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7-2

 冷たい夜風が頬を撫で、服の下にかいた汗が急速に冷えこんでいく。

 満天の星空と細い月明かりで辺りはぼんやりと明るかったが、そこには大勢の警官隊はおろか、人っ子一人いなかった。言葉もなく立ち尽くす俺を寒々とした静寂が飲みこんでいく。

 その時、強大な気配が背後から迫った。反射的に前方の暗闇に向かってダイブ――一瞬だけ遅れて銀光が夜気を引き裂いた。

 枯れた雑草に覆われた地面に尻もちをついたまま振り返ると、真剣を構えた鎧武者がこちらを見下ろしていた。

「鬼ごっこは終わりだ。外に仲間がいると思ってたみたいだけど、誰もいないじゃないか。はははっ、あんた見捨てられたってわけだ」

「っ……!? そんなことあるはず――」

 ないって言い切れないところが哀しい。さっきロッカーに隠れてる時、紗羅さん本気でブチキレてたもんな。絶対に殺すって連発してたし。

 ああ……つまりそういうことか。

 俺は思わず深い溜息をついた。

 出逢ってからまだ半年にも満たないが、あの冷酷無比なクールビューティの性格はよくわかっているつもりだった。それが今になってこんな思い違いをするなんて、俺もまだまだのようだ。

 ゆっくりと立ち上がり士堂と対峙する。とてつもない疲労に包まれた体は休息を求めていたが、まだ終わってはいない。

「観念したか。あんたの話を聞けなかったのは残念だけど、もういい。次逃げようとしたらどうなるかわかってるよな? この距離で獲物を逃がすほどおれの踏みこみは甘くないぜ」

「観念っつーか……いや、俺としたことがちょっと勘違いしてたみたいだ」

 言いながら俺は一歩後退した。それはほとんど無意識的な行動だった。ほんの少しでも奴から距離を取った方がいいと、本能がそう告げたのだ。

「あの紗羅さんが『殺す』って言ったなら、それは確実に己の手でやり遂げるってことさ。てめえみたいな病人の手にかかって俺が死ぬなんて、あの人は絶対に許してくれやしない」

「なに? どういうこと――」

 瞬間、声をかき消すように夜気が鳴動した。 

 鋭い排気音が夜を震撼させる。それはすぐ近く――正面の壁の蔭になった闇の中から聞こえていた。影と同化した漆黒の車体のあげたエンジン音は、闇に潜む猛獣の咆哮そのものだ。

 運転席に座す氷の美女がアクセルを全開まで踏みこむと同時、悲鳴じみた機械音と共にタイヤが一瞬空回りし、土を削り枯れ草を引き千切りながら猛然と走り出した。

 夜気を切り裂く巨大な弾丸と化した車体が一直線に迫る。

 俺は考えるよりも早く全力で背後に跳んだ。まさか、と思うその一瞬が命取りってやつだ。

 再び固い地面に尻もちをついた時、突風が俺の鼻っ面を撫でて通り過ぎた。

 シャープなボディが鎧武者を両断する勢いではね飛ばし、強烈な激突音が遅れて聞こえた。衝撃で宙に浮かんだ鎧が防弾仕様のフロントガラスぶつかって、さらにバウンドして宙を舞った。

 激しいブレーキ音と共に車体が斜めに傾ぎながら急停車する。それでも勢いを殺しきれずに、向こう側の壁に車体側面が接触するギリギリでようやく止まった。土の混じった粉塵とブレーキパッドの焦げた匂いが漂う中、運転席の扉が開いて紗羅さんが颯爽と飛び出してくる。

 鬼のような美女はつかつかと歩み寄ってくると、俺を蔑んだ目で見下しつつ、ちっと舌打ちした。……なんすかその、殺し損ねたか、みたいな顔。

 続いて紗羅さんは離れた地面に倒れている標的の方に顔を向けた。

 倒れこんだ鎧武者はぴくりともしない。いくら頑丈を売りにした〝D〟であろうと、さすがにあのスピードで自動車に轢かれたらたまったもんじゃないだろう。

 対抗策と言ってまさかこんな手段を思いついた上に本当に実行するなんて、つくづく恐ろしいお方である。おそらく自分でケリをつけるために包囲網の連中をあえて建物からは見えない位置まで移動させていたに違いない。

「おい無能、今のうちに標的を確保するぞ」

 紗羅さんがジャケットの内側からクスリの入った未来銃みたいな形の注射器を取り出した。

「たぶんもう必要ないと思いますけど……」

 鎧神はまだ倒れたままだ。本体の士堂拓真が意識を失っているのだろう。心臓が止まってなければいいけどな。

 寒風に身を縮こまらせながらそちらに近づいた時、士堂が手に刀を握ったままであることに気づいた。車に激突しても刀を放さない武士道精神はさすがという他ない。

 と、不意に小さな痛みが右手にはしった。

 視線を落とすと、メアリーの目だけが手の甲に浮かび上がって俺をじっと見上げていた。なんだ? 何か俺に伝えたいのだろうか?

 ――息が止まった。

 鎧武者の手が伸びて俺の足首をがっしりと掴んでいた。

 凄まじい力で引き寄せられ、体勢を崩したところで体が宙に浮いた。片手で軽々と投げ飛ばされたのだ。

「……!? か、風間っ!!」

 受け身も取れずに固い土肌に頭からつっこんで意識が飛びかけたが、俺は反射的に声を張り上げていた。

「来るな、紗羅!」

 あ、呼び捨てにしちゃった。なんて気にしてる場合じゃない。禍々しい気配がすぐ近くに迫っていた。

「――言っただろ。この鎧は無敵だ。誰もおれを傷つけることはできない」

 ざっと地を踏みしめる音に顔を上げると、紗羅さんとの間に立ち塞がるように士堂が立っていた。それが敵の狙いだったのかどうかはわからないが、完全に前後に分断された形だ。

 俺は痛む体をさすりながら立ち上がり、再び相手と向かい合うことになった。

「ふざけたまねばかりしやがって。遊びは終わりだ――あんた、死んだよ」

 冷たく研ぎ澄まされた声がそう告げて、流れるような動きで士堂が構えた。

 それは異様な構えだった。通常なら刀の鞘をぶら下げる腰の左側のあたり、今は何もないそこに抜き身の刀を添え、右足を体の前に一歩出して腰を沈める。

 俺との距離は三メートル以上開いている。この距離で何をするつもりなのか知らないが、避けるのは容易たやすい――そう思っていたのはしかし、俺だけだった。

「風間! それは『居合い』の構えだ、離れろっ!」

 紗羅さんはその危険性に真っ先に気づいた。

 だが俺は武道なんてロクに知らないド素人でしかなくて。

 そのド素人を相手に、達人が初めて本気になったことを遅れて知ることになった。


「――士堂流・神双閃(かむそうせん)!!」


 爆発するような激烈な踏みこみと共に斬撃が放たれた。

 居合いの達人の誇る一閃は音速すら超越し、死の間合いは刃の長さの数倍にも及ぶ――その言葉を体現するかのような圧倒的な伸びとスピードで死が迫る。回避も防御もできないまま、二重の銀光が俺の視界を奪い尽くした。

 ……痛みは、なかった。

 衝撃すらも感じることなく、ただ自分が致命的な一撃を負ったことだけはなぜかわかった。

 刀を振り切った姿勢の鎧神がゆっくりと構えを解く。

「おれの勝ちだ」

 勝ち名乗りと同時、俺の額と胸が真横に裂けた。二の文字を刻みつけたような傷痕から勢いよく血が噴き出し、現実がぐにゃりと歪んだ。視界が暗転して重力がふっと消え失せる。

 急速に意識が失われていく中で、灰色の世界に佇む黒い女の姿が一瞬だけ脳裏をよぎって――消えた。


/one -end?-

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