第二十二話② 魔獣、現界
「この状況を? 魔獣は先生がいない瘴気で現界したのですよ。一刻も早くそれを報せなければ、」
「その行動は不要だと言っている」
周囲では、境壁から森の戦況を前に騎士たちが騒然としている。
大砲を求める信号弾が、どちらのポイントからも発せられていない。それを無視して砲撃すべきなのか──指示を求め、声が荒れ、混乱は増す。焦燥が徐々に空気を灼いていた。
〈七聖〉の使いの声だけが冷然と耳に届く。
「すべては剣聖アーノルドの采配によるものだ」
「! 先生が、あえてこの状況にしたと……? なぜ、」
「無論、魔獣をこの世界に現界させるためだ」
告げられた言葉を理解できず、ますます凍りつくベアトリクスに〈七聖〉の使いは滔々と語る。
「すべては秩序を維持するための均衡行為に基づいている。
魔獣の必殺を実現する〈真髄〉の開発に始まり、その使い手を以てして最低限の人数で大陸の権力を把握すること、魔獣と幼魔獣討伐に準拠した領土騎士や大陸連合の成立──これらは『一人目』の剣聖であり〈七聖〉の始祖たるノウマンによって定められたものだ」
ノウマン。アーノルドが信奉し剣聖としての礎にしている存在が──
「彼の秩序維持は、選定と剪定も兼ねている。剣聖という絶対的な使い手によって魔獣を討滅できる力を保有する一方、魔獣ら異形の存続もまた大陸の人間世界の秩序の一部と捉えている。
すなわち脅威の持続をもコントロールしているのだ。
今回の討伐は、秩序維持における後者を実現する行いである」
「……! まさか……っ」
ベアトリクスは震える声を吐いた。
あえて魔獣という脅威をこの世界で存続させる。すなわち──
「この討伐は、魔獣にこの領地を潰滅させるためだと──⁉」
彼女の理解に〈七聖〉の使いは満足そうに頷いた。
「まもなくこの領地は潰滅する。ひとりの生き残りも許さない。この大陸で魔獣や現界に関する情報が管理されているのは、今回のように剣聖が状況をコントロールするためだ」
魔獣に関する情報──現界前に見える瘴気の特徴やその戦術も、剣聖が現地で掌握し指揮を執る。
あるときは魔獣を討滅し、またあるときは魔獣の暴威のままにその地を潰滅させるため。
〈七聖〉は、魔獣の脅威現存すら、世界秩序の歯車の一つとして「操作」しているのだ。
「そして剣聖アーノルドは魔獣による破壊を実現させるためこの地に遣わされた。
すべてはノウマンの思想──この世界を維持する最適解の実現のために」
騒々しいはずの周りの音が届いてこない。
それほどベアトリクスの思考は衝撃に打ちのめされていた。
「では……っ、今先生は、魔獣を現界させ領地を潰滅させるために──
ここにいる者を鏖にしようというのですか……っ」
「これは剣聖のなすべき使命の一つである」
〈七聖〉の使いは鷹揚に頷いた。
「〈真髄〉を手にした剣聖は、ノウマンの思想を是としその実現のために存在している。この大陸の秩序のためにも、魔獣という存在を絶対的な脅威として君臨させることが必要だからだ。あるときは討滅し、あるいはその現界と破壊を促す。この所業こそが世界に恒久の均衡を約束する」
教典でも読み上げるように、〈七聖〉の使いは唱える。
それが『一人目』の剣聖であるノウマンが「最適解」とする思想であると。
「アーノルドは極めて忠実なノウマンの思想実現者だ。あなたを生徒とする前から十年以上、この剪定作業に貢献している」
あるときは〈真髄〉で魔獣を斃し。
またあるときは魔獣による領地潰滅を援けてきた。
それこそが剣聖のあるべき姿として。
ベアトリクスは、気付けば首を横に振っていた。
「先生……そんな、嘘です……」
人を守る、曇りなき英雄──それがベアトリクスにとってのアーノルドだった。
突如使いにより呈示された「最適解」など、受け入れることができない。
茫然とする視界に、森からの状況が入り込んでくる。
かたや現界したばかりの魔獣が、手にした巨木で辺りを薙ぎ払っており──
漆黒の靄に包まれたもう一つの瘴気は、不気味なほど動きがない。
──先生は、今あの靄の奥で何を……?
「アーノルドに同行した騎士たちは不運だった」
ベアトリクスの視線を追い、〈七聖〉の使いは淡々と言った。
「この領地の関係者は一人残らず鏖殺の対象となる。今頃騎士らは瘴気のなかでアーノルドによって一人残らず葬られている」
「先生が人殺しをしていると……⁉」
「信じぬのならば、その目で確かめてみればいい」
促すように、〈七聖〉の使いは顎をしゃくった。
「剣聖を援護するもよし、思想を受け入れず刃向かうもよし──あなたの自由だ」
「っ、わたくしは……っ」
現実を受け入れよと憐れむように告げる〈七聖〉の使いを前に、ベアトリクスは声を詰まらせた。
世界を、人を守るために〈真髄〉を振るう剣聖アーノルドを仰ぎ慕ってきた身として。
自分が何を選び、行動すべきか──
「………………っ」
凍り付きそうになる思考の奥でふっと過ったのは。
直前に短い問答を交わした剣客の少女とのやりとりだった。
『あのアーノルドって剣聖がこれからも魔獣を討伐するために戦い続けてくれればあたしも特に文句はない』
険を含みつつも、まっすぐなあの言葉──
『お互い仰いでいる人は違うけど、一緒に戦おうって話だよ、ね?』
──戦う。
そうだ、私が戦うのは彼女と同じ理由だ。
人々を魔獣から守るため。
「……!」
ベアトリクスは地を蹴って駆け出した。
その背を〈七聖〉の使いはただ眺めるだけだ。
彼女ひとりが行動したところで、この秩序維持の所業になんら支障はない。
自分はアーノルドの所業を見届け、ありのままをノウマンに報告するだけだ。




