5
「えっらい偶然もあったもんやなあ! 角の生えた蛇に憑かれた患者が出たて聞いて飛んできたら、あんたがおるやんか。めっちゃ驚いたでー?」
翌日、取調室に現れたその人はやけにハイテンションで、ひとしきり驚いたり笑ったりを繰り返しながら俺の背中をばんばん叩いたりした。
驚いたのは俺も同じだった。玲子ちゃんの言っていた神様についての専門家がうちの大学の、それも俺の所属ゼミのボスである鷺乃宮白鷺先生だとわかった時には目を疑った。
玲子ちゃんは担当医なので俺の個人情報を把握してる関係上、俺と先生の繋がりを最初から知っていたようだが、驚かせようとして黙っていたらしい。本当にサプライズ大好きな人である。
「ちょっと前までうちバリ島でバカンス――やなくて実地調査しとったんや。来るのが遅くなったんは勘弁したってや!」
白鷺先生は毎度ながらのセクシーファッションの上に真夏だというのに薄手のロングコートを羽織っている。海外に行っていたというわりにちっとも日焼けした様子もなく、銀髪と白い肌が眩しいくらいだった。どぎついほどのインパクトのせいで残念な美人さんになっているが、俺はわりと本気で好きだ。
俺との再会の挨拶を終えた先生は、対面の椅子に長い脚を組んで座った。コートのポケットからシガレットケースを取り出して煙草を口にくわえる。
「さて、それじゃそろそろ本題に入ろか」
真面目モードに切り替わった白鷺先生が俺の目をじっと覗きこんだ。
「名前はもう聞いてるんやろ? ヤトノカミ――この神さんは古くから東関東に根付く土着神や。〝常陸国風土記〟に詳しくのってるんやけど、風間、あんた知っとるか?」
「や、知らないです」
正直にかぶりを振ると、白鷺先生はジト目で睨んできた。
「まあええわ。昔々、ある豪族の男が葦原を開墾して田んぼにしようとしたんやけど、そこにはヤトノカミっちゅう角の生えた蛇がわんさか棲んどった。ヤトノカミは群れをなして人を襲う凶暴な神さんや。地元の民たちは怖がってちっとも作業は進まんかった。そこで苛立った男が直々にヤトノカミの群れと対決して、見事に追い払ったちゅうわけや。その後、人の地としての田畑と神の地としての御山の境界を定め、その境に社を建てた」
「神の地……って、先生、それじゃまさか!」
「そうや。あんたらが山の中で見つけた葦原に立つ社――それこそが境界を示す〝シメノウダチ〟あるいは〝シルシノミツエ〟の一部やろうな。人が立ち入ることの許されへん御山の境界は、土地に暮らす人々にとって非常に重要なものやった。結界の意味は忘れられても朽ちるたびに何度も建て直され、そこにずっと在り続けたんや」
……言葉が出なかった。俺はそれを山の神を下ろす座だろうと勝手に決めつけて、神の領域を侵した。その罰をこの右手に宿し、無関係の妹は――祟られた。
「あんたは社の意味を見誤った。けどな、誰もあんたを責められへん。だって普通はそんなん知らんやろ。国木田博士は知っとったか?」
俺と同じく聴講生の立場の玲子ちゃんが、まさかというふうにかぶりを振ってこう言った。
「それに一郎くんたちみたいに危険地帯に足を踏み入れたからって絶対に〝D〟に感染するわけでもないんだよ。〝D〟の感染ルートはほとんど予測できないのが現状なの。感染者の行動ルートを探っても共通点はほとんどなくて、風邪のようにどこにいても罹ることはあるし、逆にどこにいようと罹らない者もいる――それが〝D〟の怖いところだね」
「せやけど、こんなことがあった以上、今後フィールドワークは中止した方がええかもしれんて考えてるところや」
気丈に振る舞いつつも、白鷺先生が俺たちに対して負い目を感じているのがわかった。
「いえ……俺が悪いんです。運が悪かったし、結界にも気づけなかった」
俺と七奈が運悪く〝D〟に遭遇してしまったのは誰のせいでもない。
ただ俺がもっと気を付けていれば、妹を連れてこなければ、しっかり守ってやれれば――それだけで回避できた問題だ。
俺がもっとも嫌悪し憎むべきなのは、他でもない俺自身だった。
「自分を責めても何もならんで。気にせんのが一番や。うちもそうするからあんたもそうしい」
白鷺先生はそこで一つ咳払いして雰囲気を変えると、努めて明るい口調で話を続けた。
「でな、問題のヤトノカミやけど、角の生えた蛇なんてえらい象徴的な姿してるやろ。蛇は古語で『チ』とか『カカ』ともいって、神とは蛇身からできたとされる説もあるほどや。脱皮して生まれ変わるという不死性、強力な毒をもつことに由来する祟りの原型――古代から神秘と恐怖の象徴である蛇を神格化して崇めとったんは、日本に限った話やない」
蛇が神そのものだという話は俺も聞いたことがある。わりと多くの地域で昔から蛇は神聖な生き物として大切にされていて、けして殺したりいじめたりしてはいけないものなのだ。
「そもそも神とは必ず祟りとセットで語られるもんや。きちんと祀れば御利益があるけど、雑に扱えば祟りがある。それが神のもつ両性質であって、古き神ほどその順番は逆や。神聖やから神なんやない、祟るから祀って『神にする』んや」
「神にする……?」
「そや。ヤトノカミは人を襲うだけでなく、その姿を見るだけで一家ことごとく死に絶えるって言われとる。これは強力な祟りそのものやな。一方で境界が定められ、神として祭り上げられた後は、土地の守り神として豊作祈願の対象にもなった。元はただの祟り神やったもんがようやく神の両性質を備えたものへ変化したわけやな」
玲子ちゃんが感心したようにほーとつぶやいた。
先生は煙草の火をもみ消しながら続けた。
「名前に関しては『夜刀ノ神』て書くことが多いな。一説には『ヤト』は『谷』を表し、谷間の窪地に棲んどるからこの名が付いたと言われとる。なんで夜刀という字をあてたのかは諸説あるんやけど……実物見てやっとわかったわ。最大の特徴でもある額の角の形状が、まるで『夜』の如き黒い『刀』やったわけやな」
俺はすでに先生の前でも右手の黒蛇を見せていた。その時しきりに先生が感心していたのはこういう理由だったのだろう。
「名は体を表すとはよく言ったもんでな、古い神さんは名前が実態を表しとることが多い。そこで気になるんが、風土記の異本にある『八刀ノ神』っちゅう表記や。刀=角を示していることはわかるな。そして頭に角のある蛇ちゅう姿から八つの角=八つの頭、という推測が成り立つ。そしてそこで――はい、風間っ!」
急に名前を呼ばれて、びくっと背筋を伸ばして先生を見やる。
「八つの頭をもつ蛇って言われてすぐに思い浮かぶんは何や?」
数秒考えてから、思い浮かんだ答えを口にする。
「……〝ヤマタノオロチ〟ですか?」
「せやな。古事記にも出てくる有名な神話や。スサノオに退治された八岐大蛇は、八つの頭と赤い目をもつ巨大な人喰いの蛇神や。おもろいことにな、この八岐大蛇も頭に角が生えとるんや」
驚いた顔を向けると、先生はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「八岐大蛇伝説の地、島根県は木次にスサノオがオロチを退治した後、八つの頭の角を埋めた跡に杉の木を植えたっちゅう〝八本杉〟の伝承が残っとる。そもそも古来より大蛇は龍と同一視されてきた荒ぶる神の化身で、龍には角がつきもんや。龍に通ずる蛇神に角があることはけして珍しくない」
「なるほど……」
「八岐大蛇でもう一つ有名なんが、スサノオが十 束 剣で大蛇を切り裂いた時に刃が欠けて〝天 叢 雲 剣〟が出てきたちゅう伝説や。三種の神器にも数えられるごっつい神剣が大蛇に由来するものやとは、非常に興味深いやろ。この神剣は別名、草 薙 剣とも呼ばれるんやけど、ナギとは蛇――つまり〝蛇の剣〟や」
白鷺先生はそこで一息ついてから新しい煙草をくわえて火をつける。
「夜刀ノ神の話に戻るけど、風土記の異本には『男、夜刀の剣をもって魔を断ちぬ。此岸と彼岸との境界を定めしのち悪神を祀り鎮めん。これにより男〝魔断〟と名を得る』ちゅう記述がある。それを信じるなら名前より先に神剣が存在したわけやから、英雄譚というよりも神剣譚としての色合いが濃い話やな。〝夜刀の剣〟ってそのまんま夜刀ノ神の角のことやと思うで。風間の右手のそれが〝魔断の神剣〟ちゅうわけや。国木田博士から聞いたけど〝D〟に対しても効果抜群らしいやん?」
先生は意味深な目を俺の右手に向けた。
魔断の神剣……?
こいつがそんな大層なものなのだろうか。
「さて、もうわかっとるやろうけど、わざわざ八岐大蛇まで引き合いに出したんは、これらの類似点から夜刀ノ神の本来の姿を探るためや。共に角のある蛇であり、神剣に関わる伝説をもつ二つの神――その姿もまた似たものやと考えてもええやろ。夜刀ノ神、あるいは八刀ノ神とは、オロチと同じ『八つの角と八つの頭をもつ蛇』ちゅうわけや」
俺はごくりと息を呑んだ。
「先に話したように、夜刀ノ神は群れをなして人を襲うものらしいけど、八つも頭があったら一匹でも群れに見えるわな。実際、風間が見たやつは大蛇が何匹もかたまってるような外見やったんやろ?」
俺は神妙に頷いた。
最初はあれを無数の大蛇が絡み合っている姿だと思っていたが、一匹に首が八つあったと言われればそうかもしれない。地面に無数に転がっていた死体も、よく確かめてはいないが切断されて体から分離したものだとすれば、ただの蛇のように見えて当然だろう。
白鷺先生は煙草の灰を灰皿に落としながら話をまとめた。
「あんたの妹は『ヤトノカミは八つで一つの神』と言ったらしいけど、これでその意味もわかるな。あんたが首を一つ切り落とした妹のも、最初から首一つしかなかったあんたのも、両方が不完全なんや。八つ揃って初めてそれは荒ぶる神の化身となる。この神を常陸では夜刀ノ神と呼び、出雲では同じ眷属が八岐大蛇と呼ばれた。――どや? あんたとあんたの妹に取り憑いとる奴のこと少しは理解できたか?」
おーと玲子ちゃんがパチパチと拍手した隣で、俺は純粋に驚いていた。色々な資料を元にしているとはいえ、即興でそこまで話を組み立てられるなんて改めて白鷺先生のすごさを思い知った気分だ。いったいどれだけの知識があの銀髪の頭の奥に詰まってるのだろうか。
「白鷺先生っていつもこんなふうに取り憑いた奴を調べて説明を付けてるんですか?」
「そうや。他にも色々やっとるで。入院中のD感染者と対面して会話するのもうちの仕事や。別人格にシフトする奴の中にはえらい古い時代の言葉とか祝詞の一部とかわけわからん宇宙語みたいなん喋るやつもおるから、素人には手に負えんやろ」
なるほど、そういった方向に突っこんだ話ならたしかに民俗学者の独壇場だろう。
玲子ちゃんが病理学や医学に基づいた科学的な方向から分析し、白鷺先生が民俗学的な考察を加える。どちらが欠けても『病』であり『祟り』でもあるD症候群の研究は進まないわけか。ここにはいないが、それらの情報を実際に現場を担当する紗羅さんが知ることも重要なのだろう。
「ほな休憩にしよか。うち喉カラカラや。久しぶりに風間の淹れてくれたコーヒーが飲みたいわ」
と白鷺先生は魅力的な笑顔を浮かべながらそう結んだ。




