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しかしまだ安心することはできない。
紗羅さんもそれは心得ているだろうが、相手との距離が開いたことで少し余裕が生まれたのか、体勢を直すようにもぞもぞと体を動かした。
瞬間、俺の腰の辺りに電撃のような感覚が走り抜けた。ジーパン越しにタイトなスーツパンツに包まれたやわらかな尻が擦り付けられ、ピンポイントで局部を狙い撃ちしてきたのだ。
もちろん紗羅さんにそんなつもりは微塵もなく、俺だってこの状況下で妙な興奮を覚えるほどマニアックな変態じゃない。俺の息子が不能になって数ヶ月以上が経ち、性欲はあるものの肝心のモノがぴくりともせず感覚すらほとんどないような状態にも慣れてずいぶんになる。
が……不思議なことにこの時だけはやたらと下半身の感度バリバリで、零距離で感じる紗羅さんの体温であるとか、不思議なほど良い香りのする髪であるとかをものすごく強烈に意識してしまい、えも言われぬ感覚が背筋を疾り抜けて体の中心に疼くような熱さを感じた。
それを察知したというわけではないだろうが、紗羅さんが小声で口を開いた。
「おい、風間。こんな時だが、変な気を起こす前に警告しておく。すでに貴様は三回、半殺しの刑が確定しているが、これ以上なにかしたら死ぬまでいじめ抜いた上で殺し続けるからな」
「三回半殺しの時点で一.五回死んでるような気がしますけど……」
まあ感覚が一時的に戻ったところで不能のままじゃどうしようもないし、このままでもべつに問題ないだろう。
と思っていたら、奇跡が起こった。
久しく忘れかけていた感覚が下腹部を直撃し、長らく息を引き取っていたはずの我が息子がなぜか、バッキンバッキンになっていた。
驚きよりも喜びよりも何よりも、真っ先にヤバイ……と感じた。
紗羅さんに気づかれないように少しでも腰を離そうと思ったが、狭い空間内ではそれもままならない。下手に動かそうものなら尻にモノを思いっきり擦りつけることになりかねないし、無理をして物音をたててしまっては今までの苦労が水の泡だ。かなり本格的に逃げ場がない状況だった。
これだけ密着している状態で紗羅さんが気づかないのもおかしいのだが、俺のアレがちょっと前までお役御免だったことはこの人も知ってることなので、変だと思いつつもまさかそうとは考えないのだろう。そもそもそんなこと気にしてる状況じゃないわけだし。
じっと身動きもせずに外の気配を窺っていた紗羅さんが、急になにやら居心地の悪そうにもぞりと尻を動かした。おうふ。そのわずかな刺激がモノに直接伝わってくるものだから、俺は快感に呻きそうになるのを必死に耐えなければならなかった。
「…………風間」
「…………なんでしょうか?」
「さっきから私の……お尻の辺りに何か固いモノが当たっている気がするのだが……」
ギクリ。
数秒の沈黙を挟んで、恐る恐るといった感じで紗羅さんが言った。
「まさかとは思うが……貴様はたしか不能だったよな?」
「はい、まったくその通りです。過去形であることも含めて」
「っ……!!」
相手が明らかに動揺したのが体ごしに伝わってきた。ごくりと唾を飲みこむ音。
「えっと……これって不可抗力ですよね?」
紗羅さんは身をよじりつつ地獄の業火にも匹敵しそうな赫怒の声を絞り出した。
「殺す……本気で殺す。いつか殺してやろうと思っていたが、予定が早まったな!」
「ま、待ってください。こんなとこで暴れたら大変なことになりますよ」
「すでに大変なことになってる! け、汚らわしいものを押しつけるなド変態が!」
「そんなこと言ったって、男の生理現象なんだからしょうがないじゃないですか」
「私は貴様を雄と思ったことはないし、貴様に雌として見られたくもない!」
ガーン。たぶんショックを受ける場面なのかもしれないが、状況的に落ちこんでもしょうがない気がしたので聞かなかったフリをすることにした。
紗羅さんはロッカーから出ても大丈夫か確認するために再び外の様子を窺い始めた。一刻も早くここから離れたいのが丸わかりだ。
「ロッカーの開閉の音は響きます。奴はまだ部屋のすぐ外にいるから気づかれますよ」
「……物狂いと変態、どちらがマシかという問題だな」
紗羅さんは魂が抜け落ちそうなほどの深い溜息をついた。
「俺は紗羅さんの強い味方ですけど、あっちの基地外は百パーセント俺らを殺すつもりですよ」
「だあああっ、耳許で喋るな! 動くな! 触れる! 当たるっ! 息を止めて一ミリも微動だにするな! 死ね! 即座に死ね! とにかく死ねっ!!」
「声が大きいですって。気づかれたらどうするんですか」
紗羅さんは悔しそうにきゅっと口唇を引き結び、ギリギリと歯噛みしながらどうしたらそこまで露骨に感情表現ができるのか不思議なほどの怒りを全身から放射している。
俺は内心ビビりまくりだったが、一方で息子の方は相変わらずMAXビンビンでやわらかい尻肉に埋もれるように包まれていた。この温度差がなんというか、たまらない。クセになったらどうしよう。
「くそ……最悪だ。朝のオハテレで天秤座の運勢が最低最悪だということを事前に知らされていたのに、悪運を退けるラッキーアイテムのピンクの下着をつけなかったことが心の底から悔やまれる……。だってそんな可愛いものはもっていないのだからしょうがないだろう……」
ついに独り言をブツブツとつぶやきだす美少女警官。かなり精神的にキテいるご様子である。
「結局、何色にしたんですか?」
「少しでもピンクに近づけようと思って赤にしたのだが、効果なかったようだな……」
赤か……ゴクリ。
てゆーかこの人はなんで嫌そうにしながらこちらの想像力と劣情を煽り立てるような発言をするんだろうか。相当に参ってるのか、意外と天然なのかもしれない。
と、廊下の外でガシャンとガラスの砕け散る音がして、俺たちは同時に息を止めた。
こちらを見失って苛立っているのか、そこらにあるものを殴り壊しながら禍々しい気配が遠ざかっていき、そのまま中央廊下を曲がっていくのを感じた。
時を同じくして、紗羅さんのジャケットのポケットで携帯の淡い光が明滅した。
紗羅さんが携帯を耳に当て声を潜めながら話し始める。
「建物の包囲は完了したか? 突入は待て。今回の標的は少々厄介だ。通常の対〝D〟装備では歯が立たん。包囲を固め逃走を防ぐことだけに集中せよ。我々は今から建物を脱出し、引き続き標的の確保に専念する。以上だ」
ということらしい。銃もメアリーの刃も効かない敵を相手に、まだ捕獲を諦めないところが使命感に燃える警察官の鑑だとは思うけど、何か妙手があるのだろうか?
「とにかくここから脱出するぞ。今は奴に対し有効な手段はないが、外に出さえすれば対抗策はある。途中で見つかって攻撃を受けた時は、貴様が私の盾になれ。安心しろ、奴に殺されなくてもおまえは私が殺してやる」
そっか、それなら安心だね! って理屈が異次元過ぎる。
まあ対抗策があるという言葉を聞いて暗鬱な気分が少し晴れた。この人がこういう言葉を口にした以上、信頼度は抜群だ。俺もやれるだけのことはやってみようという気になった。