第二十三話 絶望に通用するもの
息を切らして駆け込んで来た者に、クシャナは驚く。
森での討伐の前にナタリーと小競り合いしていたアーノルドの徒弟。ベアトリクス、だったか。
「クシャナ!」
「! アーノルドのとこの、」
「力を貸してください! どうか──っ」
焦燥に恐怖すら滲む声音だった。クシャナは訝しむ。
「アーノルドに何かあったのか?」
「ちがう、違うんです、先生は……っ」
鉄格子に迫るベアトリクスは、堰を切るように告げた。
「魔獣に、この領地を潰滅させようとしています……!」
驚きに目を見開くクシャナだが、ベアトリクスから〈七聖〉の使いによる言葉を聞くにつれ、冷えた心地で納得していた。
────あの男。ノウマンならではの支配思想だ。最善でなく最適を。調和の名の下全体を掌握し、均衡を維持するためなら人命などいくらでも擲つ。微塵の呵責なく、当然にそれを実現させる。
彼の冷酷は、剣聖選抜でとうに思い知っていたことだ。
──納得したところで、到底受け入れられない思想であることに変わりはない。
「…………とことんふざけた話だ」
クシャナの裡に、怒りが再燃する。
「──わたくしは……っ、先生が、真の剣聖であると信じているんです……、信じていたい……っ」
すべてを伝えきったベアトリクスは、堪え切れないようにその場に力なくへたり込んでしまった。
「だって……先生が剣聖の『あるべき姿』として人を殺すなんて、そんな……っ」
「──ベアトリクス、俺をここから出してくれないか」
クシャナは静かな声で頼んだ。
「ベアトリクスがここに来たってことは、今アーノルドがしていることを何とかしてほしいってことだよな? 俺は、力になる」
「……っ」
ベアトリクスは無言で頷くと、牢を開錠してくれた。
信じていた者の信じたくない事実を知った彼女が、この場で頼ったのはアーノルドが蔑んでいた存在だ。その胸中は察するに余りある。
それでも彼女は自分が先生と仰ぐ存在をなんとかしたい一心で自分を頼ってくれたのだ。
「悪いね、ありがとう──アーノルドに怒られたら、俺が言い訳するから」
この期に及んでベアトリクスを気遣うと、クシャナは外へ通じる扉に向かった。
「どこへ──」
背後から問いかけられクシャナは肩越しに、
「魔獣が現界したんだろ。そっちに行くよ。話してくれた状況によればそこに俺の弟子もいるから」
「……斃すおつもりですか? あなたが──」
「できるかは判らんが」
考えることなく、答えていた。
「可能性はある。俺の弟子がやってくれるかもしれん」
──声に確かなものをこめて言うと、クシャナは外へ。
どのくらい気絶していたのか判らない。
ナタリーは瞼を上げた。
「……っ、つぅ……っ!」
微かな動きで全身に痛みが走る。飛び起きようとしても、身体が地面にへばりついたように動かせない。
どうにか視覚の機能を取り戻すと、そこにあったのは十年前の光景だった。
「…………うそ…………っ」
豊かな森だったものは、蹂躙されていた。
樹木は根こそぎ薙ぎ払われ、大地は抉られ、元ある形は奪い尽くされている。
背中の骨板から黒い瘴気を滲ませる、巨人の手によって。
そこには死と破壊がいた。
人の常識を否定し破壊する存在だった。人のように直立し、二足歩行し、巨大な腕で手に触れたものを叩き潰し、あるいは引っこ抜いた樹木で辺りを一掃する──挙動のすべてが、息づくものを徹底的に滅ぼしていくために振るわれている。
「魔獣……」
茫然と、ナタリーはその名前を口にしていた。
十年前、自分からすべてを奪った者。その存在と所業はなんら本質を変えないまま今こうして目の前にいる。
「……っ、くっそぉ!」
ナタリーは荒らされて崩れた土に半分埋まっていた身体を無理矢理起こした。
身の裡から湧き起こる震えを振り払うように、銃剣を強く握りしめる。
周りには──同じく巻き込まれた討伐隊の者たちがいる。ある者はこときれ、また別のものは血塗れの身体を晒し倒れている。なかには身体を齧りとられた者までいた。頭から喰われ、胸から上を失った無数の凄惨な亡骸に、ナタリーは全身を強張らせた。
身体の軽さが幸いしたのか、ナタリーは早々に衝撃波ではるかへ吹っ飛ばされ、直後の破壊と捕食に巻き込まれずに済んだのだろう。
周りに戦えそうな者はほとんど残っていなかった。
起き上がり、ゆっくりと銃剣を構えたナタリーの気配にぴくりと魔獣は反応した。
高さ二十メートルはある巨人が、ゆっくりと顔をもたげる。
動くもの──生きるものは魔獣にとってすべて餌だ。頭から喰らおうとする。
ナタリーは逃げもせず、身構えた姿勢で魔獣と向かい合った。
──戦う。
この局面でナタリーにはその一択しかない。
自分からすべてを奪い破壊し尽くしたものと。十年前の、なにも出来なかった自分とは違うことを証明するために。
「ここで引けるか……!」
ナタリーは決意を口に、吼える。
「お前はただの通過点なんだよっ!」
戦う。もっと強くなる。あたしは師匠も越えて、最強で最高の剣客になるんだから。
あんな絶望みたいな塊を相手に、死ぬわけにはいかない。
彼女の爆ぜた闘気に触れたように、魔獣が荒々しい咆哮を上げて疾駆する。
速い──っ!
四つ足の獣とはまた違う歩速と迫近に、ナタリーは素早く銃剣を翻し引き金を絞った。
ドン──! と銃口が吼える。
鋭い閃きとともに飛び出したのは、銀弾だ。
鱗に触れた弾丸は弾かれる、が、連続発砲した弾丸のうち顎下と右脇の下──鱗がなく、あるいは鱗の硬度が低い箇所に当たる。弾丸が魔獣の身体に食い込んだ。
鈍い音とともに、数瞬遅れで弾丸が鋭い光を放って弾ける。尋常ならざる硬さだった共食い幼魔獣の肉体を破壊した銀弾は、魔獣にも同じような作用をもたらした。内側からの肉体破壊。
空間ごと歪みそうな絶叫が辺りを劈いた。




