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『棄域 ―Layer-Zero―:肉から牙へ、名前を護るための血の変遷』  作者: 黎


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『垂直の檻、あるいは神の排泄』

見上げれば、そこには「神」の底が張り付いて居た。

標高二千メートル。厚い汚染雲の層――『雲海境界線ミスト・ライン』を突き抜け、天空に君臨する人工都市『アッパー・エデン』。そこは選ばれた者だけが呼吸を許される、無機質な秩序の聖域だ。 上層の住人たちは、常に一定の湿度に保たれた楽園で、人工太陽の恵みを享受し、ナノマシンに管理された「永遠に近い生」を浪費して居る。彼らにとっての下層とは、視界を遮る目障りな煤煙の貯蔵庫であり、自分たちの清潔な生活を維持するために必要な、巨大な排泄溝ドブに過ぎない。




一方、その「底」に這いつくばるのが、俺たちが生きる『棄域-Layer Zero-』だ。 上層から絶え間なく排出される排水は、酸性の雨となって鉄の街を腐らせ、廃棄されたガラクタは巨大な礫となって、路地裏の命を無造作に押し潰す。ここでは太陽の光など、上層のビル群の隙間から零れ落ちる「慈悲の残り滓」でしかなく、冬になれば、汚染物質を芯に宿した灰色の雪が、灰色の世界をさらに深く塗り潰して行く。




この世界の法は、高度によって定められて居る。 標高が高いほど「名前」の価値は上がり、地表に近づくほど、人間はただの「肉リソース」へと成り下がる。 その選別と回収を担うのが、下界の掃除屋たる暴力団『鴉からす組』だ。彼らは上層の軍事組織『枢軸すうじく』から零れ落ちる僅かな利権を啜るため、同胞であるはずの下層住民を「肉」として仕分け、梱包し、雲の向こう側へと供出する。かつての鰐淵のような、個人的な欲望で動く野蛮な支配は終わり、今の鴉組は、上層のノルマという名の見えない鎖に繋がれた、意志を持たない「回収機構」へと変貌して居た。




彼らは定期的に「適合者」を回収ドレッジして居る。 ある者は、上層の庭を整える使い捨ての奴隷として。 ある者は、凪なぎのように、その才能を抽出され、組織の「牙」へと作り変えられる士官候補生として。 回収されることは、絶望からの救いか、あるいは個の消滅か。下界に住まう野良犬たちは、その不確かな光を求めて互いの喉を掻き切り、結果として、上層の肥大化を助長する循環の一部へと組み込まれて行く。




「……下らない。どれだけ積み上げても、結局は砂上の楼閣なのにね」




上層の最深部。治安維持部隊の重鎮を父に持つ紫苑しおんは、足元に広がる強化硝子の床越しに、雲海の下に眠る「澱み」を眺めて居た。 彼女が纏う深紫の和服は、幾千の鮮血を煮詰め、そのかすを染料に変えたかのような、底知れぬ暗さを湛えている。上層の光を吸い込んで離さないその色は、下界の命を糧に咲く、傲慢なまでの特権の象徴だった。 紫苑の手元にあるモニターには、鴉組の端末からリアルタイムで送信される、下界から吸い上げられた「肉」のリストが流れて行く。彼女にとって、この垂直の構造は、凪を自分に繋ぎ止めておくための「鎖」であり、同時に、自分自身を孤独の頂点に縛り付ける「枷」でもあった。




上層は下層を食らい、下層は上層を呪いながら、その実、互いが無ければ存続し得ない共依存の怪物。 凪がその「鎖」を断ち切り、重力に逆らわず泥の海へと身を投げ出した時。 十五歳の皓こうが、二本のナイフを握り締め、鴉組という汚泥の防壁を切り裂いて、雲の向こう側にある「神の喉笛」を睨み据えた時。 静止して居たこの世界の構造は、悲鳴を上げながら、ゆっくりと崩壊の序曲を奏で始めることになる。




皓がたった独りで、巨大な組織や階層社会を相手に立ち回れるのには、単なる「腕の良さ」だけじゃない、泥の中に咲いた毒花のような理由がいくつかある。


 


まずは、個としての生存特化。


上層が「組織」で、鴉組が「数」で動くのに対し、皓は徹底的に「独りであること」を武器にして居る。 群れれば守るべきものが増え、動きが鈍る。だが皓には、失って困る居場所も、人質に取られる弱点も存在しない。 彼は、下層の複雑に入り組んだ配管や、上層が把握していない「廃棄ルート」を己の血管のように熟知して居る。巨大な組織の隙間を、一粒の砂利となって入り込み、内部から歯車を狂わせる。その神出鬼没さは、正規の軍事訓練を受けた者たちにとって、最も計算不可能な脅威となって居る。




次に、「肉」を食らう飢餓感


彼の強さは、洗練された技術ではなく、剥き出しの「飢え」だ。 10歳の時に鰐淵の腕の肉を食いちぎったあの瞬間に、彼は人間としての「理性的なブレーキ」を壊して仕まった。 鴉組の連中が「上層への恐怖」で動くのに対し、皓は「自分が自分であるため」だけに命を燃やす。死を恐れぬ者より、死を愉悦のスパイスに変える者の方が、戦場では遥かに恐ろしい。 凪に教わった「無駄を削ぎ落とした呼吸」と、下層で培った「泥臭い執念」。その矛盾した二つが同居していることが、彼の刃を唯一無二の凶器に変えて居る。




三つ目は、二本の「牙」の均衡


自力で入手した肉厚のククリと、凪から授かった牙。 この二本の刃は、攻防一体の完璧な回路を形成して居る。右手の刃で上層のレーザーを逸らし、左手の逆手刃で敵の隙を突く。 通常の戦闘員が「教本通り」に動く中、皓の動きは常に流動的で、地形や相手の重心を瞬時に利用する。それは凪という最高の師から「牙」の概念を教わり、それを孤独という砥石で数年間研ぎ続けた結果だ。




そして、精神的支柱となるのが、上層への絶対的な拒絶


これが最大の理由だ。 彼は、自分が「肉リソース」として処理されることを、魂の根源から拒絶して居る。 組織に組み込まれることは死と同じ。その強い拒否感が、彼に超常的な集中力を与えて居る。 鴉組の連中が「システムに従う」ことで安心を得ようとする中、皓だけは「システムを殺す」ことでしか己の生を実感できない。その精神的な独立が、彼を孤高の最強へと押し上げている。

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