Ver side・B
「マジで? でっけぇ」
こりゃ、予想以上だ。俺は学校見学に来てねぇから、この学校を目にするのは初めてになる訳だが。何もかも呆れるくらい規格外だな。
かなり前に貰ってその辺に放置してあったのを引っ張り出したパンフレットは、端の方がよれてみずぼらしい姿となっていた。少しでも綺麗に見えるようにしてみようと、爪を立ててしごくように引っ張ってみる。繊維がモサモサとなるだけで、無駄な努力だった。あ、否。この程度だったならば、努力とも呼べねぇのかも。あー……これじゃあ、見る気が失せたただの紙切れに等しいぞ。ゴミ同然と化した物から諦めて顔を上げて、校舎を見上げる。これは俺の想像以上だよなぁ、オイ。灰色の無機質なコンクリートで固められたそれは、校舎という物にしては近代的な形をしている。私立ならば有り得ない事でも無いのかもしれねぇけど、ここは公立だ。金に大きな余裕がある場所じゃあない。それにしても、固く冷たい印象が拭いきれないのは、コンクリートの灰色が回りの景色が発する光を吸いとって存在しているからか。現代の要塞、そんな陳腐な言葉で片付けてしまおうか。何となく、好きになれねぇし。無駄のないそのデザインは、見る者を圧倒させるような雰囲気がある。俺の周りを行く新入生にも、その雰囲気に飲み込まれちまっている奴が何人か見受けられた。そうだ、そういや俺の周りは新入生ばっかりじゃねぇか。何でだっけ。
ふと、左手首に巻いているアナログのゴツいデザインの腕時計に目をやる。俺は、デジタル時計が好きじゃない。何故、時間という連続的に変化する物をいちいち区切って表示してしまうのか、分からない。そりゃ俺だってコンピューターとかのデジタル機器の恩恵に預かるが、『絶え間無く変化する』という時間の魅力を潰してしまうのは勿体無く感じる。まぁ、無駄な思考はここら辺でブッチリと切っておく事にするか。脱線しかねねぇし。
愛用の腕時計の短針は九を、長針は一を指している。つまりは、九時五分。そうか、常だったらこの時間は登校時間なんかじゃあない。まだ入学式を受けず入学を認められてない俺達は登校に九時半を指定されているが、在校生である二、三年生は通常通り、八時半に登校してきているのだ。ちらほらと見える教師達は朝から出勤する必要の無い、担任を持たない奴等かな。一年生の担任はこの中には混ざっていないはずだろう。多分、準備やら何やらでそれなりに忙しいだろうからなぁ。
そんな教師共だって、見つけられる限りは一人か二人しかいない。周りはほとんど緊張した面持ちを見せる新入生ばっかでいやがる。辺りを苛つく位に見回して、中学校の頃の知り合いを探している奴が多数だ。うっざい、そこまでビクビクする事もねぇだろ。あと数週間もすればすっかり慣れるんだから、気楽に構えてりゃ良い。
……乗り気にならない。何を見ても、苛々しちまう。別にすっごく入りたいと思っていた学校じゃねぇしな。新しく始まる高校生活には、それ程期待していない。まぁ、面白い事があって退屈しなけりゃ、それで良いと思ってる。この高校を志望したのは、強い意志があっての事じゃない。ウザったらしい親元から離れて暮らしたかったが、独り暮らしをできる程のスキルを持ち合わせていない為、実家から遠い兄貴の家で暮らす事にした。両親より兄貴の方が断然うぜぇが、俺のやる事に上辺だけの心配をしないから、まぁ良しとする。兄貴のマンションから一番近かったのが、この高校だったという訳だ。幸い、脳味噌は兄貴譲りで悪い方では無いから、特に苦労はせず合格した。面白味のある話じゃないが、文句はねぇよな。
緑は、人へ癒しを与えるとか何とか。そんな理屈をてんで無視した校庭は、この俺でさえ少し物足りなさを感じる。うん、まぁ、雑草が生えていないだけマシなのかもな。校庭を尻目にコンクリートで舗装された道を進むと、そこには玄関がある。玄関では、生徒達が扉の前に設置されているゲートの形をした機械にカードを通している。会員制の施設や、マンションにもよく見られるシステムだ。入学手続きの時に貰ったカードの出番だ。あれが無いと中には入れない。ズボンの後ろポケットに押し込んである財布から、他の生徒達と同様に一枚のカードを取り出す。こういう形式の入り口は人がスムーズに動かない為、入るのに時間がかかって仕様がない。
五列あるうちの一つの最後尾についた。最後尾とは言っても、前には俺を除いて二人しかいないが。ここは人気アミューズメントパークではないから、三〇人も四〇人も並ぶ訳じゃない。
うわ、ただでさえ時間がかかるのに、それに輪をかけてゲートの前に立った奴がポケットを引っくり返してみたりと、もたついている。早くしやがれ、コノヤロウ。カードを忘れたんなら、誰か他の奴と一緒に通れば良いだろうが。すっげぇ邪魔くさい。第一、見た目からしていかにもヘタレっぽい。男なのに、子供か女みたいに大きくて丸い潤んだ目をしている。背は華奢で、低い。未発達という印象を受ける。制服を着ているから辛うじてこの学校の新入生と判断がつくが、私服を着ていれば中学生一、二年生と間違われそうだ。髪と目はラムネの瓶を思わせる透明感のある水色。人間の持つ色素かよ、あれは? 目はハーフなんだろうな、で納得できるが、髪は絶対有り得ねぇ。根本まで綺麗に水色をしているから、どうやら地毛のようだし。生でUMAを見ている気分だぜ。あれは生ける都市伝説だと説明されても、俺は信じるね。
「何をしている? そこに突っ立っていては邪魔だ。早くカードを通せ」
凜としていて真っ直ぐではあるものの、多方面に響く美しい声。美しいという表現を高校生の俺が使うのも気が引けるが、そうとしか表現できねぇし。俺の語学力が低いって訳じゃあ無くて、美しいっていう表現がぴったりなんだよ。
剰りにも良く通る声だったから、最初は俺が話しかけられたのかと思って右眉がピクリと上がった。驚いてしまったとはいえ、不覚。第一、声を発した当人は背後にいる俺じゃなくて正反対の方、つまりはヘタレ君の方を見ている。お気付きの人は最高だね、ヘタレ君がゲートの前でもたついていて、その後ろに美しい声を持った奴、更にその後ろにこの俺がいるって事だ。
俺の前にいる奴に目を向ける。前というか、列は真っ直ぐじゃなくて少しギザギザになっているから、ソイツの顔が斜め後ろから見えた。横髪が少し後ろ髪より伸びたショートヘアに、シルバーの小さな薔薇と十字架が数個あしらわれたカチューシャをつけた女子だった。ぞんざいな物言いだが、彼女にはそれが許されるだけの美貌がある。可愛いっていうよりも、綺麗って言った方がしっくり来るな。一見すると趣味が悪く見えそうなカチューシャも、彼女がつければとてつもなく高尚な物として目に映る。生まれついての女王様って感じだな。
その女王様に気圧されたのか、ヘタレ君は蚊の鳴くような細い声で返事をした。
「あ、あの……」
「もう良い、見苦しい。カードを忘れたのだろう? 早く通れ」
流石は女王様だな、相手の話をろくに聞いちゃあいねぇ。ヘタレ君の頬が若干引き吊っているのは、相応の反応だと俺も思う。俺だったら、女王様がこんなに綺麗な面をしていなかったとすれば、恐らくは問答無用で殴り飛ばしているはずだ。
まぁ、そんなのはどうだって良いや。兎に角、カードの貸し借りをするなら早くしてくれ。俺はもう痺れを切らしそうだ。
「ありがとうご……」
「礼なら良い」
あ、また切られた。……まぁ頑張れよ、ヘタレ君。
前略。口煩くて最高にムカつくおふくろ、心の内ではつまらないかもとか思っていたが、中々退屈しない学校生活になりそうだぜ。悪い意味か良い意味かはまだ分かんねぇけどな。小憎らし……いや、とても優しい(仮)兄上と仲良く(仮)毎日を楽しく(仮)すごす予定だから。
「……ぁんだよ」
暇潰しの戯れに下らねぇ事を考えていたら、女王様がこっちを凝視していた。比喩ではなく、本気で穴が空いちまいそうだぜ。
俺が眉をしかめると、ふと微笑して視線を逸らした。肩に入っていた余計な力が抜けていくのが分かる。柄にもなく、緊張していた。
「…………」
それにしても、ゾッとする微笑みだった。先が案じられる。叶うならば、高校三年間はあの女王様とは関わりたくないものだ。
俺はゲートにカードを通して、靴箱に向かった。
凝りが、まだ胸のうちに蟠っている気がしてならない。
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遅れてごめんなさい。
時間軸は、前話と全く同じです。
主人公が違うだけですね。
次話は、時間は少し進みます。