第二十二話 魔獣、現界
森に向かう討伐隊はおよそ百名ごと、二つに分けられた。
境壁にある大砲の援護が必要な場合は、信号弾を発射しろ。各隊は該当箇所を討滅次第、もう一つの隊に合流することとする──
アーノルドの簡潔な指令に二つの討伐隊は動き出す。
アーノルド率いる隊は森の一部を塗り潰すほどの黒い靄と化した瘴気群へ。
ナタリーのいる隊は、竜巻のように渦を巻いている雲のような瘴気のもとへ向かうことになった。
つまりは黒い靄の方に魔獣が現界する可能性があるということだろう。
一方ナタリーのいる隊は濁った雲の渦が近づいていた。隊の騎士や剣客たちからは緊張が滲み始めている。
「総員、警戒を」
先頭に立つ騎士の号令に、一同が身を硬くする。
ナタリーは周囲を警戒しつつ、ごうごうと音を立てている雲に目をやった。
──こんな瘴気は見たことがない。
黒い靄のような瘴気と違い、視界はいくぶんか見通せる。かがり火や夜の星の助けもあるし──
でも。
台風雲のような瘴気、渦巻く風音に、ナタリーはずっと胸をざわつかせていた。
まるで嵐の前触れだ。いや、それよりも、ずっとよくないもの。
こういう予兆を、自分は昔、感じ取らなかっただろうか──
不穏な轟音が耳朶をがさがさと掻き回す。心臓が早鐘を打つ。
凄まじくて、恐ろしくて、記憶に残していたら生きていくことが辛くなる記憶を──
渦を成す巨大雲の瘴気を間近にした瞬間。ナタリーは思い出す。
「………………っ!」
この瘴気を、知っている。
息を凍らせたナタリーの目の前で、突如霹靂が落ちた。
ズォ────と肚底に響き、全身を貫く大音声。
渦巻く巨大雲を、雷が衝いていた。
視界が一瞬、強烈な閃きに漂白され。
その場にいる者たちが硬直する──
「……っ」
明転に襲われた視界を取り戻すとナタリーは上空を凝視した。雷が雲の瘴気を縦に割り、巨大な裂け目が空間を灼いている。
次には裂け目が乱暴に破られた。巨大な気配が目の前を圧迫し、遅れて衝撃の怒涛が拡大する。
ズン──と空気と地面が震え。
それが世界に現れ立つ。
その場にいるものは、ただ見上げることしかできなかった。
冷たく黒光りする全身の鱗、耳元まで裂けた顎に鋭い爪に、首から背中に生える骨板と長大な尻尾。
幾度も対峙し戦って来た幼魔獣と同じものを持ちながら、明らかに幼魔獣ではなかった。
二本足で、直立している。
四つ足の獣の身姿で、人のように二本足で大地を踏みしめ傲然と佇立しているのだ。
「二本足……!」「っ……魔獣…………!」
現界の瞬間からの衝撃に、周りの騎士や剣客らも震えた声しか零せない。
ナタリーもまた、茫然とその姿を見上げることしかできなかった。
そうだ、あのときも。村の外れに竜巻のような巨大な雲を見た。
あれは魔獣のための扉だったのだ。落雷で瘴気が破れた直後──ナタリーの故郷はすべて壊れた。
────どうしてこんな恐ろしい魔獣が現れる瞬間を、自分は忘れてしまっていたのだろう。
いくら辛い記憶として本能的に封じていたんだとしても。
魔獣と闘うのならば当然、その予兆を踏まえて挑まなければならなかったのに──!
「……! そうだっ、それなら、どうして──」
凍れる予感に、ナタリーは背筋を震わせた。
森に瘴気は二種類あった。黒い靄状のものと、竜巻雲の形状。
このいずれかが魔獣の現界に繋がり得る瘴気だと、予め知る者がいたはず。
剣聖アーノルドだ。
どうしてあの男は、魔獣が現界するはずであるこの竜巻の瘴気の方に向かわなかった?
クシャナも言っていた。
『──あいつは俺より長く魔獣と戦ってきた剣聖なんだから──』
そうだとしたら、彼はこちらに魔獣が現界すると解った上で、この形に分隊させた……?
「……なんでっ、どういう……!」
混乱が口を衝いて出た。
しかし次の瞬間。地面が揺れ、衝撃に耐えられず皆の脚が頽れる。
魔獣が右手で草でも摘むように、手近な巨木を引き抜いていた。それを道具とするように携えると──ナタリーたちに向かって大きく振り薙ぐ。
風が轟き、一塊になっていた討伐隊をばらばらに引き裂いた。
目の前で、鋭い衝撃波の直撃を受けた騎士の身体が粉々になる。
直後、ナタリーの意識は暗転した。
森に臨む境壁上で二つの瘴気を見張っていたベアトリクスがすぐさま反応する。
「ポイント2に現界の反応! 二足歩行──魔獣です!」
望遠鏡を手にした騎士が声を引きつらせる。
「ポイント2に……? では、先生のいるポイント1には──?」
ベアトリクスは動揺で言葉を失う。
『魔獣現界と目される瘴気のもとへは俺が行く』
出立前、はっきりとアーノルドは告げていたのに。
──先生が、瘴気の判定を見誤ったと……? そんな馬鹿な。
彼女がアーノルドの魔獣討伐に随行するのは初めてだ。だがアーノルド自身は過去に何度も魔獣現界に立ち会い、その瘴気を目の当たりにしてきたはず。そんな致命的なミスを犯すなんてありえない。
いや、両地点に魔獣が現界する可能性も捨てきれない。だとしたら、加勢すべきだ。
ベアトリクスは困惑を押し殺して動き出す。
「先生に報せます、馬を──!」
「その必要はない」
「──!」
立ちはだかるように正面にいたのは、〈七聖〉の使いの男だった。
これまで無言で状況を眺めていた存在が、ようやく動きだしている。
「ベアトリクス。あなたも剣聖の生徒として扱われている以上、協力してもらう」
「……どういうことです」
「協力といっても大したことではない。あなたにもできることだ」
〈七聖〉の使いのベアトリクスへの視線は傲岸だった。
無知の者を諭すように、一方的に指図を下すべく言い放つ。
「『何もせず、状況を見届ける』──それだけだ」




