第十五話 剣聖が一人、アーノルド
中級都市エーベンの門が厳かに開かれ、整列した騎士たちが出迎える。
「ようこそ遠路はるばるお越しくださいました、剣聖様」
代表の騎士が緊張した声で進み出ると、男は静かに応じた。
「仰々しい呼び方は必要ない。わざわざ出迎えてくれたことに感謝しよう」
「もったいないお言葉ですっ。このたび〈七聖〉に報告した瘴気が魔獣現界の予兆に該当するとは──この領地史上初めてのことで慄く次第。なにとぞ剣聖様の御導きとお力とを賜りたく存じます」
「──エーベンの騎士たちは魔獣や現界に関して情報や経験がないということだな」
「……っ、はい。申し開きのしようもございません……っ」
「咎めたわけではない。この領地にある魔獣への認識を確認したまでだ」
硬直する代表の騎士に、男は寛容な眼差しで応じる。
「〈七聖〉の剣聖として全力を尽くし、魔獣の討滅を約束する」
張りのある声が響いた。長身と分厚い胸板、一挙手一投足に威厳すら漂う。
年の頃は三十代、日焼けした肌に掘りの深い目鼻立ち。刀身だけで一メートル以上はある長剣を腰にも佩かず背負いもしない──武器を無造作に片手で携えた姿は、まるで訓練された獣を従えているかのようだった。簡素な装備で、無駄のない筋肉が鎧以上の屈強さを雄弁に物語っている。
水底のような灰青色の髪と目。見る者の心を引き締めさせる厳粛な眼差しが騎士たちを見る。
「アーノルドだ」
名乗っただけの声に、騎士たちがぴしりと身を硬くした。
剣聖──本物だ──おぉ──と息を呑む者たちの目には昂揚と感動が浮かんでいる。
アーノルドは自分の斜め後ろの位置を保って随行していた二人を目線で示した。
「同行しているのは我が徒弟のベアトリクスだ。今回初めて魔獣の討伐に加わる。
その隣にいるのは〈七聖〉からの使いで、目付け役のような存在だ。戦闘には加わらない」
「──このたび先生の随伴を許可されたベアトリクスです。どうぞよろしくお願いします」
貴族と見紛う丁寧な一礼。顔を上げたのは整った容貌の若い女性だった。
静かな翠色の双眸に肩のうえで切り揃えられた金髪。表情が乏しいのは怜悧さか緊張ゆえか、先生と呼ぶアーノルドに倣うように装備は最小限で、腰には長い足と並ぶような長剣を下げていた。
「……」
一方、最後に紹介された「〈七聖〉からの使い」は黒い礼服で武器も持たず一礼するだけ。以降も状況を黙して見届けるだけだった。
〈七聖〉は剣聖最古参の男が束ねるシンプルな組織だ。各地に情報を把握する「使い」がおり、大陸連合や領土騎士から魔獣討伐の要請をされたり現界の可能性を検知すると、剣聖をその地に派遣する。
統治上では地方分権体制にある大陸だが、魔獣討伐においては〈七聖〉を中央にした集権型になる。魔獣討伐では剣聖がトップに立って現地の領土騎士らを率いるのが慣例だ。
時折、アーノルドのように剣聖に師事する「生徒」や従者を引き連れている場合もあるらしい。
──ついに登場した剣聖とその随行者たちの姿を。
「……ぬぅ」
少し離れた宿の窓から望遠鏡を使って眺めていたナタリーが小さく唸る。
「後ろの人がいわゆる弟子ってやつかな。師匠とあたしの真似してないかあ?」
「真似というか、ただの共通点じゃない?」
同じ窓辺でだらっと外の様子を眺めているクシャナが平静に答える。
大通りの宿屋から領地の門まで二百メートル。望遠鏡は使わず視力頼みではあるが、その距離からでもクシャナはその男のことを認識できた。
(アーノルドか……俺より一年早く剣聖になった年下の先輩だっけか。なつかしいな)
たしかアーノルドが二十二歳で剣聖になった翌年に、クシャナともう一人が剣聖になっている。
実際に彼と顔を合わせたのは、クシャナが剣聖になった二日目だ。
つまりは三日目に〈真髄〉を紛失した一日前、〈七聖〉の本部で偶然顔を合わせて挨拶をした──アーノルドとはそんな通りすがりみたいな関わりしかなかった。
(あのとき……なんか言われたっけか)
アーノルドを遠目に、クシャナがぼんやりと十年前、自分が剣聖だった僅か三日の流れを思い出そうとしていると。
アーノルドが顔を上げ、こちらを見てきた。
「──うぉわ⁉」
望遠鏡を手にしていたナタリーは、彼とばっちり目が合ったことに驚き窓から室内へ飛び退いた。
「こ、こっち見てた? なんでっ、あっ、レンズの光が反射してたのかな……?」
「──見てるね」
クシャナは窓際に身を凭れたまま、呟くように言った。
視線をアーノルドとしっかり合わせたまま。
──敵意や殺意を向けていなくとも、アーノルドはクシャナを視界に捉えていた。お前が見ているのを知っている、と意思表示をするように。
クシャナは視線を受け止めたまま、ぼそりと独り言ちた。
「あいつ、俺のことまだ憶えてるのかね?」
翌日から剣聖アーノルド主導の討伐が始まった。
魔獣は現界していないが、森には高濃度の瘴気が留まったままだ。その要因である幼魔獣を急ぎ一掃し、可視化されている脅威を速やかに排除することが先決という判断だった。
朝、前日までに掲示板で募集されていた戦力が都市中心の広場に集められていた。
募集を聞きつけた周辺の剣客や地元の領土騎士の総勢は、三百人以上──中級都市では稀に見る大規模の討伐だ。
演説台には領土騎士長とアーノルドが並び立っている。剣聖の徒弟・ベアトリクスは傍らに控えているが、討伐には参加しないと予告されていた〈七聖〉の使いの姿はなかった。
集まった者たちへの号令を担う騎士長からは、隊分けした部隊を剣聖と騎士らが別々に率い、各隊が指定エリアの幼魔獣を斃していく──そんな説明が進められている。
「うわわ、こんなにいるのかー……人多い」
討伐に臨むべく武装して居並ぶ者たちを見回しながら、ナタリーが呟く。
きょときょとと落ち着きのない様子にクシャナは、
「どうしたナタリー。大人相手に縮こまっちゃって」
「べつにビビってるんじゃないのっ」
ナタリーはふんすと握りこぶしを作りながら、
「剣聖に注目されて選抜に見出されるチャンスだもん。どうやって目立ってやろーかって、」
「目立つ方法なんてあるの?」
「先陣切って、みんなの前で初撃を決める!」
「これこれ、いかんよ。さすがにこの規模で勝手な真似したら怒られるぞ。ケンカじゃ済まされない」
「むぐぅ……」
握りこぶしのまま呻くナタリー。どうにかして剣聖の目に留まらないかと考え込んでいる。
クシャナが話題を逸らすものの、選抜で見出され剣聖になることはナタリーの野望のひとつだ。
強くなるため、そしてクシャナの汚名を返上したい、とも言っていた。
剣客としてどんどん強くなっていくナタリーの頼もしさを評価する一方、自分の汚名返上なんてナタリーに背負ってほしくないというのがクシャナの本音だった。
ただ、あまり本音を言いすぎると彼女の威勢を削いでしまう。難しいところだ。
「──ではこれから森に向かう。各隊を担う騎士のもと動くように──」
広場の演説台から領土騎士長が、号令をかけた。
個別の審査なくその場で隊が編成され、ナタリーとクシャナは一絡げに周りにいる者と同じ隊だ。
「とにかく現場が勝負だね、師匠っ。たくさん斃せば目立つはず!」
剣聖に見出されるための作戦は、彼女のなかで一番シンプルな方法に落ち着いたようだった。
今まで通り、幼魔獣を斃していく。
その結論にクシャナも異論なかった。
「魔獣も現界してないし、いっそこのまま片付けば──」
と、そこへ。
アーノルドが演説台を降り、討伐参加者たちの群衆のなかに進み出てきた。
これまで泰然と無言を貫いていた剣聖の挙動に、一同がざわつく。
自然と割れる人垣を、アーノルドは王のように堂々と進みながら、
「冷やかしなら撤収してもらおうか」
低く静かな一声はざわめきの中でもよく通る。圧を帯びた声に周囲が一気に緊張する。
全員の注視の中、アーノルドはクシャナの正面に立った。
「──どうも、アーノルド。久しぶり」
居心地悪そうな挨拶をするクシャナに、アーノルドは無表情を返す。
「なぜお前がここにいる──クシャナ」
「もちろん討伐の参戦に。経歴問わずでしょ?」
「お前が? わずか三日で〈真髄〉を失った剣聖の面汚しが、今さら何を?」
その言葉に、周囲のざわめきが大きな漣となって広がる。
クシャナ──三日で──剣聖の面汚し、となればあの『三日剣聖』しかいない。
ええなんで、とアーノルドの問いかけを追って周囲が疑問を浮かべ出す。
周りの反応に構わず、クシャナはへらっとして見せた。
「こんな体たらくでも闘うことはできる。助力させてもらうんで」
「必要がない」
「そう言わずに。森、広いでしょ。歩いてみた? 人手は多い方がいい」
気楽に笑いかけると、アーノルドは声の温度をひとつ下げた。
「……ふざけた男だ」
ざわめきが止み、凍り付く。




