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中央病棟三階から伸びた連絡通路の突き当たりが特別医療棟の入り口だった。
物々しい鋼鉄製の扉と腰に銃を携帯したいかつい警察官が行く手を遮っている。警備の厳重さもそうだが、その扉から放たれる威圧的な雰囲気だけで、ここから先がかなり特殊な施設なのだと窺い知ることができた。
こちらに厳しい視線を送っていた警官は、紗羅さんの姿を認めると気を付けの姿勢になって敬礼を行った。警官が備え付けの文字盤にパスを入力すると、重々しい扉が自動で左右に開いた。両脇の窓から明るい陽射しの差しこむ渡り廊下からは、まるで闇がぽっかりと口を開けたように見えた。
紗羅さんが先に歩き出し、俺は慌ててその背中に続いた。
建物に足を踏み入れた途端、急に温度が下がった。薄暗く、突き当たりが見えないほど長い灰色の廊下がずっと先まで続いている。
天井には等間隔に監視カメラが目を光らせ、廊下の両脇に金属製のドアが幾つも並んでいた。ドアの上部に取り付けられた覗き窓にはご丁寧なことに格子付きだ。
外国映画でみた刑務所ですらもう少し開放感と活気があった気がする。受刑者の中には気さくな奴や乱暴な奴がいて、囚われの身であってもそこには一種のコミュニティが存在して――ここにはそんなもの欠片もなかった。
「……あの、こんなとこに何の用があるんですか?」
周りに漂う空気が異常過ぎて嫌でも不安がかき立てられ、何か喋っていないと気が狂いそうになる。
まさか俺、これからここに収容されるなんてことないよな……?
「この特別医療棟は重度のD感染者――社会復帰が絶望視された者たちを隔離、管理している場所で、現在も二十名ほどが治療中だ。ああ、不用意に窓から中を覗くなよ。セキュリティは万全を期しているが、それでも絶対に安全とは言い切れん。ここにいるのは肉体、精神の両方が徹底的に壊れた真性の者たちだ。彼らの危険性は、貴様ごときとは比べものにならん」
ぶるりと震えがきた。一般病棟でのんびり入院生活を送っていた俺は当然、まだこの目で『本物』という奴を見たことがない。この人の言う『真性』がどれほどのものかなんて想像もつかないし、見てみたいとも思わなかった。
「どうやってそんなヤバイ奴らを捕まえたんですか?」
「ほとんどは結果的にそうなったに過ぎん。殺す気でやったが死ななかった。だから捕獲し収容した」
……なんてゆーか、次元の違いすぎる話だった。
「それでも奴らは元は人間だ。こうして捕獲し、社会から隔離できている以上、殺すなとのお達しが出ている。まだD症候群についての情報は半分も世間に公開していないが、耳の早い人権団体の圧力やらもあって色々と大変なんだ」
「べつに完全に秘密ってわけでもないんですね。俺は全然知りませんでしたけど」
「〝D〟の感染者は年々増え続けている。到底隠し切れるものではない。ゆえに便宜上、奇病というふうに一部公開している。それをまったく知らんのならば、貴様は相当情報に疎い情報弱者なのだろうな」
……今思い出した。前に大学で末原が、変な病気が流行ってるというニュースを見たとか言ってたっけ。まさかこのことだったなんて、今の今まで結びつけることすらなかった。
「情報を一部公開って、なんでそんな中途半端なことするんですか?」
「貴様は自分が体験したことすべてを事実として世間に公表できるか?」
それもそうだった。お茶の間を大パニックにするわけにもいかないし、それなら恐ろしい病気が流行ってるから気をつけましょうって言った方がまだ日常は壊れない。
「〝D〟の発見と排除が私の仕事だが、あくまで優先順位は捕獲が第一だ。どうしてもやむをえない場合――人的、環境的被害が大き過ぎると判断された場合には殺害許可が下りている。……生ぬるいことだ」
すでに廊下を歩き始めて数分は経過しただろうか。コツコツと定期的に響き渡っていた足音が不意に途絶えた。急に立ち止まった彼女にぶつからないよう、俺も慌てて足を止めた。
振り返った紗羅さんの怒りに燃えた鋭い視線が、ぐさりと俺を射貫いた。
「〝D〟による死傷者の数は並の殺人犯の比ではない。この研究所内でもすでに七人が犠牲になっている。貴様ら感染者がいつか脅威になる危険性を秘めている以上、経過観察などせずに即刻ここに隔離すればいいと私は思っている。いや、この特別医療棟そのものが必要ない。感染者は皆殺しにするくらいで丁度よいのだ。人道的恩赦で生かした化け物に人間が殺される現状は間違っている」
……やばい。この人マジだ。言ってることはわからなくもないけど、俺はまだ死にたくないので認めることは絶対にできないけど。
次に発された紗羅さんの声にはなぜか、諦観に似た響きがあった。
「ここにいるこいつも、早く殺すべきなのだ。これ以上の脅威へと成長しきらぬうちに……」
すぐ目の前に鋼鉄製と思われる強靱で巨大な扉があった。
その扉だけが、これまでほぼ等間隔に並んでいたドアとは三倍近く距離が離れてぽつんと寂しく存在していた。だからこそ不気味だった。隔離病院の中の隔離病棟の中のさらに隔離された病室とか、シャレにもならない。
扉の脇には入院患者の情報を示すプレートがかけられていたが、そこに書かれているのはひどく簡潔な一文だった。
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どういう意味かわからずに呆然と見上げていると、紗羅さんがジャケットのポケットから一本の鍵を取り出した。最近見かけるようになった複製不可を売り文句にした先端のギザギザの代わりに半円状の凹部が複数ついた代物だ。その鍵を無骨極まりない扉の鍵穴に無造作に差しこむ。……って、おいっ!?
「ちょ、大丈夫なんですか? 俺まだ心の準備が――」
「案ずるな。扉の中はさらに耐ミサイル仕様の防弾ガラスで区切ってある」
そっか、それなら安心だけど……。
「いやいや、なんでそんな激ヤバイ奴の病室に俺が連れてこられたんですか?」
紗羅さんはやっぱり答えてくれず、もはやお決まりの冷たい視線を俺に送ってきた。
「ガラス越しに中の様子を見ることも会話することもできるようになっている。繰り返すが、幾重にも安全を確保していても絶対とは言い切れん。くれぐれも油断するなよ」
……ああ、わかった。これだけ質問がスルーされるってことは、聞くなってことだ。もしかしたらこれ自体が実験を兼ねた検査か何かで詳細を明かせないのかもしれない。
「では開けるぞ」
左手で鍵を回すと同時に、あいた右手で鍵穴の隣に設置された電卓みたいにボタンが並んだやつを操作してパスコードを入力する。この時点ですでに二重ロック仕様か。
やがてピーという電子音が響き渡り、重そうな鋼鉄の扉がゆっくりと左右に開いた。




