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 研究所内にある一室――俺はこの部屋を『取調室』と呼んでいた。

 最初がアレだったからそう認識するようになっていたが、実際は椅子と机が置いてあるだけの殺風景な普通の部屋である。ここに通されるのはもう何回目だろうかな、と思いながら俺は口を開いた。

「あのー。ところで〝D〟ってどういう意味なんですか?」

 自分に取り憑いてる奴やこの病気の原理についてはこれまでに説明を受けてきたが、そもそもの病名については何も聞かされていなかった。

 真正面の椅子に座っていた白鷺先生が目をぱちくりさせながら呆れたように言った。

「なんや、あんたそんなことも知らんのか? Dは〝ディオニュソス(Dionysos)〟の頭文字や」

「ディオニュソス……ってたしかギリシア神話の神様でしたっけ?」

「そうや。酒と豊穣を司る神って言ったら聞こえはいいんやけど、一方で狂乱と混沌、酩酊と陶酔をもたらす狂神としての側面をもつ神さんや。ヨーロッパの方じゃ現代でもディオニュソスを崇拝する邪教や秘密結社が複数存在しとる。邪教の儀式は麻薬でトランス状態を作りだし集団で性交を行う淫らなものやったりするし、生贄を捧げることも珍しくないらしいわ」

 ヤバエロイ感じの儀式風景を思い浮かべたところで、右隣に座る紗羅さんから補足が入った。

「ある程度研究の進んだ現在の病名は『寄生性非同一型祟状(すいじょう)症候群』となっているが、最初は感染者が著しく人間性を失うことから、かの狂神にちなんで『ディオニュソス症候群』と呼ばれていたのだ。どちらも同義だと憶えておけばいい。我々が寄生体や感染者を〝D〟と呼ぶのは一種の隠語だな。人間を怪物に変えてしまう病原体ごときを『神』と呼ぶのも癪だろう」

「なるほど。それじゃあもう一つ質問なんですけど……この病気はなんで起こったんですか?」

「ん? どういう意味や?」

「この病気が流行りだしたのってここ数年なんでしょう? 神様とか祟りなんてずっと昔からあったものなのに、なんで最近になって流行しだしたのかと思って……」

 白鷺先生は煙草の煙を大きく吸いこみ、しばらくの沈黙を挟んだ後でこう答えた。

「風間。その質問の答えやけどな」

「はい」

「――わからへん」

「へ?」

「うちにも、国木田博士にも、紗羅警部にも、他の誰にもわからへんのや」

「……まじですか?」

「まじやで。あんたの言ったことは鋭く〝D〟の矛盾をついとる」

 左隣に座る玲子ちゃんがそれを受けて口を開いた。

「ボクら科学者はこれまで『祟り』を『病気』として認知してはいなかった。言い換えれば病理学的に明らかなレベルではなかったんだ。でもD症候群は違う。代謝異常に起因する驚異的な再生力、異常患部、精神汚染、人格変貌……これらが医学的な数値として観測できるという意味で、三年前に初めて『祟り』が『病気』であるということが実証されてしまったんだよ」

「神さんの祟りが三年前から急激に強力になったようなもんや。なんでそんなことが全国的に一斉に起こり始めたんか誰にもわからへん」

「〝D〟の感染を防ぐ手だても今のところ見つかってない。ただ〝D〟は重複して感染することはないみたいだから、この中じゃ一郎くんが一番安全って言えるね。きみだけ予防接種してるようなものなんだから」

 右手のこいつが抗体ってわけか……そう考えればたしかにラッキーかもしれないが、俺はこいつを認めるつもりはない。幸運以上の絶望をもたらしたものを許せるはずがなかった。

「認めたくないという顔だな。だがそれでいい、その右手が悪化すれば貴様に待っているのは死か永遠の牢獄だ」

 ブスリと五寸釘を根もとまで打ちこまれた。さすが紗羅さん、今から既に俺を射殺する意志は揺るぎないご様子である。

「いまだ感染者を完治させる方法もない。だが〝D〟を殺す方法だけはわかっている」

「紗羅ちゃん、それは……」

 玲子ちゃんが遮ろうとしたが、紗羅さんは淡々と続けた。

「簡単な原理だ。感染者が死ねば〝D〟もまた消滅する。奴らを体から追い出す方法がないというのは、言い換えれば奴らもまた感染者から離れる方法がないということだ。宿主が死ねば自らも死ぬ――ゆえに〝D〟は様々の方法で宿主を守ろうとする。極端な再生能力だけでなく、異常患部や精神汚染、人格変貌もすべてはその副産物と言えるだろうな」

「全部まだ推測の段階だよ。これまでの結果をみるとその傾向が強いってだけだからね。治療法も……たしかにまだ見つかってないけど、いつか必ず見つかるからさ」

 玲子ちゃんがフォローするように付け足したが――結局はそういうことなのだ。

 現在まで〝D〟は不治の病であり、治す方法がない以上、綺麗事を取り去った紗羅さんの言葉の方が何倍も真実に近いところにある。実際に現場の最前線に立つ人の言葉だからこそ重みが違う。俺は俺の意識が俺でなくなった時――いや、そうなってしまう前に紗羅さんの手で殺されるべきなのだろう。もちろん死にたくなんてないが、覚悟だけはしておく必要がある。

 重苦しく沈滞した空気を破るように、白鷺先生が明るい声をあげた。

「まあ、治療法が早く見つかるんが一番ええことではあるんやけどな。うちはもう一つ期待しとることがあるで」

 先生はにんまりとした笑顔のままこちらに身を乗り出してきて、異常に顔を接近させて、本当にあとちょっとで鼻先が触れてしまうくらいに顔を近づけて、――ばしんっと俺の頭を殴り倒した。いきなりのことでびっくりしたが、その痛みで目が醒めた気がした。

「なにウジウジと悪い方ばっかり考えとるんや。しゃきっとせんかい! ええか風間、あんたは絶望したらあかん。その右手は何のためにあるんや? あんたには、あんたにしかできへんことがある。だったらやるしかないやろ。腹ぁ決めて、いっちょ気張ってやったらんかい!」

 がははと豪快に笑いながらバシバシと肩を叩いてくる先生。

「わかってますって……やれる限りのことはやりますけどさ」

 てゆーか、なんで俺にそんな期待寄せるのさ。

 そんなの俺には重すぎる。絶対に無理だと思うけどなあ……。


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