8 農家の娘、ベラ
「えっ……? わああああああっ!」
案の定、娘に悲鳴をあげられてしまった。
当然だ。空を浮遊する、カエルの顔をした化け物がいきなり目の前にあらわれたのだから。
人目を避けようとしていたのに、つい、いてもたってもいられず出てきてしまった。
「あっ、ごめんなさい。驚かせて。別にあなたを取って食べようとか、そうしたいわけじゃないです。わたしはこの沼の主っていうか、その……そういう立場の者です」
「沼の……主?」
「ええ。……たぶん」
「たぶん」
わたしは怖がらせないように少しだけ後ろに下がると、沼の水面に足を降ろした。
「浮いてる……アンタ、魔法使いかい?」
「まあ……一応女性、なので魔女ってことになりますかね」
「魔女」
「こんな姿なのに、魔物だとは思われなかったのですか?」
「魔物は……人の言葉をしゃべらないだろう」
「ああ、なるほど。では、ひとつだけ質問してもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「ここに何をしに来たのです?」
「……」
若い娘は急に、黙りこくってしまった。
「言いたくないならいいですけど。もしかして、死のうとしてました……?」
そう言うと、娘は唇をかみしめて涙を流しはじめる。
わたしは深いため息を吐いた。
「やはり、そうでしたか……。そう思ってつい出てきてしまったんです。隠れていようと思っていたのに。あの……良かったら何があったか聞かせてくださいませんか? わたしにできることがあるなら、お力になりたいんです」
娘は、わたしを警戒しているのかなかなか話しだそうとしなかったが、やがて少しずつ身の上を話してくれた。
彼女の名はベラといって、ちょうどわたしの屋敷があったあたりに住む農家の子だった。
その家は代々農業を営んでいたが、ついに土壌の毒の汚染が限界を迎えてしまい、何も畑で育たなくなってしまったのだという。父親は首を吊り、母親は毒で汚染が進んだ野菜を大量に食べて死んでしまったそうだ。
「アタシも両親の後を追ってすぐ死のうとした。でもできなくて……ここに」
「そうでしたか……」
どうにかしてあげたいと思った。
あれから七十年の時が経って、この国のケガレはますます進んでしまったようだった。他はどうなっているのかまったく見当もつかない。わたしは彼女のためにも、一肌脱ごうと決めた。
「あの、よろしかったらお宅の畑を見せていただけませんか。何か魔女としてできることがあるかもしれません」
「なんでアンタなんかに……。それに、父も母ももういないんだ。今更……」
「そう、ですよね……。でも、このままあなたがここで死のうとしてるのは見ていられなくて」
「自分の沼で死なれたら困るって?」
「いえ……実はわたしも以前この沼で命を絶ったことがあるんです。ですから――」
「……」
ベラはわたしの事情を聞くと押し黙った。
だが、しばらくしてまた口を開く。
「あのさ。アンタ、魔女なんだろ。なんで自殺しようと思ったんだ? それと、なんで死んだのにまだ生きてるんだ」
「わたしは以前……人間でした」
「元人間? だったのか……」
「はい。そのころに最愛の婚約者に振られまして。その人は、わたしのすべてだったんです。それで……絶望してこの沼に身を投げました。でも、不思議な力が働いて、魔女としてよみがえってしまったんです」
「よみがえった。そうだったのか……」
ベラはわたしの顔をまじまじと見つめると、複雑そうな笑みを浮かべて言った。
「アンタ、名前は?」
「人間だったころは、エルザと」
「じゃあ、エルザ。うちの畑を見にきなよ。けど……その前に、その顔だね。アタシのショールを貸してあげる。それじゃ街のみんなが驚いちゃうだろうからさ」
「ありがとうございます」
ベラは自分の肩にかけていた大きな三角のショールを貸してくれた。
それをわたしは頭からすっぽりかぶって、顔を隠す。
「うん、それなら多少はマシかな。でも……エルザでもうちの畑のことはどうにもならないと思うよ。他の農家も、それで何軒も廃業してるんだ」
「とりあえず、一度見させてください。それでも何もお力になれなかったら、申し訳ないですが……」
「そんときは、そんときだ。そしたらアタシはまた別の死に方を探すよ。両親が一所懸命に作り上げてきた畑……最後くらい誰かに見てもらってからね」
そうして、わたしはベラの家の畑までついて行くことになった。




