第二十五話② 決着・『八人目』と『三人目』の剣聖
ゆっくりと、前へ踏み出す。
刀身に殺気を迸らせているアーノルドとの間合いを詰める。
剣聖アーノルドの〈真髄〉は騎士がよく手にする斬撃に特化した諸刃の長剣だ。先の討伐でも三体の幼魔獣を一度に葬った重剛な斬撃を生む力がある。
超常の斬撃──魔獣の頸を斬り落とせる、という唯一性以外の力が、〈真髄〉にはある。
その刃と真っ向から挑み、クシャナはゆっくりと太刀を抜いた。
足取りはそのまま、アーノルドと同じく正眼で太刀を構え──ついに相手の刀身の間合いに入ると。
刃が嘶いた。
太刀の鋼と〈真髄〉の白骨じみた刀身とが喰らい合う。
両者が力に弾かれ合い、しかしすぐさま刃を振る。一撃ごとの剣戟が烈しく爆ぜる。
牙を剥く獣の獰猛さで、両者の刀剣が激突し続けた。両者その場から間合いを離さない。刃で斬り結ぶ以外の道を、互いに許さないかのように。
次の刃が噛み合った瞬間、二人は両腕に力をかけてぎりぎりと押し合う。
火花を散らしてこすれ合う刃。競り合う両者の身体が迫近した。刃越しに、クシャナはアーノルドと睨み合う。
相手を殺す決意を据えたクシャナの目と。
万死を与えるべき者を捉えたアーノルドの目が。
競り合う刃より烈しくぶつかる。
詰めた息に代わり、互いの刃だけが叫び合う。刃が食い込み、みりみりと軋んだ異音が耳元を侵蝕する。それが自分の膂力──力んだ筋肉と骨による音だと感知した、瞬間。
アーノルドの長剣がひときわ強く押し込まれた。
クシャナの太刀の反りをあえて滑り、上へと弾くべく翻す。
太刀が上へ流れる。アーノルドの剣捌き、その力の放出を受けたクシャナの身体が一瞬ふっと浮く。
軽くもない己の身の不覚に、クシャナが動じる、より先にアーノルドの回し蹴りが胴体に叩き込まれた。
どふ──と鈍い音。骨が折れて肉が潰れてもおかしくない蹴撃。しかしクシャナは宙で瞬時に身体を捻り、蹴りの威力を受け流していた。人体破壊は免れる。
吹っ飛んだ身体を着地と同時に弾かせる。跳ね返った身体で、アーノルドへ太刀を振り上げる。
アーノルドは刀身でそれを受け、次には身体ごと後ろに跳んでいた。
大きく間合いが出来る。
着地の瞬間、アーノルドはその場で〈真髄〉を振り上げた。
白い閃きが迸り、ズド、と野太く重い音が地面を激震させる。
〈真髄〉が刀身から放った衝撃波だ。衝撃は地面を裂き、空気を破り、その先にいるクシャナに迫る。
不可視の波動を捉えたクシャナは刃をかざし、擦り合わせる。
ギャリ──ッ、と噛み合わない歯車がぶつかり合ったような不協和音が響いた。
巨大な幼魔獣の攻撃に刃を合わせてきたクシャナの受け流しが、〈真髄〉の衝撃波をも斬りいなす。
真横に流れたクシャナの刃。次にはその隙を狙ったアーノルドが一足飛びに間合いを潰して迫った。
巨大な建物が倒壊するような轟音。
それは一対の刃が結ばれた瞬間の音だった。
交わされ合う刀剣越しに、アーノルドとクシャナが再び睨み合う。
「やはりあのとき、お前は斬り捨てておくべきだったのだ」
刃の向こうから噛みつきそうな形相でアーノルドがクシャナを睨んでいた。
徹底した泰然と冷静は、もはや影もない。
「許さん。彼の御意志を否定するなど──天に唾するに等しい愚かな行いだ……!」
徐々に怒りと殺意で声が焦げ付く。
「必ずこの場で斬り殺す!」
竦み上がるような凄絶な殺気を前にクシャナの目は静かだった。
力の競り合いで細かく震える刃を挟み、アーノルドに冷たく冴えた声を放つ。
「──俺に喋りかけてる場合かね? 殺し合いだぞ」
人の死を悼み犠牲を恐れて戦ってきたクシャナだが、誰一人死なずに済む世界を目指す──なんて甘いことは抜かすつもりはなかった。やるべきことのためには、対峙する者に刃を向け、場合によっては殺す覚悟を据えるべきだと。
汚点の烙印を押された元・剣聖で在る前に、自分は剣客だから。
なすべき目的、突き進むべき道、獲得すべき可能性のためには──斬る。
目の前の男が、たとえ剣聖であろうとも。
覚悟に据わったクシャナの目に忌まわしいものを感じたアーノルドの顔がぴくりと歪む。
「ノウマンが導く最適解の世界を──愚弄するかァ!」
「そうだよ! 気に喰わないなら殺してこい!」
両者が吼え、大きく刀剣が弾かれ合う。
途端、大気が歪むような衝撃波が飛び散った。
互いを大きく後ろに退かせるほどの、凶暴化した空気の暴走。
かまわずクシャナは吼えた。
「それがノウマンの本質だ! てめえの意に添わないものを殺し尽くす──それだけだ!
何が最適解だ! 御意志だ! ふざけた考え方を有難がってるんじゃねえぞ!」
「────クシャナァァァァアアアアア!」
ついに顳顬に血管を浮き上がらせたアーノルドが〈真髄〉を手に疾駆した。
突進が空間を裂く。アーノルドがクシャナに迫る。
クシャナは迫る気配を前に、太刀を鞘に納めた。
低く腰を溜め、相手の動きを全身で捉えることに意識を研ぐ。
目で迫近する姿を。耳で唸る空気を。鼻で気配を嗅ぎ、皮膚で圧し迫る殺気を感じる。
先に到達したのは、アーノルドの剣先からの衝撃波だった。
──たった一撃で幼魔獣を三体葬った、あの斬撃と同じ閃き。
突進によって刀身の切っ先から押し出されるように放たれた〈真髄〉による衝撃波だ。
クシャナはそれを紙一重で躱す。
ぐっと地面すれすれに伏せた肩を、衝撃波が掠めクシャナの表皮と肩の肉を捌き断つ。
這うような体勢から、クシャナは抜刀した。
地面を潜るに等しい地点からの斬撃。
鞘から火花が散る。クシャナの抜刀が疾速く重く鋭い刃を疾らせた。
火花と閃きを置き去りにした刀刃が──斬る。
左下から右肩にかけて斜めに断つ、斬り上げの一刀。
クシャナを貫くべく真っ直ぐに突き進んだアーノルドの刃は、空を切る。
殺意と憤怒に歪んでいたその顔面が、飛沫いて視界に広がる己の鮮血に瞠目する。
自分が斬られたのだと、信じられないような表情。
その目は抜刀を果たし背後にいるクシャナを見ていなかった。
見るのは、遠くに斃れた魔獣の亡骸と。
ノウマンの理想の実現を遂げられず半壊になった森だ。
朝日を迎え、陽の光に射抜かれた鮮烈な世界を前に──アーノルドはその場に崩れ落ちた。
何を言い遺すでもなく。
剣聖アーノルドは絶命した。
血に濡れた刀身を、クシャナは一振りした。
ふと視線を巡らせると、距離を取った地点から身動きしないナタリーの姿がある。彼女はクシャナの決着を見届けている。そこは自分が介入すべき世界ではないと、踏まえているかのようだ。
クシャナは折った肘窩を使って、ぐっと刀を包みように刀身を拭うと──太刀を鞘に納めた。
そして振り返る。
天を受け入れるように仰臥したまま息絶えたアーノルドがそこに在る。
剣聖である彼を斬り殺したことは、クシャナにとって決意を確たるものにさせた。
──俺はこの先、戦う。
アーノルド、あんたが仰ぎ信奉しその魂を捧げ命をも懸けた、今ある世界の形──ノウマンの思想が支配するこの世の在り方そのものと。
世界を守りうる、新しい力とともに。
──クシャナは無言で、アーノルドの見開かれた瞼を撫でて閉ざす。
永眠る者の表情を浄化するように、朝日の清明が包み込んでいく。
その姿を灼きつけるようにクシャナはしばし見つめ──立ち上がる。




