表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナイトメアリー・ディオニュソス  作者: SOA
seven / another
30/50

1

 埼玉県の山奥、広大な国有地の中にある国立感染症対策研究所は隔離病院サナトリウムとしての機能もあり、軽度から重度のD感染者だけでなく〝D〟による事件の被害者たちも多く入院している。被害者たちは感染の疑いがあるだけでなく、普通の事件に巻きこまれたのとはわけが違うのでそれ相応のケアが必要になるのだとか。

 そんな連中が全国から集まってくるのだから規模も大きくて、働いている職員の数は百人以上、警察官を含む警備の数も一個中隊は揃っている。研究所全体を巨大なコンクリートの壁で覆うという徹底した排他的構造は、患者のプライバシー守秘と脱走を防ぐという二重の意味があるらしい。

 聞いた話だと元々この場所はWHOの指導で未来に予測される新型伝染病対策の一環として日本政府管轄の大規模隔離病棟が建設中だったところを、数年前に急遽〝D〟対策の研究所兼隔離病院に改造変更されてできたのだそうだ。

 これだけの施設を維持しているのはやっぱり国民の血税なんだろうなあと思うと、少し複雑なきもちになるモラトリアム期間真っ最中の俺である。

 そんなところに強制入院させられてから早半月が経ち、八月も半ばが過ぎても入院生活に特に変化はなかった。

 検査の結果は今のところ悪くなく、俺が感染してることはたしかなのだけど、それがどのような形で具体的にどうなっているのかという点はわからないままだった。急に症状が悪化することもあるらしいので、まだ経過観察中というわけだ。

 研究所内での緩い生活は少し退屈ではあるが妙に落ち着くもので、特に不自由は感じなかった。折からの猛暑も院内は空調が完備しているのでほとんど関係がない。たまには外の空気を吸いたいと思うこともあったが、外に出ることだけは許可されなかった。唯一、中庭に出ることが許されていたのは、建物に囲まれた造りで外へ繋がっていないせいだろう。

 中庭にはささやかな庭園が設けられ、ちょっとした噴水もあって癒しの空間になっている。ほとんどの時間建物の蔭になっているので少し薄暗い感じはするが、芝生の上に寝転んで昼寝もできるので俺は気に入っていた。今日も今日とて昼食後の自由時間をそこで寝そべりながら過ごしている。中庭やロビーではたまに他の入院患者と出逢うこともあったが、今は誰の姿もない。

 あれから一度だけ親父と電話で話したが、俺の口から語れることは何もなかった。ひとまず俺自身がちょっとした病気で入院したことだけを伝え、その他の諸々のことは――妹のことも黙っていることしかできなかった。

〝D〟に関わる一切には守秘義務が課せられ、家族にすら当たり障りのない事実しか伝えられていない。七奈の扱いが社会的にどうなっているのかすら俺は知らなかった。当然、葬式もなければ焼香も許されない。

 いっそすべてが夢であったらなんてもう何度も考えたことだが、これが現実だった。学校についても玲子ちゃんや研究所の人間が上手く調整してくれるそうで、俺にできることは本格的に何もなかったのだ。

 考えなければならないことは山ほどあるのだろうけれど、考えたところでどうにもならないからてきとーに過ごすしかない。思えば俺の人生はいつもそうだった。自分から積極的に何かを求めたりせず、何事もなるようになればいいと自分自身のことすら他人事のように生きてきた。だからぬるま湯に似たこの病院での入院生活が合っているというか、妙に落ち着くのだろう。たとえ非日常と膜一枚隔てただけの危うい場所だったとしても、ここには平穏があった。


「おいそこのくず。撃ち殺されたくなければ二秒以内に立て」


 たった一声で平穏は粉々にぶち壊された。

 もはや条件反射的な動きで背筋のバネで立ち上がると、俺は訓練された兵よろしくびしっと気を付けの姿勢を取った。

 のどかな日射し溢れる中庭を寒風吹きすさぶシベリアの大地へと変貌させたツンドラガールこと紗羅さんが、ご機嫌麗しく素敵な無表情で腕組みをして立っていた。

「どうも、紗羅さん。何か御用ですか?」

「用がなければ誰が貴様ごときに話しかけるというんだ? ついてこい。午後のスケジュールはすべてキャンセルだ」

 一方的にそう言ってこちらに背を向ける美少女警官に俺は恐る恐る訊ねた。

「キャンセルって……玲子ちゃんは?」

「これは国木田博士の指示だ。それとも何か? いちいち博士に確認をとらんと私の言葉には従えんと言いたいわけか、小僧?」

「いやいやいや! それならいいんですけど……」

 天使のような玲子ちゃんのイカれた検査か、悪魔のような紗羅さんの残虐な仕打ちか、秤にかけたところで結果は大差ないような気がする。圧倒的に気楽なのは前者だが、たまには刺激が欲しいって思うこともあるだろ?

 てか実年齢はともかく、外見上はどう見ても歳下の紗羅さんに小僧呼ばわりされるのはいまだに違和感ばりばりだった。

「で、何するんですか?」

 紗羅さんは無言で首を横に向けた。その視線の先には、年中無休で嫌な感じのオーラを発している不気味な建物の姿があった。

 研究所を構成する三つの棟――研究棟、中央病棟、そして禁断の特別医療棟。

 外に出てはいけないという決まりが絶対であるように、特別医療棟に近寄ることもまた絶対の禁忌とされている場所である。

「今回の用事は少々厄介だ。気を引き締めて臨め」

 よくわからなかったが、今日が俺の命日になるかもしれないことだけはなんとなくわかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ