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第十六話 正統なる〈真髄〉の使い手

 ほどなくクシャナとナタリー含む討伐隊は、都市エーベン手前に広がる森に入っていた。

 剣聖アーノルドが率いる隊は、最も瘴気の濃度が高い中部エリアの討伐を当然のように担っている。


 森を奥に進むにつれ、徐々に目の前が霞み靄は黒く濃くなっていく。無論、幼魔獣(コクーン)の瘴気だ。

 だが靄が一面に広がるあまり、存在をはっきりと掴めないでいた。無言で歩進(ほしん)する一同の足音に緊張感が帯びる──


 ざっ、と不意に足音が止んだ。


「?」


 殿にいたクシャナとナタリーは、前方の停止を怪訝に見る。

 うっすらと、黒い靄の向こうに立ち止まったアーノルドの背中がある。


「──先生」


 ベアトリクスの静かな声。


「総員、武器を」


 アーノルドが厳かにそれだけ告げる。

 反射的に長剣を抜き構えたベアトリクスに続き、隊の者も各々の武器を携えようとした、次の瞬間。

 音もなく靄が割れ、濁った黒の奥から巨岩が突っ込んで来た。


「っ⁉ ぅえ⁉」


 銃剣を手にしたばかりのナタリーが思わず呻く。彼女にとって完全な不意打ち──つまり鼻が利かず、幼魔獣の接近を掴めなかったのだ。

 クシャナは鼻を(しか)めながら太刀に手を添えた。


 ──瘴気の濃度が高すぎる。匂いでの感知はできない。

 一同が幼魔獣を目視できた瞬間には、その爪が頭上すれすれにまで迫っていた。

 空を薙ぎ払う爪が、身構えた者たちの頭を一気に刈り取る──


 刹那。


 アーノルドが携える長大な剣が鞘走り、白い刀身が露わになった。

 靄のなかでも鮮明な、骨を思わせる灰白(かいはく)色。幅のある刀身がアーノルドの手で翻り、ごうと空気を巻き込む、と、次には幼魔獣(コクーン)の片腕が天高く舞いあがっていた。


 幼魔獣が、予期せぬ返り討ちに奇声を上げる。

 四肢のバランスを失い、ずずん、と音をたてて幼魔獣が横に転げる。


「──ひっ」


 隊員らはそこでやっと幼魔獣の奇襲と死の瀬戸際に反応する。

 と同時に、剣聖による攻撃が返り討ちを実現したのだと悟る。

 息を呑む一同をよそに、


「散開。周辺に注意を」


 アーノルドは淡々と告げ、ひとり幼魔獣(コクーン)へと歩進する。

 体長十メートル超の巨体と正面対峙しながら、その間合いへ。


 幼魔獣は斬断された前片脚から瘴気を噴きながらも身体を起こす。脚の欠損にのたうつも、ほどなく三つ肢で体勢を整えて攻撃に転じる。

 険しく歪んだ顔面が引き裂くように顎を広げ、牙を剥きだしにする。

 おぞましい咆哮と真っ黒な吐息を浴びながら、アーノルドはその懐に潜り込み長剣を振り上げた。


 下から上へと刃が流れる。動き自体はシンプルで、目でも追える。

 直後、白い刀身が幼魔獣の喉元を割り、頸を通過した刃が煌めく。

 どすっ──と重い音が足裏を震わせる。次には巨大岩のような幼魔獣の頭部が足元に転がり、猛々しい咆哮に包まれていた空間が沈黙を迎えていた。


『…………!』


 アーノルドの簡潔な動きが幼魔獣を圧倒し斃殺(へいさつ)した。

 あっけない刀身の動きと驚異的な結果とを目撃した一同は、突如の光景に動けない。

 ──無駄のない動きと、驚異的な膂力。奇を衒わない正統な長剣技能を前に言葉を失うばかりだ。

 周囲の反応を意に介さず、アーノルドは抜き身の剣を片手に携えたまま、


「見敵は一体排除した。総員引き続き進行する」

「承知しました、先生」


 未だ固まる一同に代わり、ベアトリクスが応答し歩進を再開する。

 靄はまだ黒ずんだままだ。周囲の幼魔獣(コクーン)の脅威は消えていない。剣聖が視界から消えるのを恐れるように、皆が慌てて後を追い始める。


(あれがアーノルドの〈真髄〉か……)


 彼の戦いを初めて見るクシャナは、白く照り輝く一メートル超の長剣を無言で見据える。

 骨を思わせる白い全身。柄と刀身の境であるガード部分を巡る血管のような装飾。

 白と紅──その色合いが〈真髄〉の特徴だ。剣聖によって手にする剣は種類こそ違えど、その鮮やかな色彩だけが共通している。


「……」


 クシャナは無言のまま、目元を小さく歪める。

 十年ぶりに目にした〈真髄〉の彩りは、まるで骨と血だ。





「師匠、あれが〈真髄〉なの?」


 瘴気の黒い靄のなか、潜めた声でナタリーが問う。

 より一層濃度が増し、先もおぼろな霧中と化している。うっすらと見える彼女の表情は、アーノルドの幼魔獣(コクーン)瞬殺を見た直後のせいか強張っていた。

 クシャナは小さく頷いた。


「俺も十年ぶりに見た」

「懐かしがってる場合じゃないって」

「いやぁ、剣聖ってすごいんだな」

「暢気に感心してる場合かあっ」


 とは言いつつ、ナタリーも剣聖の凄さについて異論はないようだった。


「師匠だってすごい、けど……あたしじゃあいつの強さを正確に説明できない気がする。凄すぎて」

「素直でよろしい。

 アーノルドは俺より若いのに一年早く剣聖になったんだ。真面目で正統派の剣客ってやつだ」

「じゃあなんで師匠に感じ悪かったの?」

「そりゃ俺が『三日剣聖』だからでしょ」


 クシャナはぞんざいに自分を指さして見せた。


「〈真髄〉を失くすなんて大失態を犯した、剣聖の面汚しなんて、優等生のアーノルドからしたら忌々しいまであるんじゃないか。年上なのに腕も格下──まぁ嫌われそうだな」

「師匠が納得してる場合かあっ。あいつはたしかに強いけど、師匠があいつより弱いとは思えない」

「見誤るなよ。それは弟子の欲目ってやつだ」

「そんなことないっ」


 ナタリーはもどかしそうに声を上げると、眉間を(かげ)らせた。


「ねえ師匠っ、あたしはやっぱり納得できないよっ。どうして師匠は三日で剣聖をやめちゃったの?」

「……やめたというか、クビに──」


 ナタリーはクシャナを遮り、激しく頸を横に振った。


「〈真髄〉を失くしたなんて単純な話とは思えない。本当のこと、あたしちゃんと知りたいんだ」


 その目に浮かぶ切実さを前に、クシャナは誤魔化しを一瞬ためらった。


〈真髄〉にまつわる「本当のこと」なんて──


「────、!」


 口をついて出かかった言葉が途絶える。

 真横からの気配によって。


「──右だ!」


 クシャナが声を張る。が、先を歩く隊の者たちの反応は乏しかった。

『三日剣聖』が何か言ってる──

 そんな緩慢な気配が。


 次には靄を割った右からの鋭い突入により、盛大に蹴散らされた。





 奇襲の直撃に、隊員の悲鳴が掻き混ざる。直撃を受けた騎士がひとり、大きく吹き飛んだ。


「──構えろ、一体だ!」


 クシャナは吼えるように告げ、太刀を抜く。

 ごう、と風が巻き上がる。空気が流動し瘴気が掃け、視界が開ける。

 突進を果たした幼魔獣(コクーン)は、体長五メートル以下ながらかなり俊敏だ。異様に発達した爪が穿つように地面に食い込んでおり、次には土を散らしながら大きく跳躍した。


「……っぐあ……!」


 初撃の突進で蹴散らされた騎士が、潰れた悲鳴を上げる。


「伏せぇっ!」


 ドン──! とナタリーの銃声が割り込み、爆散の花が咲く。

 跳躍した幼魔獣は胴体の鱗を砕かれ体勢を崩すが、すぐに疾走を再開する。


 クシャナが疾り、迫近し、追いつく。

 直進する幼魔獣の懐へ、割り込むように駆け、刃を振り上げる。


 どう──っ、と鈍い音。

 刀身が迸り閃くと。幼魔獣の頸が斬り落とされていた。


「無事か」


 振り返り、足元で動けなくなっていた騎士に手を差し伸べる。


「──あ、ああ」


 仰向けで動けずにいた騎士は、反射的に手を取って立ち上がり、迫っていた幼魔獣が斬り斃されたのだとようやく把握する。直後。


「──幼魔獣接近! 十時の方向から三体が!」


 前方にいた別の騎士による悲鳴じみた声が響き渡った。

 文字通り一寸先すら覚束ない空間での戦闘が、騎士や剣客らを不安定にさせている。大人数だが連携攻撃は望めないか。


 クシャナは腰を低く溜め、太刀を構えた。

 靄の向こうにある気配を窺い、ナタリーも銃剣の引き金に指を添えていると。


 瘴気の向こうで、幼魔獣の軋んだ絶叫が連続した。

 音のした方から、鋭い風が巻き上がる。


「──!」


 押し寄せる衝撃波に硬直していると風が瘴気を一掃し、目の前が一気に開けた。

 そこにあったのは。


 刀身の汚れを掃うように長剣を振り下ろすアーノルドの後ろ姿だった。


 さらに広がった視界には、彼の周りで頸の斬断面を晒し、絶命したばかりの幼魔獣が三体。

 どれもクシャナが斬り倒したばかりの幼魔獣の二倍はある大きさだ。


「……!」


 みな、言葉を失う。

 接近を確認したあの一瞬で、靄のなかアーノルドが三体を斃したのだ。


 これが剣聖の、〈真髄〉の使い手の実力──


 誰かが見届けるよりも先の終わった戦闘後の光景が。

 剣客としての次元の違いを雄弁に物語っていた。

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