第十九話② 〈真髄〉の産声
三日目。
西の辺境シニストラに現界した魔獣討伐で。
セオドールは壊れかけた。
魔獣を前に剣を振るっていたのも束の間、突如頽れて、太刀を懐に握りしめたまま動かなくなってしまったのだ。
「セオドールっ!」
クシャナは魔獣の攻撃を凌ぎ、倒壊する建物から人々を救出し、やっとのことでセオドールのもとに駆け寄る。
〈真髄〉として認められた太刀は、恐るべき斬撃と破壊力を生み出していた。選抜では感じ得なかった人智を越えた力をこの刃が持っていることは確かだった。
何がこの刃を変えたのか、依然としてわからないままだが──
「セオドール、起きろ。太刀の刃から手を離せ。自分を切ってるぞ」
俯くセオドールの腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。魔獣はまだ斃せていない。
抱きしめるように刃を握っていたセオドールは、自刃を身に寄せるあまり掌や首筋までうっすらと血を滲ませていた。
「──もう斬れない」
「……、セオドール?」
「クシャナ、俺は──魔獣を斃したとき、あいつを……クロエを斬っていたんだ」
あの選抜で。セオドールは持てる力をすべて注ぎ、魔獣の頸元にまで迫っていた。
だが魔獣の方が強く速かった。その容赦ない迎撃がセオドールを殺す寸前。身を挺したのがクロエだったのだ。
セオドールは彼女に守られ、同時に彼女を巻き添えにする形で渾身の斬撃を放った。
クロエを斬った刃によって、セオドールは魔獣の頸を落とした────
「大切なものを斬ってまで〈真髄〉を手に入れるつもりなんて……俺がもっと別の方法を……」
──重く吐き出されたセオドールの告白に、クシャナは静かに目を伏せる。
「わかってるよ、セオドール。俺も見ていた」
「そうか……そうだったのか……あんな戦況で、さすが……」
自分の罪が認められた安堵で、セオドールは力の抜けた声になる。
「クシャナは前に出たがらないだけで、本当は、あのなかで一番強かったんじゃないか……?」
「それはないよ」クシャナは即答する。
「魔獣をあの瞬間セオドールが斃してなければ俺たちは全滅していた。仕方がない犠牲なんて俺は絶対認めないけど、あのときは他に選べなかったんだよ」
そもそもあんな選抜さえなければ。
多くの犠牲を前提にした〈真髄〉を生むための儀式のようなものさえなければ。
クシャナのなかで〈七聖〉が司る仕組みへの不信感は根深いものになるばかりだった。
大切な存在の犠牲によって剣聖になった──今まさに心が崩壊しようとしている青年を目の前にその思いはなおさらだった。
「わかっている……」
セオドールの声が乾いて掠れる。
「だから俺は、斬らないと、戦わないといけないのに……」
──背後で魔獣の雄叫びが轟いた。
これ以上の潰滅を阻止するためにも早く決着をつけなければ。
「だけど斬るたびに、クロエを殺した瞬間をどうしても思い出す……あの、感触を……っ」
セオドールの震える手が、加減も構わず太刀を握る。
セオドールはこの刀で斬るたびに、犠牲にした者を思う。思わずには生きられない。
それほどに、彼にとってクロエは特別な存在だったのだ。だからこそ。
剣聖として〈真髄〉で戦うことは、この先ずっと罪悪感に斬り刻まれ続けることを意味する。
──そんなこと、させるか。
壊れかけたセオドールを前に、クシャナは決意する。
太刀を握りしめるセオドールの手首を掴み、ゆっくりと手放させる。
血の滲んだ彼の太刀の代わりに、クシャナは納刀した自分の太刀を差し出した。
「セオドール、これで戦え」
「…………え」
「確かに俺たちは仲間の犠牲でこうして生きている。だから戦い続けるべきだ」
「……」
「でも、今のセオドールのままで戦わせたくない。この太刀はクロエを犠牲にしたものとは別だ。だから使える。これならお前は斬れる。戦っていける」
念じるような、願うようなクシャナの言葉を、セオドールはただ聴き入っている。
「俺はセオドールに戦ってほしい。お前はきっとこの先剣聖として多くの人を守って救える。その運命まで無駄にしないでほしいんだよ」
酷なことを求めているのだと解っている。お前は戦い続けろと。
だが、今のセオドールから剣客としての戦いを奪うことこそ危険なのではと感じていた。
今も生々しい血を噴く彼の心の傷は、放置すれば腐りいずれセオドールを壊すだろう。
その傷を修復する方法は、戦うことだ。
剣客であれば、戦い続けることこそ生きる道ではないのだろうか。
「こっちの刀は、使わなくていい。お前が大事に持っておけ」
そう言って、セオドールから手放させた彼本来の〈真髄〉を鞘に納めて差し出した。
あの悲劇は、厳然たる事実だ。懐に抱いたまま──生き続けていくことも大事だ。
クシャナから二振りの〈真髄〉を差し出されたセオドールは目元を歪める。
「……待ってくれクシャナ。あなたはどうするんだ? 剣聖としての、〈真髄〉は──」
「俺はそのへんの刀さえあれば戦える。なんとかなるよ」
たしかに〈真髄〉の刀としての力はすさまじかった。だが、惜しくはない。
クシャナはすっきりした気分になっていた。
「お偉方に怒られるだろうけど──まさか殺されはしないだろ。もしも俺が〈真髄〉の事実をそのまま公にしたら〈七聖〉にも都合悪いだろうからな。悪いようにはならないさ」
候補生の犠牲ありきの剣聖選抜という血腥い真実。最強の英雄・剣聖という清廉な認識を世界で維持させたい〈七聖〉にとってそれを公言されるのは不都合なはず。クシャナが自分の〈真髄〉は失くしたとでも言い張れば、不用意に弾劾することはないだろう。
剣聖という立場は逐われるかもしれないが。命を奪うまではしないはず。
──危うい状態ながら、不思議とクシャナは確信していた。
使えない者になど関心がない。その生き死になどどうでもいい──
剣聖『一人目』ノウマンなら、きっとそんな判断をするはずだと。
「戦って生きていこう、セオドール」
考えるのはあとだ。クシャナは背後から迫る魔獣の気配に、セオドールの意識を促す。
「魔獣の討伐は、お前に託す」
ただ短く、その言葉にクシャナはセオドールへの意志をこめた。
「────わかった」
セオドールはそれを受け止め、差し出されたクシャナの太刀を手に取った。
「俺は、戦う。戦って生きる」
そのまま疾風と化した剣聖は魔獣に単身で挑み──
人外じみた力を発揮し、戦慄するほどの斬閃を放ち、魔獣を斬り倒す。
『六人目』の剣聖セオドールの初陣はこうして決着して。
『八人目』だったクシャナは剣聖としての幕切れを迎えたのだった。




