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閑話休題。
あんまりグダグダ話してても疲れるだけなので、俺は本題を切り出した。
「せっかく目を開いたんだ。〝D〟についても教えてくれると助かる」
「いいよ。でも今日は何ももってきてないみたいだけど、何を視ればいいの?」
こてんと可愛らしく首を傾ける見鬼。
「俺のこと犬臭いって言ったのはおまえだぞ。視えるんだろ?」
「そういうこと。でもこんな小物、視たって大した情報はないと思うけど?」
「おまえにとってはそうでも、俺らにとっては重要かもしれないんだよ」
「ふうん。……ただの狗神だよ。場所はずっと西の方。憑いたのは五日くらい前かな。意志も信念も何も感じない、ただ怒りと苦しみで発狂してるだけだね。取り憑かれた人も同じような感じだったはずだよ。きっと運が悪かったんだね。憑かれた人もそうだけど、風間さんたちに狙われることになった狗神もさ」
忘れないうちに今聞いた内容を手帳にメモしておく。
「他には何かないのか? どうしてこいつが〝D〟になったのかとか」
「知らないよそんなの。ぼくが教えるのは視えたものだけだよ」
見鬼のアドバイザーとしての役割はあくまで超常の目で見えるものをこちらに情報提供してくれるというものだった。それ以外の情報をこいつに訊くことは契約違反になるし、何よりそういう話になると見鬼自身がひどく非協力的だった。
この話はここまでにしてメモをしまった。そのタイミングを見計らったというわけではないだろうが、見鬼がふと口を開いた。
「ところで話は変わるけど、市内に幽霊が出るって噂があるの知ってる?」
「いや? 知らないな」
見鬼はすでに瞼を閉じて楽しそうに微笑んでいた。俺が何も知らないことが嬉しいのだろう。人付き合いがかなり限定されてる俺がそんな噂を耳にする機会があるはずもないのだが、そういう意味では見鬼の方が真性の引きこもりのくせに噂話とか世情についてはめっぽう詳しかったりする。まあこいつの役割柄、外の世界の情報を得る手段は推して知るべし……とにかく新聞も読まない俺なんかよりよっぽど事情通なのだ。
「噂が流れ始めたのがおそらく秋頃――風間さんが退院する少し前くらいかな。けっこう経つんだけど、噂の範囲が狭すぎたみたいでぼくも最近になって知ったんだ。なんでも深夜に人気のない道を歩いていると、どこからか鎧武者の亡霊が現れて一つの質問をしてくるんだって」
「質問って……幽霊が喋るのか?」
「らしいよ。『うぬはもののふか?』とか『われと立ち会ふ度胸はあるか?』とか。鎧武者は真剣をもっていて、その問いにYESと答えると斬り殺されてしまうらしい」
「NOって答えたら?」
「何もせずに立ち去っていくんだってさ」
「なんだよそれ。どうせあれだ、城下町が残ってる古い町だから、昔の合戦場で死んだ武者の霊が云々っていうんだろ。安直な話だ」
見鬼はくすくすと笑いながら「そうかもね」と言って、
「でもただの作り話だとしたら、もっと昔から都市伝説のように逆白市に根付いていてもおかしくないよね。少なくともこれまでぼくは聞いたことがない。鎧武者が現れ始めたのがわりと最近っていうのがミソだと思うな。実際に被害者が出て事件になっていないからといって、すべてが作り話だと断じることはできないよ」
くだらないの一言で済ませようとしていた俺は、そこで少し考え直す。
「噂の一部は本当かもしれないってことか?」
「あくまでそういう考え方もできるって話だけどね。たとえば鎧武者の質問にYESと答えた人がまだいないとかさ。NOと答えて何もされずに助かった人たちが、仮にYESと答えていたらきっと斬り殺されていただろうって考えた。噂話には尾ひれがつくなんてよくあることだから、仮定の話が真実に置き換わって伝播した可能性は否定できないよね」
なるほど、その場合は鎧武者の幽霊も質問してくることも本当で、答えによってどうなるかという部分だけが未確定の嘘混じりってわけか。
「ほら、ゆーほーとかゆーまだっけ? ああゆうのも解釈しだいでは浪漫があって楽しいよね」
俺は正直、なんでこんなつまらない噂話をこいつが楽しげに語り出したのかを不審に思っていたのだけど、どうやら本当に興味本位だったらしい。退屈しのぎにゴシップを読んで妄想たくましくする子供心ってやつだろう。
「あいにくと俺は幽霊や妖怪なんてこれっぽっちも信じてないんだ」
素っ気なく言うと、見鬼はちょっと驚いたような顔をした。
「まだそんなこと言ってるんだ? 自分自身の存在を否定するようなものだと思うけどなあ」
「ちがうぞ。俺が相手にするのはれっきとした病気で、噂話の幽霊とは違う」
〝D〟の特殊性や異常性が超常的な存在の全肯定にはならないし、それが現実の病気となっている時点ですでに超常性は失われている。狗神とかいうのに取り憑かれた男はただの病人でしかないし、心神喪失して殺傷事件を起こす人間なんて掃いて捨てるほどいる世の中だ。想像や妄想を楽しむのは自由だが、他人事じゃないからこそ俺はそうゆう超常的な存在を一切認めないことにしていた。
「一見筋が通っているようでいて、すごく大きなものから全力で目を逸らしてる気がするよ?」
「うっさい。俺がそれでいいって思ってるんだから邪魔すんな」
「じゃあぼくが益体もない噂話をするのも老婆心だと思って大らかに受け取ってよ」
いくつも年下のガキに老婆心をもたれるような大らかさは、残念ながら俺にはない。
「はいはい。――っと、今日はそろそろ帰る」
話も一段落したことだし、最後にお茶を飲み干してから立ち上がった。いつもながらここの茶と菓子は他のどこで飲み食いするものよりも旨かった。
「えー。もう帰っちゃうの? 自分の訊きたいことだけ聞いて帰るなんてひどいなあ。もうちょっとぴろーとーく的なものがあってもいいと思うんだけど」
「それ意味が違うだろ! 悪いな、今日は捕り物やったんで疲れてるんだよ」
見鬼はなおも不満げに頬をふくらませていたが、存外に素直に頷いてくれた。
「新月の日は夜までみっちり付き合ってもらうんだから、覚悟しといてよ? 疲れてるからなんて言い訳は聞いてあげないからね」
「わかってるよ。それじゃあな、お茶ごちそーさん」
手をぶらぶらさせて――そんな仕草は見鬼には見えないのだが、部屋を後にした。
月に一度だけ訪れる新月の日だけは、見鬼は視る力を失うのだという。当然見鬼としての営業はお休みで、夕刻から夜半にかけてを俺はあいつと一緒に過ごさなくてはならない。
「――毎月の新月に、あなたがぼくのところへ必ず来ると約束してくれるなら、あどばいざーとやらになってもいいよ。お金もいらない。ただいてくれるだけでいいんだ」
それが見鬼の出した条件であり、名指しで選ばれた俺がそれから毎月奴の元へ通うことになった経緯でもある。それだけで研究所の人間は見鬼の空いている時間に好きに面会し見鬼の目で視た貴重な情報をただで得ることができるのだから、条件としては破格に過ぎるだろう。
ただ先の紗羅さんの見鬼に対する物言いからもわかるように、あのガキとの面会は俺がやるのが一番スムーズに進むらしく、ほとんど俺一人に押しつけられているような状態だった。俺にそれを拒否する権利はないし、少ないながらお手当も出るので文句の言いようがない。もちろん対等な取引である以上、見鬼の待ち望む新月の日をブッチするような勇気もなかった。
次の新月は十日後だっけ……二五日――って、クリスマスか!
まあ予定は白紙だけどさ。
本殿を後にして、誰もいない人社の境内を抜けて石段を下り始めた時、マナーモードにしてジーパンにつっこんでいた携帯が震えだした。メールの着信だ。ボタンを操作して新着メッセージを開くと、差出人は大学の後輩だった。
『先輩、今日ガッコきてます? 授業終わったらでぇとしませんか!?(はぁと)』
無視して家に帰って寝た。