第十七話 排除すべきは『三日剣聖』
白く照る〈真髄〉を携えたアーノルドが振り返る。
息を呑むことも忘れ圧倒されている一同と向き合うように。
三体の幼魔獣を葬ったことで瘴気が失せ、視界が徐々に晴れていく。
まさしく剣聖アーノルドが切り拓いた世界が目の前にあった。
クシャナは彼の足元に目をやった。土を抉った一条の斬撃痕に、瘴気で見えなかったアーノルドの剣の威力を瞬時に悟る。
「一撃で三体斬ったのか……」
「!」
ナタリーがぎょっと目を剥いて、斬撃痕と〈真髄〉の持ち主とを見比べた。
剣聖による〈真髄〉の一振り。その威力を、剣技を、業物の真価をどう驚異すべきか思考がまだ追いつけずに茫然と、
「剣聖って、〈真髄〉って……そんなことまでできるの……⁉」
他の騎士や剣客らも、同じような眼でアーノルドを凝視している。
「全員、無事か」
戦場で仲間から畏怖の視線を浴びるなど剣聖からすれば慣れたものなのか、アーノルドは終始淡泊だった。
ベアトリクスが静かな声で応える。
「問題ありません、先生。該当エリアの瘴気は排除完了したもようです」
「上々だ。一度拠点に引き返すぞ」
〈真髄〉を鞘に納めると、アーノルドは元来た道を引き返すべく歩き出し──
クシャナの前でぴたりと止まる。
「やはりお前は不要だ、『三日剣聖』」
処刑を宣告するような声。
アーノルドの硬い光を凝らせた目と正面対峙し、クシャナは気まずそうに口を開く。
「仕事はしたつもりだけどね」
「三等ランクの幼魔獣を斃した程度で評価されるとでも思ったのか?
お前が討伐に介入したせいで、共に戦う仲間の危機が徒に煽られただけだった」
「煽ってた?」
「幼魔獣の接近を口にしていたな」
瘴気から突撃してきた三等ランクの幼魔獣だ。少し離れた場所にクシャナが首を斬断した骸がある。
アーノルドはクシャナに目を据えたまま、抑揚のない声で続ける。
「『三日剣聖』であるお前の言葉に誰が反応した? むしろ妙な発言と捉えられ全体の動きに隙が生じた。余計な被害を生んだのは、お前の言動だ」
幼魔獣の奇襲による被害は、クシャナが原因だとでもいうつもりか。
すぐさまナタリーがキッと眦をきつくし踏み込んできた。
「なんだその言いがかりっ! 師匠が気づいてなかったら今ごろ、」
「幼魔獣に近かった者が的確かつ迅速に対処していただろう」
ナタリーを見向きもせず、アーノルドは即答した。
「『三日剣聖』の余計な一言が無ければな。騎士も剣客も相応の実力の持ち主だ。瘴気の奥に集中することで、充分に奇襲にも反応できていた。お前がそれを邪魔したのだ」
向かい合うアーノルドとクシャナを注視していたひとりがぴくりとする。
奇襲の直撃を受け、クシャナに助け起こされていた騎士だ。幼魔獣の爪で割れた自分の胴鎧に目をやったまま俯いている。
「お前のような剣客に、これ以上存在してもらっては困る」
──アーノルドはさらに断言する。その言葉を拝聴すべくみな静まり返っていた。剣聖の実力を目の当たりにしたばかりで、彼に異論を唱える者など──
「そんなわけないっ!」
全体の空気に負けじと声を張り上げたのはナタリーだった。クシャナを睨んでいるアーノルドの視界へ強引に入るようにぐっと前に踏み込む。
「剣聖だろうとそんな言い方許さない! 師匠は人を助けて守ってきたんだっ。さっきだって!
これ以上師匠を剣客として否定するつもりならあたしが、」
「ナタリー」
クシャナはアーノルドに詰め寄る彼女の肩に手をやり、すいっと横に押しやった。
入れ替わってアーノルドの間合いに入ると、誤魔化すような緩い笑みで、
「悪いね。アーノルドの邪魔になるようなら、俺はどっか別の隊にでも混ぜてくれよ。
たしかに俺は剣聖をクビになったお恥ずかしい身ではあるけど、まだ剣を使って生きてるんだ。今回も討伐の役には立ちたいと思ってるんだが」
「論外だ」
アーノルドは処刑の刃を振り下ろすように、冷たく答えた。
「お前のような剣客が、幼魔獣や魔獣を斃す使命感を持つなど烏滸がましい」
「……討伐には参加できないってこと?」
「お前は討伐を阻害する要因だ。領地内で待機していろ」
「……!」
たちまちナタリーがいきり立つが、その動きを抑えるようにクシャナは大きく肩を竦めた。
「いや~、俺ってお前に嫌われてたんだなぁ」
「好悪などない。お前は俺にとって軽蔑すべき存在であるだけだ」
言葉の通り、クシャナに言い放つアーノルドの声音には憎悪は微塵も存在しない。
ただひたすらに、蔑むべきものとして彼を見なしている。
「この世界を脅かす存在から人類を守り得る〈真髄〉を紛失した──かような忌まわしい所業を裁かれもせずお前がのうのうと生きているなど。
〈七聖〉の長──ノウマンの精神を穢す、万死に値する重罪であるはずなのに。何故今もお前が生かされているのか、到底理解に苦しむ。〈七聖〉の、いや、ノウマンの許しさえ得られればこの場でお前を斬り伏せている」
「……」
アーノルドの鋭利な眼差しを受け止めていたクシャナが僅かに反応する。
ノウマン──〈七聖〉を束ねる最古参の剣聖である男の名前だった。
「ずいぶんノウマンを信奉してるんだな」
「無論だ。彼とその思想こそがこの世界の今を支えている」
「……正気か」
思わずクシャナは零していた。
すると、それまで徹底して感情を排していたアーノルドの目元が歪んだ。
びきり、と顳顬から眼球にかけて、歪な編み目のような血管が迸る。
その気配に、ナタリーのみならず周囲にいた者が背筋を凍らせた。アーノルドの従者であるベアトリクスまでも。
今にも斬りかかりそうな気配。
それは間違いなく、殺気だった。
ノウマンという存在に対するクシャナの見解。それが初めてアーノルドの感情を動かしていた。
クシャナは血走ったノウマンの眼を見つめ返すだけだ。
──斬り合いにならなかったのは、ただの奇跡としかいいようがない。
クシャナに刀を抜く理由はなく、アーノルドはクシャナをここで斬り伏せる手間に気付いたのだ。
だがアーノルドはクシャナを討伐隊から排除することを決定し、領地に留まることを命じた。
所定のエリアでの討伐を終え、各隊が一度エーベン領地内へと引き返した。
広場に集められた騎士と剣客たちは、夜の警備体制と再度の討伐出征の手はずを共有する。
森での討伐は各地で成果を上げたが、瘴気の一掃とはいかなかった。
陽が落ちたころ、アーノルドは広場で「魔獣現界の可能性がある瘴気」が二か所発生していることを告げた。夜更けのうちに討伐隊を二つに分け、各地へ向かうという。
魔獣の討伐はもとより、存在にまつわる情報が皆無であるエーベンの騎士たちは剣聖の指揮を恃みに迅速な動きをとっていた。
黄昏を迎えた空は朱と藍を溶かしていた。やがて領地と外を隔てる境壁でかがり火が焚かれ出すと、本格的な夜闇に包まれる。
クシャナはアーノルドの宣言通り、夜の討伐隊からは外された。広場の外れで先頭に備える騎士や剣客たちの姿を眺めているしかない。
すると隣で無言だったナタリーがくい、と袖を引いてきた。
「師匠……あたし、あの剣聖の討伐に紛れて大丈夫なのかな」
「ナタリーはいいでしょうよ。怒られたの俺だけだし」
「……どうして同じ剣聖まで、師匠のことあんな風に言うんだろう」
取り付く島もないアーノルドの態度を前にナタリーは怒ることもできず、ただ消沈していた。
「だって師匠は、ずっと人を守るために戦ってきたんだよ。剣聖だったときから、今だってずっと。
〈真髄〉を失くすことが、そんなに駄目なことだったの?」
「〈七聖〉の剣聖としては駄目だったんだよ。やっぱり」
「駄目じゃないっ!」
宥めるクシャナの声を振り払うように、ナタリーは声を荒らげた。
「師匠、やっぱりあたしは納得できない。あのときから、ずっと!
だって師匠は十年前、〈真髄〉で魔獣を斃して、あたしも他のたくさんの人も守ってくれた。
師匠がしてきたことは間違いでも、駄目でも、重罪でもないっ。だって──」
ナタリーは悔しさに目を潤ませながら、クシャナを見上げた。
「あのとき師匠は〈真髄〉を失くしてなかったんだから!」
その言葉に、クシャナは目を見開いた。
「……ナタリー、もしかしてあのとき──」
「あたし、助けられた直後で死にかけてたけど、あれは見間違いなんかじゃない。見たんだ!」
強い確信をもった目で、ナタリーは必死に続ける。
「師匠はあのとき、もう一人の剣聖──セオドールって人に自分の〈真髄〉を手渡してた。
どうして? あの人は自分の〈真髄〉を持ってたけど途中で戦えなくなってた。だから師匠はあの人を励まして、何か言ってから自分の〈真髄〉を託してたんだよね。
あれが何だったのか、あたしには全然、わかんない……あのとき──本当は何があったの?」
ナタリーの言葉がクシャナの脳裏にある記憶を呼び起こす。
『三日剣聖』になることを自ら選ぶまで。
────それはクシャナが〈真髄〉を手にするときまでさかのぼる。




