『光からの刺客』
修行の日々は、唐突に、そしてこの街に相応しい残酷な形で幕を閉じた。
降り頻る黒い雨がすべての気配を塗り潰していたはずの夜、高架下の隠れ家に、不自然なほどの「空白」が立ち込めた。雨音さえも吸い込まれるような、真空の静寂。凪が研ぎ澄ませてきた、あの音のない暴力が外側から押し寄せているのを、十歳の俺の肌が、毛穴が、鋭敏に察知していた。
「……皓、逃げろ」
凪の声は、聞いたこともないほど険しく、氷のように冷えていた。
入口に立つのは、棄域の住人とは決定的に異なる、無機質な装甲に身を包んだ「光の刺客」。上層治安維持部隊。凪が捨ててきたはずの『光』が、彼を回収しに、あるいは消し去りに来たのだ。男たちの手元では、下層の錆びたナイフとは違う、精密なレーザーサイトの紅い点が、死の刻印のように俺たちの胸元で踊っていた。
「凪、俺も……!」
「足手まといだ。消えろ」
いっそ冷ややかともいえる声のみを投げつけ、振り返りさえしない。その拒絶に、胸の奥が凍りついた。凪は愛用のナイフを逆手に握り直すと、一拍の溜めもなく、光の渦へと身を躍らせた。……それが、俺が見た凪の最後の、そして最も美しい『牙』の、残像だった。
激しい破砕音。肉を断つ湿った音。男たちの短い断末魔。 その喧騒を背に、俺は凪に突き飛ばされるようにして、泥にまみれた非常階段を駆け上がっていた。 一度だけ振り返った視界の端で、凪が数条のレーザー光線に囲まれ、その影が闇の深淵へ飲み込まれていくのが見えた。奴らの狙いは、最初から凪一人。
「……ッ、あ、……ッ!」
食い縛った奥歯から、苦い血の味がした。ただ、無我夢中で泥を蹴った。 ――その時、視界を横切ったのは、雨に打たれて転がっている、あの日凪が差し掛けてくれた古い傘だった。
俺はそれを、泥ごとひったくるようにして掴み取った。 骨は折れ、布は裂け、最早傘としての体裁は成していない。けれど、そこには確かに、凪の絶対的な孤独と静謐な体温が、冷たい雨に抗うように残っていた。俺はそれを、己の心臓を護る盾のように強く、壊れるほど抱き締め、夜の深淵へと姿を消した。
翌朝、雨は止み、棄域にはいつも通りの、饐えた匂いと絶望が戻っていた。 高架下の隠れ家には、凪の姿も、刺客たちの死体も、血痕一つ残されていなかった。まるで、最初から凪という男など存在しなかったかのように。
俺の手元に残されたのは、よく研がれた二本のナイフと、ボロボロの傘。 そして、泥の中に刻みつけられた、一度も揺らぐことのなかった『皓』という名前だけだった。




