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姫君と騎士




  わたしの背中には夜があり、そこでは麗しい月が音もなく泣いている。冷たい夜の悲しみにわたしは胸を焦がす。あなたはそれを、呪いという。


 この呪いがとけたら、わたしはあなたを愛せるだろうか。あなたはわたしを、望んでくれるだろうか。


 それは星の泣かない夜の夢のこと。天使を殺す夢と剣。わたしのこころが冷たい武器となるときに、きっとわたしはあなたを忘れるのだろう。







   − 姫君と騎士 ―




 頬を刺すような冷気に、金の髪を持つ姫君は瞼をふるわせた。短いようで長かった馬車の旅が終わりに近づいていることに彼女は気がついた。帝国の冬は、彼女の故郷のそれとは違って、とても厳しいという。まだ、初冬であった。彼女はこれからのことを考えると、冬が来ることも含め、すこし憂鬱になった。どうせなら、春がよかった。故郷の花が盛りを迎えてからがよかった。どうせ顔もろくに知らない相手との、愛のない結婚なら。せめて春の花嫁になりたかった。

 彼女は同じ馬車に乗っている騎士に目をやる。狭い馬車の出来るだけ隅の方で、彼女の騎士は身体を丸め眠っていた。灰色のマントに、フードを深く被っているために、その素顔があらわれることはめったにない。しかし彼女は騎士のあどけない寝顔を知る数少ないひとりであった。彼女の騎士の存在が、これからの彼女にとって唯一の心の支えとなるだろう。



 東の王国アミリアは小国ながらも緑豊かな自然と、今なお世界の創造主たる神の歴史の残る地として賑わい栄えていた。アミリア王国に隣接するユタ帝国は、皇帝が強大な権力を誇る軍事国家であった。アミリア王国の姫君は、そのユタ帝国の皇太子のもとに嫁ぐことになったのだ。

 アミリア王国側は、帝国側の婚姻の申し出を幾度となく断ってきた。しかし帝国の強大な力の前では、アミリア王国側の意向など受け入れられるはずはなく、アミリア国王は一人娘のルミアーナをやむなく嫁がせることに決めた。彼女が幼いころから彼女とともに生き、彼女を守っている灰色の騎士を供につけて。








 帝都の民は姫君を歓迎した。帝都の大通りを姫君一行を乗せた馬車が通る際には、人々は皆あたたかい歓声で迎えた。アミリア王国の姫のうつくしさは大陸中の噂の的だった。黄金を紡いだかのような金の髪に、黒と見間違うほど深い青の瞳をもつ美貌の姫君。深い青の瞳は、アミリアの王家に代々受け継がれる血の特徴であるとされていた。人々は彼女を月から舞い降りた天使と誉めそやした。


 城への道すがら、自分を歓迎し祝福してくれる民衆に笑顔で手を降りながら、ルミアーナは故郷と違った趣の街並みを観察していた。故郷であるアミリアの王都は、夕焼け色の煉瓦造りの建物がほとんどだった。ユタ帝国の帝都は、丈夫な石造りの建物が多い。それは城も同様のようだった。ユタの城は、要塞のように灰色の石造りの高い壁で囲まれ、城自体は、頑丈そうな真っ白な石でできているようだった。ルミアーナの知らない名の石であるようだ。やはり軍事国家ゆえ、というような冷たさをルミアーナは感じた。

 城内は、無駄な装飾のないような質素な造りながらやはり荘厳であり、その単調さがただうつくしかった。長い馬車の旅で疲れを感じる足腰にむち打ちながら、ルミアーナは案内されるままに謁見の間へ歩みを進める。灰色の騎士は彼女の後ろにつき、しっかりとした足取りで歩いていた。アミリアからユタまで、ユタ帝国の騎士団が彼女たち一行を護衛すると申し出たが、アミリア側はそれを不要と断った。よって騎士団は城門から彼女たちを囲んで、謁見の間の扉の前までつく、という(てい)となった。大陸屈指の実力を誇るユタ騎士団は、自分達が不要であると言われたその理由が、たったひとりの、顔も見せない、はたからみれば騎士ともわからぬその者であることに歯痒さを覚える。

 月の天使と謳われるルミアーナの美貌は、外出用の白のベールを被っている姿からでも周囲の者に知れた。ルミアーナは軽やかな薄い水色のドレスを纏って、高貴な姫君らしいうつくしい歩みである。ユタの城の者や騎士たちも、彼女のうつくしさに感嘆のため息をもらしそうになる。しかし、明らかにその場にそぐわない異分子があった。

 彼女の傍を離れないその者は、腰まである重そうな古い灰色のマントを背負い、フードを深く被っており、黒の前髪も長く、顔はまったく見えない。うつむいていない時、ちらりとのぞく白く細い顎と整った口元だけが、その者を人と判別できる唯一であるかのようだった。


 謁見の間へ続く扉の前で、ユタの騎士団は歩みを止めた。そして灰色の騎士が謁見の間に入ることは遠慮してほしいという意を彼らは伝えた。

しかし首をふったのは、ルミアーナだった。皇帝直属の騎士団さえ、皇帝そして皇太子とルミアーナのはじめての謁見に立ち入ることは許されない。それをルミアーナに伝えても、彼女はゆずらなかった。その間も灰色の騎士は一言も口をきかなかった。

 そうこうしているうちに謁見の間への、扉が開かれた。ルミアーナと灰色の騎士は、堂々と歩みを進める。途方にくれる騎士たちは、扉の開放にあわてて頭を下げた。



 玉座に座るのはただひとり、ユタ帝国の現皇帝サルトーレ・ジェノヴィ・ユターナである。そしてその横にはふたりの皇子が並び立っている。


 玉座へつづくゆるやかな階段の手前で、ルミアーナは最上級の礼をして頭をたれて跪いた。灰色の騎士は彼女の後ろでただ静かに跪いた。



「アミリアより参りました。ルミアーナ・ミストレ・アリアーノでございます」



 その声色からは緊張など微塵も感じさせない、気品ある凛々しい様子で、ルミアーナは言った。



「余はサルトーレ・ジェノヴィ・ユターナ。……アミリアの姫君よ、長旅ご苦労であった。よくぞこのユタに参られた。歓迎しよう。顔をあげよ」



 ルミアーナは黙ってベールを脱いで、まっすぐ皇帝をみつめ、そしてまた目を伏せた。



「お会いできて光栄でございます。皇帝陛下」



「そう固くならずとも、良い。そなたはユタの皇家の者となり、ユタはそなたの第二の故郷となるのだ。婚姻は一週間後だが、この城をわが家と思い寛がれよ」



「ありがとうございます」



 そこでいままで黙っていた皇子のひとりが、我慢できないという様子で声を発した。



「その者は、だれだ」



 ルミアーナは皇子をまっすぐ見据えた。名も名乗らぬその者を。しかしルミアーナは知っていた。栗色の髪に透き通るような空色の瞳、彼こそルミアーナの婚約相手、第一皇子、レノバルディア・ジェノヴィ・ユターナである。



「わたくしの、騎士です」


 ルミアーナははっきりと答えた。凛としたその様子からは、彼女のうつくしい気高さを感じさせた。レノバルディアは、誰にも悟られぬほど、ほんの僅かに目を細めた。これが、これから婚姻を結ぶふたりがはじめて交わした言葉だ、という事実が、人知れずルミアーナの胸に重くのしかかる。


 レノバルディアの横に並ぶのは、そのたぐいまれな手腕から軍神とも謳われる第二皇子、ユーノティア・ジェノヴィ・ユターナである。彼は兄のそれより深く黒に近い栗色の髪に、空というより海の色の瞳をしていて、その瞳は好奇心に駆られているように、ルミアーナにはみえた。



「その者が、噂の"灰色の騎士"か」



 皇帝が、至極愉快そうに言った。ルミアーナはユタの皇族たちが、灰色の騎士に警戒心というより興味をもっているのだと、雰囲気で感じ取った。それがルミアーナたちに、幸となるか不孝となるかは、いまの彼女にはわからない。灰色の騎士はいまだ跪いたまま、沈黙している。



「顔をあげろ、灰色の騎士」



 レノバルディアが言った。しかし灰色の騎士は、黙ったまま顔をあげるどころか身じろぎひとつしなかった。騎士のその態度は、ルミアーナには予想がついていたことだった。いずれこうなるときがあると彼女にはわかっていた。強情な彼女の騎士が、不躾ともとれるこのようなユタの皇太子の命令をきくはずがないのだ。彼女はしかたなく、苦し紛れの言い訳を述べる。



「申し訳ありません。この者は、わたくしの従者ゆえ、わたくし以外の命令はきかぬのです」



「……ここはユタ帝国の城だ。身分の違いもわからぬ不躾者が、貴女の唯一の騎士であるはずはあるまい。顔をあげよ、騎士よ。」



 皇帝の言葉に、そこでやっと、灰色の騎士は顔をあげた。しかし深く被ったフードや長い前髪のせいで 表情はおろか顔などみえない。ただルミアーナには、灰色の騎士の心情がわかるように思えた。自分は名も名乗らず不躾に姫君の従者をなじり、名をきくわけでもなく、顔をみせろとのたまう、レノバルディアに呆れているのだろう。


「その、マントを脱げ」



「レノバルディアさま…!」



 ルミアーナが焦ったような声をだす。



「顔をみせよ、騎士。でなければ不敬罪とみなし、城からでていってもらおう」



 脅迫であった。ルミアーナは一瞬息を飲むが、そこで引き下がる彼女ではなかった。



「お許しください。この者はー…」




 そこまで彼女が言いかけたとき、いままで黙していたユーノティアが、ルミアーナたちに向かって剣を抜き、一瞬の間に距離をつめて斬りかかった。



「…―――」



 金属がぶつかる音がひとつ、謁見の間に響いた。ルミアーナは、目の前で剣を抜かれたというのにその姿勢をすこしも乱さなかった。ただルミアーナの、灰色の騎士が彼女を守り剣を抜き、ユーノティアの剣を受け止めた。沈黙がおりた。ユーノティアは、騎士の剣をまじまじとみつめる。



「……これが、黄竜の剣か?随分と陳腐だが」



 その言葉をユーノティアが言った瞬間、灰色の騎士は身を翻し、後方の姫君をかばいながら間合いをとった。


「……落ち着いて。大丈夫よ。あの方たちはわたしたちに危害を加えたりしないわ」



 緊張感にはりつめたその場を諌めたのは、騎士に向けられた、ルミアーナの落ち着いた一言だった。灰色の騎士は、わかっているというように、ただ頷いたが、警戒体制をとかない。



「…いま一度言う、騎士よ。顔をみせよ。命令をきかぬような不穏分子を、ユタの皇太子妃となる彼女のそばに置いておくことを許可するわけにはいかない。逆らえば、おまえの主も罪に問われる……剣を下ろせ」



 カラン、という音をたてて、灰色の騎士の剣が床に落ちた。騎士が手を離したのだ。そして騎士は、襟元を紐解き、灰色のマントを脱ぎ捨てる。重々しく、バサリと音をたてそれが床に落とされた。

 レノバルディアは、驚き身じろぎをした。ユーノティアは剣を下ろしたが、まだ警戒心をとかないでいる。ただ皇帝のサルトーレだけが、その場にそぐわぬ楽しそうな笑みを、口元にたたえていた。

 マントを脱いだ灰色の騎士は、本来騎士ならば身に付けているような甲冑などの鎧の類いはいっさい身に付けておらず、品の良さそうな白のブラウスに動きやすそうなズボン、といったどこかの小貴族の家に使える駒使いの少年のような身なりをしていた。腰には二つの剣の鞘をつけている。そして騎士は、腰まである長く豊かで美しい黒髪を頭の高い位置で結っている。前髪はながく、繊細な気品ある模様が施された細い布で、目元はゆるく覆われ、頭の後ろで結ばれていた。しかし鼻筋の通った、整ったうつくしい顔をしているとその場にいた誰もが気付いた。



「お前…男か?女か?」



 ユーノティアが、静かに問うた。"灰色の騎士"は、マントを着ていてはわからなかったが、背丈はふつうながらも線が細く、思っていたより華奢だったからだ。騎士は答えない。



「……盲目か?」



 ユーノティアが再び剣をかまえ、静かに斬り込んだ。騎士はもう一本の剣を抜き、受けながしながら、すばやく床に落ちていた剣を拾い、構えた。

 ユーノティアは第二撃をはかる。しかし騎士はそれも軽く受け流し後退する。姫君をかばい、彼女を玉座から離れさせる。彼女を離し、間合いに十分な距離を取ってから、騎士はユーノティアに反撃を仕掛けた。ルミアーナにもその騎士にも、これは"灰色の騎士"を試す戯れなのだとわかっていた。しかしルミアーナは内心不安に駆られていた。この"試し"はいつ終わるのだろう。騎士が何者なのか、彼らが満足する答えを、彼女は与えられないのだ。それは彼女の騎士とその剣が、決めることでなければならないから。


 ユーノティアの剣と、騎士の剣は激しくぶつかりあう。騎士は二本の剣を巧みに操りながら、軽やかに攻撃を受け流す。軍神ともいわれるユーノティアの剣の腕は、ユタ帝国でも三本の指に入る実力だった。しかしそのユーノティアの重い剣撃を、騎士は二本の剣を軽やかにさばき、受け流している。騎士が皇太子相手に、本気を出していない、否だせない様子なのは明らかだった。騎士は後方の姫君を気にかけながら、戦っている。騎士の余裕さえのぞかせるその剣さばきに、ユーノティアは歯ぎしりした。そこで渾身の一撃を以て、騎士の剣の一本をなぎはらい、その手から飛ばした。騎士が最初に抜いた、軽い剣だった。手から離れた剣は、その勢いのまま飛ばされて、ルミアーナの方へ向かった。騎士は、はっとして駆ける。


「ルミア!」


 登城して以来、騎士がはじめて発した一声だった。

 ルミアーナを傷つけそうになった剣は、騎士が一瞬のうちに彼女の元に駆けつけて、その剣を払いのけたことによって床に落とされた。騎士がルミアーナの無事を確認しようと、剣を下げて彼女に向き直ったとき――…騎士の目隠しがほどかれた。静かに、一瞬のうちに距離をつめたユーノティアが、すばやく騎士の目隠しの結び目を解いたのだった。


 騎士がふり返ったとき、ユタの皇族たちはみな、驚きに息をのんだ。静寂が、落ちる。ルミアーナがため息をついて言った。



「ティナ、あきらめましょう。隠しとおすなんて無理だわ」




 ティナとよばれた"灰色の騎士"は、ルミアーナと同じ深い青の瞳をもつ、うつくしい女だった。









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