離感にも多少は戸惑いながら、やっぱりどうでもいいかと開き直った。


「なあ基ー、ここわかんない」

「さっきから何回訊くの。訊く前に少しは考えなよ。君みたいなのを思考停止って言うんだよ」

 すっぱりとした物言いに、吉村きっつー、とげらげら笑うのは沢田と仲の良いクラスメイトたちだ。名前はまだ若干あやふやではあるが、やっと個人の顔は認識出来るようになってきた。季節はもうすぐ秋だというのに、本当に自分は名前を覚えるのが苦手なようだった。

 放課後の図書室で、授業中に出されたグループで纏めてレポートにするという宿題をやっているのだが、授業中に出ているある程度の結果を纏めるだけなのだ。そこらへんの本を調べれば答えは出ている。だというのに、先ほどから考える事も調べる事も放棄した沢田が、うるさくてかなわない。個人行動が多い俺をグループに入れてくれたのはありがたいが、こうも人任せだと元々心が広いわけでもなんでもない俺は沢田の顔面を十回ほど殴りたくなる衝動と戦わなければいけなかった。

「でも吉村の言うとおりだよな」

「うん、沢田まじ人に訊きすぎててうざい」

「俺だったらもう殴ってるわ」

 次々と出てくるクラスメイトの発言に、ああよかった自分が短気だというわけではないんだと安心する。沢田は全員に散々な言われようでさすがに反省したのか、近くにあった資料を手繰り寄せてなんとか自分なりに引用部分を見つけようとしていた。

「じゃあ、俺が纏める分は終わったから帰っていい?」

「それはないだろ基いいいいい!」

「うるさい、図書室だよ」

「神様基様!」

「高いよ」

「鬼!」

「帰る」

「すいませんすいませんポテトおごります」

「さっさとやるよ」

 俺たちの会話に周囲が笑いを堪えつつも、なんとかレポートを纏め終える。うるさくしてしまったが、俺たち以外にも何人か同じくレポートを纏めている集団がいたので、そう悪目立ちはしていなかった。

「時間が時間だしいっそファミレス行かねー? 腹へった」

 沢田の言葉に皆がうなずいたので、どうやらこのまま店へと寄るようだ。基も行くだろ、と言われて、おごりならねという言葉に沢田の顔が引き攣っていた。

「……あ、ごめん、先に行ってて」

「どした?」

「本を一冊忘れた。私物だから、図書室の本だと思われると面倒だし取りに戻るよ」

 今日はハードカバーの小説を一冊入れていたはずなのに、鞄が妙に軽いと思って確認してみたら、案の定だ。いっしょに戻るか、と沢田は言ってくれたけれど、断った。付き合わせるのも申し訳ない。

「じゃあ、駅前のファミレスにいるから来いよ?」

「ん」

 頷いて、沢田たちと分かれた。

 なんとなく彼らの背中をしばらく眺めて、俺は来た道を戻る。なんだか、妙な気分だった。当たり前のように交流しているのが未だに信じられない。特別に嬉しいとも思わないが、煩わしいとも思わない。それもすごく意外だった。やはり人との交わりを避けていたわけではないのだ。純粋に、自分はそれがどういうものかわからなかっただけなのだろう。拓真とは相変わらず付き合いはあるものの、彼がクラスを尋ねる機会はぐんと減った。きっと今までは心配をかけていたのだろう。なんだかんだ、彼はこんな俺に長年付き合ってくれているだけあって、お人好しだ。

 出て来たばかりの図書室の扉を開く。まだざわついているから、終わっていないグループはけっこういるみたいだ。先ほどまで使っていた机へと視線をやると、あったはずの本が無くなっていた。しまったな、まだ読み終わっていない本だったのに。珍しく間抜けな事をしてしまったものだ。

「あ、あ、あの!」

 机に近付いて、どうしたものかな、と考えていた所で、声をかけられる。首を傾げて振り返ると、そこに立っていたのはいつも一方的に目で追っているクラスメイトだった。

「――日比谷さん」

「! な、な、なま、え」

「え?」

 俺が彼女の名前を呼ぶと、驚愕した様子で目を見開く。少し伸びた黒い前髪からのぞく瞳は、そんなに開いたら落っこちてしまうんじゃないかと心配になるくらいだった。

 しかし、なんでそんなに驚いてるんだろう。

「名前、知っててくれるなんて」

「いくらなんでもクラスメイトの名前を知らないほど薄情じゃないよ」

 ――嘘だけど。

「そ、そそそっか。でも、あれ? いや、そっか?」

 何か腑に落ちないように首を傾げる日比谷さん。まあ、そうだろうな。俺はしょっちゅう、いいかげん名前を覚えろ! と男女問わずクラスメイトから怒られているから。さすがにしれっと嘘を吐いても、普段の行いであっさりと見破られてしまいそうだ。あまりこの話題を引き伸ばすのは上手くなさそうだな。

「日比谷さん、どうしたの? 俺に声をかけるなんて珍しいね」

「え? あ、ご、ごめんなさい!」

「いや、どうして謝るの? いつでも声をかけてくれてかまわないよ」

 赤くなったり青くなったり、百面相だな。面白い。どうして俺なんかにいっぱいいっぱいになるほど緊張してるんだろう。沢田でもあるまいし。異性全般と話すのが苦手なのかな。ああ、俺もたいがい未練たらしい。可愛いななんて思うのは愚かだ。さっさと忘れるべきなのに。

「…………話しかけて、いいの?」

「ん? うん、もちろん」

 おや。どうしてそういう反応になるのだろう。内心で首を傾げながらも俺が肯定すると――おいおい、日比谷(ゆう)()。そんな可愛らしい顔で笑うんじゃない。期待してしまうじゃないか。何でそんなに嬉しそうなんだろう。

「えーと、それで、また話を戻すけど。何か用事だった?」

「あ!」

 何か理由があって話しかけたに決まっているけれど、日比谷さんはそれをすっかり忘れていたらしく、慌てた様子で手に持った何かをこちらに差し出してきた。勢いがつきすぎて、空を切る音がひゅんっと耳に届いた。鳩尾あたりに当たったら、けっこう痛かっただろうな。

「――これ、忘れた本」

「吉村君、最近ずっとこれを読んでいたでしょう? きっと忘れ物だろうと思って、勝手に預かっちゃったの……あの、もしも図書室の本だと思われたら大変だし」

 ごめんね、と再度謝られたけれど、そんな事はどうでもいいし、むしろありがたい。しかし、問題はそこじゃない。どうして。

「――どうして、俺がこれ読んでるって知ってたの?」

 しかも、最近ずっと読んでいたって。確かに休み時間には時折開いていたけれど、最近は話しかけられる事も増えたから、もっぱら通学中の電車内で読んでいる事が多かったのに。

「あ、の、教室で、見かけて…………」

「…………」

「…………」

 教室で見かけただけならば、「吉村君が持っていた本」という表現にはなっても、「吉村君が最近ずっと読んでいた本」という表現にはならないと思う――が、今それを指摘するのはどうやらいけないみたいだ。本人が物凄く何かを隠したがっているというのが空気で痛いくらいに伝わってくる。さすがに親切にしてくれた人間にそこまで切り込むほど鬼畜ではないつもりだ。

「ありがとう、日比谷さん。助かったよ」

「! う、うん、どういたしまして」

 明らかにほっとしたように息を吐いた日比谷さんの反応に笑いそうになったけれど、なんとかそれを堪える。無事に戻った本を、鞄にしまった。

「日比谷さんは、もうこれ読み終わっていたよね」

「えっ!?」

「少し前まで、同じ本を読んでいたけれど最近違うの読んでたから」

「あ、う、うん、面白くて一気に読んじゃった……」

「そうだね、俺も和泉昌は好きでよく読むよ」

 微笑んで答えると、混乱しながらも、私も、と頷く日比谷さんの顔は真っ赤だった。しかしどうしたものか。これは、期待していいのか? 確かに、本人にはっきりと確認したわけではないけれど、よく沢田を見ていたのは確かなんだよなあ。

 うーん。

「日比谷さん、良かったら今度おすすめの本教えてよ」

「え?」

「だめ?」

「う、ううん! だめじゃない!」

「よかった」

 ぶるぶると首を振る日比谷さんに微笑むと、日比谷さんは顔どころか首すら赤く染め上げていく。……風邪引いてるとかいうオチではないよなあ。

「あ、の、あの!」

「うん?」

「吉村君のおすすめも、教えて、くれる?」

「もちろん」

 ああ――また。そんな、花が咲くように笑わないでくれ。

 だめだ、これ、判断つかない。そもそも、ストレートに気持ちを訊かない事には堂々巡りだ。推論の域を出ないし。今まで他人に興味がなかったわけで、この反応が普通なのか特別かなんてそもそも例に挙げられるほど揃った資料も脳内には存在しない。でも――。

「優花」

「えっ!?」

「て、日比谷さんにぴったりな名前だよね。優しい花でしょう? イメージまんま」

「し、し、下の、なまえ、なん、で」

「優花さんって今度から呼んでもいい?」

「えええええええ!?」

「あ、嫌なら」

「そんなわけない!!!」

 瞬間、さすがに図書室中の視線が俺たちふたりに集まった。さすがに大声を出しすぎだ。苦笑して、失礼しました、と一言告げて俺は図書室を出る。もちろん、日比谷さん――って優花さんて呼んでいい許可が下りたんだっけ。優花さんの手を引いて。

「わたしも」

「?」

「わたしも、もといくんってよびたい……」

「むしろ呼んでほしいけど」

「えっ!? こ、声に出てた!?」

「ばっちりと」

 焦点が合ってない瞳だったから大丈夫かなと思ってたけど、夢現状態だったのか。いや、もうこれ本当にどんどんわからなくなるんだけど。

 慌てる様子の優花さんも面白く、可愛らしい。いくら眺めていても飽きないなあ、なんて思っていたら、急に彼女の名前を呼ぶ声がする。

「優花、まだ残ってたんだ!」

「あ、えのちゃん」

 えのちゃん?

「……榎本だよ。あんた、いいかげん名前覚えなよ」

「ああ、ごめん。うん、今やっと覚えた」

 内心で誰だと思っていたのがばれたようだ。確か学年でも目立つ存在だといつだったか拓真が言っていた女子生徒だろう。休み明けに、優花さんと親しげに話していたのも彼女だ。

 微笑んで頷くと、疑わしいといった眼差しを数秒向けられたが、俺の事などどうでもいいようで、榎本は優花さんに視線を戻した。

「帰れる?」

「うん。あ、ええと」

「俺も帰るよ、待ち合わせしてるから」

「え!? ご、ごめんね、引き止めちゃった」

「むしろ俺が引き止めたみたいなものだったでしょ? じゃあ、本ありがとう優花さん」

 微笑んで、別れのあいさつを告げると、同じく優花さんの口からも別れのあいさつを返された。

「ば、ばいばい…………も、基、くん」

 うん、今日は幸せな夢を見て眠れそうだ。


「ちょ、ちょっと優花! 何がどうなってんの!? あんた達いつからそんな親しくなったのよ!」

「え、えのちゃん、ちょっと私の頬つねってくれる?」

「は?」

「いいから早く!」

 よくわからないという表情をしながらも、容赦なく力いっぱい頬をつねるあたりがえのちゃんらしい。わあどうしよう! すんごく痛い!

「ゆ、夢じゃない……だと……」

「ちょっとあんた、大丈夫?」

「どうしようえのちゃん! 吉村君、じゃない、基君とたくさん話しちゃった! どうしよう!」

「いや、よかったじゃん! ちょっと、詳しく聞かせなさいよ!」

 飛びかからん勢いのえのちゃんに、しかし私も混乱しているというかわけがわからないのだと慌てる。だって、さっきまで本当に話しかける事も出来なかったひとだったのに。

 好きで、好きすぎちゃって、もうまともに見れないくらいで。沢田君がいとも簡単に吉村く、じゃなかった、基君と仲良くなったのがうらやましくも悔しくて、ついつい嫉妬心から彼の事を睨んでしまった。そんな私を、えのちゃんはいつもおかしそうに笑っていたのに。そんな日常だったのに。

「幸せすぎる……!」

 ああ、神様、ありがとうございます。明日から私、真面目に生きます。今までも不真面目だったわけじゃないけれど。

 騒ぐえのちゃんをよそに、私は夢心地で帰り道を歩き出した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 男の子の心の表現が最高でした! [気になる点] 一人称が変わるところが少しわかりにくかったです…笑 [一言] 久しぶりに読ませていただいたんですけど、変わらず面白かったです! 自分で提案し…
[一言] ニヤニヤがとまらん…… 面白かったです。 天然というなんというか……基君、いいキャラしてるぜ……
[良い点] 二人とも可愛い! 初々しい感じがとても好きです♪ [一言] これからの二人を見てみたいです。 ぜひ続編を書いていただきたいです!
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