1話
恋をして、私は愛を知った。
毎日感じる愛する人と一緒にいられる幸せ。
それはたった1年しか続かず、世界で一番大切だった人はあっけなくこの手をすり抜けていってしまった・・・。
『ごめん・・・。他に気になってる人がいるんだ』
そんな一言ですべては終わった。
人は簡単に心変わりする。
でも自分が愛した人が心変わりするなんて思いたくなかった。
たった1人んだけを永遠に愛することが出来るのは、ごく一部の人間だけなのだとその時知ったのだ。
苦しくて。
悲しくて。
心が砕けた瞬間・・・。
たった一人を失っただけで、私の世界は大きく変わってしまった。
私はまだ愛しているのに・・・。
突然一方通行になってしまった気持ちはどうすればいいのだろうか?
「茉莉ー、起きなさい!」
部屋の前の階段の下から母の声がする。
母はごく普通の専業主婦。
けっこう若く見える母は気さくでマイペース。
最近は一緒にいると少し年の離れた姉妹のような気がしている。
「茉莉ー?」
「もう起きたー」
大学の夏休みは長い。
その休みを利用して、ここから1時間ほど離れた場所に住んでいる祖母の所へ今日から夏休みの期間だけお世話になるのだ。
これは小さな時からのことで、夏休み近くになるといつ夏休みなのかと祖母から電話がかかってくるほどで、私が来るのを楽しみにしてくれているようだった。
「忘れ物はないの?」
靴を履いていると、母が玄関まで出てくる。
水玉模様の可愛らしいフリルのエプロン姿。
今年の母の日に私がプレゼントしたものだ。
母はかわいいものがとてもよく似合う。
「たぶんね」
「多分?」
「近いんだもん。忘れたら取りに来ればいいんだし」
「そうだけど・・・ちゃんとおばあちゃんのお手伝いしてあげてね? おばあちゃん、最近腰が痛いって言うから・・・」
寄る年には勝てないと苦笑しながら腰をさすっていた祖母を思い出す。
最近体が動かないとこぼす祖母の代わりに、私がいる間、色々と手伝ってあげなければならないだろう。
大好きな祖母の為だと思うと、どんなめんどくさいことでも楽しそうに思えるから不思議だ。
私は靴を履き終え、着替えを詰めた大きなカバンを肩にしょる。
「心配なのはわかるけど、何かあったら電話するし」
「何かなくても電話はしてね?」
「はいはい」
いくら近いとはいえ、私が家からいなくなることがやっぱり寂しいのか母の表情が少しだけ曇っている。
「私がいない間、おとうさんと存分にイチャこらしておいてよ」
「茉莉がいても、おとうさんとはいちゃこらしてます」
「ありゃ、それはごちそうさま」
「いえいえ、お粗末様でした。じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい。おばあちゃんによろしくって伝えておいてね?」
「はいはーい」
軽口で応戦し、笑って母に手を振るとすぐに家を出た。
母にはああ言ったが、私は知っているのだ。
父が不倫していることを・・・。
母には隠しているようだが、父は何故か私には隠さなかった。
あの日の朝のやり取りが思い出される。
起きて洗面所で歯磨きをしている私に、父はつけていくネクタイを選ばせた。
私はその時、冗談のつもりだったのだ。
「何ー浮気?」
「そうじゃなかったら、ネクタイなんか気にしないだろ?」
「え?」
「おかあさんには言うなよ?」
そんな父の言葉を聞いた時、父が浮気をしていることを知った。
冗談ではないことは、口止めをされたことでわかる。
父と母もただの人間だ。
彼が心変わりしたように、父だって気持ちが変わっただけだ。
夫婦のことは夫婦にしかわからないものだろう。
浮気されて母がかわいそうだと思う反面、仕方ないとも思った。
母は普通の主婦で、その辺のおばさんよりは若々しくかわいらしいだけだ。
浮気してしまうくらい母に魅力がなく、浮気相手は母にない魅力があるのだろう。
誰だってより魅力的な人に惹かれるもの。
そう勝手に想像して流すことにしたのだ。
別れた時の彼の言葉が思い出される。
『彼女の仕事が出来るところが尊敬できるし、物事の考え方が大人なんだ』
彼は私にはない、彼女の魅力をそう教えてくれた。
社会人の彼女と、学生の私とでは土俵が違う。
今すぐ社会人になったとしても、仕事のデキル女になるには少し時間がかかる。
大人にならなければ、大人の考え方なんて出来ない。
どうにもならない事を言われ、私にはどうすることも出来なかった。
苦く悲しく苦しい思い出が私の胸を締め付ける。
諦めきれない気持ちが心の置くからはみ出てきた。
私は胸元の服を強く握り締め思考を他へと移したのだった・・・。




