4 底なし沼の中へ
結局、足首が浸かったあたりで、お父様は我に返られた。
わたしが必至で抵抗したのもあったかもしれない。
でも、今ならわかる。
お父様は、心の底から絶望していたのだ。
ここがふさわしい場所だと。妻がいないのではもう自分が生きる価値はない。自分はこの世に不要なのだと。だから、この沼に命を「捨て」に来たのだ。
今のわたしのように。
わたしが一緒に連れていかれたのはたぶん……心中したかったというよりは、ぎりぎりになって踏みとどまろうとするときの「保険」だったのだと思う。
わたしはこの家の「最後の希望」だった。
男子ではないけれど、唯一家を存続できる可能性を秘めた存在だった。
それを無意識のうちにわかっていたから、お父様はわたしを連れていったのだと思う。
子を産まなければ家は続かない。
だから無理を言って、妻に妊娠・出産をしてもらった。でも……本当はそんな危険なことをしてほしくなかった。
だってお父様の愛する人は、お母様しかいなかったのだから。
その妻も……結局この国の呪われた土地によって、儚くなってしまった。
自分のやってきたことは正しいことだった。でも、間違ってもいた。さらにその娘を否定してしまっては、妻がせっかく命を賭してやってきたことまで無意味にしてしまう――。
そう気づいたのだろう。
お父様は沼から上がり、わたしに言った。
「エルザ、お前は……私の妻が生きた証だ。私が彼女を心の底から愛していたという証だ。だから、お前をあの世に連れてはいけない。私は、お前の命の灯を消すことはできない。すまなかった、エルザ……」
お父様は涙を流していた。
それ以来、お父様と散歩をすることはなくなった。あの森や、沼へ行くこともなくなった。
お父様は、あのとき……。
わたしのためにぎりぎりで思い直せたのだろう。
たまたまその直後に、ジェイド様の遊び相手および、婚約者としての打診がわたしに来たのもあったはずだ。
けれどわたしには……。
何にも思い直せる要素がない。何にも転機となるようなことが訪れていなかった。
枯れ葉を踏みしめて、踏みしめて。
けものみちを進んで。
ようやく、森の奥の沼に到着した。
そこは少しくぼんだ場所にあって、昔見たのと同じ濃緑色の水面が広がっていた。周囲にはうっそうとした木々も茂っている。
手前の水際には、相変わらずいろいろな不用品が落ちていた。わたしはそれらを避けながら沼の中に入っていく。沼は藻が繁殖して、どろどろとしていた。異臭もうっすらとしている。わたしはあえて何も考えずに進みつづけた。
わたしはたしかにお母様の生きた証だったかもしれない。
お父様とお母様の愛の証だったかもしれない。
でも、それらを胸にしていても、何にも満たされないのだ。
「ああ……ジェイド様の幸せを、わたしもお祈りしております」
今までありがとうございました。
わたしはもう一歩深い場所へ踏み込み、静かに水の中へと身を沈めた。




